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2015年7月12日 14:00
2014年12月に箱崎にオープンしてから
大人気のベーグルの専門店、
OZO BAGELさんをご紹介します。
水天宮前TCATで降りて、箱崎交番の横を
左に曲がると、小さなパン屋さん風の
お店がみえてきます。
象が鼻でベーグルを持ち上げている
看板が目印です。
ニューヨークで本格的に修業した
オーナーさんがお店を開くと、
しだいに評判になり、
今では行列ができる人気店になっています。
千葉からわざわざ買いにおみえになる
お客様もいらっしゃるとか。
私もいただいてみましたが、
女性の方ならハーフでお腹いっぱいになる
ボリューム感です。はさまれているものも、
タンドリーチキンなどの食事系、
ブルーベリークリームなどの甘味系とも、
おいしい具材をたっぷりはさんで、
巻いていただけます。
OZO BAGELさんのホームページは
こちらです。焼き上がり状態など
ご覧になってからお越しに
なることをおすすめします。
http://www.ozobagel.com/
開店直後やお昼時、会社帰りの時間は
たくさんの方が並んでいるので、
それを避けてお店に行くと
比較的スムーズに購入できると思います。
お店の方にうかがうと、土曜日なら13:30
過ぎが、比較的すいているそうです。
オーナーさんの本場仕込みのベーグル、
味わってみませんか?
[サム]
2015年7月12日 09:00
毎回その斬新な趣向が話題となるアートアクアリウム。
7月10日、「コレド室町1」5Fの日本橋三井ホールで恒例の「アートアクアリウム2015 ~江戸・金魚の涼~ &ナイトアクアリウム」が開幕。
会期:7月10日~9月23日 (11:00~23:30)
日本橋の夏の涼を体感するイベントとして2011年からスタートした同企画は、江戸期の日本橋で庶民文化として親しまれるようになった金魚を、意匠を凝らした水槽と光・映像など最新の演出技術を融合させ、現代風にアレンジした水中アート展。
会場は照明が落され、幻想的な光の中で舞うようにが泳ぐ約5,000匹の金魚。
前回も登場の、様々な珍しい金魚を丸いアクアリウムで見せる「金魚コレクション」、凸レンズ・凹レンズ・二重レンズを通して中で泳ぐ金魚の視覚的変化を楽しむ「リフレクトリウム」、直径1.5mの球体の水が溢れ出る水槽「アースアクアリウム・ジャポニズム」等々に加え、今回は、①檀上に4m四方の "蓮(はす)の花" をモチーフにした巨大金魚鉢が朱塗りの櫓のなかに浮かび上がる「ロータスリウム」、②万華鏡にインスパイアされた六角柱のアクアリウム「カレイドリウム3D」、③三角柱の水槽が40個合体しミラー加工され無限の奥行を体感できる高さ2.4m幅4mの大型アクアリウム「インフィニトリアム」、④琳派400周年を記念した、"襖(ふすま)" をモチーフにした幅約3.6mのスクリーン状水槽にプロジェクションマッピングにより投影された "燕子花図" "風神雷神図" 等の映像の中を金魚が泳ぐ「琳派リウム」、⑤「手鞠リウム」が新登場。
19:00以降は「ナイトアクアリウム」となり、音楽と照明の演出が変わり、オリジナルカクテル "金魚カクテル" などドリンク片手に観賞できます。
土曜・祝前日は、DJによるスペシャルライブの他、京都・祇園の舞妓による「舞妓ナイト」や、昨秋、京都・二条城で開催された「京都世界遺産登録20周年記念 アートアクアリウム城~京都・金魚の舞~」にて「アートアクアリウム城 特別講演 金魚の舞」を演じた女形 荒城蘭太郎が舞を披露する「花魁ナイト」など、伝統芸能を現代的な感覚で楽しめる企画も予定されています。
尚、期間中、日本橋地区では、福徳神社の参道の仲通り沿いに100個の金魚提灯を飾り、金魚街道を演出する他、金魚をモチーフにしたワークショップ開設、金魚グッズの取り揃え、金魚(夏)メニューの提供、金魚すくいグランプリ、浴衣イベント、日本橋船着き場からのクルージング<納涼金魚ちょうちん船>等々、江戸時代の知恵と技を生かし、楽しみながら涼をとる夏のイベント、「EDO ECO 日本橋 2015」が開催されています。
[CAM]
2015年7月11日 19:00
メイフェア(Mayfair)をWikipediaで見ると、以下のような説明があります。
>メイフェア(Mayfair)は現在商業地区として発展を続けている。以前に住宅であった建物を改装してオフィスにした物件なども多く存在する。本社を設けている企業も多くあり、ロンドンにおいてヘッジファンドが集中している地区としても知られている。賃料は高額であるものの、現在でもメイフェアに居住している者も多い。その他にはレストラン、高級品店舗などがたちならび、アメリカ合衆国の大使館、グローヴナー・スクエア、ロイヤル・アカデミー・オブ・アーツ、グローヴナー・ハウス・ホテル、クラリッジスなどが存在する。
>ミュージカル・映画『マイ・フェア・レディ』 (My Fair Lady) の題名は、この「Mayfair lady」(メイフェアレディ)をコックニー訛りでもじったものである。
英文のサイトを見ると、次のような説明もあります。
Mayfair is renowned for its designer shops, like label hunters' paradise Browns, but there are also many specialist shops that offer unique objects that you can't find anywhere else. Grays Antique Market stocks anything from antique and out-of-print books to art. If you'd rather pamper yourself, Mayfair's spas and hair salons are second to none. Guinot Spa provides virtually painless waxing, and Gentlemen's Tonic does modern men's haircuts and shaves with a touch of old-school flair.
