[与太朗]
2012年10月31日 12:00
今年の夏を彩ったロンドン五輪。閉幕後の英国代表選手のパレードには、大成功に沸く100万人の市民が沿道を埋めたそうです。日本メダリストの銀座パレードは50万人でしたから、さすがご当地ですね。このロンドンに留学した日本人といえば真っ先に名が挙げられるのが夏目漱石(1867-1916)。今回はこの文豪と中央区のかかわりを訪ねてみました。
漱石は生れも住まいも中央区(日本橋区+京橋区)と縁はありませんが、記念碑の類いが区内三か所にあります。いずれも生誕の地早稲田に近い早稲田大学の関係者が建てたもので、漱石作品ゆかりの場所にあります。
①「漱石『猫』上演の地真砂座跡」碑
(平成15年 日本橋中洲5-1)
明治38年1月から39年8月まで10回にわたり「ホトトギス」誌に掲載された『吾輩は猫である』は大人気となり、伊井蓉峰一派により明治39年11月3日から30日まで、真砂座で上演されました。(漱石はこの舞台を見ていないようですが。)
②「漱石名作の舞台」碑
(平成17年 日本橋1-4コレド日本橋アネックス広場)
このあたり狭い横丁に震災前、木原店という寄席があり、『三四郎』『こころ』に登場します。漱石自身も落語好きで、若いころしばしば訪れたところ。
③「漱石の越後屋」碑
(平成18年 日本橋室町1-4-1三越本店屋上)
越後屋呉服店(三越)は『道草』『趣味の遺伝』などに登場します。また「虞美人草浴衣地」を売り出し大評判となります。
江戸生れ・東京人の漱石。都心の日本橋・銀座には大いに関心があったはずで、その作品には、竹葉亭、天賞堂、資生堂、明治屋、丸善等々、今に続く名店・老舗が多く登場します。ご本人も何度も足を運んだことでしょう。
漱石の日記を見ると、一時連日のように銀座を散歩した記述があります。明治43年、いわゆる「修善寺の大患」の直前6月18日から7月31日まで日比谷公園近くの長與胃腸病院(長與善郎の兄が院長)に入院しますが、退院前の一週間は毎夜のごとく銀座を歩いたようです。7月28日には天賞堂の屋根に上り、脚下を見て身のすくむような気がした、とあります。(この入院中の日記には・・・・・胃潰瘍治療のため熱した蒟蒻で腹部を温めるという珍妙なる療法を二週間続け、皮膚が火ぶくれになってしまいますが、蒟蒻代に一週間15丁で25銭支払ったとあります。また、瀧山町(銀座六丁目)にあった朝日新聞社に勤務していた石川啄木が、7月1日と5日の2回、見舞を兼ね社用で訪れた・・・・・などの興味深い記述があります。)
漱石の出世作『吾輩は猫である』の単行本を刊行した大倉書店、服部書店はそれぞれ日本橋区、京橋区内にあり、おそらく何度か行き来したのではないでしょうか。加えて入社した朝日新聞社も瀧山町にあったわけで、漱石と中央区のご縁は案外深いものがあるようです。これからも区内に記念碑ができるかもしれませんね。
[巻渕彰/写楽さい]
2012年10月29日 10:12
スマートフォンやタブレット端末が急速に普及している。こうした中、このほど銀座のまち歩きガイドに専用アプリ(無料)が登場した。テキスト(文字)・画像情報に加え音声で銀座の案内をしてくれるもので、案内ポイントに近づくとそこの解説に切り替わる便利な機能がある(写真はiPad画面から)。スマホを持っての銀ブラには、何か新しい発見もありそうだ。
今回リリースされたアプリはApple iOS用でiPhoneやiPad対応版である。アンドロイド版はすでに公開済みという。銀座通りでは今年9月末から"G Free"という銀座地区無料公衆無線LANのフリーWiFiが提供されているので、これと併用すればネット環境の利便性がさらに高まる。
このアプリは「銀座ガイド」「ココシル銀座」(いずれもユーシーテクノロジ社)の2種。「銀座ガイド」には音声ガイド「銀座ガイド」「同ディスクジョッキー風」などと、ツアーガイド「ギャラリー探訪」「裏道踏破」「史跡めぐり」などのメニューが揃っている。音声ガイドの「銀座ガイド」では銀座の歴史、トピックスなどが20分ほど聞ける。さらに、松屋、三越、和光などの案内ポイントに近づくと自動的に切り替わり、施設の解説をしてくれるすぐれもの。iPadでは写真や古地図の表示もある。
