[銀造]
2011年1月 6日 08:30
中央区にはお宝が一杯! 今まで歩いた事がない道を歩いてみようと、宝町へ。
その前に、「宝町の名前の由来」を中央区のHPで、町名の由来を調べました。
昭和6年、中沢彦吉の発案により、めでたい名を選んでつけられました。
(中沢さんは)※ 明治時代の実業家。「明治25年、衆議院議員に当選し、同時に東京市会議員となりました。」との説明がありました。
へええ~、そうだったんだ。 でも、現在は地名としては残っていないんです。復活希望
都営地下鉄宝町駅から少し西側の通りで、北に向かう通りは、骨董通り。
通りを入ってすぐの所に、繭山龍泉堂さんという天目茶碗などを扱うお店があります。
繭山さんの角を左に曲がると、「宝くじドリーム館」。ここで宝くじの抽選も行っているのですね。
入館すると、宝くじの歴史などを紹介の写真やパネルがあります。
入館すると、宝くじの歴史などを紹介の写真やパネルがあります。
初めて売り出された宝くじ。1枚10円。一等は十万円。
その時のお金の価値について、調べるのも面白いですね。
宝くじドリーム館のお知らせは、↓
http://www.takarakuji-dream.jp/takarakuji/info/about_loto.html
[ゆりかもめ]
2011年1月 5日 14:00
浜離宮一帯は御鷹場として昔から利用されており八代将軍吉宗の頃には日本橋より五里四方は御拳場(おこぶしば)としました。天皇・将軍・公家・大名・鷹狩訓練の従事者が使用していました。
御拳場(将軍の拳より鷹を放つのでこの名がつきました)
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浜離宮は将軍家の御鷹場(1624~1644)頃
甲府殿下屋敷(甲府殿浜屋敷・甲府海手屋敷)1654~1704)・・・・元禄年間を含む
浜御殿(1704~明治維新)五代将軍綱吉と綱重の子綱豊が養子縁組をして将軍家の別邸となる
浜離宮(明治~戦前)・・・・皇室の所有となる
都立浜離宮恩賜庭園(戦後~現在)
上記の理由により所有が変わり名称が変わりました。
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昨年は放鷹術をブログに掲載させて頂きましたので今年はオオタカとハリスフーク、放鷹術終了の写真を掲載させて頂きます。
今年は昨年以上にお客様が多く大変な賑わいでした。
2日はハヤブサが見事に会場にて鳩を捕まえましたが3日はハプニングがあり空中にて別の鳩を捕まえ会場の外側に着地しました。
会場の中がよく見えないので諦めていらした御客様の前にハヤブサがおりたので吃驚と大喜びなさっていました。
オオタカ
生後1年未満の鷹の胸毛は写真のように縞模様が縦になっていますが1年を過ぎると横縞になります。
毎年毛は生え変わります。
ハリスフホーク
羽の色が濃く茶色かかっています
電通ビルからおりて来て鳩を捉えるのはハヤブサです。
視力が良く急降下が上手だそうです。
一番大きいのはオオタカですがオオタカとハリスホークはいろいろな演技を披露します。
渡り 振替 振鳩 飛び流し・・・・・etc.
すべて終了のご挨拶です。
初夢 ①富士(無事っである事) ②鷹(高く) ③茄子(事を成す)
今年も無事に過ごせるよう、高く希望を持って事を成すよう・・・・・
良い事が沢山ありますように願っています。
続きを読む: 新春の放鷹術と江戸時代を受け継ぐ浜離宮
[ゆりかもめ]
2011年1月 5日 12:00
1月2日3日、浜離宮において放鷹術の実演の合間に合気道演武が行われました。
合気道とは・・・・
相手と戦う事でなく勝ち負けを目的とせず護身術です。
健康法といわれ日本独特の心身鍛錬の道であり「和気あいあい」と楽しく取り組むのだそうです。
できて70年くらいの新しい武道だそうですが人と人との出会い、ふれあい、巡りあいと云う人間関係を大切にしています。
順序が分らないまま3枚をカメラに収めました。
[ゆりかもめ]
2011年1月 4日 11:28
松の茶屋
釘隠し
欄間の透かし
天候に恵まれた新春の浜離宮庭園は2日、3日共に放鷹術実演の為、大変に賑わっていました。
2日朝は放鷹術の披露で賑わっている広場を通り過ぎると静かな広い庭が広がっていました。
「潮入りの池」や「松の茶屋」辺りは人影もほとんどなく新春の庭を一人占めの気分で清々しく眺めました。
「松の茶屋」はビルの間に沈む日が「潮入の池」の水面に映りその反射が「松の茶屋」欄間の透かし彫りを通って廊下の長押の上に映るように考えられています。
昔そのような設計であった事を忠実に実現しています。
「御茶と御菓子」を頂きながら池の中に座っているような雰囲気を味わいました。
10人分の座布団がありましたが私と友人の2人だけで「松の茶屋」の御客様となりました。
ラッキー!!!
