[たろう]
2013年4月27日 09:00
AIACは、国際大学連携による建築デザイン演習の共同授業プログラムです。
今年のテーマは「日本橋室町にサスティナブルな暮らしと建築の創造」で、9月パリ・ユネスコ本部で発表に向けて、イタリア・フランス・中国・韓国・日本の5カ国8大学が参加しています。
4月11日から14日の4日間、対象地となった日本橋室町一丁目において国内外の学生約100名がワークショップを行いました。
来日前に進めていた基礎調査に加え、現地調査や室町の地元の人へのヒアリングなどの作業を進め、4月15日にワークショップの成果発表を兼ねたシンポジウムが、地元の皆さんも参加する中、日本橋三井ホールで開催されました。
今年のホスト校である慶応大学をはじめ4大学の教授による講演に先立ち、学生による各大学の成果発表が行われ、会場では活発な議論が見られました。
各大学とも事前の研究で、日本橋の歴史性などについてきちんと理解を深めて来た上で、実際に現地を視察し、橋や川、高速道路の在り方を含め日本人とは違った?見方も示されたのが印象的でした。
今後、学生は各大学に戻って、検討・設計作業を進めて9月にパリで発表を行い、優秀作品が表彰されます。来年1月には慶応大学で作品の展示会が予定されており、世界で建築を学ぶ学生が描く、新しい日本橋室町の姿が披露されることでしょう。
[巻渕彰/写楽さい]
2013年4月25日 11:00
春の中央区歴史散歩2013「江戸文化の粋と華~江戸歌舞伎の源流を歩く~」は、中央区内の歌舞伎ゆかりの地を見聞する特別企画として、『区のおしらせ中央』で募集したもの。江戸歌舞伎をテーマに、第1回目は4月14日(日)銀座・旧木挽町コース、第2回目は20日(土)人形町・芝居町跡コースで実施された。主催は中央区まち歩きボランティアガイドの中央区文化財サポーター協会。
第1回の銀座・旧木挽町コースは、「江戸歌舞伎発祥の地」碑(写真上・撮影岸本裕子)がある京橋跡北詰で、猿若(のち中村)勘三郎が櫓を上げた江戸初期に思いをはせる。維新後の明治初期にいち早く再興を果たした守田座(のち新富座)が興行した「新富座跡」(現京橋税務署)前では、近代東京の草創期に江戸歌舞伎を伝承する意気込みが伝わる。
銀座六丁目、昭和通り西側は、江戸初期から木挽町3座の芝居小屋があったところだ。山村座、河原崎座、森田座で賑わったが、森田座(のち守田座)だけが残った。ちょうど「森田座跡」説明板が新設されたので、『江戸名所図会』に描かれた情景を振り返る。最後は御存知5代目「歌舞伎座」。すでに中に入られた参加者もいて、人気の高さが表れていた。
第2回は人形町・芝居町跡コース。開場140年を迎えた「明治座」は幅広い演劇上演などで盛況を物語る。浜町緑道(浜町川跡)の「弁慶像」は歌舞伎十八番「勧進帳」の演技を彷彿とさせる。明治座旧地は喜昇座からはじまる創業の地で、変遷を振り返る。
元吉原跡地の「末広神社」(写真下)から大門通りを経て、「玄冶店跡」へ。ここも歌舞伎の舞台になったところだ。楽屋新道跡からいよいよ「堺町・葺屋町芝居町跡」を歩く。中村座、市村座が肩を並べた江戸随一の歓楽街。木挽町芝居町とともに2世紀にわたり江戸歌舞伎の神髄が形成された場所である。「親父橋・思案橋跡」は江戸期、遊興場所方面への入口あたりで、江戸っ子はわくわくしながら渡ったのであろうか。
この2つのコースを歩くと、現在の中央区が江戸時代の商業・流通・経済・交通などの中心地であったとともに、歌舞伎など江戸文化の発信地であったことが再発見できる。@巻渕彰
[巻渕彰/写楽さい]
2013年4月16日 14:00
江戸歌舞伎の発祥地であり、隆盛を極めた中央区には、歌舞伎ゆかりの史跡が残る。そのひとつが木挽町芝居町跡で、江戸期、山村座や河原崎座そして森田座が櫓を上げていた場所である。新装なって話題の歌舞伎座も旧木挽町であるが、そこからやや離れたところに江戸三座のうち森田座が芝居人気を集めていた。
現在地は銀座六丁目の昭和通り西側付近(写真上)で、このほど説明板(写真中央)が設置された。あらためて今日まで継承されている歌舞伎の歴史を再認識する機会となっている。
江戸歌舞伎の発祥は寛永元年(1624)、中橋南地での「猿若座」(のちの「中村座」)がはじめとされ、その後、堺町に移転する。つづいて「市村座」が葺屋町で櫓を上げた。両町は二丁町芝居町(現・人形町)と呼ばれた。
一方、江戸期の木挽町五丁目に明暦の大火後の万治3年(1660)、森田勘弥を座元に芝居小屋「森田座」が櫓を上げた。この3つが江戸三座で、官許の芝居小屋であった。
森田座の南隣、当時の木挽町六丁目には寛永19年(1642)開場とされる「山村座」芝居小屋がすでにあった。一時はこの座を含めて江戸四座と呼ばれた。このつぎに「河原崎座」も建つが、やがて廃座になる。山村座は例の「江島生島事件」で正徳4年(1714)廃座となった。
