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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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2011 「まち歩き」ツアー 日本橋老舗コース② 木屋(その1)

[ゆりかもめ] 2011年7月30日 08:30

7月27日(水)「まち歩き」ツアー産業コースの日本橋老舗コース②開催されました。

木屋→山本海苔店→日本橋貝新を巡りました。

(その1)では「日本橋木屋」を御紹介いたします。  

       

2011_0727木屋正面玄関 0013.JPG

 昨年秋頃までは中央通りを挟んで三越本店の向かい側にありましたが「コレド室町」の1階に入り三井本館の向かい側になりました。

メトロリンク(無料)「日本橋室町1丁目」バス停の前が「木屋」です。        

       

2011_0727  木屋ぎだいしょうらん 0026.JPG

熈代勝覧(ぎだいしょうらん)・・・・・輝かしい時代の素晴らしい景色

絵に描かれているのは当時、普請中の木屋幸七店(本店)を含め四件の木屋が並んでいます。 

一番右寄りの木屋の暖簾は現在の刃物の木屋で使用している商標と全く同じ井筒木(いづつき)

井筒の枠の中に屋号の木屋の字が入っている)の紋入りです。(絵の中に小さな→を書きました)

文化2年(1805)頃の江戸の今川橋から日本橋までの大通りを東側から俯瞰し、通りの西側の町並が約12mの長さで描かれている大作です。

      

2011_0726 木屋の商品 0007.JPG屋号「木屋」発祥の由来

豊臣家の薬種商として御用商人だった九兵衛は徳川家康公の招きにより当主の弟が別家して江戸に下って本町に店を持ちました。

大阪の本店と分かれたので姓の林を二つに分け「木」と用いて「木屋」と称したと伝えられています。

刃物の木屋創業

伊勢桑名より出て木屋本店に精励した初代「伊助・加藤伊助」に暖簾分けを許され寛永4年4月(1792)日本橋室町に打物問屋「木屋伊助商店」を興しました。

当時は大工道具を主に刃物類を扱っていましたが幕末には洋刃物も輸入するようになりました。 

 

丁度7月末までセールをなさっています。

素晴らしい包丁や鋏の数々の他、砥石や爪きり・・台所で使用する小物も数多く並んでいました。

包丁の砥ぎ方を教わったり・・・・・よく切れる包丁で切った刺身の味は美味しいとの事・・・・・

又、度々自分で包丁を砥ぐ必要がある事を教わりました。

ハンドル材は天然材でホウとケヤキは和包丁に・・・・・

              紫檀と黒檀は洋包丁に・・・・・使うそうです。

商品の中にとてもよく切れる「爪切り」を見つけたのですがやはり人気商品だそうです。

爪も飛ばずにとても良い切れ味でした。 

「コレド室町」の中にある老舗は私達には敷居が高いようですが決してそんな事は無く気さくな御店です。まだいらしてない方も一度 訪ねてみて下さいね・・・・・楽しいですよ・・・・

 

              東京都中央区室町2-2-1

               コレド室町1階   電話 03-3241-0110

 

上記コースは9月28日(水)にもう一度、予定されております。

皆様どうぞお申し込み下さい。     中央区観光協会「まち歩きツアー係」まで

 

                 

 

 

 

 

函館屋 ~元祖アイスクリーム屋

[与太朗] 2011年7月29日 08:30

IMG_0493.JPG 今年も暑い夏がやってきました。暑い最中に出歩くと、ついついかき氷やらアイスクリームに手がのびてしまいますね。

 氷は江戸時代、六月一日(陰暦)の加賀藩の氷献上の話で知られるように、高貴の人しか口にできなかったようです。維新後は横浜に後れ、東京では明治5年(1872)、函館の天然氷が新富町の氷室に送られ、市民に売り出されました。人造氷は明治16年(1883)、これも京橋区の新栄町に製氷会社ができたのが始まりだそうです。(『中央区史下』)

 アイスクリームは幕末に外国人から伝わり、明治2年に町田房造という人が横浜馬車道通りに氷水店を開き、「あいすくりん」という幟を立てて売り出しました。(『牛乳と日本人』) ただ、外国人がまれに立ち寄るのみで大損をしたようです。アイスクリームを一般市民に売り出したのは明治12、13年(1879、80)ごろ、銀座の函館屋で、『中央区史下』では、おそらく日本で最初の店だと言っています。

 函館屋の主人、信(しん)大蔵(1831-?)は、旧尾張藩士といわれ、榎本武揚に従って戦った函館五稜郭の残党で、明治9年(1876)京橋区尾張町二丁目九番地(現・銀座六丁目9-7あたりか)に富士山の形をした屋根看板をつけた氷屋を開業して大成功、函館の天然氷や牛乳を商い、後にはアイスクリームやその頃珍しい洋酒の一杯売りをしてバーの元祖ともいわれます。(内田魯庵『銀座繁昌記』、山本笑月『明治世相百話』など) 彼はビール樽のような太鼓腹、洋服に下駄履きといういでたち、客を客とも思わぬ豪語で銀座の奇人・名物男といわれました。内田魯庵は、函館屋の親爺の存在は銀座の誇り、店が無くなったのは銀座の損失とまで言っています。

IMG_0473.JPG 信大蔵の孫が俳優の信欣三(1910-1988)です。長く名脇役として活躍、多くの映画・TVに出演しました。(彼は泰明小の卒業生です。) 彼の書いた文章『元祖アイスクリーム函館屋』には、「おじいちゃんは榎本武揚からお金を借りて函館屋を開いた」、「アイスクリームの作り方は、函館戦争時に幕府顧問のフランス人から教えてもらった」とあります。ところで、函館屋のアイスクリームのお味はどうだったのでしょうか。こう書いています。

