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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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BEEF UP TOKYO at Kyobashi

[銀造] 2018年5月 6日 09:00

 最近、肉を食べる回数が減っていませんか? 

欠乏した肉、ミネラル、栄養の補給には、京橋にある Restaurant  BEEF UP TOKYOがお勧めです。

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 それも、こちらの売れ筋NO.1、 ジャンボステーキ 300g ¥1,280(Including consumption tax) がお勧めです。

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ちょっと、歯茎が弱くなった小生でも、噛んで食べられ、ミディアム・レアの焼き加減と塩コショウ味、大根おろしのソースが何とも言えず、絶妙で食欲を増進します。

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注文する前には、300gも食べられるかなと思っていましたが、美味しく頂きました。

女性の一人客も気軽に入って、お食事をされていました。

お店は、LIXIL ブックギャラリーと同じビルの地下1F にあります。詳細のHPは、こちらです。

https://beefup.gorp.jp/

 

 

「明治天皇と日露大戦争」〔国立映画アーカイブ〕

[ジミニー☆クリケット] 2018年5月 3日 14:00

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今年は、明治維新150年にあたるそうです

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4月1日に東京国立近代美術館フィルムセンター国立映画アーカイブとなりましたが、その開館記念上映第二弾として、現在、「国立映画アーカイブ開館記念 映画にみる明治の日本」が開催されています

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会期2期に分かれていて、

第1期 4月24日)-5月13日

第2期 8月14日)-9月 2日

となっており、計36番組56作品)の、「明治」を描いた映画が上映されます

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会場は、京橋3丁目、鍛冶橋通りに面した国立映画アーカイブ本館2階の「長瀬記念ホール OZU」です

全体は、「明治期製作の記録映画」、「明治を描く 《記録映画篇》」、「明治を描く 《劇映画篇》」の3つのセクションから構成されています

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本日(4月29日)、私は、「明治天皇と日露大戦争」(113分・35mm・カラー)を鑑賞しました

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この映画は、新東宝が社運を賭けて製作した大作だそうです。時代劇の大スター・嵐寛寿郎明治天皇役に抜擢されて、大きな話題となったそうです

当日はほぼ満席、映画の要所要所で挿入される明治天皇の御製、乃木大将の漢詩、当時の唱歌が時代を感じさせ、空前の大ヒットとなったのも頷ける力作でした

これ以外にも、上映予定の作品は、明治期の貴重な記録映像から、坂本龍馬鞍馬天狗貫一とお宮お蔦と早瀬主悦を扱ったものまで、盛り沢山です

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詳しい上映スケジュール等は、国立映画アーカイブのHPでご確認ください。

国立映画アーカイブ開館記念 映画にみる明治の日本」のHPはこちら ⇒

http://www.nfaj.go.jp/exhibition/meiji-201804/

 

 

京はし 満津金(まつきん)

[銀造] 2018年5月 3日 12:00

 「京はし 満津金」は、「四福の摺りもの」という物を売り出されています。

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 四福の中身は、一福が御朱印帳・納経帳、二福が活版名刺・銅板名刺、三福が江戸具、そして四福が江戸町火消錦絵です。

そして、「日本橋七福神」用の御朱印帳も拝見しました。(上の物が使用前、下の物が御朱印押印後)

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 京橋地区の火消しは、「せ組」だそうです。火消しにまつわるお話も沢山伺いました。

火消しの纏には、「消します」という意味を込めて描かれた印があります。

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 また、こんなお話も伺いました。

地図の記号では、銀行の印は分銅です。むかしの銀行にあたる両替商(りょうがえしょう)のマークであった、はかりにつかったおもり(:分銅)の形から)の図柄から決定されたそうです。 分銅は公平・正確を表わすので良い記号ですね。

 江戸具と江戸のおはなしについては、お店を訪問して、楽しいお話を伺って下さい。詳しくは、こちらのHPをご覧ください。

http://www.kin-yosha.co.jp/

 

 

【子連れで楽しむ中央区】#20:幼児のためのお手洗い(日本橋三越前)

[お染] 2018年5月 3日 09:00

お出かけ日和が続き、良い季節ですね

    

子供にはたくさん楽しい経験をしてほしいけれど、出先の授乳やお手洗い等々を考えると腰が重くなってしまうことも...(^^;)
でも中央区はデパートなど、たいてどこかに授乳室があって、子連れに優しい街だなと思います。

    

我が家のチビさんは少しお兄さんになったので、授乳室のお世話にはなっていませんが、新たな問題が...

   

「トイレ」です。

   

幼児は小さいので、大人用トイレに座れないのです。
それに足がつかなくて大は難しい...(´・ω・`)

   

と思っていたら、日本橋三越前の地下通路にこのようなお手洗いを発見しました!!!

     

幼児用のお手洗いです!!!

