[達磨]
2016年10月 9日 09:00
「霊岸島」の名で呼ばれる現在の新川1,2丁目付近。江戸時代は「運河・新川」の開削により分離した地域だが、河岸には下り酒を扱う問屋や白壁造り酒蔵が並んで繁盛の様子が「江戸名所図会」に描かれている。戦後23年新川は埋め立てられた。ここ新川エリアには和菓子の歴史に触れるお店に出会います。
一軒目は茅場町駅から「霊岸橋」を渡って暫らく、左折した処、古い木彫看板の新川1丁目「田川堂]さん。店内はレトロ、ご高齢のご主人とやさしい女将で、明治後期の創業の味を守っています。「をぐら大福」「ワラビもち」「むし鹿の子」それぞれが匠の味を持っていて、ほどよい甘さ、昔を感じます。
田川堂
もう一軒は新川2丁目「梅花亭本店」 嘉永3年(1850)大伝馬町に創業の老舗です。茅場町駅1番口を出ると、地図御用所跡の碑。八丁堀方面に向って左折すると「戦災遭難死者慰霊碑」(大空襲)「大震火災遭難追悼碑」(関東大地震)があります。新亀島橋橋上で亀島橋を望む。橋の袂そばが「梅花亭」さん...長崎帰り蘭学者宇田川興斉の話しにヒントを得て、栗饅頭の祖と称されている「あめりか饅頭」を出して大ヒット。2代目は、明治初年に銅鑼焼き(餡と皮が一体化した厚一枚皮の大きなどら焼)を創案、平成十年に再び復元。次いで若草餡の「三笠山」を考案、命名は九代団十郎と伝わる。昭和期の6代目は梅の形3種の餡の「梅もなか」を工夫。べったら市の時だけ切山椒と喜利羊肝を製作しているとか。<.同社HP、江戸東京幕末グルメより>「お客様に快いゆとりを味わって頂くことを第一と心がけ、庶民性の中に上品さ...」 とのお店の伝えをそのまま味わえる老舗店です。
梅花亭
因みに、どらやきの起源は「江戸初期に麹町に開店した助惣焼がはじまりであったが、幕末に店をたたんだ」 変わって「明治初年大伝馬町で梅花亭の創案による丸型一枚どらやきが登場」 現在のどらやきは編笠焼という焼菓子で、大正3年上野黒門町に開店したうさぎやが始祖。<事物起源辞典による>
[達磨]
2016年10月 6日 14:00
「リオ五輪・パラ合同の凱旋パレード」が10月7日、銀座8丁目交差点から日本橋室町までの中央通り約2・5キロで行われる。再び熱狂大観衆が沿道に。秋雨の続いた、幾日か前、静かな銀座通りを歩きました。この中央通りの起点近く、中間点、終点には、喫茶室を併設した匠の技が味わえる和菓子の老舗があります。
銀座6丁目『銀座風月堂』 上野・東京などの風月堂とは系統が違う130年以上の和洋菓子老舗店です。みゆき通りと並木通りの角地(目の前は空也)にあって、併設の喫茶室は待合わせや銀ブラの後のスポットです。みゆき通りを眺めながら、季節の和菓子セットなどが楽しめます。店売りの和菓子では、今が旬!大きな栗がしっかり、甘さ控えめで口あたりよい「栗蒸し羊羹」は上級のおもてなし品です。
銀座風月堂
花椿通りを築地方面に向かって、中央通り・昭和通りを越えて、木挽町通りを左折すると、『清月堂本店』です。 明治40年(1907)、現在の銀座7丁目(旧京橋木挽町)に創業。初代は、「水羊羹と葛桜」を売り出し大評判になりました。代々「四季折々の季節の和菓子を楽しんでいただくこと」を心得とし、創業者は「一代一菓」という言葉を残し、3代目創作のきみしぐれ「おとし文」は現在の看板人気商品です。...HP)水羊羹、葛桜もいただきましたが、人気の「豆大福」は豆、餅、適度の甘味のバランスが最高!豆大福の御三家です。茶房があります。
清月堂
中央通り銀座2丁目「東京風月堂」 歴史は風月堂の暖簾分けで明治5年両国若松町に開業の米津風月堂。昭和58年に銀座通りに東京風月堂開店。ここ1階フロアでは昔ながらのゴーフルをはじめ、焼き菓子やケーキが売られ、2階のティールームでは、銀座の街並みを眺めながら、スイーツ、軽食が楽しめます。<写真なし>
