中央区観光協会オフィシャルブログ

中央区観光協会特派員ブログ

中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

執筆者一覧

>>このブログについて

最近のブログ記事

新川にかかる橋〔亀島川〕

[ジミニー☆クリケット] 2017年1月17日 09:00

新川エリアは、隅田川日本橋川亀島川に囲まれた地域です

kamej11.jpg

亀島川には、5つの橋(A)(E))がかかっています

kamej01.JPG

まず、日本橋川から分岐した亀島川に最初にかかっているのは、霊岸橋(A)です

永代通り上にある橋です

kamej02.JPG

日本橋川亀島川の分岐点には、「日本橋水門があり、霊岸橋から間近に見ることができます

kamej03.JPG

次に、亀島川にかかっているのが、新亀島橋(B)です

kamej04.JPG

こちらは、亀島橋(C)です

亀島川はここで、ほぼ直角に曲がって隅田川に向かいます

この橋の八丁堀側のたもとに、高田馬場の果し合いの助太刀赤穂浪士の吉良邸討ち入りで有名な堀部安兵衛武庸之碑が建っています

kamej05.JPG

同じ側の道路を挟んで、「銀座の柳四世」も植わっています

kamej06.JPG

高橋(D)です

八丁堀から新川に入る鍛冶橋通り上の橋です

kamej07.JPG

高橋から見た南高橋の眺めです

南高橋の向こうに見えているのは、佃のタワーマンション群です

kamej08.JPG

南高橋(E)です

特徴的な橋の本体には、旧両国橋の一部再利用されています

kamej09.JPG

この橋の新川側のたもとに徳船稲荷神社が祀られており、その縁起の説明板があります

亀島川は、この橋をくぐった後、隅田川に合流します

 

 

尾道ラーメンのお店〔めでたい屋〕

[ジミニー☆クリケット] 2017年1月16日 14:00

medetai010.JPG

新川1丁目永代通り永代橋のたもと、「永代橋西」交差点の北側に、尾道ラーメンのお店「めでたい屋」はあります(下の地図、赤〇のところ)

medetai040.jpg

ランチタイムサービスで、「尾道ラーメン鯛めし」を注文しました

スープは見た目黒いのですが、味は見た目ほど濃くは無く、甘辛い醤油味でおいしいです

medetai020.JPG

平打ち麺スープ相性もよかったです

ザク切り九条ネギがネギ本来の甘み食感を味わえて、これはいいと思いました

ちょっと堅めのチャーシュー肉本来の味を楽しめます

鯛めしもおいしかったです

medetai030.JPG

定休日は、日曜日祝日です。

寒波到来寒い日に、この尾道ラーメンは最高でした

 

 

築地本願寺 参拝記念の「カード」 諦は、あるがままに見るという意味

[銀造] 2017年1月16日 09:00

 1月12日、築地本願寺に参詣に行ってまいりました。

昨年頂いた参拝記念カードは、次の通り発行されました。

DSC03572 (400x225).jpg

築地本願寺の歴史を改めて勉強させていただきました。(残念ながら、全部は集められませんでした)

 そして、平成29年1月のカードは、 「諦」という文字が墨痕鮮やかに書かれています。

DSC03574 (400x225).jpg

しおりの裏面には、「諦」という文字が持つ意味を解説して頂いています。 その意味するところは

DSC03573 (400x225).jpg

本来は、あきらめることではなく、あきらかに見る、あるがままに見る、心理という意味。 自身や他者、物事や出来事をあるがままに見るという視点を持つことで、私たちの人生をより心豊かなものにできるか、新年を期して今一度かみしめたいものです。 築地本願寺宗務長 安永雄玄 」とあります。

酉年の今年は、世界の政治、経済の変動が大きくなるとの予測が多いのですが、大政治家の発言の本質や物事の本質をあるがままに見て、冷静に対処したいものです。

頂いたカードを手帳に挟み、座右の銘としようと思います。

 

 

「築地魚河岸」館

[メニイブックス] 2017年1月15日 18:00

昨年11月28日の"銀造"さんのブログでも紹介されていましたが、今回それを思い出してというわけでもないですが、妻と一緒に「築地魚河岸」館へ行って来ました。

 

平日ということもありそれほど観光客は多くなかったような気がしますが、ツアーで来られている方を多く見かけました。

 

「築地魚河岸」館は3階立てになっており、3階部分が「屋上広場」と「魚河岸食堂」があります。

 

屋上広場から「波除稲荷神社」の全体を見渡すことができます。思ったより広いので驚きました。また「小田原橋棟」と「海幸橋棟」をつなぐ連絡通路から「波除通り」の写真を撮りましたが、以前よりすっきりしたような感じです。

IMG_3813.JPG

IMG_3814.JPGIMG_3816.JPG

 

そのあと"銀造"さんのブログでは「売り切れ」になっていましたが、「あら炊き定食」(今日は鰤大根でした)と「焼魚定食」(目抜きの西京焼き)で昼食。鰤大根は大根がよく味が染みていて美味しかった。食べごたえがありました。久しぶりの築地。楽しかったです。

IMG_3818.JPGIMG_3819.JPG

 

 