「ココシル銀座」はマップ検索、QRコードの読み取り、イベント紹介のほか、「銀座今ZINE」というWebマガジンや街角のホットな話題を発信する「口コミ」コーナーもある。
これまで「東京ユビキタス計画・銀座」では、専用端末を使った銀座ガイドの実証実験がされてきたが、今回はスマートフォンでそれができるようになった。一方で、どの程度利用者に浸透するのか興味あるところである。提供されている銀座ガイドの解説には、ボランティアガイドの中央区文化財サポーターが協力している。●巻渕彰
[阿舒庵亭主]
2012年10月24日 08:30
銀座を歩くとビルの一階だけでなく、ビルの上層階にも沢山の画廊があります。しかし何となく入りづらい印象を持っていました。今回、中央区観光協会特派員の仕事の一つである「まち歩きツアー」の引率を依頼されて、たまたま銀座の画廊に足を踏み入れました。
約10人のツアー参加者の皆さんと最初に行ったのはビルの七階にある「東京画廊」さん。ここでは「初沢亜利写真展」が行われていました。「Modernism 2011-2012 東北-東京-北朝鮮」とのテーマでの写真が沢山展示されていました。写真は大人が立ってみる視線の位置と床に壁に沿ってと二段に展示されていました。「作品は自由に位置を変えて見てくださっても構いません。」との説明があり意外な印象を受けました。東京画廊さんは現代美術を中心に扱われており、「美術品は見る人の感性」で理解するという考えがあるように思われました。この機会に画廊のビジネスモデルについても伺うことができ大変参考になりました。
次に訪問したのは「小林画廊」さん。銀座らしい立派なビルの一階にあるコンパクトな画廊でした。今回は日本画家の福井爽人さんの作品が展示されていました。日本画とは言うものの扱われる風景は必ずしも日本のものでなくヨーロッパをテーマにした幻想的な絵画でした。日本画のイメージが変わったような気がしました。また絵画にはつきものの額縁についての話もしていただき画商の仕事の一端を理解することができました。参加者には福井爽人さんの随想録「紫の雨」を頂き、これを読むことにより見せて頂いた絵画をもう一度別の角度から味わうことが出来ました。
最後に訪れたのは「ギャルリーためなが」さん。東京、大阪、パリに画廊を経営しており、子供のころの美術の教科書に出てくるような欧米の画家の作品も扱う画廊でした。今回の画廊めぐりでは一番広いスペースで、三つの部屋には別々のテーマの作品群が展示されていました。ここが私にとっては一番敷居の高そうな画廊でしたが入ってみれば安心して作品を鑑賞することが出来ました。
今回の画廊めぐりで分かったことは、外から見ているほど画廊は入りにくいところではない。気に入った画廊には立ち寄って作品を見せてもらえばいい。何か聞きたいことがあれば係りの方に聞けば色々と教えていただける。画廊側の皆さんはたとえ冷やかしでもお客様に入っていただくことからビジネスチャンスが始まるので、今まで気おくれして入らなかった画廊にも気軽に入ってみることは歓迎されると思いました。なんか人生の幅が広がったような気分です。
[下町トム]
2012年10月17日 08:45
中央区の魅力をいろんな角度から探っていますが、今回は神社仏閣に注目し、その界隈の話題を中心にご紹介するシリーズを始めることにしました。
あわせて、「文化の秋」ですから、素人がその気になって〝吟行気分〟で訪ねたいと思います。あくまでも〝気分〟ですので、不出来な点は何卒ご容赦下さい。
さて、第1番は『寶田恵比壽神社』(以下、「宝田恵比寿」と表記します)を選びました。
今度の週末(10月19・20日)はこの神社の祭礼である〝ゑびす講〟が催されますが、どちらかというと同時に参道で開催される〝べったら市〟のほうがよく知られているかもしれません。
〝べったら市〟で売られる名物の〝べったら漬け〟は大根の麹漬ですが、ほんのり甘くて季節感を感じる食べ物です。中央区観光協会の推奨名産品にも指定されています。