京橋を越えて日本橋を渡ると、以前「木屋」があった"COREDO室町3"1階に『鶴屋吉信室町店』があります。享和3年(1803)創業、昭和35年東京に進出。代表銘菓は富岡鉄斎が愛好したという「柚餅」と「京観世」ほか京菓子がきれいに並び、人気の店内甘味処では抹茶と季節の生菓子が楽しめます。<写真なし>
ここコレド室町/福徳の森周辺では、9月28日~10月9日、伝統文化フェスティバル「日本橋 熈代祭」が開催
この日本橋室町1丁目『文明堂日本橋本店』(文明堂東京HD) 文明堂は明治33年(1900)に長崎で創業。昭和8年新宿店設立、昭和10年に電話帳に「カステラは一番、電話は二番」の大きな宣伝を出す。昭和26年日本橋本店設立。リニアルオープンしたお店のショーケースには定番名品の「カステラ」「三笠山」「カステラ巻」「季節の和洋菓子」に並びます。併設のェ"BUNMEIDO CAFE"では評判の焼立て三笠パンケーキが楽しめます。...HP)
以上
[達磨]
2016年9月28日 14:00
銀座4丁目交差点「信号が変わります~4丁目交番の女性警察官の声」晴海通りを少し歩くと、平成25年(2013)2月、第4期の外観をそのままに、文化施設、高層オフィスタワーが併設されて建替えられた"歌舞伎の殿堂"が見えます。明治22年(1889)第1期「歌舞伎座」から日本の芸能・文化をリードする銀座の顔です。
http://www.kabuki-za.co.jp/siryo/ ... 歌舞伎座資料館/江戸食文化紀行
「歌舞伎座」にゆかりのある和菓子屋さんの紹介です。
銀座4丁目『柏屋菓子店』 歌舞伎座が開場した翌年の明治23年に創業。歌舞伎座の裏手にあって、昔ながらの和菓子屋さんの佇まい。愛されて...気楽に立ち寄れる老舗です。ご高齢の4代目ご主人と女将さんのお二人で、江戸前の味を守られています。季節折々の美味しい和菓子も揃っていますが、評判の高い「豆大福」は絶品絶賛の味です。お赤飯握りも人気、わくわくとお彼岸のおはぎを買いに行きました。11月には「だいふく...」名店紹介本に登場します。
銀座6丁目『空也』 江戸城出入りの畳屋から榮太樓の職人の紹介を得て、明治17年に上野池之端で創業。初代が踊り念仏の流れを汲む関東空也衆の信徒だったことから、店名と最中の形に由来。初代は親交のあった九代目団十郎の話しからヒントを得て、焦がし皮の最中を売り出したという。季節の和菓子も用意されていて、「空也餅」は夏目漱石の吾輩は猫にも登場する。4期歌舞伎座が再建された昭和26年に先立つ、昭和24年銀座並木通りに移って、銀座の「空也もなか」として予約(電話もOk)、引取りでひっきりなしのお店。香ばしい焦がし皮に艶やかなつぶ餡...がたっぷり入っていて、ビニール袋に包んで一週間は日持ちするとのこと。(参考:竹書房/江戸東京幕末維新グルメ&同店志ほ里)男が惚れて、女性が憧れる「空也最中」です。
以上。
[達磨]
2016年9月25日 12:00
慶長8年(1603)創架、5街道の起点となった「日本橋」。歌川広重「名所江戸百景、日本橋雪晴」安政3-5年には物資拠点の日本橋の賑わいが見えます。現在の日本橋は明治44年(1911)完成。この日本橋の袂にある和菓子老舗店のご紹介です。
『榮太樓總本鋪』 安政4年(1857)の頃から変わらずに日本橋の袂で営業。この安政時代、日本橋にささやかな屋台で「金鍔」を焼いて売り出したのが榮太樓のはじまりとのこと(HPから)。日本橋南詰西側にある「日本橋由来記」の碑からお店の紺藍染めの日よけのれんが見えます。おすすめは「金鍔」をはじめ、「せっかちな江戸っ子に食べやすく」と、歯切れの良い餅が特徴の「黒豆大福」、元祖である「甘名納糖」、「玉だれ」「どらやき」。幕末から明治期に開花した庶民の江戸和菓子...この発展に榮太樓さんの影響度を感じます...。店舗内、喫茶室では「あんみつ、みつ豆の甘味や赤飯弁当など」が楽しめます。