   

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かわいらしい小さいサイズ^^

    

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チビさんも楽に手を洗えます

     

場所を説明するのが難しいですが、東京メトロ「三越前」の改札を出ると地下通路が広がっており、JR新日本橋駅方面に向かう途中にあります。
「YUITO」の地下エントランスの前です。

     

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お子様によってこういうタイプじゃないと難しいという方は、ぜひ参考になさってください☆

       

 

 

東堀留川跡を歩く!

[株式会社 彦晴] 2018年5月 1日 14:00

皆さんも東堀留川を知っていると思いますが、もともと石神井川の河口部であったそうです。

「上流からの流れを失った旧石神井河口部は、あらためて伊勢町堀(西堀留川)と堀江町入堀(東堀留川)に整備されて日本橋川につながる河岸地として、舟運の中心的役割を果たすことになります。」『中央区立京橋図書館 郷土室だより 第156号より』

私はてっきり日本橋川から江戸の荷上場として堀り進められた堀だと思っていました。

今回はそんな東堀留川跡を歩いてみようという企画です。

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こちらの案内板は小舟町町1丁目にある西堀留川跡の案内板です。東堀留川は案内板の右の川となります。東堀留川には日本橋川から思案橋・親父橋・萬橋と三つの橋がありました。残念ながら昭和24年に埋め立てられ,今はこれらの橋を見ることはできません。思案橋と言えば江戸時代初期に遊郭に行くか劇場に行くか迷って思案したことから思案橋と呼ばれるようになったと言われています。下の写真は大正初期の思案橋の写真です。

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〈写真:中央区立京橋図書館 蔵〉

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日本橋川の接続地には現在でも水門が残っていました。この部分は小網町児童遊園になっていてこの公園の中に公衆便所があるのだが、この辺が思案橋のあった所となる。右の写真の路地の曲がり具合は上記の地図の東堀留川の屈曲具合にピッタリマッチします。

 

この路地に面した建物には、現代風にアレンジされた「倉庫建築」が今でも見受けられます。

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かつて東堀留川があったころ、この付近にはたくさんの倉庫群があったことでしょう。

私的には「江戸名所図会」の"堀留"の図会が頭に浮かんできました。

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そして、親父付近となります。東堀留川は写真手前から交差点の赤信号の方角に伸びていたことになります。そしてこちらの写真も大正初期の親父橋の写真となります。当たり前ですが2階建ての建物しか、確認できません。

「庄司甚右衛門 略 甚右衛門が町奉行所に召出された折々、本多佐渡守はじめ列席の面々皆親父・親父と呼んだので、人々もまた聞き伝えて親父と呼び、寛永五年十一月のころ、甚右衛門の発議で江戸方面から吉原へ渡る橋を架けた際、人これを呼んで親父橋と称した」『中央区史』より

思案橋、親父橋共に、橋に名称が元吉原に関係していたのですね。現在でも中央区日本橋として人の往来は見受けられますが、江戸初期はたくさんの人の往来があった橋だったことでしょう。

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〈写真:中央区立京橋図書館 蔵〉

そして、赤信号の交差点を直進すると堀留児童公園へと繋がります。

東堀留川の川幅はこの公園とほぼ一緒ぐらいあったと言われています。

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現在この公園の地下には災害対策用応急給水槽が埋められているようです。そして公園の先には日本橋保健センターがあります。日本橋保健センターは、東堀留川跡の上に建てられているのですが、建物の一部分がピロティになっていて、まるで川の流れを残したような構造となっていました。また、ピロティの壁面には3枚のタイル壁画がありました。

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これは、もしかして東堀留川にあった思案橋、親父橋、萬橋かなと思い、図書館で調べたり、日本橋保健センターに電話してお伺いしたりしたのですが結局はっきりしたことはわかりませんでした。(日本橋保健センターのスタッフの方にはお仕事中にいろいろ調べて頂きありがとうございました。)

恐らく、日本橋今昔の壁画だろうと思います。詳細をご存じ方はご教授頂ければ幸いです。

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そして、日本橋保健センターの隣にスーパーホテルというホテルが建っています。そのホテルのエントランスの植え込み部分にホテル建設中に見つかった東堀留川の船着石積の一部がありました。私の個人的な意見ですが、もうちょっと目立つところにもっと大きな案内板をつけてもらいたいと切に感じました。普通に歩いていたら、まず気付く人はいないでしょう。このホテルと日本橋保健センターの前あたりが萬橋のあったところとなります。そしてこの先の日本橋消防署堀留出張所前で"堀留め"となります。もちろん住所も中央区日本橋堀留町となります。

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小網児童遊園から日本橋消防署堀留出張所手前までが東堀留川跡になります。

あっという間の短い距離でしたが、旧東堀留川跡にはかつてそこに間違いなく川があったことを感じさせてくれる街歩きとなりました。