[遊山ものみ]
2015年5月15日 14:00
今年度初のブログです。物見遊山に色々な場所に出かけてはいたのですが、ブログは長いこと休んでおりました。
再開の記念には、まずめでたいモノからです。
先日築地場外市場に出かけ、晴海通りを歩いていたら、
大きなものを見つけました。東急ステイのホテルの壁の『鯛』です。
活きの程は良いかどうかはちょっとわかりませんが~!!!
築地市場が豊洲に引っ越しをしてしまうけれど、素敵な新しい施設が築地場外市場のエリアに建設中ですね。
新鮮な食材を購入したり、食事もできるとのことです。
また中央区の新名所が増えて、出かけるのが楽しみデス。
もう一つ"めでたい"と言ったら、日本人はやはり霊峰『富士山』でしょうね。
こちらは日本橋船着き場からクルーズ舟に乗った時、教えていただいたのですが、
日本橋川には高速道路の屋根がありまったく見えなかったので、日本橋川を川沿いに歩いてみました。
本当は橋の形を見るのが目的だったのですが~。
見つけました!
ちょっと遠いですが、確かに見えました。
「山は富士、酒は白雪」の小西酒造の窓が全くないビルの壁です。
川沿いには江戸への「下りもの」ノ上等な日本酒の歴史が、今も息づいています。
[CAM]
2015年5月14日 09:00
昔の日本映画を見る楽しみとしては、内容そのものだけではなく、その中で映し出されている昔日の光景、当時の生活、会話等を再体験できることがあるでしょう。女性、特に水商売で自律的に生きる女性を好んで描いた成瀬己喜男監督の作品には、中央区の情景が登場するものが多い。
戦前のサイレント作品に「夜ごとの夢」(昭和8年公開)という、酒場で働く女性が主人公となったものがあります。佃島で撮影されたということで、当時の佃島情景が見られます。
さらに銀座のバーで働く女性を描いた作品に「銀座化粧」(昭和26年公開)があります。田中絹代演じる主人公は、まだ築地川が流れる水の町であった新富町の、昔ながらの町並みの中の路地にあるしもたやの二階に間借りしているという設定です。劇場プログラムのなかで成瀬監督は「新富町は都会にもこんな所があったかと一寸首を傾けてみたくなる様な、なつかしい江戸の情緒をしみじみと残している町です」と書いています。昭和26年には日本はまだ占領下でした。田中絹代が三十間堀川近くを歩く場面がありますが、川は空襲の時に出た瓦礫で埋め立てられつつあります。道端にはまだ瓦礫が少し残っています。そして、この映画の中の田中絹代は、終始着物姿です。
「女が階段を上る時」(昭和35年公開)の時代設定は昭和30年代中期ですから、我が国が戦後復興から高度成長の時代へと変貌し始めたころです。その頃、「バー」が全盛期を迎えようとしていました。題名にある高峰秀子演じる「女」とは、夫を交通事故で亡くした30歳の未亡人で、銀座のバーで雇われマダムをしていますが、実家が佃島という設定です。体調を崩した「女」が実家で静養するという場面で、佃の家並み、佃の渡し舟風景、住吉神社の鳥居が登場します。成瀬監督は、十代の頃、築地にあった工手学校に通っていたことから、築地川界隈には格別の思い入れがあるそうですが、本作にも築地川が出てきます。
築地川が登場する作品としては、やはり昭和35年公開の『秋たちぬ』があります。二人の子供が主人公ですが、その母親が勤める旅館が築地川沿いにあります。その二人が、銀座のデパートへ行ったり、勝鬨橋を通って晴海ふ頭まで遊びに行くシーンもあります。
(これらの作品は、Youチューブで見ることができます。)
高度成長からバブル経済期を経て、今はほほ完全に消えてしまった古き良き情景や社会が、昭和30年代まではまだ残っていました。成瀬監督作品を見ると、そのことをしみじみと感じとることができます。
[ジミニー☆クリケット]
2015年5月13日 09:00
明治の文豪、夏目漱石の作品には、日本橋がしばしば登場します。そのため、特に関係の深い場所には、石碑が建てられています(下の地図上の赤〇地点)
日本橋室町1丁目の日本橋三越本店の屋上()に、「漱石の越後屋」の碑(A)があります
「三四郎」始め漱石の作品には、よく「越後屋(三越)呉服店」が登場することを記念したものです
日本橋1丁目6(コレド日本橋アネックス広場の南東)には、「漱石名作の舞台」の碑(B)があります
「三四郎」や「こころ」に出てくる寄席「木原亭」(木原店(きはらだな))がありました
日本橋中州5(清洲橋西詰近くのマンション脇)には、「漱石『猫』上演の地 眞砂座跡」の碑(C)があります
