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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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クラシック音楽の銀座の殿堂「王子ホール」

[遊山ものみ] 2014年5月20日 14:00

 この日曜日、久しぶりに銀座三越裏の「王子ホール」に出かけた。

数度となく訪れていますが、ほとんどが平日の夜公演で、マチネー公演というのは初めて。

 

王子ホール.jpg

 

 銀座の表通りは歩行者天国。そのために裏通りは車がいっぱい。朝日稲荷神社の前も数珠つなぎになっていました。

ところでこの神社はとってもユニーク、路面で参拝すると、ビルの屋上の社殿までパイプがつながっていて、屋上に鈴の音が聞こえるように建立されていますよ。

 友人と銀座の神社巡りをした時に、屋上と地上に分かれて聞こえるかどうか実験してみましたが、周囲の音に・・・!?1400509616869.jpg 

 最近リニューアルされた「王子ホール」は、私が子供のころからありました。そして情操教育に熱心な母に連れられて、良く覚えていないけれど、外国人のピアニストのリサイタルに訪れました。

 当時通っていたピアノ教室では年に1~2回ほどの発表会があり、「ヤマハホール」あるいは、今は亡き「ガスホール」で開催されました。

 同じ教室の生徒たちが、同じ生地のワンピースを、洋服屋さんに色々なデザインで仕立ててもらい、出演しました。

胸にチュールやレースを挟んだもの、襟付き襟なしのスタイル。そして必ずウエストの後ろには大きなサッシュリボンがついていて・・・。

 子供心にワクワクした思い出があります。

 そして

 「発表会は『ヤマハホール』で、プロになると『王子ホール』でやるのだわ。」 

 と思っていました。

 

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 さて、当日の主役は一生に1度の「還暦(!?)リサイタル」とのこと。今までで最高の歌唱を披露してくださいました。

ホールも豪華、4着の衣装もとっても素敵でしたよ。

 


 オペラ歌手(売れてないけれど)の娘を持つ身。数度の帰国の度に、慌ただしく会場予約をし、家族で設営する区民ホールでのリサイタルが、そのうち銀座の「王子ホール」で開催されることを祈りながら~!?

 

 そんなこんなの思い出に浸りながらの2時間でした。

 

 

日本橋川(神田川)源流への旅

[りょうきち] 2014年5月20日 09:00

今回、中央区で大事な川である、日本橋川、そして神田川の源流を求めてジョギングしてみました。

実際には中央区を出てからが長いので、そこはコンパクトにレポートすることにします。

 

スタートは日本橋川が隅田川にぶつかる、豊海橋。はしごを横向きにしたような個性的な橋です。

近くにある力強い形の永代橋に負けない重厚さがあります。

 

そこから川沿いの道があるわけではないので、できるだけ川の近くで川に平行に走っている道路を行くことにしました。

 

湊橋、茅場橋、鎧橋、江戸橋、日本橋・・・と進んでいきます。

旧常磐橋は工事中でした。新常盤橋で中央区は終わりです。

ここまで川はほとんど、高速道路の下なので、都会の川のイメージです。(写真は工事中の旧常磐橋)

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千代田区でも高速道路に覆われて進んでいきます。水道橋で神田川とぶつかります。そこから神田川となっています。飯田橋、江戸川橋、早稲田、高田馬場と進んでいきます。川は護岸を固めた都会の川のまま進みます。徐々に川沿いの遊歩道が整ってきます。川は蛇行して新宿の高層ビルの近くまできています。この辺りは中野区。

 

杉並区くらいまでいくと表情というか雰囲気が徐々に変わってきます。まず川沿いの緑が増えていきます。魚や鳥もよく見られます。井の頭線に沿って進むようになるとゴールは見えてきます。のどかさを感じます。そう、ゴールは井の頭公園。天気のよい週末で人がいっぱいでした。

(写真は井の頭公園)

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井の頭公園の池の水がこぼれ落ちて、その水が一部、日本橋にまで来ている、その事実を自分の足で実感しました。25km程度の距離でした。

暑い日だったこともあり、復路はあきらめ、ここからは公共の乗り物で帰ることとしました。吉祥寺の銭湯で汗を流しすっきりしてから気楽な家路となりました。

 

 

隅田川河口に「環状2号線隅田川橋梁(仮称)」が誕生しました。

[kimitaku] 2014年5月18日 17:00

 最近、勝鬨橋の下流に、新しい橋が見えます。

 シルバー系統で彩られ、水面の青色とのコントラストが素敵です。

 遠く汐留高層ビルも美しいです。

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 この橋、環状2号線の延長としてつい最近架橋されました。

 開通はまだ先のことだそうですが、いままで有った勝鬨橋にも良く似たシルエットで素敵です。

 

 環状2号線(マッカーサー道路)は、江東区有明から新豊洲(卸売市場建設中)、豊洲大橋、中央区勝どきまで工事が急ピッチで進められています。

 そして新しい橋を渡り、築地市場から浜離宮の近く、そして新橋、虎ノ門、溜池方面へとつながります。

 

