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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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荷風「日和下駄」

[CAM] 2015年11月30日 20:00

荷風は言う、「私は別に此と云ってなすべき義務も責任も何にもない云はば隠居同様の身の上である。その日その日を送るに成りたけ世間へ顔を出さず金を使はず相手を要せず自分一人で勝手に呑気にくらす方法をと色々考案した結果の一ツが市中のぶらぶら歩きとなつたのである」。(13301) 

 

そして「日和下駄」は、荷風が日々の「ぶらぶら歩き」のなかで感じたことを綴った散策記である。

 

「序」で「大正三年夏のはじめころよりおよそ一歳あまり、月々雑誌三田文学に連載したりし」と書くのは、「此書板成りて世に出づる頃には、篇中記する所の市内の勝景にして、既に破壊せられて跡方もなきところ尠からざらん事を思へばなり。・・・・・昨日の淵今日の瀬となる夢の世の形見を伝へて、拙きこの小著、幸に後の日のかたり草の種ともならばなれかし」という。

 

まさしく、その後、大正111923)年の関東大震災、昭和20年の米軍大空襲によって、さらには昭和39年の東京オリンピックによって、「此書板成りて世に出づる頃」から遥かに歳月を経た現在では、「篇中記する所の市内の勝景にして、既に破壊せられて跡方もなきところ尠からざらん」状態になっているので、この大正3年の散策記を読んでも隔世の感がある。

 

 中央区内の情景はそれほど登場しないのだが、その中の何か所かを拾っておきたい。

 

 「一体江戸名所には昔からそれほど誇るに足るべき風景も建築もある訳ではない。・・・・住吉を移奉る佃島も岸の姫松の少きに反橋のたゆみをかしからず・・・・其角は江戸名所の中唯ひとつ無疵の名作は快晴の富士ばかりだとなした。」(300

 

「並木は繁華の下町において最も効能がある。銀座駒形人形町通の柳の木かげに夏の夜の露店賑ふ有様は、煽風器なくとも天然の凉風自在に吹通ふ星の下なる一大勧工場にひとしいではないか。」(315

 

「鉄砲洲なる白河楽翁公が御下屋敷の浴恩園は小石川の後楽園と並んで江戸名苑の一に数へられたものであるが、今は海軍省の軍人ががやがや寄集つて酒を呑む倶楽部のやうなものになつてしまつた。」(320

 

「日本橋の大通を歩いて三井三越を始めこの辺に競うて立つアメリカ風の高い商店を望むごとに、私はもし東京市の実業家が真に日本橋といい駿河町と呼ぶ名称の何たるかを知りこれに対する伝説の興味を感じていたなら、繁華な市中からも日本晴の青空遠く富士山を望み得たという昔の眺望の幾分を保存させたであろうと愚にもつかぬ事を考え出す。」(327

 

「東京の水を論ずるに当ってまず此を区別して見るに、第一は品川の海湾、第二は隅田川中川六郷川の如き天然の河流、第三は小石川の江戸川、神田の神田川、王子の音無川の如き細流、第四は本所深川日本橋京橋下谷浅草等市中繁華の町に通ずる純然たる運河、第五は芝の桜川、根津の藍染川、麻布の古川、下谷の忍川の如き其の名のみ美しき溝渠、もしくは下水、第六は江戸城を取巻く幾重の濠、第七は不忍池、角筈十二社の如き池である。」(332

 

 散策、散歩とは、今風に言えば、ウォーキングということになろうか。荷風は金があってなお「金を使はず」と言っているのだが、私の場合は、まさに正真正銘金もない身として、「その日その日を送るに成りたけ世間へ顔を出さず相手を要せず自分一人で勝手に呑気にくらす方法」として、今後も中央区内をぶらぶら歩いていきたい。

 

 

「シンデレラ」のクリスマスツリー〔GINZA TANAKA銀座本店〕

[ジミニー☆クリケット] 2015年11月30日 16:00

tanak111.JPGGINZA TANAKA田中貴金属ジュエリー株式会社)の銀座本店1階では、ディズニー映画「シンデレラ」をモチーフとした純プラチナ製クリスマスツリーディズニー シンデレラ プラチナクリスマスツリー」(税込価格:1億円)が展示・販売()されています

tanak112.JPG高さ約2.5mの「クリスマスツリー」には、純プラチナが約9kg(、ダイヤモンドが約3ct(使われているそうで、らせん状の部分をツリーに見立てて、純プラチナ製のカボチャの馬車や魔法使いのシルエットを配し、シンデレラがツリートップのシンデレラ城へ向かうストーリーを表現しているそうです

