[月島菜々子]
2016年4月12日 09:00
2020年の東京オリンピック、パラリンピック。
新国立競技場の建設やエンブレム問題などマイナスイメージが続いていましたが、
昨年末には競技場もデザインが決まり、4月8日には新エンブレムの4案が発表されました。
市松模様に輪と和、風神雷神に朝顔。
日本らしい素晴らしい作品ばかりで、25日の最終決定が今からとても楽しみです。
今後は東京誘致が決まったあの時の盛り上がりを再び期待したいですね。
こんな中、5月2日(月)銀座でイベントが開かれることを知りました。
パラリンピック競技の魅力を体感できる「NO LIMITS SPECIAL GINZA & TOKYO」です。
東京都がパラリンピック競技の魅力を広めるために昨年7月から都内で開始したパラリンピック体験プログラム「NO LIMITS CHALLENGE」のスペシャル版として開催されるとのこと。
2012年ロンドンパラリンピック車いすテニスシングルス金メダリスト 国枝慎吾さん、
2014年史上最年少車いすテニスダブルス年間グランドスラム達成 上地結衣さん。
激しいぶつかり合いが特徴のウィルチェアーラグビー日本代表チーム など
豪華メンバーによるデモンストレーションプログラムが盛りだくさん。
5月の連休の合間にアスリート達のプレーを拝見することで、今後のリオ、4年後の東京での熱い応援の第一歩を踏みだしませんか。
開催日時:5月2日(月)13時から16時(予定)
開催場所:銀座中央通り(銀座通り口~二丁目交差点 車道)
詳細プログラムは決定次第お知らせ。
[月島菜々子]
2016年3月10日 09:00
数寄屋橋交差点の角にあった銀座東芝ビル。
モザイク銀座阪急(旧数寄屋橋阪急)が入っていた
私のお気に入りビルが閉店してから3年半近くたちます。
そしてついに今月3月31日、新しく生まれ変わります。
「東急プラザ銀座」として。
約3700平方メートルの敷地に地下5階、地上11階、
そのうち13フロアが商業エリアで125店舗が入居予定。
開発コンセプトは
「Creative Japan~世界は、ここから、おもしろくなる。~」で
"銀座らしさ"に磨きをかけようと掲げたものとか。
実に銀座にふさわしい新しいランドマークを予感させます。
そして何よりも目を引くのはビルの外観。
「光の器」をコンセプトとし、伝統工芸の「江戸切子」をモチーフに採用。
和のテイストいっぱいの美しいビルです。
この「江戸切子」は今や東京を代表するお土産の1つになっていますが、
もともとは、1834年(天保5年)大伝馬町のびいどろ屋、加賀屋久兵衛が、金剛砂を用いガラスの表面に彫刻することを工夫したのが始まりだそうです。
ビルの6階と屋上には、
「KIRIKO LOUNGE(キリコラウンジ)」
「KIRIKO TERRACE(キリコテラス)」と命名されたパブリックスペースがあるそうです。
ここにも切子の登場ですね!
ところで、江戸切子の模様は「魚子」(ななこ)と呼ばれており、江戸切子組合では7月5日を
「江戸切子の日」と制定しています。
菜々子(ななこ)繋がりで、うれしくなってしまった私。
今から開業日が楽しみです
[月島菜々子]
2016年2月15日 14:00
人気の朝ドラ「あさが来た」の舞台は大阪ですが、主役を凌ぐ人気の五代友厚は
ここ中央区にご縁がありました。
今回は五代さまの区内の足跡をたどってみます。
明治維新後、新政府は諸外国との交易に備え、江戸時代後期に劣悪になっていた貨幣を
国際的に通用する良質なものにする必要がありました。
この欧米式の貨幣作りを託された1人が五代さまです。
彼はこの仕事を進める中で、金銀入手のため、鉱山業を手掛け、
その管理事務所として明治6年に自宅があった大阪中之島に弘成館を創設。
明治7年、福島県の半田銀山の経営にも着手し、その拠点として東京築地入船8丁目に
「東弘成館」を置きました。
現在の明石町で、聖路加病院、芥川龍之介の生誕地辺りでしょうか。
ドラマでは、大阪から船と汽車を乗り継ぎ新橋から築地まで煉瓦街を歩く様子、
ガス灯が点る場面では、五代さまの「ここから一里の間に85本のガス灯が街頭を照らします」
と言うセリフもありました。
近代化を遂げる東京、モダンな街中央区の様子がよくわかりました。
築地の別邸にて療養生活の甲斐なく49歳の生涯を終えた五代さま。
「大阪をつくった男」として有名な五代さまが最後まで築地とご縁がありましたこと、
誇らしい気がします。
ドラマではもう出番はありませんが、今月22日に夢の中で再登場とか。
今からとても楽しみです。
