恒例のべったら市が大伝馬町の宝田恵比寿神社のえびす講の祭礼に合わせ始まりました。
19日と20日にかけてたくさんのお店が出て大変な賑わいです。
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浜町河岸辺り(両国橋から新大橋へ)
今回は中央区の東端、両国橋から新大橋へ向かって歩いてみます。 まず両国橋からの隅田川テラスです。 四季の花が植えられ、きれいに整備されています。 ウオーキングやジョギングには最適の場所です。
続きを読む: 浜町河岸辺り(両国橋から新大橋へ) 柳原土手辺り
前回は神田川川口から柳橋、浅草橋へと川沿いを歩きました。 今日はその先"左衛門橋"、中央区と千代田区の区境を歩いてみます。(左衛門橋は台東区の区境でもあります)
浅草橋橋際からの写真です。
左右に走っている大通りが靖国通りです。左の両国橋を渡ると名前が京葉道路と変わります。 真正面が江戸通りです。江戸時代の浅草御門から奥州街道へ抜ける街道筋です。 右側神田川沿い一帯が江戸時代郡代屋敷があった所で、交番脇に説明板が立っています。 現在は神田川側に柳原通り、靖国通り側に馬2仲通りと2本の道が見えます。建て替え建築中の日本橋女学館中・高校がこの一角を占めていますが、前回紹介した初音森神社の在った初音の馬場も江戸時代この辺りに在ったようです。 これが現在の柳原通りです。右が建築中の日本橋女学館の校舎です。 両側に柳が植えられ江戸時代の柳原土手の柳並木を思い浮かべさせてくれます。 中央、千代田の区境は左衛門橋通りと思いきや、橋西側神田川沿いが千代田区、その南2ブロック程中央区が千代田区に食い込んだ形となっています。 写真の右側が千代田区東神田2丁目、左側が中央区馬喰町2丁目。 街路樹の木をよく見ると此処が境界かなと判ります。 柳原土手は、江戸時代沢山の古着屋の集まった通りだったと言われていますが、現在は馬喰町1丁目に衣類の問屋街が形成されています。 今日歩いて目についたのは、川島企画販売(株)の KAMISM SUMMER SALE(和紙) の貼り紙と 和楽庵 という着物、帯のリサイクル店 です。 日本橋両国から神田川沿いへ
前回この辺りを中央区の北の外れと評しましたが、隅田川と神田川に挟まれた地形は岬をも思わせますね。明暦の大火後火除け地が設けられ、バラック仕立ての見世物小屋などが沢山並んで一大盛り場であった、、。と交差点近くに石碑がたっていますが、歴史を感じるとすれば"鳥安"さんや神田川向こうの"亀清楼"さんなどの料亭と"薬研掘不動院"ぐらいでしょうか。却って盛り場的匂いは現在の墨田区両国の方に在りますね。
両国橋の袂から神田川沿いに細い路地を歩いて行きますと柳橋が見えてきます。 橋の袂に由来の碑と関東大震災後の復興の碑が立っています。
川沿いの細い道を歩いて行くと浅草から日本橋へ向かう江戸通りへ突き当ります。 柳橋と浅草橋際に船宿があり沢山の屋形船が神田川に繋がれているのを見ることができます。 船宿では季節のつくだ煮なども買い求めることができます。 この道の反対靖国通りとの間に一本通りがあります。(初音森通りという名前が最近付いたようです) 皆さんあまり足を踏み入れることは無いでしょうが興味をそそられる名前のビルに巡り会えますよ。 1、靴下会館 2、東京装粧会館 3、フジライトカーペット(絨毯館) また、この通りの出口にある郵便局(両国郵便局と言ってます)の手前に赤い神社の鳥居のあるビルに驚かされます。 この神社は初音森神社と称し1330年ごろの創祠、現在の浅草橋の西側に在ったようですが明暦の大火後墨田区へ移転、昭和48年この地に神殿を建てたとのこと。明暦の大火が書かれている古書 "むさしあぶみ"のプリントでその火事の恐ろしい様子を紹介していました。
続きを読む: 日本橋両国から神田川沿いへ 中央区の北の外れから
中央区は南北に細長く、輪郭を眺めると洋服の型紙のようにも見えます。 この首から肩のあたりの北の街を紹介します。 東に隅田川、北に神田川、この神田川が北端であってこの川の隅田川へ流れ込む右端が中央区の最北端、現在は東日本橋2丁目になります。 神田川河口に架かっている橋が柳橋で橋向こうが台東区です。 また突端の近く隅田川側に大きな橋が架かっていますのが両国橋で、武蔵の国(こちら側)と下総の国(あちら側、現在の墨田区)の両国を結ぶ橋とのことでこの名前がついたと言われています。 橋詰西側(こちら側)はいわゆる日本橋両国で、明暦の大火後火除け地として両国広小路が設けられた所でもあります。江戸時代中期以降盛り場として大変賑わった所だそうですが、現在はビジネス街、マンション街としてビルが立ち並んでいます。 あまり人も訪れないマイナーな場所ですが、次回からゆっくり歩いてみたいと思います。
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