中央区観光協会オフィシャルブログ

中央区観光協会特派員ブログ

中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

執筆者一覧

>>このブログについて

最近のブログ記事

東京駅赤レンガ駅舎

[小江戸板橋] 2012年6月30日 08:30

東京駅に行ってきました。

通勤・通学・旅行に利用する身近な駅を、わざわざ見に行くの。

そう思われるかも知れませんが、わざわざ見に行きました。

 

目的は、丸の内側の赤レンガ駅舎です。

「東京ステーションシティ」という再開発プロジェクトの一つで、

大正3年の創建当時の姿に、赤レンガ造りの駅舎をよみがえらせようとするものです。

これまで、駅舎全体に、白い工事用のカバーがかけられていましたが、それが取り外され、

全容を現したのです。

着工からほぼ5年。

レンガの明るい色と白い花崗岩の縁取りが、鮮やかに目に飛び込んできます。

屋根のスレートは、宮城県石巻市の雄勝産です。

3.11の大震災の被害に合いながら、奇跡的に残った材料を使用しているとのこと。

 

とは言っても、まだ周囲が工事用の塀で囲まれていますから、塀の切れ間から覗き込む形です。

内装やこまごましたところの工事は継続中です。

そうした今だから、見ることができるものがあります。

まだ、下塗り段階の壁の一部。

隅の部分のレンガや鉄骨の切断面。

保護用のシートの先に、うっすらと浮かぶレリーフや彫刻。

工事の途中経過が分かるのです。

 

これって、何かドキドキしませんか。

えっ。ドキドキするようなポイントじゃない。私だけなのですかね。

 

私たちが工事開始前に見ていた駅舎は、昭和20年、空襲による戦災で3階部分と南北のドームが焼失し、2階建てに再建されていた建物です。

1日に約3000本の列車が発着する大ターミナルにおいて、その輸送機能を維持したままで工事が進みます。

百年近い歴史を誇る建物の地下に、免震装置を新設し、震災にも強い構造になります。

工事用の塀に、東京駅の歴史や、建物のデザインに関する資料が描かれていますから、話したくなるミニ情報をたくさん得ることができますよ。

 

そのドーム内の改札口も今月上旬に使用開始になり、装飾の施された天井の一部を眺めることができるようになりました。

7月1日には、中央口改札が使用開始になります。

10月1日には、「東京ステーションギャラリー」が開館。

10月3日には、休業していた「東京ステーションホテル」が、新しい装いで開業します。

赤レンガ駅舎のグランドオープンは10月とのこと。

建物が次々に変化していく様が、楽しみです。

 

「東京丸の内は、中央区じゃない」かですと。

そうです、区域は千代田区です。

でも、大東京の玄関ですし、固いこと言わないで。

そうだ。赤レンガ駅舎の設計は、明治建築界の重鎮、辰野金吾博士によるもの。

中央区日本橋本石町にある日本銀行本店本館の設計も、辰野博士によるものです。

ともに、国の重要文化財に指定されています。

辰野博士つながりということで、よろしくお願いします。

 

 

 

 

ネパール料理「ナマステカトマンズ」

[みど] 2012年6月29日 13:00

今回ご紹介するのは東日本橋にあるネパール料理のお店「ナマステカトマンズ」
です。インド人シェフが本格的なネパール料理を作っています。
店の雰囲気もネパール気分(ネパールに行ったことはないけど・・・汗)

実は共同購入型クーポン(グルーポン)で通常料金の半額だったので、
利用してみました。メニューは以下のどちらかを選択します。

・2種類のカレーセット (通常価格1,100円)
 2種類のカレーと、ご飯物のセット。ナンかライスを選ぶ。
 カレーは8種類(チキン、マトン、野菜、豆、ひき肉、等)の中から2種類を選ぶ。
・チャウメン (通常価格1,000円)
 野菜やチキンをミックスしたネパール風やきそば。

