[巻渕彰/写楽さい]
2012年3月 8日 19:06
昭和20年(1945)3月10日、東京は大空襲で直撃された。ことしは67年目にあたる。この日未明、下町一帯は米軍機による襲撃を受けて一夜にして灰燼に帰した。空襲は3月10日だけではなかった。たび重なる爆撃で、中央区の大半は焼失して壊滅した。戦争を知らない世代が増えていく中、空襲体験者はこの日を決して忘れられない。その戦禍を示す痕跡は、今も残っている。
中央区ホームページ(HP)には、東京大空襲を特集した「中央区平和祈念バーチャルミュージアム」がある。中央区の平和都市宣言に始まって、空襲被害状況や学童疎開の実態をまとめた戦争の記録、写真資料や体験記を紹介する資料室、当時と現代の対比写真が見られる過去と現代―などで構成されている。
同HPによれば、中央区では昭和19年(1944)11月にはじめて空襲で被災したあと、延べ15回の空襲を受けたという。空襲被害地域を表した中央区全図を見ると中心部のほとんどが真っ赤に塗られている。わずかに被災を免れた地域は、築地や人形町の一部と隅田川南東部の月島、勝どき、晴海地域となっている。
新亀島橋西詰南側に「戦災遭難死者慰霊碑」が設置されている(写真上左)。碑文には「3月10日空襲により、全町焼失の際の死者を慰霊する」と刻まれ、昭和23年(1948)3月10日に茅場町二、三丁目町会有志が建立したもの。
日本橋橋上にも焼夷弾(しょういだん)が襲った。現在でもその焦げ跡がくっきりと残っている(写真上右=欄干側面の茶色部)。こまめに敷石を見ていくと、弾痕なのか欠けたと思われる個所も見出される。先の石橋架橋100周年にあたって行われた洗浄のときには、その個所は除去せずに、できるだけ焼け跡は残しておいたという。
中央区では、平和への願いを込めたモニュメント「平和の鐘」(写真下)「平和像ニコラ」「江戸こまた」「平和都市宣言碑」=3か所を設置している。「平和の鐘」は平成元年(1989)3月、八重洲通りの中央分離帯に設置された。高さ7mでオランダ製の鐘が26個連なり、打ち鳴らされているのは中央区の歌「わがまち」とのこと。ピラミッド部分には「いまいちどたちどまり 平和の尊さをみつめよう・・・」と中央区平和都市宣言が刻まれている。●巻渕彰
[滅紫]
2012年3月 8日 08:30
建替え前の丸善ビル屋上には以前ゴルフ練習場があり、その一隅にあったGOLFER'S SNACKには勤め人だった頃お昼によくお邪魔したものでした。今のビルは2007年完成でダークブラウン系でまとめられた店内インテリアといい、アッシュフォードで統一された食器といい、サービスも洒落たものになりましたが、懐かしい洋食の味を求めて人気で列が出来ているのは以前と変わらない情景です。
MARUZEN CAFEは3Fエスカレーターを上がったギャラリー横にあります。今朝は早くから2コマ講義を受けたのでかなりお腹ぺこぺこ。WAITING LISTに名前を記して「さあ、何にしましょう?」とDISPLAYされたお料理サンプルを前に目移りしきり。欲張って「早矢仕オムライス」(1200円)に。ご存知のようにこちらは丸善創業者の早矢仕有的氏が考案したと云われている「早矢仕ライス」が名物なのですが、中央のオムライスの黄色と周りを取り囲んだハヤシの濃い目のブラウンソースが「これにしなさい!」と誘っているように見えたのです。(邪道かな・・・)
案内された1人客用の窓側のカウンター席では食事しながらスマホ操作中の方、買った本を早速読み始めている方など様々ですが、あ!1人でスウイーツを召し上がっている男性もいます。隣に本があれば違和感がありません。不思議なものです。