[銀造]
2015年7月11日 19:00
銀座通りを格好良い素敵な外国人の方が、自転車を押して歩いていました
親子の方々も仲良く、自転車を押して歩いていました。
ふと、歩道の街柱を見上げると、黄色い垂れ幕のご案内がありました。
そう、銀座は歩いてお買い物を、ウインドウショッピングを楽しむ街です。
大震災以降、自転車を利用される方々が増えましたが、横断歩道を縦横無尽に運転する人などマナーの悪い運転をするサイクリストが増えました。歩行者に優しい運転を心がけて欲しいものです。
銀座の中心に入る前には、銀座三越店などにある駐輪場のご利用をお勧めします。
こちらのブログをご参考にして下さい。/archive/2013/11/post-1808.html
3月21日の中央区の広報に、八重洲から銀座周辺にかけての駐輪場の位置が案内されていましたので、是非ご利用ください。
今日も楽しく、銀ブラを楽しみましょう。
追伸:外国人の方、親子連れの方々がルールを守っているのに、爺ちゃんが、自転車に乗ったまま銀座八丁目から右折して行ったのには、がっかりしました。
[CAM]
2015年7月11日 09:00
池田弥三郎氏は、「大阪にも日本橋があり、京橋があるが・・・・大阪の場合、これをニッポンバシと言っていることは考えさせられることである。つまり、江戸で日本橋をニッポンバシと言わないで、ニホンバシと言ったのは、もともと(東京・日本橋の名の起原が)『日本』ではなく、『二本』だったということの傍証になると思う。」(56)と述べられている。
元和4年(1618)に架け替えられた東京・日本橋は、長さ約67.8m、幅7.8mの木造橋であった(「『中央区ものしり百科』118頁)のに対して、大阪の日本橋はほぼ同時期の元和5年(1619)に江戸幕府によって道頓堀川に架けられた。長さ約40m、幅約7mの木造橋で、江戸の日本橋と同じく公儀橋であった(道頓堀川では唯一)。(Wikipedia) なお、池田氏も述べるとおり、『慶長見聞集』では、1618年の架け替えられた橋の大きさを記しながら、それ以前の橋の大きさについての記載がない(『日本橋私記』92頁)。
天明7年(1787)の調べでは、当時の大阪には12の公儀橋と143の町橋とあわせて155であったという。公儀橋というのは、幕府が管理し、かけかえや修理などを幕府の費用で行う橋であり、外見的な区別として、公儀橋の場合は青銅製の擬宝珠がつけられていた。 江戸の場合、公儀橋は江戸城の内外にかけたもの4,50のほか、市中に約120、あわせて160から170もあった。(岡本良一『大阪の歴史』;60)
このように、1619年(東京の日本橋架け替えの1年後)という時点で幕府によって架けられた大阪では数少ない公儀橋が、当時から「ニッポンバシ」と称せられていたとするのならば、創架(1603年説が有力)前後からしばらくの間、東京では「二本橋」と称されていた可能性が高く、上記の池田弥三郎説はかなり説得的なものとなるのではないか。
なお、池田氏は自ら作詞した「雨の四季」という歌詞の中でも、「二本橋」という用語を用いて、「大阪はニッポンバシで、江戸がニホンバシなのは、日本橋は後の合理解で、古くは二本橋だったのではないか、という作者の学説(?)にもとづいて、わざとそうしてみた」と述べておられる。(184)
上記のように、東京・日本橋が大阪のものよりも大きさでかなり勝るが、東京・日本橋が創架された1603年時点ではもちろんのこと、1618年時点であっても、東京・日本橋近辺は未だ新開地の域を出なかったであろうが、大阪の道頓堀、堺筋は既に完全に都市化されていたはずである。
地域名としては、現在の大阪市・日本橋地域は「江戸時代には紀州街道の一部でもある堺筋に面して旅籠や木賃宿が立ち並び、長町と呼ばれていた。 寛政4年(1792)に長町のうち現在の中央区側が日本橋に改称され、明治5年(1872)には現在の浪速区側も含めて日本橋筋に改称された。」(Wikipedia)ということである。
[ジミニー☆クリケット]
2015年7月10日 14:00