日本橋1丁目『うさぎや』 大正2年創業「上野うさぎや」の初代三男さんが戦後に現在のコレド日本橋の向かいで創業。間口の小さいお店には朝から夕方まで「どらやき」を求めるお客で溢れる超人気店。どらやきは一目一口で何処のお店かが分かる、五感を刺激する和菓子だと思いますが、うさぎやのどらやきは人気通りにトップをかける美味しさです。
うさぎや
以上。
[達磨]
2016年9月23日 14:00
中央通りと晴海通りが交わる「四丁目交差点」...パレード開催時はもちろん、曜日や一日の時間帯で人の波や顔が大きく変わる世界注目のスポット。四つ角には、昭和22年から27年まで進駐軍のPXだった2代目「和光」銀座通りを隔てて昭和5年開店「銀座三越」、昭和21年建設の現在2代目「三愛ビル」(現在は自然エネルギーでRICOHの広告塔)と新デザインの「4丁目交番」、そして旧サッポロ銀座ビル跡にオープンした「GINZA PLACE」が一角をしめています。戦後のモノクロの佇まいが其のままで、今は3Dの景観に進展しました。和菓子屋さんの紹介は戦後すぐに銀座で創業した名店です。
銀座5丁目『あけぼの』 昭和23年に現在の銀座四丁目交差点傍で創業。冬はおしるこ 夏はカキ氷の店として誕生しました。定番の「栗もなか」も、新栗のシーズンには「新栗もなか」として販売。「最高の素材を最高の技で」という信条のもと新しい和菓子、米菓の発信をしているとの事。(HPより)店頭に並ぶ豆大福(漉し餡、粒餡)、おはぎ(漉し餡、粒餡)は、どちらもずっしりとしたお得感で、優等生の味わいです。
銀座5丁目『菊廼舎』 明治23年、初代が三十間堀り掘りで開業したときは「歌舞伎煎餅」が目玉商品だったとか。戦後三代目のときは、銀座5丁目あづま通りが本店で、昭和46年からギンザコア地下1階で本店を営業。大正後期に2代目が考案した、代表銘菓『冨貴寄』は人気のロングセラー商品。郷土菓子の素朴さを損なうことなく、小さな干菓子が約30種類詰まっている。(HPより)子供らは、かわいい金平糖や三角はっかに奪い合い、バスツアーのお供には小袋もある。五感を楽しませて、会話が弾む和菓子です。ほか店頭には評判の揚げまんじゅうや季節の和菓子が並んでいいます。
銀座4丁目『銀座松崎煎餅』 創業は文化元年(1804)芝魚籃坂。三代目が慶応元年(1865)銀座(当時の弥左衛門町)に店を移して現在に至っている。(HPより)銀座の町名が正式に採用されたのは明治2年(1869)、正に銀座150年の歴史を知る「松崎煎餅」。手作業での画かれる色模様の瓦煎餅「三味胴」噛むほどに深い味わいです。
以上。
[達磨]
2016年8月24日 12:00
初夏、「聖路加タワー46階エレベーター横の窓」から見下ろした展望()
『佃1丁目付近』
晩夏、この佃1丁目の「石川島灯台跡モニメントを背に隅田川テラス」からの景観()...今年の異常気象の雲流に「聖路加タワー」を望む
佃1~3丁目、月島1~3丁目は[リバーシティ21、晴海トリトンスクェア、超高層ビルの新都市]に隣接して[隅田川と運河]に囲まれた、歴史ある下町。観光化されてはきましたが、江戸時代、明治、大正、大戦前の昭和の風や匂いを感じながら歩くと、時代ごとの歴史舞台に立った気分です。当地の和菓子屋は関東大震災の前後で開業した『二葉家』さんと『古埜木堂』さんです。
『二葉家』創業明治元年。現在の佃2丁目(住吉神社から晴海運河に向って5分)では関東大震災の数年前に開業、先代から引き継いだ手作りの技を守っている。名物の柔らかい求肥に杏の入った「佃もち」は美味しい。今年も中央区産業文化展(へそ展)に出店とのこと。
『二葉屋』
『古埜木堂』はもんじゃ通り1番街あたり。創業は関東大震災翌年の大正13年。ケースに見本の和菓子が並んでいます。「どら焼き」「栗まん」は素朴な味です。
『古埜木堂』
以上