[之乎者也]
2015年12月29日 09:00
正月のメインイベント第92回箱根駅伝まであと1週間余りです。鍛冶橋通りには「交通規制のお知らせ」というサインが出て、新年の1月3日にこちらが箱根駅伝のコースとなることを教えてくれます。往路では大手町の読売新聞社本社前からスタート後、千代田区内の日比谷通りをまっすぐに南下しますが、復路1月3日のラストの第10区は中央区内を走ります。このように新春の大きなイベントである箱根駅伝ですが、一番盛り上がる最終区で中央区を走ることに加えて、このレース、実は中央区との縁も深いのです。
現在、スタート/ゴール地点は読売新聞社本社のある大手町となっていますが、戦後から1971年までは読売新聞社の本社が銀座(現在、プランタン銀座のある場所)にあったこともあり、中央区の銀座がまさに箱根駅伝のスタート/ゴールでした。
さらには、今年参加の21チームの中には残念ながら中央区の大学の参加はありませんが、そのうち3校は歴史上中央区と縁の深い大学です。
一つは順天堂大学。こちらは現在は本郷や佐倉(千葉県)などにキャンパスがある大学ですが、1838年(天保9年)薬研堀(現、東日本橋)に佐藤泰然が蘭方医学を学ぶ和田塾を創立したことが起源です。
【薬研堀の「順天堂発祥の地」記念碑】
2校目は中央学院。こちらは現在は我孫子市(千葉県)が本部となっていますが、その起源は1900年に新川に設立された日本橋簡易商業夜学校。その後、日本橋簡易商業夜学校は、中央商業学校、中央商科短期大学となり、短大は2000年に廃止されましたが、その流れを汲むのが今回参加の中央学院大学です。
【新川公園内の「中央商業学校(中央学院)発祥の地」記念碑】
そして3校目は、昨年優勝の青山学院。こちらも現在の本部は渋谷にありますが、その起源は1878年にジュリアス・ソーバーにより築地明石町に設立された耕教学舎。耕教学舎は、その後、麻布の女子小学校(後に明石町に移転して海岸女学校となる)、横浜山手の美會神学校と合併し、東京英学校、東京英和学校を経て青山学院になりました。【明石町の「青山学院記念の地」碑】
1月3日の復路第10区、日比谷通りを上ってきたアンカーのランナーたちは馬場先門(千代田区丸の内)で右折して鍛冶橋通りに入ります。新幹線のガードと外堀通りを越えて中央区に入ると、東京スクエアガーデン前を左折して中央通りに入り、日本橋を渡って常盤橋まで一気に区内を駆け抜けます。実はこのコース17年前までは別のコースでした。平成11年に日本橋架橋88周年、箱根駅伝75回大会を記念して、京橋、日本橋を通るコースに変わりました。この沿線には明治生命館(千代田区丸の内)、三菱一号館美術館(丸の内)、第一生命相互館(京橋)、明治屋(京橋)、高島屋(日本橋)、三越(日本橋室町)、日本銀行(本石町)など、伝統のある美しい建物が多く立ち並び、各校アンカーのデットヒートが予想される最終区ですが絵になるコースです。応援とともに街並みを楽しむのにも良いコースですね!
なお、昨年の箱根駅伝の様子は特派員・江戸旅太郎さんが詳しく写真入りでレポートしています(/archive/2015/01/post-2270.html)。
【順天堂発祥の地 記念碑】
所在地:〒103‐0004 中央区東日本橋2-6-8(薬研堀不動院境内)
【中央商業学校発祥の地 記念碑】
所在地:〒104‐0033 中央区新川1-32(新川公園内)
【青山学院記念の地の碑】
所在地:〒104-0044 中央区明石町6-26(ニチレイ明石町ビル目の前)
[之乎者也]
2015年12月26日 14:00
ある土曜の夕方、私以外の家族が外出なので今晩は何を食べようかと雑誌をパラパラとめくっているとカレー特集があって、突然無性にカレーが食べたくなりました。
そういえば、家の近くにあるカレー屋でいつも前を通るのですが入ったことが無かったので、ちょうどよい機会と思い出かけることにしました。
場所は鍜治橋通り沿いのビルの一階。。。
土曜日の夜ということでリーマンの姿も見当たらず、人通りもまばらでしたがお店はやっていました。早速中に入りメニューを見てみます。今日はお客さんも少なくてゆっくりできそうです。
。。。ということで先ずはマハラジャビールから。そしてつまみとしてラム・チャーシューとダールスープ(レンズ豆のスープでインド人にとっては毎日頂く、味噌汁のような存在)も頼みます。
お店の方に話を聞いてみるとこちらのお店、店のつくりなどからインド系のお店なのかなと思いきや、日本人の方の経営とのこと。近くのカレー屋さんではインドやネパールなどの店員さんを見かけることが多いのですが、こちらのスタッフは全員日本人とのことで、逆にびっくり。もともと湯島にあった人気店(デリー上野店)からのれん分けしたとのことで、湯島の本店は「1956年に日本人の手による、日本で本格的なインドカレーをもてなす専門店として誕生」という日本のインドカレーの老舗。銀座6丁目、東京ミッドタウン(六本木)にも支店があるそうです。
