[阿舒庵亭主]
2013年9月 5日 14:00
京橋を歩くと目に入る威厳のあるビルディング、「明治屋京橋ストアー」が9月20日をもって一時休業するそうです。今後は隣接する土地を合わせて「京橋二丁目西地区第一種市街地再開発施設建築物」として巨大なビルに生まれ変わります。現在の外観は一部が残されるとのことです。再開業は2年後の2015年の秋口の予定です。
明治屋は明治18年(1885)に創業し、現在の京橋ストアーの建物は昭和8年(1933)に本社ビルとして建てられたものです。向かって右側の壁の建物には PROVISIONS と彫られており食料品店であることが明示されています。その歴史を調べてみると当初は郵船に PROVISIONS を供給するシップスチャンドラーとして創業されたようです。現在でも日本の主要港湾に支店を持ち船舶への食糧供給を続けています。
明治屋といえば子供の頃にテレビの宣伝で見た My Jam や My Juice を思い浮かべます。大人になってからは何か変わったものはないかと輸入品の洋酒や食品を探しに行く店です。京橋を散歩する楽しみの一つがしばらく消えることは寂しいが、是非とも今の外観を出来るだけ残して一日も早く再開業されること楽しみにしています。
なお、9月1日より20日までは感謝セールが開催されています。
[阿舒庵亭主]
2013年7月25日 09:00
猛烈な暑さが一休みした一日、所用で銀座に出かけたついでに銀座の書店、教文館に立ち寄ってみました。二階への階段の踊り場で「巡礼の旅」と題する展示を発見しました。書店の7月号のチラシには「この夏、『本』でめぐる巡礼の旅に出発してみませんか?」とあります。
「街道歩き」が趣味の私には興味津々のテーマです。日本各地の古寺巡礼のみならず、海外の巡礼に関する本が数多く展示されています。私がこの春に歩いたスペインのサンチャゴ巡礼路の本も何冊か並んでいました。
美しい表紙にひかれて幾つかの本をパラパラとみてみると、芭蕉のおくの細道にある、「予もいずれの年よりか、片雲のにさそはれて、漂泊の思ひやまず、」という一節が頭をよぎりました。見ているだけで楽しい企画です。最近の猛暑にもかかわらず、「嗚呼、旅に出たい」と思いました。
この展示は7月末まで行われるそうです。
[阿舒庵亭主]
2013年5月27日 18:53
名古屋出身の私にとって、贈答品は松坂屋で買うのが親の代からの決まりごとだった。30年ほど前に東京に引っ越した時、東京にも松坂屋があって安心したものである。しかし、その銀座松坂屋が4月から閉店セールをしているのが気になり、チョッと調べてみました。
銀座松坂屋は大正13年に銀座に出店して爾来88年間この場所で営業を続けてきました。しかし、このたびビルを建て替えることになり6月末まで閉店セールが行われています。その後、現在の建物は取り壊されるようですが、ビルの取り壊しの前にぜひもう一度、隅々まで見て回りたいと思っています。
ネットで調べてみると2016年中には新ビルを完成し、2017年には開業する予定とあります。
さらに今後は新しいビジネスモデルも検討されているようで必ずしも現在のように百貨店を中心として再開するのではなさそうです。
名古屋人はある意味保守的ですが
意外に「やる時はやる」といった気質があり、
今後、銀座松坂屋がどんな形で再現されるのか
目が離せません。
[阿舒庵亭主]
2013年4月 4日 09:00
劇作家の北条秀司の「雪降れば佃は古き江戸の島」の句碑が佃の渡しの碑の近くにあります。今年は寒い日があり何度か雪の佃を眺める機会があったのだろうが、結局は見ることが出来ませんでした。
佃島は徳川家康の時代に摂津国西成郡佃村の漁民が江戸に下り築造したものです。爾来佃大橋が完成する昭和39年まで300年にわたり渡船で行き来するところでした。現在では石川島播磨重工業の跡地に出来たリバーシティー21が隣接し、あたかもマンハッタンを見るような景色ですが、ひとたび佃に踏み入れてみると其処彼処に江戸の面影が残っています。
漁村のように立て込んだ家々は今日でもやっと人一人が通れるような路地を隔てて建てられています。マンション暮らしの私にはとても理解できないような隣近所との濃密な関係が今も生きている街のようです。
隅田川の畔には大きな漁船が係留されているし、島内の船溜まりには小さな漁船やモーターボートが係留されています。ここだけ切り取れば誰も銀座から徒歩圏の街とは思わないでしょう。
佃の町並みを見て車の少ない道路で子供たちが買い食いをして遊んでいる様を見ると、まるで半世紀ほど歴史を遡ったような安らぎを覚える不思議な空間です。