これから夏に向けて、変化してゆく環状2号線を見ながら散策するのも、楽しいかもしれません。

   ・・・現在、この橋の名称募集中です。・・・

4月21日発行の「区のおしらせ」3ページに応募方法が書いてあります。締切5月20日です。

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銀座三越★食のフランスフェア

[まぴ★] 2014年5月18日 09:00

今年も銀座三越の8階で食のフランスフェアが開催されています。

5月20日までで、最終日は17時終了です。

 

エレベーターを上がるとバッグなどの雑貨が売っていて、

一番最初の食品の売場は、オイルサーディン。

 

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プルターニュ地方のオイルサーディンでラ・ベル・イロワーズという会社のもの。

味がとっても豊富で、9種類全部試食させてもらえました。

どれも美味しかったけど、ちょっとピリリとするピメント味にしました。

ホームページはこちら

 

そして次は今回のお目当てエドモンド・ファロー社のマスタード。

ファロー社のマスタードはたくさん種類があり、

日本にも売っているのですが、日本では買えない味を買いに行きました。

パンデピスはなかったのですがカシスがあったのでそれを購入★

ホームページはこちら

 

 

そして次はチーズ。日本橋三越にも入っていて水天宮前が本店のようです。

チーズオンザテーブルというお店。

今回はフェア用に特別輸入されたチーズも試食させてもらい、

シェーヴル(山羊のチーズ)とブルーチーズを買いました★

ホームページはこちら

 

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お次はバイヨンヌのジャンボン(ハム)やソシソン(サラミ)のお店。

美味しかったので、ハムを購入。

 

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そしてワインコーナーをうろうろ。

今までかなりたくさんの種類を飲んでいるのですが、

見たことのないラベルのワインもたくさんあり、

聞いて見るとホテルやレストランにしか卸していないワインもたくさん出ていて、

そーいうワインが買えるのもフェアの醍醐味です。

10種類以上試飲しました。

 

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エシレバターや、エスキスのミルフィーユなどスイーツのブースも盛り上がっていました。

来年も絶対行こうと思います(*^^*)

 

 

 

 

東をどり

[杏葉牡丹] 2014年5月17日 14:00


毎年恒例の、新橋の芸者衆による「東をどり」が、

今年も5月24日~27日に行われます。

 

回を重ねて90回という歴史ある公演ですが、もともとは新橋の芸者衆の、一流の芸の披露や伎芸向上の為にと始まったもの。

 

そして会場の新橋演舞場は、もともとは芸者衆や置屋・料亭等の新橋花柳界の関係者とその後援者たちによって、建てられたものです。

だから、場所は銀座にあっても、「新橋演舞場」と言うんですね。

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ついでに言えば、この「新橋花柳界」の『新橋』ですが、現在では港区の地名になっているので、なぜ中央区なの?と思われる方も多いかと思います。

 

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『新橋』というのは、銀座8丁目の先の首都高速がある場所に、かつては「汐留川」が流れており、そこにかかっていた『橋』の名前でした。

現在でも、親柱だけは、高速の下に残っています。

 

幕末に、そこの近くの、現在は博品館の裏辺りになる金春町に、常磐津指南をしていた女師匠がいて、しばしば付近の料理屋などの宴席に呼ばれるようになり、幕府から「酌取御免」のお墨付きを貰います。

これが「新橋芸者」の始まりといわれいるそうです。

 

明治維新以後は、薩長出身の政財界人等に贔屓にされ、江戸時代からの代表的な花柳界の柳橋と並んで、「新柳二橋」と呼ばれることもありました。

 

最近話題の「日本のおもてなし」の究極とも言える花柳界ですが、やはり一般庶民には、敷居の高い世界。

特に女性には、普通だったら縁がなさそうですが、この「東をどり」でしたら、舞台だけでなく、ロビーや劇場全体で、そんな雰囲気を味わうことも出来ます。

 

詳細については、「東をどり」のページをご覧ください。

http://www2.odn.ne.jp/shinbashikumiai/

 

ck1203_20140516 (2).jpgなお、新橋花柳界のことをもっと知りたいという方には、『名妓の資格~細書・新橋夜咄』(2007年雄山閣より発行)という本をお薦めいたします。

著者の岩下尚史さんは、新橋演舞場にいらした方ですが、最近はテレビ等でも活躍されていて、4月から始まったTBSテレビの朝の「いっぷく!」にも出演されています。

 

この本の中の「お喜代姐さん」として知られていた元芸者さんからの聞き書きは、細かいしきたりやお客様の気風などが生き生きと書かれていて、本当に興味深いものです。

 

 

 

お江戸日本橋

[佐平次] 2014年5月16日 14:00

「ご隠居おはようございます」
「おお、熊さんかい、GWは何処かに出かけたのかい?」
「ええ、ガキにせがまれましてクルマで富士五湖の方に1泊してきましたんでさ」
「ほう、それは天気も良かったしお子さんたちも喜んだでしょう」「クルマでと言いましたけど道中は混みませんでしたか?」
「ええ、首都高速でちょっと渋滞しましたが割とスムーズに走れまして、ところで、その渋滞のおかげでちょっと見慣れない標識を見つけまして、ガキから「父ちゃん、あれは何だ?」て聞かれたんで...」

