[之乎者也]
2015年12月17日 09:00
落ち着いて読書を楽しんだ秋の夜長の季節もあっという間に過ぎ去り、いつの間にか師走に突入です。仕事に忘年会と慌ただしい日々が続きますが、そんな中今回は「文学で楽しむ中央区」の第4弾として、仕事帰りに八重洲ブックセンターで買った文庫ベストセラーの『しんがり 山一證券 最後の12人』(清武英利著:講談社α文庫)をご紹介します(第3回までは「文学で楽しむ中央区」としていますが、現代の話ですので今回は「文学で知る中央区」と名前を変えての登場です)。
こちらについては、日曜の夜に「連続ドラマW しんがり~山一證券 最後の聖戦~(江口洋介主演)」が、9月20日からWOWWOWで放映されていたのでドラマでご覧になった方もいらっしゃると思いますが、今まで3回にわたってご紹介した江戸時代のお話とは異なり、わずか18年前(1997年11月)、現代の中央区が舞台となった「ノンフィクション」のお話です。
「山一證券の本社は、塩浜ビルから都心側に5キロほど戻った中央区新川にある。こちらは青い窓ガラスがきらきらと輝く21階建ての高級オフィスビルだ。一見、変哲の無い真っすぐのビルは、13階のあたりから突然、積み木細工のように部屋を互い違いに重ねたような凝った作りになっている。そこから隅田川と、佃島の三角州に立つ八棟の超高層マンションを見渡すことができた。成功者の住む『大川端リバーシティ21』である。。。」。
小説のはじめ「第1章 予兆」に登場する旧山一本社ビルは、現在は新川に本社のあるレジデンス・ビルディングマネジメント(RBM)という不動産会社が所有し、山一證券とは関係のないさまざまな会社が入居しています。
ビルは18年前同様現在も永代通り沿いの隅田川と永代橋を見下ろす場所に周囲を睥睨するように立っており、バブル時代の当時、創業100年を迎え、4大証券の一角として業界に君臨する本社のエリート職員の気持ちを表すような建物を今も見ることができます。
この小説の主人公の嘉本隆正(かもとたかまさ)ほか「ギョウカン(業務管理本部の通称)」の12名は、もともと華やかな本社勤務とは縁の無い会社人生を送り、「場末(ばすえ)」と呼ばれる塩浜のビル(江東区塩浜。地下鉄東西線木場駅の南東方約500メートル)で仕事をしていましたが、1997年11月の三連休の初日に日経朝刊に「山一證券自主廃業へ 負債3兆円 戦後最大」というスクープ記事が出、「社員は悪くありませんから!悪いのはわれわれなんですから!お願いします。。。」という社長の号泣会見が行われる中で、会社の最後の仕事ーーー会社を滅亡に追いやった原因である「簿外債務」の真相解明と顧客に対する清算業務ーーーを引き受けることになります。
【山一證券 社内調査委員会 社内調査報告書(表紙)】(http://kunihiro-law.com/files/open/writing/555d7e5511jn4cpn563ju_pdf.pdf)
山一證券の破たんという企業敗戦にあたり「戦に敗れて退くとき、軍列の最後尾に踏みとどまって戦う兵で、盾となって戦うことで、多くの兵が逃れて再起を期す」という兵法で言う「殿軍(しんがり)」の役回りを引き受けた12人のお話です。最初は社内調査を進めようにも相手にもされなかった主人公ですが、志を持ち奮闘する姿に協力者は徐々に増え、最後には「社内調査報告書ーーーいわゆる簿外債務を中心として」が完成されます。第3回でご紹介した「関東郡代 伊奈半左衛門忠順」同様、必ずしもハッピーエンドで終わらないお話ですが、419ページ超のストーリーは、読むものを引き付けて離しません。
その後、東京証券取引所も大阪証券取引所と経営統合し2013年1月には日本取引所グルーブ(JPX)が誕生しました。また、バブル期の89年12月に史上最高値(3万8,916円)を記録した日経平均は、その後低落を続け、リーマンショック後の09年3月にはバブル後最安値(7,055円)を付けたものの、最近(2015年12月)では2万円前後に回復し、東証のある兜町界隈も元気を取り戻したのでしょうか?山一證券の破たんした97年当時、永代通りには山一證券本社とともに金融危機の影響で相次いで破たんした準大手証券の三洋証券(97年11月3日 会社更生法適用)、北海道拓殖銀行(97年11月17日 都銀初の破たん後、北洋銀行に営業譲渡)東京支店が立ち並んでおり、兜町界隈では自虐的に「倒産通り」と呼ばれていたことについても小説では語られています。
【車で混雑する永代通り:東京証券会館付近】
兜町でも97年の出来事はひと昔前のこととなりましたが、「しんがり 山一證券 最後の12人」は、証券業界とともに東京証券取引所と証券会社が立ち並ぶ中央区の現代史を知る機会を与えてくれます。
【旧山一證券ビル(茅場町タワービル)】
所在地:中央区新川1-21-2(*こちらは一般の会社の事務所や住宅がある場所ですので、見学等のために勝手にビル内部へ立ち入ることは止めましょう(外から見ることに留めましょう)。)
交通:地下鉄東西線茅場町駅下車徒歩7分。都バス東20、22永代橋バス停下車そば。中央区コミュニティサイクル(CCC)「B06 アクロス新川ビル」サイクルポートから徒歩1分程度。
[サム]
2015年12月16日 20:00
