[サム]
2010年4月 7日 08:30
浜離宮恩賜庭園は、草木や花の宝庫、都会のオアシスであると共に、江戸時代を代表する歴史的遺産の大名庭園。
都立公園では唯一、潮入の池の状態で現存する池泉回遊式庭園で、鴨場の施設が見られるのも都内ではここだけ。
四季の自然に加え、その歴史・文化に触れることが出来ます。
この文化財庭園を保護し次世代に伝えるため、平成16年度から復元・整備事業が進められています。
昨年度は、江戸城などの城の石垣と同じ積み方で造られた内堀の石積の掘割や階段状の船着場などが修復され、往時の姿が再現されています。
園内に5つあった茶屋の1つ「松の茶屋」は現在復元工事中です。
土曜・日曜・祝日の11時と14時にはボランティアによる庭園ガイド(無料)が、また随時ガイド端末(最先端ユビキタスコミュニケ―ター)の無料貸出実施中。
30万本の菜の花が咲き誇る春麗らかな庭園で、江戸時代にトリップされては?
[ww]
2010年4月 7日 08:30
桜が終る頃、兜町の証券街の一角が遅咲きのコブシで白く彩れます。
東京証券取引所近く、明治時代には国内初の銀行が開業されたという由緒ある一角ですが、現在はいたって静かなビジネス街。毎年4月の中旬になると通りに沿った数本のコブシが白い花を付け、一年を通して最も華やかな一時期を迎えます。
4月5日(月)現在、花のある木もあれば、まだまだの木もあり、今年はどうも花付きが良くないように見えます。昨年の夏に枝切りされてしまったせいでしょうか。来年以降に期待すべきかも知れません。 (イラストは現地をベースにしたイメージです。) ww
[サム]
2010年4月 6日 22:23
都会の樹木は、狭い土壌空間・ビルの狭間の日陰・夏場の乾燥・大気汚染・剪定/刈込み等厳しい生育環境に晒されながら、さまざまな機能で我々の街や暮らしを彩っています。
樹種の選定に際しては、街路環境耐性・剪定の手間・病虫害耐性等維持管理の容易さ等の適性に加え、樹形・花/実・若葉/紅葉の見映え、地元の要望・地域特性・景観等を勘案の上、調整されるとのこと。
樹種の人気も時代により変遷が見られるようです.
ここ並木通りでは以前はプラタナスが植えられていたようですが、平成のはじめ、道路が大改修され、舗道の拡幅・カラー舗道化と共に、時代の要請でシナノキ(現地のプレートにはリンデン<西洋シナノキ>とありますが中央区の資料ではシナノキ)へ順次植替えがなされた模様。その若葉が徐々に芽吹きつつあります。
さて上の写真は何れも並木通り。左が1丁目から4丁目、右が5丁目から8丁目の街並みです。
其々雰囲気を異にしますが、今回は5丁目から8丁目側に注目!
そうです。5丁目から8丁目には計4基のミドリのポストが設置されています。
通りの雰囲気に溶け込んでいますね。
こだわりはこれだけではありません。
電話ボックスの屋根もミドリ。
街灯のかさもミドリ。
丁目表示数字もミドリです。
ミドリ一色。
皆さんご存じでした?
[巻渕彰/写楽さい]
2010年4月 6日 15:30
1月からはじまったNHK大河ドラマ「龍馬伝」は、4月から第2部に入った。これに合わせるかのように、3月末に中央区教育委員会作成の説明板が3ヵ所設置された。激動の幕末期に龍馬が暮らした、ゆかりの
中央区の史跡を訪ねてみたら、いかがだろうか。
「土佐藩築地邸跡」説明板(写真上)は
中央区役所正面東側にある。
この一帯は、土佐藩山内家の拝領地で当初は下屋敷、のち中屋敷として藩邸だった。幕末期の藩主は15代山内容堂。大政奉還を推し進め、薩長ととに明治維新を主導した。土佐勤王党の武市半平太はここから桃井春蔵の士学館道場(現新富)に通っていたという。坂本龍馬もこの藩邸で暮らし、京橋桶町(現八重洲)の千葉定吉道場に通ったようだ。
その「千葉定吉道場跡」説明板(写真中)は鍛冶橋通りと柳通りの交差点付近に設置されている。
龍馬は19歳で剣術修行のために、はじめて江戸に出て、千葉道場に入門したという。その道場は、北辰一刀流の創始者・千葉周作の弟・定吉の道場とされ、「小千葉道場」「桶町千葉道場」と呼ばれていた。定吉は当初、新材木町(現日本橋堀留)に道場を持ったようだが、のちの近江屋版切絵図では鍛冶橋狩野屋敷(現八重洲)に千葉定吉の名が記されていることから、この地に説明板を建てたそうだ。
ところで、桶町はここからやや北にあったので、この一帯を通称「京橋桶町」と呼んでいたのか、あるいは鍛冶橋のあと、桶町に移転したとの説もあるので、そこを指したのかは不詳のようだ。
砲術の教えを受けた「佐久間象山塾跡」の説明板(写真下)は昭和通りからみゆき通りを東に入ったところに設置されている。
西洋砲術や蘭学を教えていた佐久間象山の塾には勝海舟や吉田松陰などが門下生として学んだ。龍馬も最初に江戸に来た年に入門したことが記録に残っているという。塾は象山が松陰の密航事件に連座したことで、まもなく閉鎖された。
○NHK教育テレビ 放送日時=4月8日(木)22:00~22:25
「直伝 和の極意」の「古地図で巡る 龍馬の旅」、第2回は「東京・黒船遭遇の街」が予定されている。テキスト発売中。中央区が紹介されるであろうか?
