中央区観光協会オフィシャルブログ

中央区観光協会特派員ブログ

中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

執筆者一覧

>>このブログについて

最近のブログ記事

「伊能忠敬 居住200年中央区まつり」 、「第27回 完全復元伊能図全国巡回フロア展」 見学報告

[銀造] 2014年9月13日 14:00

 8月28日から31日まで、「伊能忠敬 居住200年中央区まつり実行委員会」主催の催しがありました。

「第27回 完全復元伊能図全国巡回フロア展」です。 中央区立総合スポーツセンターの2階会場を一杯に使っての大展示でした。

20140828 170.JPG

伊能忠敬さんは、1745年、九十九里浜のほぼ中央の小関村に、小関貞恒、ミネの子として、三人兄弟の末っ子として生まれました。その後、母親との死別で、入り婿だった父親は忠敬(幼名、三治郎)の兄、姉だけを連れて、実家に戻ります。

忠敬が10歳の時に父親、神保貞恒が迎えに来て、17歳まで父親の元で暮らします。この時、佐原の酒造家、伊能三郎右衛門家では当主がなくなり、未亡人が婿を求めていたのを、神保家、伊能両家の親戚である平山家のあっせんで婿入りします。

その後、伊能家で商才を発揮し、49歳まで家業の酒造業を盛り立てました。 49歳で隠居し、家督を息子・景敬に譲り、江戸に出て天文・暦学を志し、19歳年下の幕府天文方・高橋至時に入門します。

 資力があったとはいえ、チャレンジ精神旺盛な伊能忠敬がここから本領発揮です。

深川八幡宮近くの黒江町に住み、浅草の蔵前にあった暦局の高橋至時のもとに通学し、自宅にも観測所を設けて熱心に観測したとのことです。

暦学者の間で、地球の大きさが話題になっていると、浅草と黒江町の緯度の差が1分半ということを知っていたので、「それでは、私が両地点間の距離を測って、緯度一分の距離を決めてやろう」と思い立ちますが、師匠の至時から、「浅草と深川の距離を測って、地球の大きさを決めるのは、ちと乱暴ではないか」といわれ、それではと、日本全国を行脚し、日本地図を作成するのを思い立ったのではないかと言われています。

 

 55歳になって、緯度一度の長さを測ることを目的とする蝦夷地測量に踏み出します。寛政十二年四月十九日、深川八幡宮に参詣し、千住宿を経由して蝦夷地へ向けて旅立ちました。

第二次測量は、伊豆から本州東岸を測りました。 この第一次、第二次測量の実績が認められ、次の第三次測量からは、幕府から旅行のための人馬を無賃で利用できるお触れが出され、数量も大幅に増やされて、村村からは格段に手厚い援助が得られる様になりました。 第三次測量は羽越地方、第四次測量は東海、北陸の沿岸を測量し、東日本全図の制作を目指しました。

 下記する参考文献から、このとき使用した測量機器は、「中象限儀」というものであったことが紹介されています。会場では、その他の測量器具も展示されていました。 

 

第一次から第四次までの四回の測量結果は、「日本東半部沿海地図」としてまとめられ、幕閣で好評を博し、第11代将軍徳川家斉の上覧を受けています。

第四次測量ルート図によると、この時は東海道を沼津まで再測し、沼津で伊豆半島の測量線に接続させて東海道沿いの沿岸測量を始め、江尻、三保松原、御前崎、渥美半島、知多半島と進み、熱田から名古屋城下に入って、岐阜、大垣、関ヶ原、木之元を抜け、敦賀から日本海を北上して福井、石川、今浜、能登半島を一周し、七尾、親不知、糸魚川、出雲埼、佐渡島に渡った後、寺泊、長岡、三国峠、高崎、熊谷、江戸へと帰還しています。この時、1803年10月7日ですから、58歳でした。

 その後、西日本測量の命令を受けて、第5次、第6次測量が続きました。第5次では、街並みの整った京都も測量しています。

 現代の時刻表に使われている地図と大差ないように感じます。

20140828 156.JPG

第6次では、厳島の測量も手掛けています。

20140828 152.JPG

 

 

 このイベントでご紹介頂いた全てをこの小さなブログでは表現できないのが残念です。

「伊能忠敬」大先生の旺盛な好奇心、チャレンジ精神を見習って、これからの人生を楽しく生きなければと思いました。

主催者、ご協力の皆様方に深い敬意を表します。 有難うございました。

 

参考文献:「伊能忠敬の全国測量」編集者:渡辺一郎様、発行者:伊能忠敬研究会、制作、問い合わせ先:日本写真印刷株式会社、電話:075-823-5151

追伸:伊能忠敬さんが、お住まいになったのは、現在の中央区で言えば、亀島橋あたりです。そこには、案内の掲示板があります。中央区の街歩きもお楽しみください。

DSC04604 (640x360).jpg 

 