いい感じでラム・チャーシューをつまみながらマハラジャビールを飲みます。ようやくおなかも落ち着いてきたところで、真打ちのカレーのチョイスに入ります。おすすめは「カシミールカレー ★★★★★ 深みある極辛味」とのこと。
。。。赤い星★が5つもついていて、ちょっと気圧されます。こちらは人気メニューだそうですが、かなり辛そうなので今回は断念して、中級コースの「インドカレー★★★さらりとした辛口」からチャレンジしてみることにしました。「う~ん、絶妙。はじめはシンプルな辛さと思ったものの、後からじわっとスパイスの辛さが沁みてくる感じです。」
寒い日でしたが、お腹も満たし中からスパイスでぽかぽかと温まったので、帰り道にちょっと腹ごなしのためのお散歩です。今まであまり気が付かなかったのですが、新川周辺には結構カレー屋さんが多いみたいです。
「ふくてい(新川1-25-20)」、「カリーシュダ(新川1-9-9)」、「ナワブ(新川2-8-2)」、「ラティーノ(新川2-7-7)」、「サンガム(八丁堀4-14-1)」。。。
それもそのはず、家に戻って調べてみると「新川・八丁堀・茅場町地区」は31軒のカレー屋(カレーを出す店)がひしめく激戦区とのこと(食べログ)。そして、こちらの「新川デリー」は、この地区堂々のカレーランキング第1位とのことでした。。。「ごちそうさまでした!」
【新川デリー】
所在地:〒104-0033 中央区新川1-28-35
電話:03‐3297‐8922
営業時間:11:00~22:00(日・祝休)
[滅紫]
2015年12月25日 16:00
年賀状はもうお書きになりましたか? 「25日までに投函を」と郵便局はPRしていますが、私は漸く昨晩から!作成に取り掛かりました。ギリギリにならないと取り掛からないのは長―い習慣で時間がたっぷりある(はずの)現在でも進歩なし。何とか文面完成、さあ印刷といったところでプリンター故障。近所の商店街を探してみましたが以前はあったはずの印刷屋さんが見当たりません。困った!!「そういえば」と看板を見たのを思い出し、おぼろげな記憶で八丁堀へ。ありました!!「年賀状印刷受付中」の文字が後光が差して見えました。店内には同じような方が結構来店中で少しほっとしました。
10枚―1600円、100枚3400円、200枚4900円 私はデータを持参しなかったので作業料1500円かかりました。今からでも間に合いますよ。
ACCEA 八丁堀店 八丁堀2-22-6 高野ビル1F
TEL 3555-8690 平日24時間営業土曜日は19時まで日曜は10時~17時
年内は29日まで営業
[之乎者也]
2015年12月25日 09:00
10月の開始以来、雨の日以外はほぼ毎日お世話になっている中央区コミュニティサイクル(CCC)。通勤のみならず区内の買い物・観光でも大活躍です(10月6日付ブログ記事「中央区版Vélib(コミュニティサイクル)~その2~」/archive/2015/10/velib-1.html)。
そんなCCCから、来年2月に都内でコミュニティサイクルを導入している4区(中央区、千代田区、港区、江東区)での相互利用を開始する旨の発表がありました(4月末までの期間限定での実験、利用実績に応じ延長の可能性あり)。これは朗報です!今でもCCCを使えば、南は銀座・築地、晴海埠頭から北は東日本橋まで広い区内を縦横無尽に移動することができるようになり、区内の移動は大変便利にはなりましたが、まだまだポートの絶対数が少ないことや、区内でも一部ポートが全く無い地域(銀座、箱崎TCAT周辺、築地南部や佃の北部など)もあり、行先によってはCCCを停めたポートからかなり歩かねばならないこともあります。【JR・地下鉄有楽町駅前のちよくる・東京国際フォーラムポート】
一方、銀座の西エリアのプランタン銀座などに行く場合には、区内のポートである京橋・柳通りの東京スクエアガーデン(B02)よりも千代田区コミュニティサイクル(「ちよくる」)の東京国際フォーラム(千代田区丸の内3丁目)ポートに停めたほうが近いですし、東京駅からどこかへお出かけの場合にも、丸ビル(千代田区丸の内1丁目)ポートから東京駅丸の内南口利用の方が便利です。
先日も神保町まで出かける用事があったので、ちよくるに新規登録し(現状では、CCCに登録していてもちよくるは利用できず、別途登録が必要です)丸ビルのポートから借りてみました。2月以降は、このような二重登録や乗り換えの手間もなく、区内ポートから直接神保町三井ビルディング(千代田区)まで直行することも可能となります。更には中央区の観光特派員の立場としては、江東区、港区、千代田区など区外の方が、中央区観光特派員ブログを見て、観光や買い物で中央区を訪れる時の利便性も高まるとも思いますので、今から2月の相互乗入れ開始が楽しみです!
