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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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じゃぶじゃぶ池の季節、始まります!

[えだまめ] 2018年7月13日 09:00

子連れ特派員のえだまめです

去年もこの時期にこんな記事を書いた気もしますが・・・

/archive/2017/07/post-4470.html

今年も7月6日(金)から、中央区各所にある「じゃぶじゃぶ池」がスタートしました!
 

しつこいかもしれませんが、もう一度解説しますと

「じゃぶじゃぶ池」は「未就学児向けの水遊びの場」。

詳しくは区のHPを・・・ですが

http://www.city.chuo.lg.jp/sisetugaido/koento/zyabuzyabuike.html

おむつが取れていない子(うちの3歳児・娘あずきも含む)も

「ほっとプラザはるみ」以外では「水遊び用おむつ」の着用をすれば入れます。

利用料もありませんし、夏の暑い日の遊び場としてはとても大切な場所なのです。
 

初日の金曜日はあいにくの天気でしたので行きませんでしたが、

週明けの月曜日、あずきを連れて行ってまいりました!
 

水着(去年着てたもの)と水遊び用おむつ(去年の残り)と

タオルおもちゃ(名前は必ず書いておきましょう)、

帰りに履く普通のおむつ、帽子、水筒をカバンに詰めて。

娘あずきは着替えやすいようにサラッと着られるワンピース

母えだまめ膝丈までのスカートで。

(親は規則で水着にはなれませんが、一緒に水にはいる必要があるのです。

 水深は膝くらいなので、濡れないようにまくり上げるか

 そもそも濡れない丈のものを着ることになります。)

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やってきました!久松児童公園のじゃぶじゃぶ池です!!

「晴れ 一時雨」という変なお天気だったせいか、人は少なめ。

それでもやっぱり暑いので・・・

「水に足がつかってるだけでも気持ちいい!」というのが母たちの率直な感想でした。

 
個人的には・・・去年着ていた水着でも大丈夫だろうと思って持っていったら

思いのほか小さくなってしまっていて

やっぱり新しいのを買わなくちゃいけないかしら?と思いなおしたり、

2年前はじゃぶじゃぶ池におしりをぺたんと座ったら

完全に溺れるくらいの小ささだったのが

今は全然心配ないサイズになっている・・・ということに

しみじみと成長を感じたりしたのでした。
 

今年はどれくらい遊べるでしょう?

母子ともに楽しみたいと思います

 

 
中央区内のじゃぶじゃぶ池の一覧(住所横のかっこ内は週一回の清掃予定日)

7月6日(金)から9月9日(日)まで

利用時間は午前10時~午後4時となっています(12~13時は利用不可)

鉄砲洲児童公園内 湊一丁目5番1号 (木曜日の午後)
越前堀児童公園内 新川一丁目12番1号 (水曜日の午前)
久松児童公園内 日本橋富沢町16番6号 (金曜日の午後)
月島第二児童公園内 勝どき一丁目9番8号 (火曜日の午後)
ほっとプラザはるみ屋上 晴海五丁目2番3号 (毎日(利用時間外))

 

 

木陰の多い公園〔桜川公園〕

[ジミニー☆クリケット] 2018年7月 6日 12:00

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入船1丁目、新大橋通りに面した区立桜川公園です

下の地図、赤枠のところです

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JR京葉線東京メトロ日比谷線が交差する八丁堀駅を降りてすぐのところにあります

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ここは、江戸時代八丁堀があったところで、明治期には桜川と呼ばれ、昭和40年代に埋め立てられて現在の公園になりました

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桜の木ソメイヨシノ)が植えられ、木陰が多くて、まさにオフィス街にある都会のオアシスです

ここのところ、特に暑い昼休みなどには、この公園木陰で、たくさんののサラリーマン通行人が休んでいます

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公園に隣接して「入一観音菩薩」が祀られています

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同じ敷地内に、歯痛に効くとされる、むしば祈祷石もあります

公園内には、「八丁堀桜川」の説明板もありますよ

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茅場町夏祭り!山王祭『神幸祭御旅所祭』

[達磨] 2018年6月15日 12:00

『山王祭』...京都の祇園祭、大阪の天神祭と並ぶ日本三大祭の一つのです。2018年行事日程は6月7日~17日(山王祭公式サイト参照!)。6月8日、山王祭最大の儀式『神幸祭』が行なわれました。御鳳輦2基、宮神輿1基、王朝装束をまとった神職、巫女、氏子、猿田彦、馬車、御幣、笠鉾、獅子、幟、高張り提灯...らが300mの大行列で氏子区域を巡幸。王朝絵巻の再現です。7;30本社―12:00皇居坂下門(参賀)―13:20『日枝神社日本橋摂社』御着輦です...本殿前には3基の御鳳輦と宮神輿が並び、神職氏子ら、報道、見学者で立錐の地もない境内となりました。摂社の裏手歩道際では巡幸馬が休憩中...此処から京橋―銀座―新橋―首相官邸前―16:45日枝神社御還御の巡路となります。

茅場町2神幸-240.jpg神幸祭茅場町1-240.jpg

摂社1-240紫陽花3.jpg摂社内5-240.jpg

摂社神輿4-240.jpg馬休養6-240.jpg

 

 

日本橋高島屋〜山王祭り下町連合半纏〜

[東京ダンボ] 2018年6月 5日 18:00

日本橋高島屋1階のロビーで山王祭「下町連合渡御」に参加する町会や団体の半纏が展示されています。

 

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下町連合渡御は6月10日(日)の9時〜14時頃にかけて、茅場町の日枝神社摂社を6基の神輿からスタートし、八丁堀で4基が合流後、京橋で山車や神輿17基が勢揃いし中央通りを日本橋まで向かい、高島屋GAOLするというまさに山王祭のクライマックスです。

 

街中でも提灯の準備が進んだりして、祭気分が高まってきましたね。

2年に一度の本祭りを楽しみましょう!!!