これらにミニサラダとドリンク(コーヒー or チャイ)が付きます。
私はネパール風やきそば(チャウメン)を食べましたが、なかなか美味しかった
です。でも、1000円は少し高いかなぁ~という感想です。

食後、暇そうにしていると人のよさそうなマスターがやってきて、ネパールの
スナップ写真や関係する本を見せてくれました。「ネパールは本当に良いところ
なので、ぜひ観光にいってみてください」と片言の日本語でお話してくれました。

このお店は両国橋の近くにあり、窓ごしに東京スカイツリーがよく見えるのが
良いです。またマスター曰く「隅田川の花火もここからばっちり見えますよ」と
穴場情報を入手。近くにお立ち寄りの際には足を運んでみてぱいかがでしょうか。


『ナマステカトマンズ』
 http://r.gnavi.co.jp/g752102/
  東京都中央区東日本橋2-25-6  TEL 03-3864-6162
  都営浅草線東日本橋駅 徒歩3分
 営業時間 ランチ 11:00~15:30  ディナー 17:00~22:30


01.jpg

02.jpg

 

 

聖路加タワー47Fからの眺め

[TAKK...] 2012年6月28日 13:00

stlukes1.jpg

明石町にあるスカイレストランルークに行ってきました。

地上200mからの眺めを楽しみながら、おいしい「築地フレンチ」をいただきました。

夕陽を眺めながら、きれいに磨き上げられたコップに注がれたビールをいただいていると、ゆっくりとあたりが暗くなり、それにつれて街の灯が大きな窓に浮かび上がってきます。

料理はどれもおいしく、満足感もあります。

食後、展望室で夜景を楽しみ、撮影しました。

勝鬨橋とレインボーブリッジが見え、隅田川を行きかう舟がとても美しかったです。

 
 RESTAURANT LUKE(レストラン ルーク)
 【アクセス】
 地下鉄日比谷線築地駅 3番出口 徒歩5分
 地下鉄有楽町線新富町駅 6番出口 徒歩7分  

 

 

 

「熈代勝覧」を歩く

[阿舒庵亭主] 2012年6月28日 08:30

「熈代勝覧」って何と読むのかもわからない難しい漢字である。

学生時代に習った清朝第四代皇帝の名が康熙(こうき)(てい)であったことを、かろうじておもいだした。

よってこの文字は「きだいしょうらん」と読む。


「熈代勝覧」は1999年、ベルリン東洋美術館で見つかった絵巻物の名前であり、日本橋三越の地下出口の近く、東京メトロの通路で実物の1.6倍のサイズのレプリカが見られる。


この絵が発見された時には果たしてどこの国のモノかが分からなかったが専門家によって日本の江戸末期の今川橋から日本橋の中央通りを描いたものだと判明した。しかし未だ描いた画家も分からない。また、絵巻には「熈代勝覧 天」とあり、「地の巻」か「人の巻」の存在が想像されるが今の所、発見されてはいない。この絵巻は絵の中に文化2年(1805年)の文字がありその頃に描かれたものと推定される。


描かれた日本橋の様子は具体的で生き生きとしている。88軒の店舗がえがかれており、男性1439人、女性200人、子供32人が描かれている。更に犬20匹、馬13頭牛4頭、猿1匹、鷹2羽が描かれていって当時の生活の様子が分かる絵巻物となっている。


たまたま、私は最近まで元の今川橋のたもとに勤務していたこともあり日本橋はなじみ深い街であり、実際に歩いてみると実に面白い。描かれた88軒の店舗の中で今も日本橋で暖簾を掲げているのは現在の三越と木屋の二軒のみである。この店舗の前の中央通りに立って絵巻物を思い出すと自分が江戸時代の人になったような気がする。