【ちよくる使用自転車】⇒色は同じ赤色ですが、CCCよりはちょっとごっつい感じでした。
更には、今後これらの4区だけに留まらず中央区とも観光や江戸の歴史の観点から縁が深く、隣接している台東区、墨田区などでもコミュニティサイクルの導入が進めばなぁと思います。事業者の㈱ドコモ・バイクシェアさん、頑張ってください!
【中央区コミュニティサイクル、ちよくる、港区自転車シェアリング、江東区臨海部コミュニティサイクル各ホームページ】
CCC: http://docomo-cycle.jp/chuo/
ちよくる:http://docomo-cycle.jp/chiyoda/
港区自転車シェアリング: http://docomo-cycle.jp/minato/
江東区臨海部CC: http://docomo-cycle.jp/koto/sitemap/
㈱ドコモ・バイクシェア: http://www.d-bikeshare.com/
[之乎者也]
2015年12月24日 18:00
ある日のこと、新川の住友ツインビルから南高橋のほうへ歩いて行くと「靴磨き」という看板が出ています。前日埃っぽいところを歩いて靴の汚れが気になっていたので、ちょうど良いと思い「お願いできますか」と声を掛けます。
「大丈夫ですよ!」、明るい声が返ってきます。
先客も無かったのですぐ椅子にかけて「クイックコース」をお願いします。靴を磨いてもらいながら話を聞いてみると、こちらで店開きをしてからもう1年半になるとか。普段はあまり平日の昼間にこのあたりを歩かないので、今まで気が付かなかったわけです。「クイック」というだけあって、手際よくやってもらいましたが、しっかりとした仕上がりです。
昔は、駅前やデパート前などでよく見かけた靴磨き屋さんですが、もともと戦後に戦争孤児などの生活の手段として始まった商売であるため、1代限りしか許されず、そうした靴磨き屋さんの高齢化に伴い数が減っているというお話でした。最近では八重洲地下などに固定店舗の靴磨き屋さんもありますが、道端の靴磨き屋さんと比べて、やや敷居も高く、また家賃の分、料金もちょっと高めになるので、どうしてもお手軽にとは行きません。こちらは、道に面した倉庫のような場所の入口でやっていて、昔ながらの靴磨き屋さんのお手軽さも兼ね備えています。
靴を磨き終えて帰り際に、松田さんが2年前に浅草で行われた「靴磨きギネス世界記録挑戦」に、800名の挑戦者の1人として参加した際にギネスから発行された証明書を見せてもらいました。2013年の11月22日、靴関連会社が集積する台東区アサヒ商店街で行われた挑戦は見事成功に終わり、2011年のUAE(アラブ首長国連邦)の451人を大幅に上回る記録を達成したそうです。
さて、中央区は実は靴には深い縁があり、1870年に佐倉藩(現、千葉県)出身の西村勝三が、こちらからそう遠くない入船3丁目で日本で最初の革靴製造工場を始めたという歴史があり、入船橋交差点脇には「靴業発祥の地」記念碑が建っています。松田さんは西村勝三の出身地と同じ千葉県から新川(越前堀)に通っているそうで何かご縁を感じます。
区内の街歩きなどでくたびれた靴に思いやりを!。。。営業時間は平日の午前だけですが、近くを通りかかったらちょっと腰かけてみるのは如何でしょうか。
【靴磨き(Shoe Shine Craftsmasn)松田尚巳】
営業時間:9:00~13:00頃まで(月、水、金。ただし祝日はお休み)
所在地:〒104‐0033 中央区新川2-28-11(ファミリーマート新川中央大橋店南隣)
【靴業発祥の地の碑】
所在地:〒104-0042 中央区入船3-2-10(新大橋通り 入船橋交差点.。イトーキ・ショールーム前)
[之乎者也]
2015年12月23日 09:00
新幹線で東北方面へ出張の帰り道、JR京葉線の八丁堀駅で電車を降り、改札口を出ると、ふと駅スタンプのスタンドが目に入ります。子供のころは旅先で駅スタンプをスタンプ帳に集めるのが愉しみでしたが、最近はすっかりご無沙汰です。八丁堀駅にもあったとは。。。
