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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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甘酒横丁桜まつり

[北遊人] 2010年3月23日 09:00

また桜の花見の季節がやってきました。

甘酒横丁の桜まつりは、3月28日(日)11:00~13:00 浜町緑道公園で行われます。

場所は弁慶像の辺り。甘酒が用意されているようです。

また商店街で買い物をされると抽選が出来るようです。

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今日(20日)、一つくらいは開花が見られるかと探したが残念でした。

でも蕾は紅色をして今にも咲きそうでした。

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緑道へは新大橋通りからも入れます。

水天宮駅からはこちらの方が便利です。

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この緑道は旧浜町川です。ご記憶の方も多いと思います。

人形町へお出での時はお立ち寄りください。

 

 

わんわん広場

[北遊人] 2010年2月 7日 11:42

新大橋西詰から隅田川下流側テラスにわんわん広場があります。

 

名称は"浜町公園(わんわん広場)"となっています。

利用時間は、 AM 7:00~PM 8:30

土曜日、日曜日、祝祭日は、 PM 3:30~8:30

許可面積は、369,43㎡ 

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 利用上の注意事項が17項目掲示されています。

隅田川テラスにこんな立派なお犬様の遊び場があるなんて最近まで知りませんでした。

ただ、壁にこんな張り紙が、、。 " 吠えたら 退場 "

 

 

東日本橋稲荷巡り

[北遊人] 2010年1月19日 09:00

 東日本橋にある寺社といえば薬研掘不動院が最も有名である。しかし神社の方は日本橋七福神巡りの陰に隠れて忘れられかけている。

 今日はそんなマイナーなお稲荷さんを廻ってみる。

先ず両国橋西、産業会館通り入り口の左側路地にひっそり佇んでいる"川上稲荷神社"から。

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 創建 寛永五年戊辰七月 (1628年である)

旧幕府の乗船場にありしが、明治2年4月神域を此の地に移し崇敬す。明治6年1月神田神社の兼務社となり、昭和20年戦禍により焼け、昭和63年360年祭記念として再建す、と説明書きがある。

 

 次に薬研堀不動院裏手通りの"矢ノ庫稲荷"へ参ります。

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 縁起によると

正保2年(1645年)幕府が米蔵を此の近くに建て、谷野蔵・矢之蔵と呼ばれていた。その庭中に御蔵の鎮神として三社を合殿した三社稲荷神社をまつった。中央に谷野蔵稲荷、左に福富稲荷、右に新左衛門稲荷から成り立っていた。元禄11年(1698年)お蔵を鉄砲洲に移転と共にこの三社稲荷も一緒に移されたが、明治6年(1873年)に新左衛門稲荷が、昭和7年(1932年)には福富稲荷が"初音森神社"に遷座合祀され、谷野蔵稲荷は、幾多の変遷場所を変え現存地に至った。名称もいつの頃からか"矢ノ庫稲荷"となった。

 

 では"矢ノ庫稲荷"縁起にある"初音森神社"へ参ります。                          浅草橋南、日本橋両国郵便局並びです。

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由緒によると

創祠は元弘年間(1330年頃)、当時奥州街道沿いに初音の里と呼ばれていた。

天文20年(1551年)社前に馬場が出来初音の馬場と呼ばれた。

江戸時代に入り浅草見附門建設にあたり境内地の半分が削られ、明暦の大火(1657年)後関東郡代屋敷となり、墨田区へ遷宮。昭和23年旧蹟の一部の地に神社建立、、、。

 この神社では明暦の大火の惨状が記されている「むさしあぶみ」の現代語訳本が手に入ります。

 また入り口脇に昭和36年土中より発見された"浅草御門の門柱"が見られます。

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 最後は東日本橋3丁目、清洲橋通り近くに"玉尾稲荷神社"がビルの谷間にあります。

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 以上、東日本橋町内で四つのお稲荷さんに巡り会えました。

 

 

納めの歳の市

[北遊人] 2009年12月25日 17:30

川崎大師東京別院 薬研掘不動院 の周辺、東日本橋駅清杉通り沿いに12月27日から29日にかけ恒例の納めの歳の市が開かれます。 (毎日12時から20時まで)

東京の歳の市の納めをつとめる「納めの歳の市」であり、お正月用品、衣料品、バッグ、雑貨など150軒ほどの露店が立ち並びます。

大通りから参道入り口に門が作られ、たくさんの提灯が見えます。

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常盤会ー久松邸跡ー

[北遊人] 2009年11月25日 17:30

浜町2丁目、トルナーレ浜町ビルの真向かい新大橋通りの植え込みの中に標示板がひっそりと立っています。説明文によると

 常盤会とは、明治16年(1883)に創設された旧伊予国(現愛媛県)松山藩主久松家による在京の旧藩士子弟たちの学資援助組織である。

 久松家は、明治維新後この地に屋敷を構えており常盤会はこの屋敷内に設置されていた。

明治17年の初代給費生10人の中に俳人正岡子規がいた。子規は明治16年6月故郷松山から単身上京し久松邸の書生部屋に寄寓しており、翌年給費生に選ばれたことを半生の喜びの一つだと述べている。

 常盤会は、明治20年に本郷真砂町の坪内逍遥邸跡に寄宿舎を創設、子規も明治21年9月から24年暮れまで書生として過ごした、 とある。 

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この久松邸については、司馬遼太郎の 坂の上の雲 の中で何回もお目にかかります。

秋山兄弟も伊予松山の出身であり、兄好古が上京する時 「東京に着いたら、日本橋浜町河岸のお屋敷へ行け」と教えられる。旧幕時代「浜町の御藩邸」 といわれていた小さな別邸で、いまも旧藩主久松家の所有になっており、久松家ではそれを旧藩士が上京して学校に入る場合の寮として使わせていた、、、とあ る。

子規も、上京にあたり 「着けばすぐ旧藩主邸にあいさつにあがるように」と言われているので、停車場(新橋)から人力車に乗り日本橋区浜町の久松邸にむかった。、、とある。

この後、秋山兄弟の弟真之も上京し子規とともに青春を送っている。

その数年後、河東碧梧桐も一高受験のため上京、常盤会の寮に入っている。

明治22年には、子規は本郷の常盤会寄宿舎におり第一回目の喀血に見舞われている。


 

 

人形町からくり櫓初披露

[北遊人] 2009年11月 9日 09:00

11月7日、人形町に2基の櫓が完成竣工されました。

昨年5月から工事が始まり大通りのリニューアルもあわせて 行われました。

訪れた人たちの目を楽しませてくれるでしょう。

また11月9日、10日、11日と3日間にかけて恒例の人形まつりが始まります。

益々の賑わいがもたらされるでしょう。

からくりが開いた画像を見てください。 021.JPG

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