ディーンさま、いや五代さまに会えるのが
[月島菜々子]
2016年1月 4日 14:00
青空の広がるお正月、諏訪流放鷹術の実演が行われた浜離宮恩賜庭園を訪ねました。
1月3日の14時の部を見るために、少し早めに出かけると、内堀広場では「合気道の演武」のパフォーマンスを披露中。後期高齢者の方の熟練技もあり、勝敗を争わずに技を鍛え、互いの人間性の向上に努めると言う身の引き締まる武道は見応えがありました。
出店で買った炭火で焼き立ての「三福だんご」を片手に鷹たちの出番を待っていると、昭和初期の鷹匠(たかじょう)衣装を身にまとった男性2名、女性5名の門下生の方々が登場。
手に乗せた鷹を慣れさせるため土俵入りのようにぐるぐると回り始めました。その後、鷹匠から鷹匠へ飛び移る「振替」、樹上にいる鷹を呼び戻す「渡り」、観客参加の「据替」。最後に白鳩を空中で捕獲する「振り鳩」が披露されました。(安心してください。白鳩は安全に配慮して飛ばすと言う説明あり。)
どれも、鷹の飛ぶ速さや高低差のあるダイナミックな飛び方を楽しむことが出来て素晴らしいものでした。
今日活躍の鷹たちはヨーロッパ生まれのハリスフォーク。
彼らもまた和の雰囲気満載の浜離宮庭園でのお正月を十分に楽しめたことでしょう。
上空には鷹たちを応援するかのように、トンビがたくさん飛んでいました。
本当に穏やかな清々しいお正月のイベントで、2016年の幕開けは幸せ気分で一杯になりました。
今年も中央区の気になる情報を少しずつお届けしますのでどうぞ宜しくお願いいたします。
諏訪流放鷹術・・・江戸時代の将軍家お抱えの2つの鷹匠集団の1つで、信州諏訪神社の神事に由来。
[月島菜々子]
2015年12月 6日 16:00
11月29日(日)は「三の酉」でした。
中央区では人形町・松島神社の「酉の市」(pontさんのブログ参照)が有名ですが、
私は近所の築地・波除神社を訪ねました。
「酉の市」と言えば、露店で威勢よく手締めをして「縁起熊手」を売る様子が年末の風物詩になっています。ここ波除神社にも、立派な縁起熊手がいくつも並んでいました。
いろいろ迷った菜々子は神社オリジナル開運熊手「かっこめ」をゲット
「かっこめ」は写真のように、八本爪の熊手に稲穂、小判、金銀の鈴、開運神符の付いた年の瀬を迎えるにふさわしいお札です。帰り道から福運や財宝が掻き込めるよう、袋やかばんには入れず、そのまま持ち帰るようにと社務所の方に教えていただきました。
さて,「かっこめ」を手に入れると開運くじを引くことができます。
当たりは縁起物の「金箔入り・鯛金(たいきん)」。
祈りを込めて引いたのに、残念賞。
来年に期待したいと思います。
「三の酉がある年は、火事が多い」と言われています。
その謂れには諸説あるようですが、根拠が中央区の歴史にも大きな影響を与えた「明暦の大火」という説もあるとのこと。
この火災が起きた明暦3年(1657年)は、三の酉まであったそうです。
何かと慌ただしい師走ですが、改めて火に対する戒め、慎みや感謝の気持ちを忘れずにいたいと思います。
以上、今年最後の菜々子のブログでした。 皆様、良いお年をお迎えください。
[月島菜々子]
2015年11月 7日 12:00
京都では「琳派 京(みやこ)を彩る」展が開催中です。
先日、来場者数が10万人に達したと大盛況の様子。
11月8日までは、俵屋宗達、尾形光琳、酒井抱一の
風神雷神図屏風3作品を同時に見ることができるとのこと。
きっとものすごい迫力なのでしょう。
さて、中央区に縁のある「江戸琳派」の創始者、酒井抱一に思いを馳せてみましょう。
抱一は江戸後期の1761年、姫路藩主の次男として生まれました。武家の次男の悲哀もあり、若い頃から俳諧や絵画に親しみました。
絵画は中橋狩野家の手解きを受け、その世界を広げていきました。
この中橋狩野家は、江戸幕府の奥絵師であった狩野四家の1つであり、
歌川広重住居の隣にあったと、京橋1丁目の「歌川広重住居跡」の説明版に記載があります。
37歳で出家。さらに尾形光琳に私淑して独自の画風を確立。
京都の華麗な装飾画法である琳派を、江戸ならではの粋で瀟洒な江戸琳派として完成させました。68歳で亡くなりましたが、お墓は築地本願寺にあり境内の史跡となっています。
ところで、京都の展覧会は時間的に難しいと言う方には八重洲の「京都館」がお勧めです。
琳派グッズも販売していますよ。一度立ち寄られてはいかがでしょう。
ここは、まさに八重洲で出会える「ほんものの京都」です。
・「歌川広重住居跡」説明版:京橋1-9-7
・「京都館」:八重洲2-1-1 ヤンマー東京ビル1F