今後の「松の茶屋」公開をどのようにするかは検討中だそうです。
下記写真は「浜離宮ガイド出発場所」の「新春の寄植え」の中に見つけた「百両」です。
千両と万両は良く知られているので省きます。
百両・・・・唐橘(カラタチバナ) ヤブコウジ科の常緑低木です。
日陰下に生え7月頃、白か微紅色の花が下向きに咲きます。
新春なのに冬紅葉が美しい場所が2・3ケ所ありました。
「ロウバイ」の気品のある香りが新春の庭を引き立てていました。
「サザンカ」はありふれていますが元気良く咲いていて心に留めました。
「スイセン」よりも梅の堅い蕾が気になりました。
花木園の「 十月桜」が満開です。
新春早々の「梅の花」は縁起が良いですね。1月末から2月にかけて浜離宮は梅園になります。
12種類以上で約140本の梅の木が園内にあり11代将軍家斉が好んだ「見驚」ケンギョウ等が見られます。
[メニイブックス・オサ]
2011年1月 3日 07:50
正月2日に浜離宮庭園へ行ってきました。天気がよくて人出も多かった。梅の花それとなんと桜(十月桜?)もきれいに咲いていました。
庭では放鷹術が披露されていて11時からの開始にちょっと遅れていったら人が一杯で人の後ろからやっとみられたような状況でした。
昨年完成した松の茶屋もお茶席ができていて中に入れるようでしたが外から観賞しました。建築当時はかなり大きな建物のような感じがしましたが出来上がってみるとそれほど大きな感じがしませんでした。でも潮入りの池にぴったりの景観でした。
円窓も外からよく見えました。
天気もよくてよい正月の散歩でした。今度また松の茶屋が公開されたら中に入ってお茶を飲みながら将軍の感じを味わってみたいと思いました。
[サム]
2011年1月 2日 18:06
「浜離宮恩賜庭園」では1月2日、江戸時代の将軍家お抱えの鷹匠の集団の一つと云われる<諏訪流>放鷹術の実演が行われた。
恒例となった正月開園の目玉イベント。
この地はそもそもは将軍家の鷹狩り場で、一面の芦原だったと云われ、今でも新銭座・庚申堂の二つの「鴨場」の施設が残されている江戸時代の代表的大名庭園。鴨猟の際、網で捕らえ損ねた鴨を捕獲するため鷹匠が腕をふるったと云う。明治期に入っても、「古技保存」の観点から宮内省の鴨場として鷹狩りの文化を受け継いできたが、現在放鷹術は民間の有志の手で守られているのみ。それを披露し、日本の伝統文化や稀少な猛禽類の保護に関心をもって貰おうと企画されたものと聞く。
初夢に見ると縁起がいいものとして「一富士二鷹三茄子」というが、実物の鷹を目の当たりにでき縁起がよく、正月気分に浸れる催し物である。
鷹匠が鷹を掌にのせ見物人の前をぐるぐると回る「輪廻り」を皮切りに鷹匠が整列して挨拶と全員の紹介。鷹匠と門下生は衣装も違う。
次いで、鷹匠の掌から別の鷹匠の掌へ飛び移らせる「振替」、樹の枝と鷹匠の掌を行き来させる「渡り」、細紐をつけた鳩を振り樹上あるいは他の鷹匠の掌から鷹を呼び寄せる「振り鳩」等の実演のあと、見物人の鷹狩体験。
最後は隼が地上の鳩を確認し、電通ビルの屋上から急降下して捕獲するメインイベント。
しばらくは上空を旋回したのち、降りるときは正に急降下、見事に鳩を捕獲。