 

江戸の味は如何?「銀座三河屋」の「煎酒」と「甘みそ」

[滅紫] 2014年9月13日 14:00

ブームの書下ろし時代小説の中でも目立っているのが料理人もの。「みをつくし料理帖」(高田郁)や「料理人季蔵捕物控」(和田はつ子)などに登場する江戸時代の料理の多彩なことには驚嘆してしまう。勿論作家の筆に冴えによるところが多いと思うが如何にも美味しそうでつい作ってみたものの。・・・味がきまらない。・・どちらの作品にも出てくる万能調味料「煎酒」が最近復元・市販されるようになり人気と聞き銀座三河屋さんにやってきました。(これさえあれば、私でも。・・・・・)

100_1454.JPG100_1458.JPG

「煎酒」(いりざけ)は「日本酒に梅干しと花かつおを入れ煮詰めたもの」でお店によって味も少しずつ違ったようで作るのも料理人の腕の見せ所だったようです。「甘みそ」は「18か月間天然醸造された豆味噌に化学調味料は使用せず自然な甘みを加え丹念に練り上げたもの」、江戸時代には砂糖が大変高価だったため貴重品だったとのこと。豆腐田楽や味噌おでん、焼きおにぎりにもいいそうです。

三河屋さんは「江戸の食と伝統を今日に伝える江戸食(スローフード)の店」と案内にあるように元禄時代汐留に酒商としてお店を開いたのが始まりで江戸後期には銀座8丁目で御用商人として小間物を徳川家や大名に納めていた老舗です。江戸開府400年の平成15年に「江戸食の店」として現在の業態になりました。

「あわび煮貝」や「昔の沢庵」「里牛蒡」「煮ぬき汁」など江戸時代からの変わらぬ味の他、最近では古文書を元に再現された「江戸元禄の酒」が人気です。

江戸のDNAが脈々と受け継がれているのでしょうか?店内には江戸料理の書籍なども紹介されていて、江戸好きには見逃せないとても楽しいお店です。

帰りに近くの珈琲「玲」にお寄りしてマダムに「煎酒」の話をすると「何といっても玉子かけごはんが最高!」とのこと。そういえば「煎酒」が発売されているという話を最初に伺ったのはこちらだったか!と漸く思い出しました。ああ!年齢のせいでしょうか?「煎酒」のレシピもいただいたのでこれからしばらくいろいろ試してみることにしましょう。

「我流創作料理」の実験台にされる家人にいつも迷惑がられているのですが、これなら大丈夫そうです。ふふふ

 

煎酒300ml 600円、甘みそ600円(税別)

銀座三河屋 銀座8-8-18金春.通り TEL3571-0136 11:00~20:00(日祝休み)www.ginza-mikawaya.jp

 

 

 

予約でいっぱい東銀座のイタリアン★vomero

[まぴ★] 2014年9月12日 14:00

習い事の帰りに友達から電話があり、行きたいお店があるとのことで、

東銀座だし、ブログの記事にもなるし二つ返事でオッケーしました(笑)

 
ただ、この日はお昼にがっつり食べたし、帰ってからご飯の用意もしないといけないので、
パスタとピザを2人でシェアして、白ワインを1杯飲んで帰りました♪

 
マルゲリータも渡り蟹のトマトパスタも激ウマ★
ピザは薄めなのでぺろりと半分食べれました。

 

KIMG0002.JPG KIMG0003.JPG

 
このお店6時開店で、開店直後に行ったのですが、もうすでに予約で満席。
ただ、9時からのお客さんが1組だけいるらしく、
9時までならご案内できますとのことで、
もともと長居するつもりではなかったので、いいタイミングでした♪

 

KIMG0001.JPG

 

私たちが食べている間にも、数組のお客さんが断られていました。

 

このお店は、歌舞伎座の近く、マガジンハウスの裏手にあります。
トリュフ専門店があったり、シチューのお店があったり、
この通りはまさにグルメ通りという感じです。

 
ピッツェリア・トラットリアVomero

 

 

 

一日遅れのお月見

[サム] 2014年9月12日 09:00

DSC00985LS.JPGDSC00976RSG.JPG  今年は9月8日が旧暦の8月15日に当たり、中秋の名月(十五夜)。

昨年は9月19日、一昨年は9月30日だったから、ちょっと早めの到来。

当日は残念ながら、東京地方は雨模様。

尤も、中秋の夜に雲などで月が隠れて見えないことを「無月」、雨が降るさまを「雨月」と呼び、寧ろほのかな風情を楽しんだともされてはいますが・・・。

翌9月9日は一転、月見日和。

大川端リバーシティ21のマンション群の窓灯りの脇、澄んだ秋空に真ん丸な "お月さま" が輝いています。

月の満ち欠けの周期がピッタリ1ヶ月でないことから、中秋の名月(十五夜)が必ずしも満月とはならず、実は今年は9月9日が満月。

現代に伝わる "お月見" は、古来の月を観賞し愛でる風習と、この時季農作物の収穫期に当たるため、豊作祈願や収穫感謝の祭事が合わさって広まったものと考えられているようです。