メタセコイアはスギ科メタセコイア属の落葉高木。
和名はアケボノスギ。
樹形は直立し、大きいものは高さ35m、径2~3mに達すると云われます。
樹冠は円錐形で、樹皮は赤褐色で浅く縦裂。
葉は線形で、羽状に対生し、秋には橙赤褐色に色づきます。
あかつき公園(築地7)のメタセコイアも橙赤褐色に染まり、見頃を迎えています。
恐竜時代の後に栄えたとされ、当初化石として発見されたため、絶滅種扱いされていましたが、昭和20年(1945)、中国の四川省で現存することが確認され、一躍世界の注目を浴び、「生きている化石」とも称されます。1属1種。
メタセコイアの日本での植樹は、昭和24年(1949)昭和天皇が吹上御殿に植えられたのが最初とされます。
異国的な雰囲気を醸し出す樹形です。
[サム]
2015年12月16日 16:00
ファンケル銀座スクエア(銀座5)では、12月14日~20日の7 日間、10Fのテラス付サロンスペース "ロイヤルルーム" を、「クリスマス・イルミネーションガーデン」として一般開放しています。
(16:00~19:00)
現在、年7回開催されている「季節のガーデンイベント」のひとつで、今年度最後を飾る催事。
イルミネーションが輝くテラス "銀座の空中庭園" を眺めながらの、寛ぎの空間の演出です。
期間中、毎日16:20~/17:20~/18:20~の3回、20分のミニライブが日替わりで開催され、いろいろな音色でクリスマスサウンドが楽しめます。
(14日:ハーモニカ、15日:アコーディオン、16日:ギター、17日:サックス、18日:キーボード弾き語り、19日:フルート、20日:バイオリン)
初日の14日は、クロマティックハーモニカ奏者山下伶さんの演奏。
「9F レストラン ぎんざ泥武士」こだわりのオーガニック素材を使ったおつまみとスパークリングワインのセット「トワイライトセット(@1,000)」もミニライブと共に楽しめます。
[みど]
2015年12月16日 14:00
銀座7丁目信号から徒歩1分、金春通りにある「笑座こんぱる」
はニューハーフ&美男美女ダンサーによる楽しいショーレス
トランです。
ショーが始まる1時間前に店に入り、食事をしているとダンサー
が次々と挨拶にきてくれて名刺を渡してくれます。このサービス
精神は素晴らしいと思いました。オカマバーではないので美人の
女性もいます。
料理はサーモンサラダ、天心3種盛り、から揚げえび天冷しそば
にアルコール呑み放題付き。
店内はすぐに満席となり、ショータイムが始まると最初から盛り
上がりました。上下に動く3段ステージの舞台を縦横無尽に動き
ダイナミックかつスピード感のあるパフォーマンスが繰り広げら
れます。10人以上のダンサーが次から次へと出ては去りの七変化。
随分と練習を重ねたのだろうと思いました。
1回のショータイムは50分ですが、あっという間に終わってしま
った程、夢中になれました。
ショーの後に座長さんから各ダンサーの紹介があり、常連さんは
オヒネリを渡していました。
ショーは日に三回あり2時間45分刻みで入れ替え制となっています。
最近では、はとバスツアーのメニューにもあるとのことです。
非日常的な舞台を楽しく満喫させてもらいました。
笑座こんぱる
東京都中央区銀座8-7-5 金春ビルB1F
TEL03-6215-8593
http://show-the-konparu.com/
[CAM]
2015年12月16日 12:00
本日(12月13日)の日経新聞朝刊の24面、『文学食べ物図鑑(28)』(特別編集委員 野瀬泰申)で、関東大震災後の銀座について述べられており、そこで、荷風の『濹東綺譚』「作後贅言(ぜいげん)」から下記の部分が引用されていますね。
「銀座の町がわずか三四年見ない間にすっかり変った、其景況の大略を知ることができた。震災前表通に在った商店で、もとの処に同じ業をつづけているものは数えるほどで、今は悉く関西もしくは九州から来た人の経営に任ねられた。裏通の到る処に海豚汁や関西料理の看板がかけられ、横町の角々に屋台店の多くなったのも怪しむには当らない」
そして、さらに荷風は
「飲食店の硝子窓に飲食物の模型を並べ、之に価格をつけて置くようになったのも、蓋し已むことを得ざる結果で、これまた其範を大阪に則ったものだという事である」
と述べています。大震災後になって飲食店の店頭に食品サンプルがあふれる光景を見て、荷風は料理のように関西発祥のものが東京にやってきたと思ったのでしょうが、実は食品サンプルの発祥は大阪ではなく東京生まれで、震災後に始めたのは日本橋・白木屋百貨店だったことが、このコラムで述べられています。
[ジミニー☆クリケット]
2015年12月16日 09:00
以前、このブログでご紹介した、数寄屋橋交差点に建設中の大型商業施設、「(仮称)銀座5丁目プロジェクト」は、「東急プラザ銀座」として、来年3月31日にグランドオープンします
「東急プラザ銀座」は、地下5階~地上11階建てで、延べ床面積は約5万平方メートル
ファッション・雑貨・食品などの店舗やカフェ・レストランのほか、東急百貨店と東急ハンズの新業態店や免税店も出店するそうです
「江戸切子ビル」出現!?〔数寄屋橋交差点〕(2015年5月24日)
/archive/2015/05/post-2465.html