(現代の木屋)                               (文化2年の木屋)

a51471e7b27151da35baf1be29ff190e.JPGのサムネール画像のサムネール画像

(現代の三越)                               (文化2年の三越)

a51471e7b27151da35baf1be29ff190e.JPGのサムネール画像のサムネール画像

描かれた翌年、文化3年に大火があり多くの店舗が焼失したものと思われるが、日本橋界隈にはそれ以前からの老舗が今も店舗を構えておりその変遷を知りたいとの思いがしきりである。「熈代勝覧」が描かれた時代以前からの老舗を思いつくままに挙げてみると、伊場仙が天正18年(1590年)、神茂が元禄元年(1688年)、黒江屋が元禄2年(1688年)、にんべんが元禄12年(1699年)などがあり、あるいは、地の巻、人の巻が見つかれば当時の姿が描かれているかもしれない。ぜひとも見つかって欲しいものだ。

「熈代勝覧」とは「(かがや)ける御代の勝れたる大江戸の景観」の意味である。東京メトロの「三越前」で地下鉄を降りる皆さんに是非とも往時の日本橋の生き生きとした姿を見てもらいたいと思っている。

 

続きを読む: 「熈代勝覧」を歩く

 

土手の工事が終わって

[りょうきち] 2012年6月27日 13:00

土手a.JPG 土手b.JPG春に隅田川の土手で工事していた箇所が完成していました。今回はこの土手について報告します。
 
場所は日本橋中洲と日本橋浜町の境。高速道路の高架が隅田川とぶつかる場所です。高速道路の下はあやめ公園と名付けられていて、工事の結果、その公園が隅田川テラスと連結されました。隅田川の土手の整備事業の一環として他でも施された工事がこちらにも行われたものであります。
 
ちなみに古くはこの公園、高速道路、そしてこの土手までの一帯は、日本橋浜町と日本橋中洲の間で中洲の地形を作っていた水路(川)でした。昔の堤防跡も見つけられます。
 
この土手は非常に狭いのですが、あやめ第二公園側から向かって階段を上がっていくと、高速道路の陰から隅田川テラスの明るい空間に突然出ることになります。実際に上って行ったのですが、その手前の空間が上が高速道路、左が消防署、前が土手、右がマンション群に囲まれた閉鎖的な印象を感じさせるため、そのギャップなのでしょうか、非常に開放されたすがすがしい気分を感じました。そのときは空間の変化を楽しめました。
 
土手自体は整備されてきれいになったのですが、そんなに広くはありません。そこには二人掛けのベンチが置かれています。
土手の少し高いところですから、そこから眺める景観は開けたものとなっています。オープンして盛況の東京スカイツリーがよく見えます。そして隅田川の往来。下流側には清洲橋は見えます。
対岸は、江東区の芭蕉記念館、萬年橋があるエリアです。ゆっくり座っても気持ちのよいベンチです。江戸の昔から庶民に愛されてきた隅田川を眺めるのに最適な場所でないでしょうか。おそらく、今後、多くの人の憩いの場となることが期待されます。
 
そこから隅田川テラスを散歩すると、上流は新大橋、浜町公園方面、下流は清洲橋方面に続いています。散歩途中に足を留めたい場所がまた増えたように思われます。
 
 

 

日本橋 滝の広場の歴史

[御末] 2012年6月27日 08:30

日本橋の袂にある「滝の広場」、ここは江戸時代間口5間の小屋あり、罪人の晒し場でした。

晒し場といっても死体などを晒すのではなく、罪人を朝から夕刻まで並んで座らせるものです。

 

 最初の晒し刑は延享4年(1747)3月、津軽岩松藩江戸詰祐筆役の武士原田伊太夫と吉原堺屋の遊女尾上の心中未遂。

お互い恋に入れ込み、務めは怠りがちに、また借金で首がまわらなくなったためでした。

 

この事件を新内「帰咲名残命毛(かえりざき、なごりのいのちげ)」として敦賀若狭掾が書いています。

新内では心中をはかった直後、伊太夫の伯父が尾上と結婚させるために身請金を払いハッピーエンドになるというものです。

 

そんな不浄だった場所も現在では双十郎河岸があり、

そこから日本橋・神田川・隅田川へと船で川巡りができる素晴らしい観光地になっています。

 

 
123456789