 

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楓川跡を歩く(2)

[ジミニー☆クリケット] 2018年6月 4日 14:00

楓川跡を歩く)」の続きです

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楓川は、昭和30年代まで中央区に存在し、日本橋川兜町付近から南へ分流して、京橋川八丁堀桜川合流地点に至る河川でしたが、埋め立てられて、現在は首都高速道路都心環状線がその跡を通っています

上の地図黄色の部分です

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)は久安橋です

この橋は、八重洲通りが「首都高速」(旧・楓川)を渡る橋です

現在の橋は、関東大震災復興事業により、八重洲通りの造成と共に架け替えられたもので、重量感のあるアーチ橋です

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久安橋は、江戸時代に桑名藩松平越中守の上屋敷前に架けられ「越中橋」と呼ばれていましたが、明治元年に江戸幕府の名残りである「越中」の名が取られ「久安橋」と改称されたそうです

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宝橋)です

宝橋は、京橋八丁堀を結ぶ一方通行の狭い通りが、 「首都高速」(旧・楓川)を渡る橋です

下の写真は、宝橋上から南側の高速道路を見たところです

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宝橋の名称は、当時の楓川西側一帯の「京橋区 宝町」という町名からきているそうです

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)は水色の鳥居の天祖神社宝橋のすぐ近く、ビルの脇の細い参道を進んだ先に本殿があります

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小さな神社ですが、歴史があり、江戸時代前期の寛永元年に、伊勢長官出口市之正伊勢神宮皇大神宮別宮である伊雑宮を江戸日本橋通3丁目に奉斎したことに始まるそうです

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寛永10年には、八丁堀松屋町替地300坪および門前地をもって幕府の命により遷座したそうです

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松幡橋)です

東側の松屋町、西側の因幡町から各町名の一字ずつを取って、名付けられたそうです

江戸時代には松屋橋とも呼ばれました

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楓川の一番南端に架かる橋が弾正橋鍛冶橋通りにある橋です

こちらも、現在の橋は、関東大震災後の帝都復興事業によって架け替えられました

江戸初期には、東側に島田弾正忠利の屋敷があり京橋川白魚橋三十間堀川真福寺橋と併せて「三ツ橋」と呼ばれたそうです

明治11年には、日本初)の純国産鉄橋が架けられています

この鉄橋は昭和4年に江東区内に移設され、八幡橋と改称されています

下の写真は、弾正橋から南側の高速道路を眺めたところです

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今回、楓川沿いを歩いてみて1キロちょっとの距離でしたが、「川と掘割」によって積み重ねられた歴史の重みを感じることができました

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楓川跡を歩く

 

 

楓川跡を歩く(1)

[ジミニー☆クリケット] 2018年6月 2日 09:00

先日(5月27日)、このブログでご紹介した「川と掘割"20の跡"を辿る江戸東京歴史散歩」(岡本哲志著、PHP新書)を読んで、かつて存在した楓川に興味を抱き、楓川沿いを歩いてみました

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楓川は、日本橋川兜町付近(現在の江戸橋ジャンクション付近)から南へ分流し京橋川八丁堀桜川合流地点(現在の京橋ジャンクション付近)に至る約1.2キロメートル の河川でしたが、1960年(昭和35年)から1965年(昭和40年)にかけて埋め立てられて、現在は首都高速道路都心環状線がその跡を通っています

下の地図黄色の部分がかつて楓川が流れていたところです

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そのスタート地点()は、かつて兜橋があったところ

下の写真は、兜神社前から兜橋が架かっていたであろう場所の眺めです

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兜神社です

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境内には、前九年の役で、源義家が立ち寄って戦勝を祈願したと伝えられる兜岩があります

これが兜町町名の由来となりました

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)は、海運橋の架かっていたところです

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江戸初期は髙橋、後に海賊橋将監橋と称されたとのこと

明治元年(1868年)、「開運」と掛けて海運橋と改称されました

現在は、2基の親柱のみが残されています

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千代田橋は、永代通り楓川を渡るのに架けられた橋です

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大原稲荷神社は、千代田橋の南側、歩いてすぐのところに、高速道路を背にして祀られています

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新場橋)です

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中之橋楓橋の別称もあったとのことで、延宝2年、西側に日本橋魚河岸に続く第二の魚河岸)として新肴場新肴場河岸)が設置され、新場と略されたそうです

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新場橋の橋上から北側高速道路を眺めると、高架から楓川川底に向かって道路が下って来ているのがよくわかります

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新場橋のすぐそば、さくら通りからちょっと入ったところにある鳥居稲荷神社です

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静かな場所に建っていて、「正一位」の文字が印象的です

楓川跡を歩くに続きます。〕

 

 
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