[寿敦卿]
2009年7月 7日 16:35
中央区沿革図集・日本橋篇所載の御府内備考をもとに、江戸中期以降の箱崎地区をめぐる変化の跡をまとめれば大略次の通りです。
延宝 7(1679)年:湊橋架橋、霊岸島と初めて直結。
元禄11(1698)年:永代橋架橋、隅田川対岸の永代島と初めて直結。
豊海橋架橋、永代橋西橋詰に広小路。
同 17(1704)年:永久橋架橋、蛎殻町と初めて直結。
享保18(1733)年:箱崎町・永久橋間の河岸地745坪を埋立。
従来の箱崎町を1丁目、新埋立地を2丁目に。
天明 5(1785)年:箱崎町2丁目河岸先304坪埋立完了。
元禄11年の永代橋架橋により、北新堀通は日本橋方面と、富岡八幡宮や深川不動尊(永代寺)などの名所、さらには、門前仲町辺の岡場所などの盛り場とを結ぶ最短ルートとなり、人通りはかなり多かったといわれています。
元禄15年12月15日、本所松坂町吉良邸に討ち入り上野介の首級を挙げ本懐を遂げた赤穂浪士47人の引き上げ経路は、両国橋袂から隅田川左岸を南下、永代橋で隅田川を渡り、箱崎地区(北新堀町)に入っています。
以後の経路が豊海橋経由か湊橋経由かは判然とはしませんが、彼等がこの地区に足を踏み入れたことだけは確かです
[柳 さつき]
2009年7月 6日 17:00
日本橋老舗リレーツアー参加して来ました(VOL.1)からの続きです。
その後、当初のスケジュールにはない画廊さんに、急遽訪問させていただきました。
「推薦できる、有名画廊」に名を連ねる「椿近代画廊」さんへお邪魔いたしました(注やはり展示されている作品は、売り物ですから、ここでは撮影を控えました。そのため、画像はございません、ご了承ください)。
普段は世界を飛び回っておいでで、ほとんどお留守という、オーナーさんが温かく迎えてくださいました。
私なども、「画廊」とは、本当に絵画などを購入する際にしか立ち入ってはいけない場所と、思い込んでおりましたが、オーナーさんは「もっともっと気軽に、博物館や美術館に行くように、鑑賞するだけでも大歓迎ですよ」と、おっしゃってました。
http://www.tsubaki-kindaig.co.jp/
突然の訪問の上に、お茶まで出していただき、本当にありがとうございました。
日本橋貝新
「その手は桑名の焼き蛤」のフレーズで有名な、伊勢・桑名のお殿様が召し上がったのが、こちらの「貝新」さんの時雨煮(注1)です。
発祥は慶長元年(1569)年伊勢・桑名、江戸は日本橋に移って120年の老舗です。
注1・・・本来は'時雨煮'と言っていましたが、江戸に移られてから'佃煮'の名前になさったようです。
驚きましたのは、江戸(東京)は日本橋室町の真ん中のお店の裏で、今日も、すべての商品が手作りされているのです 感動です。
製造の際の火加減、煮立ったときの見極めなど、とてもとても一日や二日では成し得ない職人技のご説明をお聞きし、出来上がったばかりの佃煮を試食させていただきました(辛口でご飯に会いそう)。
そして、お店のほうへ移り、女将さんのご説明をうかがいました。
無論、代表商品は「しぐれ蛤」ですが、それ以外にもたくさんの種類があります。この日は少しお値引きもしていただけ、参加者全員がお買い物状態になりました!
ないしょ話昔は辛口のものがほとんどでしたが、現代の方の嗜好に合わせて甘口のものも増え、一番人気は「貝柱紅梅煮」、主婦の方に人気なのが「おむすび昆布」だそうです!それから、これも人気の「生あみ」をお土産にいただきました!
HPは設けていらっしゃらないようです。お店の紹介や商品が出ているサイトのアドレスです。http://www.rakuten.ne.jp/gold/edo-noren/edo/kaishin_top.html
では、続きはまた、次回(VOL.3)にてご報告申し上げます
[メニイブックス・オサ]
2009年7月 6日 17:00
先月築地の入り口にある波除稲荷神社のお祭りがあり、初めて行って見て来ました。入ってすぐの右に獅子殿があり重さ1トンという獅子頭が飾ってありました。
その向かいに「お歯黒獅子」が飾ってありました。獅子というと歯は金歯が普通と思いましたが、ここの獅子の歯は真っ黒、まったくお歯黒です。この獅子もかなり大きいものでした。当日はかなりの人がおまいりに来ていました。
今年のお祭りは終わってしまったので見られるのは来年までお預け。。。
[寿敦卿]
2009年7月 6日 12:00
当初は、日本橋川・新三崎橋防災船着場発着を予定していましたが、当日の潮位が低く、乗・下船時の危険を避けるため上記の通り市兵衛河岸防災船着場発着に変更されました。
運行主体はNPO法人「あそんで学ぶ環境と科学倶楽部」といいうことで、使用船舶は定員12名と小型ながら、バッテリー駆動の「環境に優しい」エレクトリック・ボートでした。
船長のガイドは簡にして要を得たもので、江戸城外濠石垣や消滅した支流の痕跡など歴史的遺産のみならず、日本橋川の潮位差は最高2メートルにも達すること、普段の透明度は2メートル以上あるが、雨が降ると合流下水道の影響もあり30㎝程度まで落ちること、さらに、微生物を活用した水質浄化努力が重ねられていることなどをも網羅し、エコツアーの名に恥じない、レベルの高いものでした。
しかし、日本橋川に架かる24橋のうち、首都高速道路に覆われていないのは最下流の湊橋と豊海橋の2橋のみという現実を改めて再確認させられ、強い憤りを感じたことを付け加えておきます。
なお、このツアーのプロモーターは"ぽけかる倶楽部"(03-5652-7072)でした。
[メニイブックス・オサ]
2009年7月 5日 11:24
先月になりますが13日に築地・波除神社のお祭りに行ってきましたが、そのとき
近くの勝鬨橋資料館へ行ってきました。私が会社に入った頃はまだ開閉していましたが昭和45年11月29日に開閉が中止になりました。その開閉の模型や、駆動用のモーターが展示されていて大変興味深く見学できました。
開館日:火~土、開館時間:午前9時半から午後4時半まで、入場無料です。
築地市場に行ったときチョット見学したらどうでしょうか?
[ゆりかもめ]
2009年7月 3日 12:00
7月1日が山開きなので鐵砲洲稲荷神社の富士塚に出かけました。
富士講(富士山信仰者による講)によって造られた富士塚は現在では中央区にたった一つだけになりました。富士山からの溶岩又は溶岩片を取り寄せて造られ18mの高さです。
富士講に関する碑が30基埋められています。
2ヶ月前に団塊世代の友人と一緒に来たのですが彼等はテッペンまでアットいう間に上ってしまいましたが私はやはり昨日も登る事が出来ませんでした。
もっと賑わっているかと思ったのですが富士塚よりも大払いをする為の6月30日との事で御参りの方々で賑わっていました。
富士のねのたかき心をつねもたば
ふもとのちりにけがれざるべき
6月30日 1月1日より半年分の厄払いをして身を清めます。
12月31日 1月1日より1年分の厄払いをして身を清めます。
左側より8の字に茅の輪をくぐって厄払いをします。