「月月に月見る月は多けれど、月見る月はこの月の月」(読み人知らず)

 

 

2014「まち歩き」ツアー 9月8日(月)銀座画廊コース①

[江戸旅太郎] 2014年9月11日 14:00

■9月8日(月)、「東京画廊」「ギャルリーためなが」「小林画廊」の三つの画廊をめぐりました。

 

□集合場所:銀座7丁目交差点・三菱東京UFJ銀行前。

mitubisi.jpg

 □集合場所の中央通りをはさんだ向い側には、左側「資生堂パーラー」ビルと右側「シセイドウ ザ・ギンザ」ビル。

 siseido.jpg

 □銀座7丁目交差点の四つの角に、それぞれヤブツバキが植わっています。

 ひと月ほど前に見つけた実がまだありました。

 tubaki2.jpg

 

本日の参加者の皆さまは、9名。

開始まで、会話がはずみました。

本日の案内役は、観光協会特派員の銀造氏。私は、最後尾でガード役です。

■おことわり:今回のブログで使用した写真は、参加者の皆さまが写っている

もの以外のほとんどは、集合時刻前に事前撮影したものです。開始後は、

ガード役に徹しました。

 

 □中央通りでの銀造氏の説明。

 matigaido.jpg

□「東京画廊」が7階に入居している第四秀和ビルの正面玄関・案内表示。

 DSC02197.JPG

DSC02194.JPG

DSC02195.JPG

□「東京画廊」山本豊津社長のお話を聴く参加者の皆さま。

美術に関する国による考え方の違いなどを含めたお話は、興味深いものでした。

 tokyo.jpg

 □花椿通り(ハナミズキ)を歩いて次の画廊に。

hana.jpg

□「ギャルリーためなが」は、毛利ビル1階。

tame2.jpg

 □「ギャルリーためなが」入口。

tame.jpg

 □「小林画廊」は、ニューギンザビル8号館1階。

 k0ba2.jpg

□画廊の方の説明を聴く参加者の皆さま。

白い紙に鉛筆だけで描いた秋山泉さんの画は、すばらしかったです。

 koba.jpg

 ■本日参加者の皆さまは、画廊の方のお話を熱心に聴き、作品ひとつひとつを鑑賞されていらっしゃいました。

「まち歩き」ツアーに参加されたことのない方は、今後ご参加をご検討して頂ければ幸いです。

 

 

竹久夢二生誕130年-「港屋ゆかりの地」と「竹久夢二展」

[滅紫] 2014年9月10日 14:00

大正ロマンを代表する詩人画家、竹久夢二は明治17年(1884)9月16日に岡山県で生まれた。今年で130年。八重洲1丁目のみずほ信託銀行の正面入り口に「夢二・港屋ゆかりの地」の碑が建てられている。

100_1449.JPG

夢二式と謳われる独特の美人画と抒情詩文で絶大な人気を誇っていた夢二は大正3年(1914)趣味の店港屋をこの碑のあるところから西へ130mのところに開き、夢二のデザインによる版画、封筒、カード、絵葉書、手ぬぐい、半襟などを売ったという。「美術家自身がその作品を商品化し、販売する店を作ったという展で日本の商業美術史上重要な意義を持つ」と碑の説明にある。確かに当時としては画期的な斬新なアイデアだったと思われる。今年は港屋絵草紙店がこの地に開かれてからも100年という記念すべき年、「生誕130年竹久夢二展~ベルエポックを生きた夢二とロートレック」と題して記念展が高島屋各店を巡回中。「雑誌の表紙や広告から日用品まで幅広くデザインを手がけ、商業美術や出版の世界でも卓越した存在。画壇に属さず時代の先端を読み取る感性を持ち版画・ポスターを独立したジャンルにまで高めた2人はベルエポックを象徴する芸術家」(展覧会の案内パンフ)として2人を対比した企画のようだ。日本橋高島屋さんと碑は距離も近いので「見てから寄るか」「寄ってから見るか」お楽しみに。

 

「生誕130年竹久夢二展」は9月26日~10月6日まで日本橋高島屋

「夢二・港屋ゆかりの地」の碑 八重洲1-2-1 みずほ信託銀行本店正面入り口のそば