○区報「区のおしらせ」既報の「中央区歴史散歩」で、ボランティアガイドの中央区文化財サポーター協会設立5周年企画として「外堀跡と龍馬の足跡」コースを今月下旬に実施する(申込締切済み)。
[与太朗]
2010年4月 6日 15:30
このたび特派員を仰せ付かりました新参です。以後お見知り置きを。さて、初仕事はどこに行こうかと思案しましたが、「ふりだし」はやはり道の始まり、お江戸日本橋が一番ふさわしかろうと考え、4月4日、「春の名橋『日本橋』まつり」を楽しんできました。花曇りのやや肌寒くも感じる中、交番前の枝垂桜はすでに最後の花びらが風に舞っていましたが、お隣のソメイヨシノもお向かいの紅枝垂れも今真っ盛り、まつり気分を盛り上げていました。
今年のまつりは、物品販売、くじ引き、人力車記念撮影、川浄化のEM団子の投入れなど恒例イベントに加え、往年の名車クラシック・カーのデモンストレーションがあり、大いにまつり客を喜ばせてくれました。
まつりは10時に始まり、オープニングセレモニーが行われる11時からは一般車通行止めの歩行者天国、ふだん近寄れない橋中央の道路元標を間近に見て「ラッキー!」と喜ぶ旅行者。物販では江戸東京野菜や、あじの干物(なんと十尾500円!)などの販売に長蛇の列。クラシックカーは日銀本店前を出て、1時前には橋上に整列、白洲次郎・森繁久彌・高倉健さんら著名人の愛車を含め約20台。黒山の人だかりに、マスコミの腕章をつけたカメラマンが車の撮影に四苦八苦していました。
ところで、来年は明治44年の架橋からいよいよ100年。80周年のときにはずいぶんと名橋にふさわしい景観整備がされましたが、100周年に向けても整備・補修を含め沢山の行事・イベントが企画されているとのこと。大いに期待をしたいと思います。
[ケン]
2010年4月 6日 09:50
4月2日(金)の仕事終わりに、浜離宮のライトアップを見に行ってきました。
4月に入ってもなかなか春爛漫とはいかない、今日この頃...。この日も夜になると
やや肌寒かったです。
受付で300円支払って中へ。いきなり桜があるのかと思いきやそうではありませんでした。
しばらく順路を行くと回遊路に沿って、灯篭が灯っています。
灯篭には梅、藤、牡丹、水仙など四季折々の花々が
巧みな筆致で描いてありました。ほのかな明るさとあいまって、日本的情趣を
感じさせます(と言っても、立ち止まって見ている人は少なかったですが...)
しばらく歩くと、「わあ~」という声が上がり始めます。夜桜のライトアップです。
「お~ これこれ」とか思いながら桜に近づきます。
闇に淡いピンクの色彩が、
くっきりと浮かび上がっていました。背景には汐留界隈のビル群。
桜と高層ビルが画になってしまうところなど、実に東京らしい風景のように思います。
近くには売店があって、おでんや焼きそば、甘酒など買うことができます。見るからに仕事帰りの
サラリーマンのグループが輪を作って、缶ビール片手に談笑していました。近くの勤め先なんでしょう
か。このライト
アップを見に来るのが恒例になっているのかもしれません(ただしいわゆる地面に座って
のお花見はできないようです。入口に注意書きがありました。件のサラリーマンたちは、売店付近
にしつらえてあるテーブルと椅子を囲んで楽しんでいました)。
見たところ桜はまだ100%満開という感じではなかったので、来週いっぱいくらいは、桜を楽しめそう
です。ソメイヨシノのライトアップは5日(月)までですが、16日(金)からはヤエザクラのライトアップが
始まります。その頃はもっと春らしい暖かな夕べに花を愛でることができるでしょう。
最後に浜離宮が"潮入の池"で有名なことを思い出しての一句。
「潮風に さくらゆらゆら 浜離宮」