木挽町と堺町・葺屋町の江戸三座は、天保の改革で猿若町に移転させられるまでの約200年ほど、江戸市中の歌舞伎人気で栄えた。現在の中央区が江戸期から歌舞伎興行の中心地であったといえる。
その後の森田座は幕末期に守田座と改称し、明治5年(1872)に新富町で再興した。のち「新富座」(写真下)と座名を変える。明治22年(1889)開業の歌舞伎座とともに、両座は目と鼻の先で歌舞伎興行を競った。新富座は関東大震災で被災・廃座になる。現在地は京橋税務署の場所である。@巻渕彰
[巻渕彰/写楽さい]
2013年4月11日 09:00
今は埋め立てられた京橋川に沿った北側の道路に、このほど「京橋竹河岸通り」(写真上)と「京橋大根河岸通り」(写真下)の中央区道路愛称が付けられた。場所は京橋三丁目の中央通りを挟んで、警察博物館から昭和通りまでの東側が「竹河岸通り」、反対の西側は外堀通りまでが「大根河岸通り」だ。名前のとおり、それぞれ河岸地であった。
江戸期、河岸地は物資の荷揚場であり、保管・貯蔵所の役割を果たした。幕府直轄地で、町人は上納金を払ってそこを利用していたようだ。日本橋の魚河岸をはじめ塩河岸・西河岸・行徳河岸など区内には数多くの河岸地が史跡として残っている。現在の中央区が舟運の中心地であり、集積地であったことがわかる。
京橋川は昭和30年後半から埋め立てられ、首都高速会社線となっている。その北東側が「竹河岸」で、広重「名所江戸百景」の「京橋竹がし」が知られている。江戸近郊から竹材が運ばれたことによる。明治期なっても竹問屋があったことがスケッチされている。現在はその面影はまったくないが、「竹河岸ビル」という建物は往時を語ろうとしているかのようだ。
京橋川の北西側が「大根河岸」で、現在は「江戸歌舞伎発祥の地」碑や「京橋大根河岸青物市場跡」碑が建っているので分かりやすい。江戸初期、この辺りで野菜などの立ち売りがはじまり、やがて大根河岸と呼ばれるようになり、市場化していったという。関東大震災後の昭和10年(1935)に築地市場へ移転した。@巻渕彰
[下町トム]
2013年4月 9日 17:00
4月8日は「花祭り」です。お釈迦様の誕生日をお祝いする日です。仏教徒にとっての重要な記念日であるというだけではなく、昔から春の民間行事として親しまれてきました。
そもそも「花祭り」というのは俗称であって、正式には「潅仏会」(かんぶつえ)とか「降誕会」(こうたんえ)とか称するものです。詳しくは知らないのですが、この4月8日という日付にも諸説があるようです。ただ、中華圏ではこの日が古来より仏陀の降誕の日と定められており、日本にも仏教伝来とともに広がったようです。
もともとは旧暦での行事ですから、もっと夏に近い時季のはずですが、日本では新暦移行とともにそのまま4月8日が踏襲されました。ちょうど桜の季節と重なることから「花祭り」と呼ばれるようになったようです。
〔築地本願寺〕では毎年4月8日に近い日曜日に、盛大にフェスティバルとして開催されています。今年は7日(日)の予定でしたが、あいにくの雨と強風に備えて早々に中止が決まりました。本来なら稚児行列やミニ動物園なども実施されていたところで、楽しみにしていた皆さんにとっては残念でした。また来年を楽しみにしましょう。
浄土真宗系の寺院では、昨年から今年にかけて「親鸞聖人750回遠忌法要」が営まれています。〔築地本願寺〕でも4月27日~30日に催されます。また、これにあわせて、4月27日~5月3日には「築地春まつり」として場外市場での特売の企画などが予定されています。大型連休の時期でもありますので、是非一度築地に足をお運び下さい。http://www.tokyochuo.net/news/latest/images/130318/pdf01.pdf
春盛んな築地の町の賑わいを感じながらのご報告でした。
[橘]
2013年4月 8日 16:27
釈迦の生誕祝いである花まつりは4月8日に行われますが、今年の人形町大観音寺の花まつりは4月6日に行われました。
本堂でお参りする前に、小さなお釈迦様の像に甘茶をかけます。
今日はご本尊の開扉日なので、いつもは閉じられている鉄造聖観世音菩薩のお首像の扉が開かれています。
尚、毎月の開扉日は17日だけだったのが、2011年3月11日の東日本大震災の揺れで、高さ170㎝、幅54㎝もある鉄製の仏頭が右に25度向きを変えたそうです。関口住職は仏頭の向きを元に戻さずに毎月11日を「東北を思う日」として、開扉日に加えたそうです。
お参りの後、ゼイタク煎餅の小判型煎餅を頂戴し、スピード籤を引いて、当たりが出ると人形町の名店26店から提供された色々な賞品を頂けます。私はラッキーにも、鳥近の玉子焼が当たり美味しく頂きました。
籤がはずれでも階段下のテントで甘茶とお菓子を頂けます。赤い毛氈の敷いてあるベンチで食していると、人形町のキャラクター「人之助」が現れて愛嬌を振りまいていました。
お参りの行列はだんだん長くなり、階段の下まで延びてきました。お参り迄少し時間が掛かるかもしれませんが、仏教の伝統行事である花まつりにお参りされては如何でしょうか。