 

「ちょうど新宿方面に向かう日本橋の真上にあって、「日本橋道路元標」っとあったので、何だ、そんなことも知らんのか?ここは真下に日本橋があるだろ、日本橋は日本のヘソで江戸時代から日本の道はこの日本橋から始まっているというしるしさ!今でも日本橋の真ん中には「日本国道路元標」の文字が埋め込まれているんだぞ!」
って言ったら「父ちゃん、そんなことは社会科の授業で聞いて知っているよ、おいらが知りたいのはその下に書いてある「ah1」の標識だよ!」Asian Highway って書いてあるけど・・・?」って聞かれたんで...ちょっとご隠居にお聞きしたいなと思って...」

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「ほう、あの標識に気づくとは、健坊も大したものだな、そう、あのAH1とはAsian Highwayアジアハイウェー1号線の略、つまり、アジアハイウェーも日本橋を起点にしているのだな」

このAH1 アジアハイウェイ1号線というのは20,000kmを超える長大な道で、日本の日本橋(東京)を起点として、韓国、北朝鮮、中国、ベトナム、カンボジア、タイ、ミャンマー、バングラデシュ、インド、パキスタン、アフガニスタン、イランなどを経由してトルコにまで続く、アジアハイウェイの中で最も長い路線なんだ」
「日本は高速道路を通って福岡までで、それからフェリーで韓国の釜山に渡り、そのあとはユーラシア大陸を通りヨーロッパまで続く現代のシルクロードとも呼ばれているんだ、もっとも今は北朝鮮は通過できないし、アフガニスタンなど戦闘地域で通過が難しい地域もあるし、未舗装で雨など降ると川のようになってしまい通過出来ない地域も多いし全線が高速道路でつながり本当にアジアハイウェーと呼べる道になるのは世界が平和になったなったといえるときだろうねえ」
http://www.mlit.go.jp/kokusai/kokusai_tk3_000071.html(国土交通省アジアハイウェー)

 

「いいですねえ、あっしもAH1を日本橋からヨーロッパまでぶっ飛ばしてみたいですねえ!もっとも2万キロもあるんじゃヨーロッパまで一月はかかりそうですがね...」

「そういやあ、染物屋「虎家」の大旦那さんは決して日本橋を渡らないって聞きやしたが?」
「うん、あの人も頑固者だからな、日本橋の上に高速道路が出来たときから「頭の上をクルマが通るなんざ親のあたまの上を子供がまたいでいくみたいで気にいらねえ!」って日本橋の上に高速道路が出来てからずっと日本橋を渡らないそうだよ」
「いやあ、あっしもその気持ちわかりますよ、あっしも銀座通りの上を高速道路なんぞが通ったら銀ブラなんぞしたくありやせんからねえ!」
「ところで、何で日本橋の真上を高速道路が通っているんでやす?何もあんなところに通す必要は無かったんではありやせんか?」
「それはだな、戦争で破壊された東京も徐々に復興して、1950年代後半から東京では自動車が急増し、また1964年の東京オリンピックに間に合わせるために政府は東京に高速道路の建設を決定したのだが、都心部では用地買収が少なく建設も比較的楽な河川の上や堀を埋め立てて首都高速道路を建設していったんじゃよ、それにその頃の河川や堀は汚染が酷くてまるで下水のようだったから埋め立てて道路にすることに特に大きな反対もなかったんじゃな」
「そういやあ、あっしの子供のころは隅田川も汚くて臭かったなあ!」

 
「ところで、江戸時代にはクルマの代わりに川や堀を舟で荷物を運んだんですよね? だとすると高速道路は昔の人の交通手段を今の時代に引き継いでいるってことですね!」
「そう、江戸の町は堀や川が縦横に走り、そこを荷舟や人を乗せた猪牙舟(ちょきぶね)が行き交いまるでベニスのようだったろうなあ!  高度成長期の東京では川や堀を埋め立てるにしてもどぶ川を埋め立てるので反対も少なかったし、景観や日照権といった環境権ということもあまり言われなかった時代だからねえ!」
http://map.goo.ne.jp/map.php?MAP=E139.46.40.076N35.40.50.727&ZM=11&st=8(昔の東京)

「そうですねえ、仮に、今、日本橋の上に道路を通すなんてことを言ったンだとしたら文化財保護だの景観が悪くなるだの猛反対の運動が起こって道路なんてできないでしょうねえ!」
「でもご隠居、首都直下型大地震とかいわれてますし、首都高速も建設から50年経って建て替えが必要なんでしょ?、いっそのこと全部取っ払っちゃって地下に移しちゃうって、昔のように堀や河川に戻すてえのはどうですかね?」
「そうだな、地下は地震に強いというし、工事費用はかかるかもしれんが「大深度法」ができたので補償も原則として要らないから案外早く実現するかもしれないな」
「そうしたら「虎家」の大旦那も天井の無いお天道様の見える日本橋を渡れるかもしれませんね! 大旦那の生きているうちに実現するといいなあ!」
「そうそう、そうなったら江戸の文化を残す町として中央区は世界遺産に登録できるかもしれないよ!」