頂き終わるやさっと、コーヒー(SETだと350円)が運ばれてきました。桜通りを行きかう人々をながめながらのんびりしたひと時を過ごしました。キャッシャーで「昔は屋上に・・」という話をすると「懐かしく思っていらしてくださるお客さまが多くて・・」とのことでした。
丸善さんの以前のビルは昭和27年(1952)の建設で東京で戦後初の鉄筋ビルだったとのこと。
1Fに降りると「世界の万年筆」展を開催中でした。そういえば「万年筆」という日本語を最初に作ったのもタイプライターを最初に輸入したのも丸善さんとのことです。明治期から「舶来文化」の風を感じさせてくれるお店だったのでしょうね。本と文房具を眺めて疲れたらCAFEで過ごすというのんびりした一日はいかがですか。
丸善日本橋店:日本橋2-3-10 TEL6214-2001
営業時間」09:30~20:30年末年始をのぞいて無休
[坂の上のねこ]
2012年3月 7日 09:00
勝どきにある「btf(バタフライ・ストローク)」という楽しいアートギャラリーをご存知でしょうか。
もともとは倉庫なのでちょっと入り口がわかりにくいかもしれませんが、ニューヨークのブルックリン・ダンボ地区の倉庫ギャラリーみたい。スタッフの方々もとても気さくで、いきなり訪問して写真撮影をお願いしたにもかかわらず、笑顔で快諾して下さいました。茅島さん、ありがとうございました!
中に入ると楽しくてポップな作品がたくさん並んでいて、眺めているだけで気持ちがうきうきしてきます。
トイレに歯が生えてたり、長靴の底にタワシがついてたり・・。
かと思うと、こんな懐かしい通りの風景が。
私が行ったときは、ちょうど「えのもとおさむさん」「ホセ・フランキーさん」の作品が展示されていました(今月25日まで)。
この穴を抜けると・・えのもとさんの絵がた~くさん。
壁に次々と映し出されるえのもとさんの作品
ぜひ皆さんもいらしてみてくださいね。
住所:中央区勝どき2-8-19近富ビル倉庫3階(地図)
電話:03-5144-0330
ウェブサイト:http://www.shopbtf.com/
[まぴ★]
2012年3月 5日 08:30
パイオニアのギャラリーを発見したのがもう1年くらい前です。
月曜日に銀座へ行くことが多いので、いつも休館日でした。
そして、9月のとある日やっとオープンしてる曜日に行くことができました(*^^*)
PIONEERといえば、子供の頃に実家にあったステレオやヘッドホンがそうでした。
そして、個人的にも車につけてるオーディオやナビはずっとCARROZZERIA
名前がカッコイイのと、やっぱりオーディオ系はパイオニア!
音の老舗というイメージが強いですね。
去年の1月にオープンしたギャラリーはすごくきれいです。
1階は面白くて新しいテクノロジーやアイディアを体験できるフロア。この丸い卵のような中に入ると、様々な音が楽しめます。
鳥の声なんて癒やし系のものや、お腹にズーンと来る音楽もあり
自分のipodを持ってきて曲を聴くこともできます。
フロアにスタッフさんがいて、使い方など親切に教えてもらえます。
あとは映像に指で触れると形が変わるものや、
フロントガラスに道案内の出てくるナビ体験など、
面白いものがたくさんあります。
そして地下に行くと大スクリーンホームシアターがあります。
なんとこのスピーカー、2000万円もするそうです。
こちらは12時~14時まで試聴体験のイベントやっています。その他DJ体験のできるスペースもあります!