どんなスタンプなのかなと興味津々、反故紙の白地に押してみると、「八丁堀駅 長谷川平蔵生誕の地」の文字とともに鬼平こと長谷川平蔵の絵が出てきます。~長谷川平蔵については、改めて説明の要も無いかもしれませんが、あまり歴史に詳しくない方のためにここでミニ解説を。
長谷川平蔵(1745?~1795)は、江戸時代中期に活躍した「火付盗賊改役(江戸の特別警察である火付盗賊改方の長官)」で、石川島(現、中央区佃)に無宿人の収容施設である人足寄場を作った功績もあります。(/archive/2014/06/post-2075.html)
池波正太郎の時代小説「鬼平犯科帳」では主人公として凶悪犯罪の取り締まりに活躍し。その取り締まりのすさまじさから小説では「鬼の平蔵(=鬼平)」と呼ばれます~
【鬼平犯科帳 1(池波正太郎)文春文庫版】
「へえ~、長谷川平蔵って八丁堀に住んでいたんだ!」
小説の設定では平蔵夫婦の住む役宅は「清水門外(現、千代田区九段。千代田区役所あたり)」ということでしたし、若いころには家庭環境の複雑さから一時グレて「本所の銕(てつ)」と呼ばれ、本所菊川(現、墨田区)にも住んでいたなど、長谷川平蔵は江戸のいろいろな場所に住んだようです。
平蔵の出生地については、故瀧川政次郎氏(元國學院大学教授)や重松一義氏(元中央学院大学教授)といった法学者までが議論しているようですが、決定的な検証にまでは至らず、複数の可能性があるようです。。。
赤坂・築地町(父、宣雄の住居のあった拝領屋敷。現在の赤坂5丁目)で生まれて5歳まで育ち、その後築地本湊町に移ったという説、本所・菊川で生まれ、そのままずっとそこで育った説、または出生から19歳までずっと築地本湊町で育ったという説などなど。。。
どの説も決め手に欠け推定の域を出ないとしても、平蔵は後に石川島に人足寄場を設けていることから、築地本湊町、すなわち現在の中央区湊地区とは深い縁がありそうです。地元の郷土史家(中央区郷土史同好会)は「5歳から19歳まで築地本湊町の津田七右衛門屋敷に住み、その後19歳に本所菊川に移った」ことに着目し、古地図により津田屋敷は松平阿波守の向かいであったことから、平蔵が住んでいたのは現在の中央区湊1‐10あたりと推定しています。ちなみに、この場所は、12月14日付のブログ記事でご紹介した「御菓子司 しげ田」(/archive/2015/12/post-2928.html)のあたりになります(明治時代に鉄砲洲稲荷神社が、稲荷橋東詰から松平阿波守屋敷跡に遷座したため、平蔵の家は、現在の鉄砲洲稲荷神社の向かいあたりということになります)。
【長谷川平蔵 湊地区住居跡(推定)】⇒左端に「御菓子司 しげ田」、真ん中あたりに「都バス・鉄砲洲バス停」が見える。
ただし、これもあくまでも郷土史家の推定説であり、現地に行っても教育委員会による説明版などは立っていませんが、地域住民としては平蔵が近所に住んでいたという話にはロマンを感じます。
まあ「鬼平犯科帳」は小説で池波正太郎によるフィクションの要素も多いので、事実とは別に「お話」としてあまり肩肘張らずに楽しめればと思います。例えば、平蔵が密偵との連絡場所に使ったという軍鶏鍋屋の「五鉄」は、本所(墨田区両国あたり)にあったとされますが、そのモデルは人形町「玉ひで」であったといいます。平蔵の出生地についての謎についても、ここでは特定の説に肩入れせず、今後歴史学者など専門家による研究成果を気長に待つことと致しましょう。
【長谷川平蔵 湊地区住居跡(推定地)】
所在地:〒104-0043 中央区湊1‐10(鉄砲洲稲荷神社向かい)
(*ただし、文中説明の通り、こちらには説明版などは立っていません)
交通:都バス「東15」・江戸バス「南循環」鉄砲洲停留所下車目の前。中央区コミュニティサイクル「B01鉄砲洲児童公園」サイクルポートそば。