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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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銀座 新ショコラトリーOPEN その3

[柳 さつき] 2012年3月 4日 08:30

先日よりご紹介いたしております【銀座 新ショコラトリー OPEN】の最終回です。

銀座 8丁目の「BLONDEL ブロンデル」

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1850年、スイスはローザンヌにエイドリアン・ブロンデル氏が創業した、160年続く老舗ショコラトリーです。

以来、変わらぬ製法を守っている現在のショコラティエは、バスチャン・ティボー氏。

アルプスのミルクとクリームをふんだんに使ったバリエーション豊かなショコラが売られています。

 

たくさんの種類が揃う Praline/ プラリネ (1個/¥380)

細長くしたガナッシュを短く切り分け、薄くコーティングした、かつてのトリュフのスタイル Truffes a l'ancienne / トリュフ アンシエンヌ ( 1個/ ¥399)

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各種フレーバーの進化した形のTruffes / トリュフ ( 1個/ ¥380)

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いろいろなクーベルチュールを配合し、ナッツ類やドライフルーツ類をあわせたものなど、豊富な種類が並ぶ板状のショコラ ショコラ マルトー / Chocolat au Marteau (100g / 280)

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その他、お砂糖で煮たオレンジスライスなどにショコラをコーティングした コンフィズリーなどもございます。

ギフト用パッケージもスイスの国旗模様で、キュートですね!

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今年になってOPENした3つのショコラトリー 、どちらも本国から空輸していらっしゃるとのことで、様々の経費がかかることから、少々割高になるようですね・・・。

が、世界で愛されているショコラを、この銀座で味わうことができるのは、とてもとても幸せなことですよネ!

 

「ブロンデル」

http://blondeljapon.co.jp/top.php

 

104-0061

東京都中央区銀座 8-10-1

03-6228-5985

11:00~20:00 (L.O. 19:30)

不定休

 

2F は、5種類のChocolat Chaud /ホット チョコレート ( 100グラム / ¥1680 )が いただけるカフェです。

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中央区鉄道ものがたり <その6> 「海外へのアクセス」

[下町トム] 2012年3月 3日 08:30

中央区にまつわる鉄道のエピソード、第6弾です。

今回は海外へのアクセスルートについてとりあげてみます。airplane 


B787飛行.jpg中央区の海外アクセス拠点としては何と言っても箱崎の〔東京シティエアターミナル〕(愛称T-CAT)が思い浮かびますが、今回のシリーズはあくまで〝鉄道〟が主役ですので、その視点で眺めてみます。 


わが国の航空行政は、国内と海外の分離を目指し、1978(昭和53)年に海外空路の拠点として〔新東京国際空港〕(成田空港)が開港しました。海外へ出かける方、入国される方それぞれに、多くの人々が東京都心と成田との間を移動します。

馬喰町の総武線快速.jpg
区内を走る鉄道のなかでは、JR総武快速線(地下)に〝成田エクスプレス〟や〝エアポート快速〟が走りますし、都営浅草線を〝成田アクセス特急〟が走っています。いずれも、都心から乗換なしで海外の窓口までたどり着ける便利なアクセス路線です。train 


ところで、実はかつて〝成田新幹線〟という計画があったのをご存知でしょうか。


成田空港行き電車_R.JPG成田の開港前の開業を目指して1974(昭和49)年に着工されたものの、沿線住民の反対で頓挫し、着工凍結のあと、国鉄の民営化もあって、とうとう途中で断念された〝まぼろしの高速鉄道〟です。bullettrain

その時に取得された駅用地や線路用地を利用して、東京都心側では〔京葉線〕が開通しましたし、千葉県側では〔成田アクセス路線〕に転用されました。桜川公園_R.JPG今の京葉線・東京駅はもともとは新幹線のために準備されたものだということです。

もしそのまま新幹線が建設されていれば、鍛冶橋通りの地下から八丁堀あたりという今の京葉線とほぼ同じルートを走っていたはずです。八丁堀駅脇の〔桜川公園〕の地下近くを新幹線の電車が高速で走っている姿を想像してみると、少し不思議な気もします。sign02


東銀座駅ホーム_R.JPG

時は流れて、羽田空港も再国際化し、前述の都営浅草線はこちらの空へのアクセスとしても重宝されています。成田と羽田との直結路線として価値が高まっています。さらに高速化をするために、浅草と泉岳寺あたりを別線路で短絡させる計画もあるそうです。


空への憧れはますます高まります。中央区から、中央区へ、中央区を通過して、海外への新たな夢が広がります。またどこかに出かけたくなりました。heart04


 

 

ペーパークラフトの展覧会〔ギャラリー銀座〕

[ジミニー☆クリケット] 2012年3月 3日 08:30

現在、銀座マロニエ通りに面する画廊「ギャラリー銀座」では、「Papyrus Art 2012」と題して、ペーパークラフトの展覧会が開催されていますhappy01

私の通勤経路上でもあり、会社帰りに立ち寄りました。夜は7時までOKですgood

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紙でできているとは思えない質感と立体感sign01

ずらりと並んだことでかもし出されるリズム感と楽しさsign01

しかも、近くで見るeyeと、のりしろが無いflairとても精巧な作りsign02

これは、写真cameraじゃなかなか伝えられませんsign03

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壁には、ペーパークラフト作家の方々の作品が展示されていますshine

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3月10日()までの開催ですから、是非1度、足を運んでみてくださいhappy01



展示即売もやっていますよpresent


「Papyrus Art 2012」の詳細とギャラリー銀座の住所はこちら

Papyrus Art 2012 

 

 

銀座ローマイヤのお値打ちランチ

[まぴ★] 2012年3月 2日 08:30

銀座8丁目の太陽ビルの2階にある銀座ローマイヤ。

ドイツ料理とビールのお店なのですが、ランチがとってもお得!