2階にも行ってみました。
階段を上がったところの壁には、
ヘッドフォンの展示があり試聴もできます
またホームオーディオを取り入れた大人の部屋などの展示もあり、
自分の部屋をこんな風に・・・なんて見てるだけでも楽しいです★
奥にはCARROZZERIAのコーナーがあり、新製品もたくさんありました!カーナビもどんどん進化しているので、新しいのが欲しくなります(笑)
説明も詳しくして頂き、写真も気軽に撮らせて頂きました。
毎月のイベントや、詳細は
パイオニアプラザ銀座のホームページにて
[巻渕彰/写楽さい]
2012年3月 4日 08:30
美人画の巨匠、鏑木清方は幼少期を木挽町界隈で過ごした、中央区ゆかりの日本画家である。戦後間もなくの昭和23年(1948)に描いた《朝夕安居》(ちょうせきあんきょ)は、明治20年(1887)ころの下町・築地界隈の風情を回想したものであった。この作品が現在、鎌倉市鏑木清方記念美術館で開催の「収蔵品展 清方と舞台 第一期」に出品されている(写真上)。会期3月11日まで、月曜休館。
鏑木清方(かぶらき・きよかた)は明治11年(1878)神田佐久間町で生まれた。父は劇作家・條野採菊。京橋南紺屋町、築地、木挽町と転居。13歳で水野年方に入門。17歳のとき父が経営する『やまと新聞』の挿絵画家となる。
昭和2年(1927)第8回帝展で帝国美術院賞を受賞した《築地明石町》は代表作。このころから関東大震災で失われた下町風俗を描く作品が増えていく、という。
戦後は、昭和23年(1948)の第4回日展に《朝夕安居》を出品。昭和29年(1954)文化勲章を受章。鎌倉に転居。昭和43年(1972)93歳で死去した。墓地は谷中霊園。
《朝夕安居》は長さ4mほどの絵巻物で、東京下町庶民の暮らしの一場面を朝、昼、夕の情景にわたって描いている。朝の景には背景に帆柱が望める町角で新聞配達少年、掃除する少女、煮豆売り、路地裏では井戸汲み、洗面する男たちの脇には朝顔が咲く。昼の場面、風鈴売りは移動屋台の中で日差しを避けているのだろうか。
夕景では、粋な女性の行水、ランプの火屋を磨く女性。店行燈を囲んで、縁台で語り合う老人、夕涼みの成人、女の子は提灯で遊んでいる(写真下:《朝夕安居》のうち夕景(部分)=同館刊行絵はがきから)。
「明治20年ころの世の姿で、場所は東京の下町、海に近い京橋区築地あたりの朝に始まって、八丁堀界隈の夜までの風物詩なのである」(『鏑木清方文集(一)制作余談』)
清方がこの絵を描いたのは戦禍が残る昭和23年、70歳のときだった。関東大震災で明治の情景が消え去り、さらに東京大空襲で多くのものが失われていったことに昔日の想いを映し出しているようだ。「明治の世に都の東南、大川の水が築地の海に注ぐまで、その一帯の下町に抱く私の郷愁は底なしの井から汲む水のやうに尽きることはない」(同著)とその心境を語っている。
昭和9年(1934)には『築地川』を刊行した。幼少期を過ごした木挽町・築地界隈は鮮烈な記憶とともに、永遠に愛した心のふるさとだったかもしれない。●巻渕彰
[サム]
2012年3月 4日 08:30
3月に入り暦の上では七十二候の「草木萌動(そうもく、めばえいずる)」。
ここ晴海トリトンスクエア「緑のテラス」の陽だまりには春を告げる花の代表の福寿草が咲き、
テラス一帯では冬の間葉を落としていた木々の枝にやがて葉や花になる冬芽が顔をのぞかせています。
冬芽
の近くには葉が落ちた痕(葉痕)が見られ、各々の
形や並び方が目や耳や口に、また全体の様子が人や動物の顔のように見えるものもあり、何ともユーモラスな自然の造形美です。
この時期は"花閑期" ながら、春を待つ木々の冬芽・葉痕たちの愉快で多彩な表情が楽しめます。
<ユリノキ> <アジサイ1> <アジサイ2>
<アジサイ3> <ヤブデマリ> <オオベニウツギ>
<アオキ> <カシワバアジサイ> <サンショウバラ>