漱石の作品で初めて舞台化された「吾輩は猫である」が、眞砂座で上演されたことによります
このほか、碑はありませんが、「吾輩は猫である」等に、白木屋がでてきますし、同じく「吾輩は猫である」には丸善も出てきます
白木屋は、現在、コレド日本橋(日本橋1-4-1)ですし、丸善は、日本橋2-3-10です
[下町トム]
2015年5月11日 14:00
東京は河川の多い町です。その中でも中央区は江戸時代から水運で支えた地域なので、戦後埋め立てられて減ったというものの、河川や運河が今でもいくつも残っています。
隅田川には上り下りのクルーズが何種類か運航されており、多くの観光客で賑わっています。中央区のなじみ深いところでは、〔浜離宮庭園〕や〔明石町〕に乗り場があり、浅草やお台場方面への船が発着しています。陸上とは異なる視点で町を眺めるという観光もまた面白いものです。
春の桜、秋の雲などももちろん素敵ですが、新緑から万緑への移ろいのこの季節もまた、岸の緑を遠間に眺めて舟に揺られるのもなかなかいいですよ。
東京都公園協会が運営する「水上バス」の中で、おすすめは「川めぐり橋めぐり」です。小ぶりの愛らしい遊覧船「カワセミ」に乗って、日本橋のたもとから発着し、市中の河川や名橋を観て周るとても楽しいクルーズです。「日本橋川・神田川めぐり」は特に江戸の古い町なかを巡り、船上からその歴史や文化を確かめることのできる興味深いコースです。
この水路が江戸の町の発展を支えてきたと思うとその重要性を改めて感じることができます。
柳橋の風情を味わったり、美しいフォルムを見せる清洲橋や永代橋に見ほれたり、見どころたくさんです。神田川の方も聖橋まで遡っていきますから、ちょっとした冒険気分も味わえます。
舟から上がったら、日本橋界隈を散策しグルメやショッピングでもう一つの楽しみを味わってから帰途につくのもいいでしょう。
運航スケジュールが不定期なので事前に良く確かめてお出かけください。爽やかなこの季節に川風に吹かれて江戸の香りを楽しんでみてはいかがでしょうか。
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2015年5月 9日 18:42
2年に1度開催の恒例の神田祭。今回は、2016年に神田神社遷座400年を迎える「ご遷座400年奉祝大祭」として一段と盛り上がりを見せています。(5月7日~15日)
神田祭も元々は氏子町の勇壮な山車や、当時流行していた文化芸能(能・浄瑠璃歌舞伎・舞踊・音曲・草双紙・伝説など)を多様に取り入れた踊り屋台や曳き物、仮装行列などからなる「附け祭」が中心をなしていたようです。
明治に入ると、路面電車の開業・電信柱の敷設等で山車の通行に支障をきたし、山車に代わり、神輿渡御を「渡御祭」と称するようになり、戦後「神幸祭」へ名称変更し、江戸時代からの心意気は時代の波を乗り越え、脈々と受け継がれてきたとされます。
平成に入り、歴史の回顧がきっかけとなって、「附け祭」が復活。かつての曳き物の「大鯰と要石」「大江山凱陣」「花咲か爺さん」「浦島太郎」等が復元。5月9日行なわれた今年の「附け祭」は、天下祭の山車の様式が伝わる静岡県・三熊野神社大祭の2町の称里(ねり=山車)、勇壮な「相馬野馬追」の騎馬武者、神田神社のキャラクター「みこしー」、神馬「あかりちゃん」など新たなキャラクターも加わり、目を楽しませてくれました。
15:00 有馬小学校発
16:15 小網町児童公園
16:30 日本橋三越前
17:25 秋葉原電気街
18:15 神田明神着
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2015年5月 8日 14:00
神田祭を告げる幣と幟が、
街を彩っています。
2015年5月9日(土)、10日(日)の
2日間に渡り、神田明神の氏子
各町の「神輿宮入」が行われます。
赤坂の山王祭と交代で2年に1度、
開催される神田祭は、かつては
将軍台覧があったことから
天下祭とも呼びならわされ、
親しまれています。
今年は神田台の旧社地から
現在地に遷座して
400年にあたることも加わり、
大きな盛り上がりが
期待されます。
私は前回(2013年)、
「附け祭」(流行風物の曵き物、仮装行列)を
三越本店前で見ていました。
相馬野馬追の騎馬武者を見て驚きましたが、今年も十騎
参加されるようです。
中洲町会は準備万端!大型連休の締めくくりを、
ぜひ神田祭でお楽しみください。
神田祭特設サイト↓
http://www.kandamyoujin.or.jp/kandamatsuri/