[サム]
2015年12月18日 14:00
東京スカイツリーでは、12月18日18:00全国一斉公開となるシリーズ最新作「スター・ウォーズ/フォースの覚醒」の公開を記念して、12月17日~12月20日の4日間限定で、スター・ウォーズ仕様特別ライティング実施中です。
光と闇の戦いをイメージした "赤と青の2色の演出"、映画の新キャラクター「カイロ・レン」が操る十字型のライトセーバーに見立てた "赤色の演出" で、塔体が照らし出されています。
点灯時間:18:00~23:00
11月11日~12月25日の期間、3種類のクリスマス特別ライティング(+2種類の通常ライティング)展開中ですが、12月17日~12月20日の4日間に限っては、別プログラム。
"赤色の演出" は、キャンドルの炎をイメージした "白銀&レッド" のクリスマス仕様の「キャンドルツリー」とも微妙に異なり、各々初お披露目のユニークなパターンです。
淡いブルーにライトアップされた永代橋共々、夜空に彩りを添えています。
[ジミニー☆クリケット]
2015年12月18日 12:00
八重洲地下街にあるギャラリー八重洲・東京で、12月14日(月)から「世界一小ちゃい?!ミニ絵画展」が開催されています
小さい絵や手作りの小物が、約1000点ほど展示されています
はがきサイズのものから少し大きめのものまで、素材もさまざま、表現スタイルもさまざまです
作者も、日本画家、漫画家、イラストレーター、一般の方とさまざまです
この絵画展は毎年開催されており、開催回数も20回を超えるそうです
期間は12月20日(日)までです
ギャラリー八重洲・東京の場所はこちら
ギャラリー八重洲・東京のHPはこちら ⇒
http://www.yaechika.com/gallery.php
[ジミニー☆クリケット]
2015年12月18日 09:00
銀座4丁目交差点の一角で、現在工事中の写真の建物は、「GINZA PLACE(銀座プレイス)」と命名され、来年夏の開業を目指しているそうです
以前のビルは、日産自動車のショールームやビアホールの「銀座ライオン」が入っていました。
(ウィキペディアより転載、矢印のビル)
完成予想図はこちら
外観デザインは、透かし彫りをモチーフにしているそうです
同施設は、地下2階~地上12階建てで、延べ床面積は約7,382平方メートルとのこと。
各フロアの構成は、このようになるそうです
銀座の風景もどんどん変わっていきますね
ちなみに、浅田次郎の小説「天切り松」シリーズなどに出てくる「尾張町の十文字」は、この「銀座4丁目交差点」のことです
[ジミニー☆クリケット]
2015年12月17日 16:00
現在、銀座2丁目にあるメグミオギタギャラリーでは、大谷一生氏の新作個展「ONE」が開催されています
期間は、12月11日(金)から26日(土)までです
大谷氏は、YMOの高橋幸宏氏を筆頭に著名なミュージシャンや、ファッションブランドとのコラボレーションなど、クロスオーバーな活躍をされています
躍動感のあるタッチと明るい色彩は、見ていてとても気持ちがよいです
抽象でも具象でもない不思議な印象を受けます
描かれた動物の目が特徴的です
今展「ONE」では、そのタイトル通り"ひとつになる"という意味が込められた最新作品が約30点展示されています
「創造と破壊のポップスター」、大谷氏の作品をご鑑賞ください
メグミオギタギャラリーのHPはこちら ⇒
http://www.megumiogita.com/
[ジミニー☆クリケット]
2015年12月17日 14:00
築地7丁目にある中央区立あかつき公園では、現在、メタセコイアが紅葉中です
メタセコイアは、ヒノキ科(またはスギ科)メタセコイア属の針葉樹で、和名はアケボノスギ(曙杉)だそうです
秋に赤茶色に紅葉した後、落葉します
樹高は生長すると高さ30m()にまでなるそうです
メタセコイアが、「生きている化石」と呼ばれるのは、1939年に、日本で植物遺体(化石の1種)として発見されたものが、1945年に中国四川省で現存することが確認されたことによります