「私の不幸は、アイスクリームは家のが一番おいしいと思って育ったものだから、未だに何処のお店のアイスクリームにも手が出ない、食べる気になれないことだ。」

 なお、函館屋一族と信欣三の墓は谷中霊園にあります。

 

[写真上] 旧尾張町二丁目九番地あたり

[写真下] 谷中の「函館屋」(右)と「信欣三」(左)墓碑

 

 

日本橋焼餃子

[みど] 2011年7月29日 08:30

 餃子は好きだけど、臭いがあって平日のランチには手を出しづらい。この店
 の一番の特徴はニンニクを使っていないこと。ニンニクなしでおいしい餃子
 を研究し、ようやく完成させたという。
 豚肉にキャベツ、玉ねぎ、ニラと野菜がたっぷりの餃子は全て手作りで毎日
 仕込んでいる。ベースは日本風で味付けは中華風。
 さらにこの店のもうひとつのウリはやみつきになる手羽唐。絶妙な味わいだ。
 外はパリッと、中は厚めの身の手羽でとてもジューシー。餃子ではないのに、
 看板メニューになっている。
 
 【お得情報】
 毎月第三月曜日に"餃子の日"というお客さん思いのイベントがある。
 普段は5個390円の餃子がなんと100円!!2皿までOKなので10個200円、これら
 ライスをつけて格安ランチになる。これは見逃せません!
 

 ▼ 日本橋焼餃子 
    東京都中央区日本橋室町1-11-1  TEL 03-3278-0770
    http://www.yu-jin.net/gyoza.html



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旭湯は 佃の歴史 見つめ来て

[銀造] 2011年7月29日 08:30

 佃2丁目12-2の「旭湯」さんは、昭和24年頃に開業した銭湯で、はや60年以上の歴史のあるお風呂屋さんです。 今日も沢山の小父さん達で賑っていました。

 男湯は、隣家との間に乗用車一台を乗り入れできる道があり、外を見たときには解放感があります。 男湯を入った正面には瀬戸内海の島々を描いた美しい風景画が、左側は何故か、オランダの風車を描いた風景画が。 きっと自然エネルギーの使用を推奨しているのでしょう。

CIMG8793.jpg


男湯の施設は、沢山のカランがあり、お湯は、右から普通のお湯、エレキ風呂、痩身効果のあるというジェットバス。 風呂上りに計量したところ、気のせいか、少し体重が減ったようです。

アクセスは、有楽町線、大江戸線の月島駅から5分ほどのところにあります。 

http://www.city.chuo.lg.jp/kurasi/komyunitei/fureaisentou/files/A4-ura.pdf#search='

 

 

宮神輿(八角)お披露目

[キャサリン] 2011年7月28日 08:30

住吉神社、本年の例祭は3月11日発生の東日本大震災の影響により、
宮神輿巡幸は来年に延期になり、
今年は7月24日新しくなった宮神輿(八角神輿)のお披露目との情報を聞きつけやってきました。

子供の頃から山車、子供神輿、そして大人になって町内神輿、八角と祭に参加させていただいた私としては、お披露目は大変楽しみでした。
佃から出発して、西仲商店街を通るので三丁目商店街から見ることにしました。


1時頃三丁目商店街の予定とのことでまだ30分ほど時間があるせいか、もんじゃを食べに来る人達など休日の商店街の様子でした。


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予定時刻から少し遅れてトラックが見えてきました。


まだその姿は見えませんが

鳳凰がキラキラshine輝いてるのが遠くからでもよくわかります。
既に人が集まり今か今かとはやる気持ちを抑えカメラを構えて待ちます。



021.JPG
いざそのお姿が目の前に現れると

「きれいー」「ピカピカ!」などの声が、
それしか出ない、本当に綺麗!光ってました。

 

  一基目の八角は170年以上大切に守られ、人々に受け継がれたことに改めて感動するとともに、
担がせていただいたこと「ありがとうございました。」という感謝の気持ちでいっぱいです。


 

 

 

東銀座で秋田の郷土料理を★秋田藩

[まぴ★] 2011年7月28日 08:30

秋田の郷土料理のお店、歌舞伎座のすぐ横にあります。

はたはた、名前は聞いたことありますが、魚だということも知らず、
生まれて初めて食べましたが、ししゃものようで美味しかったです。
頭から食べてみてくださいって言われたけど、頭は無理でした(>_<)
頭に近いところでも骨がいっぱいでした。

 

 

 

とんぶり(畑のキャビア)はつぶつぶが苦手なので食べなかったのですが
主人は美味しそうに食べていました。魚卵が好きなので(笑)

右は比内地鶏の焼いたの。

 

 


あと山菜の天ぷらとかほたるいかの酢みそとか。

 

 

 

そしてきりたんぽ鍋。
きりたんぽはあきたこまちを使ってるらしく美味しかった。
鍋に入ってる野菜はあまり見たことない野菜でした。量は少なめです。
最後のシメに稲庭うどん。これ美味しかった~★

 

 

 

これでもかこれでもかというくらい秋田名物づくしです!

主人の父が大阪から出張で来たときにご馳走してもらったので
値段ははっきり覚えてないのですが、銀座価格だったように思います。

 

大阪には秋田の郷土料理のお店なんてあまり見かけないので、
珍しいお店ということで探したのですが、喜んでもらえました(*^^*)

 

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