こちらは、ツリーの中心に置かれた、3ctのダイヤモンドをデザインした純プラチナ製の"ガラスの靴"で

tanak115.jpg展示期間は、11月19日)から12月25日)です

tanak114.JPG同期間中は、「シンデレラ」コーナーを設けて、「シンデレラ」関連ジュエリーや手鏡など全5アイテムも展示・販売しています

 

 

 

SAKURA GATE ILLUMINATION

[サム] 2015年11月30日 14:00

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R0036399 (4)RS'.jpg 日本橋さくら通りは、春は「さくらまつり」、冬は「TOKYO ILLUMILIA」で賑わいを増します。

11月27日、年末恒例のイルミネーション「TOKYO ILLUMILIA 2015-2016」が点灯。

会期:11月27日~2016年2月14日 16:30~23:00

テーマ:過去と現在、未来を繋ぐ「光のゲート」

東京駅八重洲口から日本橋へ続くさくら通りを門に見立て、過去と現在・未来を繋ぐ「光のゲート」<八重洲・日本橋>を演出します。

さくら通りの交差点に面する桜の木には枝先まで白色のLEDを使い装飾することで、大きく伸びた枝先が重なり合い "光の門" を表現。

交差点間の桜の木には金色のLEDを使い、"光の門" を繋ぐように優美な光が連なります。

300mの桜並木約70本に飾られたLED電球は合計約16万球。

27日18:00から日本橋プラザ南広場に於いて、主催者の「日本橋八重洲仲通り商店会」「日本橋二丁目通町会商店会」「日本橋三丁目西町会・商店会連合会」「八重洲一丁目商店会」「八重洲一丁目中商店会」の関係者、矢田中央区長臨席のもと、点灯式が執り行なわれました。

 

 

小網神社の「どぶろく祭」

[クラさん] 2015年11月30日 12:00

「どぶろく祭」は、新穀豊作に感謝する新嘗祭に由来する行事で、日本橋小網町の小網神社では、今年は11月27日(金)に行われました。

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新穀と共に神前に御供えされるどぶろく(神饌田でその年にとれた新米から作られたにごり酒)を、参拝者に振舞うところから、この祭りを特に「どぶろく祭」として親しまれています。

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当日は、朝9時から社殿で祭礼が行われ、お神酒の一合瓶と強運厄除のみみずくが限定配布(有料)されるため長い列ができていました。

小網神社は、室町時代に建立の小網万福寺に祀らてい稲荷社に起源と伝わり強運・商売繁盛の福の神として信仰を集めてきました。参拝を済ませると巫女さんが、どぶろくを勧めてくれました。

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強運厄除の「みみずく」の由来は、昔、親孝行の娘が病身の母親に与える薬代に困っていた時、「すすきで作ったみみずくで母を救え」という神さまからのお告げがあり、娘は母に孝行を尽くした、という話に由ると伝えられています。「みみずく」は、、11月のどぶろく祭に因み、秋の七草を代表する「すすき」を素材にし、強運厄除・商売繁盛のご利益が自らの「み」(身)に「つく」と云うことから授与されているそうです。

また、正午過ぎから、国指定無形文化財の「里神楽舞」が神前で奉納されました。

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関東二大どぶろく祭の一つに数えられる小網神社の来年(2016年)の「どぶろく祭」は、11月28日(月)です。

 

 

 

歌舞伎座ツアー

[メニイブックス] 2015年11月30日 09:00

11月28日 中央区観光協会とぽけかる倶楽部の共同企画による「歌舞伎座・木挽町広場の裏側と大道具から見た歌舞伎の世界を学ぶ」に参加しました。9時50分に「歌舞伎稲荷大明神」のところに集合。総勢20名。2班に分かれ1班は歌舞伎座サービス(株)の茂木様、2班は西村様が案内してくれました。午前中は歌舞伎座正面から地下に降り「木挽町広場」のお店を見て回りました。

 

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左から12月2日初日飾りつけのある歌舞伎座正面。隈取の「フェイスパック」。「ひねもす」さんの「開運小槌」。お土産に買いました。

 

 

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「いろはきんつば」さんの実演、3時のおやつにアツアツのきんつばが出ました。甘さ控えめで美味しかったです。これもお土産として購入。「いろは」の名前はかって歌舞伎座の席順が「いろは」になっていたことから河竹登志夫教授が命名したことや、きんつばにまつわるお話をしていただきました。

 