現在、中国から譲り受けた挿し木と種子が、日本全国の公園や校庭に植えられて生長しています
[CAM]
2015年12月17日 12:00
「細雪」から、東京について述べられた部分の引用を続ける。
雪子とお春が宿まで送ってきてくれたので、皆で銀座へ散歩に出て洋食でも食べようということになったが、そんなら尾張町のローマイヤアという店へいらしってごらんなさりませと、女将が教えてくれたので、そこへ行ってお春にも相伴をさせてやり、帰りに夜店を冷やかしてから服部の角で二人に別れて、幸子と悦子とが浜屋へ歩いて戻ったのは九時過ぎであったろうか。・・・・・・・・・・・・・ 幸子は七時頃に、自分はとても寝られないと諦めて、悦子の障りを破らないようにそうっと起きて新聞を取り寄せ、築地川の見える廊下に出て、籐椅子にかけた。・・・・・・・・東京へ来てからは大朝や大毎で読むのとは違って、馴染のうすいこちらの紙面で読むせいか、記事が頭へはいりにくく、何となく親しみが湧いて来ないので、じきに新聞にも飽きて、ぼんやりと川の両岸の人通りを眺めていた。昔、娘の時分に父と泊っていた采女町の旅館と云うのも、つい川向うの、ここから今も屋根が見えているあの歌舞伎座の前をはいった横丁にあったので、このあたりは全然知らない土地ではなく、ちょっと懐しい気持もして、道玄坂とは一緒にならないが、でもあの頃には東京劇場とか演舞場とか云うようなものは建っていず、この川筋の景色も今とは可なり違っていた。・・・・・(394)
上京した幸子と悦子の母娘は、姉鶴子宅から築地にある浜屋という旅館へ移るのであるが、 この「浜屋」という旅館の場所については、築地川縁にあって、歌舞伎座の屋根が見える場所で、東京劇場、演舞場の近辺ということであるから、現在の東劇会館の裏側あたりではないかと推測される。
「ローマイヤ」レストランは、現在は日本橋で「銀座ローマイヤレストラン日本橋店」という名称で営業を行っているようで、そのサイトを見ると「大正14年。銀座で一番初めに本格的なドイツ料理店を始めたレストランローマイヤ。日本で最初にロースハムを作ったことで知られる創業者アウグスト・ローマイヤが提供する本物の味と心温まるおもてなしは、長い間銀座の名店として多くの人々に愛され続けてきました。その名は、昭和23年に発表された谷崎潤一郎の代表「細雪」にも登場しています」とある。
東劇ビル(写真は、2015年12月13日撮影)
「東京劇場」は昭和5年(1930年)3月に演劇場として開業。築地にひときわ目立つ重厚な建物で知られ、歌舞伎や軽演劇が上演されていた。歌舞伎座が東京大空襲で焼亡し、昭和26年(1951年)に再建されるまで、東京の歌舞伎の中心であった。昭和25年(1950年)3月31日、東劇は演劇場から映画館に転身している。昭和50年(1975年)、高層ビルに改築され、現在では松竹本社が入っている。平成23年(2011年)3月1日、松竹は映画興行部門をシネマコンプレックス「MOVIX」を運営する松竹マルチプレックスシアターズに継承した。(Wikipedia)
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采女橋
このあたりは、江戸前期に松平采女正の屋敷があり、享保9年(1724年)の大火で焼けたあと火除地になって、俗に采女が原と呼ばれました。橋名の由来はここからきたものと思われます。
采女が原は、明治2年に采女町と称する市街地となり、銀座煉瓦街と築地の外国人居留地との間に位置して和洋混合の新興市街地が形成されていったようです。
震災復興時に架け替えられた現在の橋は、当時意匠的に優れていたといわれるアーチが採用されました。また橋の下は昭和37年に築地川から現在の高速道路に姿を変えました。
区では平成2年度に、幻のホテル"築地ホテル館"(明治元年、近代的な洋式ホテル第一号として誕生し、栄華を誇ったが明治5年焼失)と"銀座の柳"を題材にした意匠で高欄等を整備しました。
平成3年3月
東京都中央区
新橋演舞場(手前は采女橋)
「新橋演舞場」は、大正14年(1925)に開場した(ものしり百科;48頁)