 


私が注文したのは、和牛フィレとソーセージ

ドリンクバーやスープもあって、銀座で1200円はすごい!

ハンバーグとソーセージなど、1000円のメニューもたくさんありました。


 


ドリンクバーも、オレンジジュースやグレープフルーツジュース、

コーヒー、紅茶もアイスとホットがあり、スープはかぼちゃのスープでした。


 


それともう1つよかったのは、ランチワインが安いこと(*^^*)

ボルドーのワインが1杯400円です!

3杯飲んでも1200円なんて嬉しすぎ(笑)

男の人には量はちょっと少なめかもしれませんが、穴場ランチだと思います★

ローマイヤは銀座松坂屋にもテイクアウトのショップが入っていて、

ハムやソーセージやサラダなんかも買えます。


銀座ローマイヤのぐるなびページ


 

 

銀座一丁目の ギャラリー セイコウドウ   

[ムーミン] 2012年3月 2日 08:30

ギャラリー セイコウドウは 銀座通りの メルサの並びにある清光堂ビルの5階」にあります。

清光堂は、もとは晴海通りの有楽町近くで貴金属を営んでいましたが、昭和27年に現在の場所に移転しました。 画廊をはじめて10年ちかくなります。 

このギャラリーは、女性オーナーのやさしい人柄が反映されて、作家達にとっても、とても気持ちよく作品を発表することが出来ます。

2月13日から 2月23日まで このギャラリーで美術団体の東京展の受賞記念展が開催されていたので作品の一部を掲載しました。 東京展は 絵画、絵本、イラスト、造形、写真などのジャンルがあります。

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芥川龍之介 3.1 生誕120年

[与太朗] 2012年3月 1日 08:30

IMG_0539.JPG 芥川龍之介は明治25年(1892)3月1日、京橋区入船町8丁目1番地(現・中央区明石町10,11聖路加看護大学あたり)で誕生しました。自作年譜によれば、辰年辰月辰日辰刻に生れたので龍之介と命名されました。今年も辰年、干支はちょうど二巡して生誕120年になります。


IMG_0183.JPG 実父新原敏三は牛乳業「耕牧舎」を営み、入船町に牧場を持っていました。ここは当時築地の外国人居留地で、日本人は三軒だけだったそうです。父43歳、母33歳の厄年の生れで、迷信から捨子の形式を踏んだそうですが、生後七ケ月で母が発病、母とともにその実家芥川家に移り、のち伯父道章の養子となります。芥川家は本所区小泉町十五番地(現・墨田区両国三丁目)にあり、代々江戸城のお数寄屋坊主の家柄、養母は江戸の大通人細木香以(『孤独地獄』)に登場しますね。)の姪で、生粋の江戸人の気質と趣味が一家に色濃く流れており、これが後の彼の芸術に大きな影響を与えたことはまちがいありません。


 彼は幼少年期を過ごした本所、両国を愛し、とくに大川(隅田川)には熱烈な讃歌を歌っています(『大川の水』)が、生誕の地・築地について書いたものはあるでしょうか。


IMG_0542.JPG 生後すぐ本所に移り、直接の記憶はあるはずもないですが、「僕は生れてから二十歳頃までずつと本所に住んでゐた者である。」(『本所両国』)などと入船町は端折られてしまっています。かろうじて築地居留地を描いた銅版画についてですが、和洋折衷の美しい調和を示していると懐しみをこめた表現がありました。(『開化の良人』)

 「時々私は二十年の後、或は五十年の後、或は更に百年の後、私の存在さへ知らない時代が來ると云ふ事を想像する。---(略)--- けれども私は猶想像する。落莫たる百代の後に當つて、私の作品集を手にすべき一人の讀者のある事を。さうしてその讀者の心の前へ、朧げなりとも浮び上る私の蜃気樓のある事を。」(『後世』)


 生誕120年、没後85年。彼の想像を裏切って、彼を愛する読者は増え続け、彼に対する評価は蜃気楼ではなく、スカイツリーのごとく高く確固たるものになっています。生誕120年の今年、「生誕地」中央区ではとくにイベントはないようですが、愛読者の一人として、やや寒気がゆるんだ一日、生誕の地を訪れてみました。

 

IMG_0543.JPG 蛇足を一つ。生誕の地は浅野内匠頭屋敷跡、生育の地の南に吉良上野介屋敷跡、と忠臣蔵にご縁があります。『或日の大石内蔵之助』執筆中、彼はこんな偶然を思い起こしたでしょうか。

 もう一つ蛇足を。今年は辰年、旧暦流に三月=辰月とすると、辰月辰日は3月8日と20日。はたして辰刻(午前8時前後)に平成の龍之介君が誕生するでしょうか。

 

 [ 写真上 ]   中央区明石町、生誕の地付近

 [ 写真右上 ]  生誕の地、説明板

 [ 写真右中 ]  江東区両国三丁目、生育の地付近

 [ 写真右下 ]  北区田端 終の住居「我鬼窟」跡付近