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上の写真は一本歯の下駄をはいているところ。なかなかバランスを取るのがむつかしい。お試しもできました。

 

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上は「木挽町広場」にある大提灯。高さ2.2mx直径1.9m。5階に上り歌舞伎座ギャラリーを見学。染五郎さん案内のVIDEOで歌舞伎座の裏側を探索。なかなか見られない裏側を見られたのが良かった。

 

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3階の「花籠」(貸し切り)で昼食。総料理長の東海林さんからお弁当の内容説明がありました。江戸時代の弁当を復元したそうです。ただしご飯の量は当時の半分、味付けは江戸時代はもっと濃かったそうです。真ん中上にあるのは定式幕を模したかまぼこで「黒ゴマ、くちなし、ホウレンソウ」で色付けしてあるとのこと。美味しかった。

 

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お弁当のあと「投扇」「けん玉」に挑戦。
簡単なようでこれがなかなか難しい。
当るには当るのだがそれだけでは得点が低く、箱のうえの標的と扇の落ちた関係で高得点が得られるそうです。
みなさん楽しんでおりました。
「けん玉」もみなさん挑戦していました。

IMG_2093.JPGゲーム終了後、歌舞伎座舞台(株)の足立様(右)による舞台装置・大道具の話がありました。
会社は1655年に始まるそうです。
江戸時代の歌舞伎の歴史に出てくる、例の「長谷川勘兵衛」さんが初代です。

左の方が歌舞伎座サービス(株)の茂木様で、自身も代々歌舞伎座に縁のある方だそうです。

歌舞伎はやはり伝統に支えられているのですね。

このようなツアー内容で、あっという間に5時間が過ぎてしまいました。これからちょっと歌舞伎を見る視点が違ってくるかな?

なお「木挽町広場」は災害時、帰宅困難者の避難場所になるそうです。正確な人数は忘れましたがかなりの人数が収容できるそうです。

 

 

続きを読む: 歌舞伎座ツアー

 

京橋~日本橋ウォーキングコース(2)

[CAM] 2015年11月29日 20:00

高島屋日本橋店 (国指定重要文化財)

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 昭和初期に建設された大規模な百貨店。古典様式の建築物の細部に東洋的なモティーフが散りばめられている。 軒先廻りにテラコッタによる化粧樽木が付き、1階ホールには大理石の柱が支える格(ごう)天井が見られる。 

 

名水白木屋の井戸(2015年11月28日撮影、以下同じ)

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 日本橋交差点角にあった東急百貨店(平成6年1月閉店)は、昭和33年まで白木屋という屋号でした。白木屋は、近江商人大村彦太郎の創業、越後屋と肩を並べる呉服の大店で、二代目彦太郎が正徳2年(1712年)に掘った井戸の水は、付近の住民のみならず、広く「白木名水」とうたわれました。 現在、白木名水は消失しましたが、東京都指定の旧跡として記念碑があります。(観光協会サイトから)

 

凧の博物館

 

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郵便発祥の地

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『現在、日本橋郵便局があるところは、明治4年(1871)近代郵便制度発足時に、駅逓司と東京郵便役所が置かれたところです。駅逓司は、新たな通信・郵便事務を統括する中央機関であり、郵便役所はその取扱機関として、東京、大阪、京都に設けられました。昭和374月の郵便創業九十周年を記念して、記念碑と郵便制度創設に着手した前島密(18351919)の胸像が設けられています。』
中央区文化財めぐり
中央区教育委員会

 

 海運橋親柱

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所在地 中央区日本橋1-20先
海運橋は、楓(もみじ)川が日本橋川に合流する入り口に架けてあった橋です。江戸時代初期には高橋と呼ばれ、橋の東詰に御船手頭向井将監(しょうげん)忠勝の屋敷が置かれたので、将監橋とか海賊橋と呼ばれていました。御船手頭は幕府の海軍で、海賊衆ともいっていたためです。
橋は、明治維新になり、海運橋と改称され、同八年に、長さ八間(約15メートル)、幅六間(約11メートル)のアーチ型の石橋に架け替えられました。文明開化期の海運橋周辺は、東京の金融の中心として繁栄し、橋詰にあった洋風建築の第一国立銀行とともに、東京の新名所となりました。
石橋は、関東大震災で破損し、昭和二年鉄橋に架け替えられました。このとき、二基の石橋の親柱が記念として残されました。鉄橋は、楓川の埋立てによって、昭和37年撤去されましたが、この親柱は、近代橋梁の遺構として、中央区民文化財に登録されています。
平成六年三月
中央区教育委員会

 

 
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