靴業発祥と佐倉藩

[ジミニー☆クリケット] 2017年1月15日 12:00

地下鉄有楽町線、新富町駅から上がってすぐの「入船橋」交差点の東詰めのビルにITOKI東京ショールームが入っており、ショールーム入口脇の植え込みの中に、「靴業発祥の地」碑が建っています。下の地図の赤〇のところです

kutugyo00.jpg

碑文では、明治3年(1870年)3月15日西村勝三が、伊勢勝・造靴場を創建したのが旧築地入船町5丁目1番のこの地であったとのこと。勝三は、佐倉藩開明進取の風土に育ち、時の兵部大輔大村益次郎の勧めと、藩主堀田正倫並びに渋澤栄一の支援を得て、靴工業を創成し、これを大成したとのことです

kutugyo01.JPG

こうしてこの地が日本における製靴産業の原点となったのも、築地の明石町一帯が、明治初期、外国人居留地に指定され、 多くの外国人が居住することになって靴の需要が高まったことにもよるそうです

現在、3月15日「靴の記念日」となっているのは、この靴工場創業を開始した日にちなむものです

靴の記念日について〕

(前略)1870年(明治3年)3月15日千葉県佐倉藩士西村勝三が大村益次郎から奨められ、日本で始めての西洋式の靴の工場を築地の入船町に創設したのです。この日が「靴の記念日」となっています。(後略)

(日本靴卸団体連合会のHPより)

また、西村は、築地の工場とともに、佐倉(現・千葉県佐倉市)に士族授産の靴工場「相済社」を開き、佐倉藩士伝習生として靴の製造を行ったそうで、相済社は明治30年代に解散しますが、伝習生の一人であった大塚岩次郎は、学んだ製造技術を生かして大塚製靴現・大塚製靴株式会社)を興しました

大塚製靴株式会社のHP上の「オーツカの沿革」には、

1871年(明治4年)佐倉藩士 大塚隊之丞、横浜弁天通に靴の小売店を営む。

1872年(明治5年)隊之丞の子、岩次郎、2月4日東京・新橋の露月町に大塚商店を創業。 手縫による革靴の製造販売を始める。」と記載されています。

 

kutugyo03.JPG

一方、伊勢勝・造靴場は、明治17年に「佐倉」から名前をとって桜組製靴と改称し、明治35年日本製靴株式会社現・リーガル・コーポレーション)になりました

株式会社リーガルコーポレーションのHP上の会社の沿革に、

1902年(明治35年)1月、合名会社大倉組皮革製造所、合資会社桜組、福島合名会社及び東京製皮合資会社の各製靴部門を統合、各種靴の製造、販売を目的とし、東京市京橋区鎗屋町(現 東京都中央区銀座)に日本製靴(株)を設立。」と記載されています。

上の写真は、REGAL SHOES八重洲店(紳士靴専門店)単独店舗第1号店です

 

kutugyo02.JPG

ちなみに、題字の「靴業発祥の地」を揮毫されたのは、「堀田正久」氏となっており、調べてみると、この方は、佐倉藩主堀田正倫の孫に当たられる方で、昭和34年(1959年)佐倉市長に当選後、昭和50年(1975年)まで4期に亘って、佐倉市の開発に貢献された方だとのこと

滋賀県彦根市長井伊()直愛氏とともに「殿様市長」と言われた方だそうです

 

大塚製靴株式会社のHPはこちら ⇒

http://www.otsuka-shoe.com/

株式会社リーガルコーポレーションのHPはこちら ⇒

http://www.regal.co.jp/shoes/

 

 

「鷹の御茶屋」復元工事着手

[サム] 2017年1月13日 16:00

DSC_0621ELSF'.jpg 

DSC_0563RLS (3)SQRSG.jpg 浜離宮恩賜庭園のある場所は、元々は将軍家の鷹狩り場。甲府藩主徳川綱重が兄の4代将軍家綱より拝領して下屋敷として整備したことから歴史が始まり、綱重の子・綱豊が6代将軍家宣になって以降、浜御殿と称される将軍家の別邸となりました。

第11代将軍家斉の時代には、潮入の池の畔に「松の御茶屋」「燕の御茶屋」「鷹の御茶屋」などが建てられるなど、庭園としての機能が強化され、歴史上最も華々しい催しの続いた時代とされます。

御茶屋は、歴代将軍たちが、賓客と庭園の景色を楽しみながら食事をしたり、和歌を詠むなど、優雅な時間を過ごす場で、庭園の景観を構成する上でも重要な存在です。

関東大震災や第二次世界大戦の戦災により、焼失してしまいましたが、近年、これらの建物の再建・復元計画が進められ、昭和58年に「中島の御茶屋」の再建、平成22年に「松の御茶屋」の復元、平成27年に「燕の御茶屋」の復元が完了しました。

昨年12月中旬からは、「鷹の御茶屋」(茅葺きの農家の造りを模し、将軍が鷹狩りをする際の休憩所として使われ、野支度のまま立ち寄れるように広い土間があり、囲炉裏が切ってあったとされます)の復元工事が始まりました。

完成予定は平成30年3月下旬。

多くの歴史資料に基づいて綿密に時代考証を行ない、寸法、材料、工法に至るまで、可能な限り歴史資料通りの再現を目指していると聞きます。

「鷹の御茶屋」が復元され、池・建物・橋などが織りなす大名庭園の往時の景観に更に一歩近づいた姿が今から楽しみです。