[阿舒庵亭主]
2013年3月 6日 14:00
立春を過ぎても寒い日が続いていましたが3月に入りやっと少し暖かい日があり花粉を恐れながらも散歩に出る機会が多くなりました。大都会、東京のあちこちで春を呼ぶ花々を見つけるのは散歩の楽しみです。
明石町の聖路加国際病院の辺りで、「まんさく」の花を見つけました。北国では長い冬の終わりに「まんず咲く花」が「まんさく」といわれています。東京の春も遠くないと思わせてくれます。
艶やかな紅梅も聖路加タワーの前で見つけました。
三寒四温といいますが、春一番が吹いた後は少しまた気温が下がっています。それでも今日の散歩で歩いた永代橋のたもとには早咲きの桜の蕾がふくらんでいるのを見つけました。あの東北大震災が起こった日、やむなく歩いて帰宅する途中に通った永代橋のたもとにでは、この桜の花が満開でした。大地震の直後というのに桜の下には屋台が出てホットワインを売っていたのが強烈な思い出として残っています。
また中央大橋のたもとには花海棠が咲いていました。
橋を渡ったリバーサイド側の桜の木の下には黄色いクロッカスの蕾が沢山出ていました。
これからは一日毎に咲く花の種類も多くなり街歩きがますます楽しくなりそうです。
[阿舒庵亭主]
2013年2月17日 09:00
人形町を散策していて偶然、古風な店を見つけました。和菓子屋さんかと思ってのぞいてみると暖簾には「香」と書かれていました。なんだろうと思って入ってみたのが香老舗松栄堂さんでした。京都に本店があり大阪から札幌まで全国に七店舗を有するお香の店でした。創業は宝永二年(1705年)の老舗である。お店の方にお話を伺うと、仏事以外にも使うお線香やお香、さらにはお香を楽しむための道具類を売っているとのことで、確かに店内にはふくよかな香りが漂っていました。松栄堂さんは日本橋店の他にも銀座八丁目の銀座店などがあるとのことでした。帰宅後ネットで調べてみると中央区には松栄堂さん以外にも何軒かお香を扱う店があることがわかり、中央区内のお香屋さんを巡ってみました。
鳩居堂と言えば誰もが知っている日本一高い地所にあるお店です。売っているのは創業以来三百年間の和文具店とは知っていましたが、実はお香の世界では九百年間にわたり天皇家の御料として伝えられた名香の秘法を三条実美より親授されたお香の世界でも有名なお店のようです。お店をのぞいてみるとたまたま、香港からの旅行者が買い物をしていました。筆とお香を買ったとのことで、香港でも中国製が入手できるが品質は日本の物には敵わないとのことでした。
御香所香十は鳩居堂のむかい側にある銀座コアの中に店を出しています。このお店も創業天正年間とあるから450年もの歴史があります。喫茶店のようなカウンターに座ってお香を聞いてみることも出来る施設もあります。香十さんは中央区にはコアにある銀座本店の他に銀座ガス灯通り店と八重洲地下街の東京店があります。また、銀座四丁目には香道の香間「香十庵」があり、香道を学ぶ教室が開かれているとのことです。香十の店には、お香や道具類の他にお香を使った季節の装飾品等も展示されていて見ているだけで楽しい。
日本橋高島屋さんの和服売り場の一角に京都山田松香木店があります。創業は寛政年間と言われるから200年以上の歴史がある。このお店にはお香を入れる為の昔の薬種問屋のような箪笥があります。数えてみたら150の引き出しがありました。すべての引き出しにお香の名前が書かれており、その種類の多さには驚かされました。お店には組み紐細工のお香袋のようなものも展示販売されており雅な気分になりました。
お香と言うと仏事のお線香や焼香を思い浮かべますが、お店の方に伺った話では、リラックスするために香りを楽しまれる方が多くなっているとのことです。昔は銀座の夜の世界で働く女性のお客様がかなり多かったが、最近ではOLさんが趣味で買われるケースが多いようです。また、お店によっては男性客にも人気があるようです。自宅で香を聞いてリラックスされたり、名刺入れにお香を忍ばせ名刺に移り香をつけてお洒落に楽しまれているようです。また場所柄、外国人のお客様も増えているとのことです。
どのお店も創業以来数百年間の歴史のある老舗ですが、現代にその歴史を伝える様々な取り組みをされています。見て、香りを聞くのは心和むひと時だと感じました。私もあるお店で「香りでつなぐ支援の輪」と称して会津木綿の香り袋を売っていたので土産に求めて楽しんでいます。皆さんも一度、お香屋さんに足を踏み入れると自分に合った香りが見つけられると思います。