そもそも、宝田恵比寿神社は江戸城の拡張に際して、旧・宝田村から移住してきた住民たちが自らの鎮守様を祭ったのが始まりです。もとの宝田村は今の千代田区役所付近に在ったそうです。このときに、家康公の三河以来の家来であった馬込勘解由という武士が徳川家由来の恵比寿様を神社に安置したということです。
馬込勘解由はこの一帯の土地を支配しただけではなく、三伝馬取締役という役職を務めました。大伝馬町という地名はこの役職に由来しています。伝馬とは当時の交通・文書を司る役所であり、江戸だけではなく各地の要所に置かれたものです。神社の近くにその由緒を記述した説明版が設置されています。
この日は祭礼を控えて準備が進んでいるところでした。今から祭礼当日の賑わいが目に浮かびます。お参りを済ませて、名物のべったら漬けをお土産に帰る人が参道にあふれることでしょう。
ぼくの場合は、参詣の後に人形町もしくは室町あたりへ歩いて旨いものを食べたり、ちょっと一杯ひっかけるのが楽しみとなっています。それじゃ、どっちが目的か分からないですね。
何年か前の夕景の様子を載せておきます。 秋の爽やかな風と夕方の淡い色彩の中で気分もリラックスし、まっすぐはなかなか帰れないものです。でも、中央区はどこにも魅力ある町があるので、寄り道してしまうのはしかたないですね。
〝ゑびす様〟は商売繁盛、家族繁栄、日伏せにご利益があると言われています。七福神のなかで唯一日本古来の神様です。(その他はインド・中国からの渡来)原初は海の神様であり、海の向こうからやってくるものへの畏怖や敬意から神格化したのではないかという説もあるようです。
上方では正月の〝えべっさん〟が有名ですが、東京では秋の〝ゑびす講〟が最も賑やかです。もちろん12月の〝しまいゑびす〟や正月の〝初ゑびす〟も大切な縁日ですよ。
帰りの楽しみも含めて、皆さんも是非お出かけ下さい。
では、一句。
『宵酒や べったら市の 波の果て』
続きを読む: 区内寺社巡礼~第1番『寶田恵比壽神社』
[巻渕彰/写楽さい]
2012年10月15日 08:40
中央区立郷土天文館(タイムドーム明石)で第14回特別展「ふたつの銀座復興-文明開化とモダン文化-」が開かれている。明治5年(1872)の銀座大火と大正12年(1923)の関東大震災の災禍を乗り越えて、復興を果たした銀座を文明開化とモダン文化の視点から切り込んだ特別展で、今日の銀座発展の礎となった原点が浮かび上がってくる。
会期は11/25まで、月曜休館、特別展は入場無料(常設展は入館料100円が必要)。
140年前の銀座、明治5年(1872)の大火は築地まで延焼し、家屋4879戸を焼き尽くした。その復興事業で建設されたのが銀座煉瓦街であった。不燃化された銀座には新聞社などが進出し、情報発信の地となった。当時の貴重な新聞各紙が展示されている。文明開化の波は近代的な銀座を形成していった。大正期の商店ショーウインドー記録写真は斬新な意匠が興味深い。
明治後期に誕生したカフェーには文士や画家たちが集い、西洋風の雰囲気で銀座の新しい文化を醸し出したという。大正10年(1921)には後藤新平東京市長らが出席して、銀座大火からの復興50年祭を祝った。
それから2年後、大正12年(1923)9月に突然襲った関東大震災は未曽有の被害をもたらした。当時の被災写真は惨状を生々しく伝えている。復興に立ち上がった銀座にはバラック建築などが建てられ、復興へまい進していった。そして被災から6年6カ月後の昭和5年(1930)3月に帝都復興祭が挙行された。そのころはデパートの進出、商店のビル化などが進み、今日でもそれらビルの一部が現存している。
震災後はモダン銀座としてモボ・モガの風俗が流行った。カフェー文化、マネキンガールなどが進展し、文学や雑誌・出版さらに流行歌まで銀座文化が広まっていったことが、多くの展示物からうかがえる。
この「ふたつの銀座復興」と、その後の太平洋戦争でも甚大な戦禍を被った銀座が、今日の発展につながっているのは、幾多の困難を克服してきた「銀座力」といえよう。そんなことを考えさせられる特別展である。●巻渕彰
◇関連した講演会も開催される。詳しくは、郷土天文館HP >>こちら