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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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検定、受けてきました〔中央区観光検定〕

[ジミニー☆クリケット] 2017年2月20日 09:00

2月18日)、中央区観光検定を受けてきました

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私の受けた会場は、日本橋会場で、日本橋蛎殻町2丁目にあるロイヤルパークホテルでした

会場は2つあって、銀座会場の方は、コートヤード・マリオット銀座東武ホテルでした。

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私にとっては、3度目の受検です

3年前は大雪で、検定開始時刻が遅れたのを覚えています

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検定時間は、10時30分から12時00分90分間で、出題数は100問

1問1点で採点され、合格基準は正解率75%以上です。

今回のテーマは、「京橋エリア」で、中央区の京橋・八重洲周辺に関する問題が10問出題されました

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検定時間が終わると、帰りに解答をもらえますので、自己採点もすぐにできます。

残念ながら、記憶があいまいな個所を問われて間違えてしまいましたが、ラッキーもありました

問49、貨幣博物館の入っている建物名を問う問題、「日本銀行新館」か、「日本銀行分館」か、「日本銀行アネックス」か、迷いに迷って、「分館」を選び、結果は正解。ラッキーでした

ちなみに、テキストにはちゃんと記載がありましたし(32ページ)、受検帰りに行って確認もしました

こんなにしっかり表示されてたんですね

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合格発表は、3月上旬だそうです

 

 

第九回中央区観光検定

[メニイブックス] 2017年2月19日 18:00

早速2月18日開催の検定試験に行って来ました。挑戦したのは今回で8回目です。第四回は緊急入院で参加できませんでした。今回は100点満点を狙って準備していたのですが、帰宅して1時過ぎHPを開け解答チェックしたところ満点には程遠いお点でしたヨ。残念。でもアンケートにありましたように来年も中央区のいろいろな知識を確かめる意味で挑戦。次回も100点目指して中央区を歩き回るゾ。なかなかいい問題だったと思っていますが、挑戦された方々結果は如何でしたでしょうか?

 

続きを読む: 第九回中央区観光検定

 

たいめいけんのラーメン

[ジミニー☆クリケット] 2017年2月19日 09:00

たいめいけんは、言わずとしれた日本橋1丁目にある昭和6年創業老舗洋食屋さんです

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正面の入り口に向かって右側に、ラーメン専用立ち食いコーナーがあります

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立ち食いコーナーを利用する場合、自動販売機食券を購入するのですが、今日は夕方のすいている時間帯でしたので、メインの入口から入って、ラーメンを注文できました

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ラーメンは、醤油ベースの澄んだスープが特徴で、あっさりしており、塩辛くありません

細麺です

ふちが食紅紅色チャーシュー懐かしさ満載です

焼き海苔青ネギ太めのシナチク、そしてさやえんどうがあしらわれています

老舗の洋食屋さんのおいしいラーメンです

たいめいけんのHPはこちら ⇒

http://www.taimeiken.co.jp/index.html

 

 

ぺんてる株式会社の歴史とサインペン  ~ ぺんてる ~

[rosemary sea] 2017年2月18日 09:00

『ギフト、そして自分も楽しむ』をコマンドとして取材します、 rosemary sea です。

  

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今回はぺんてる株式会社 マーケティング推進部 内村さんに記事掲載のご承認及び画像のご提供をいただきました。

 

大手文具メーカーのぺんてる株式会社さん。

筆や墨、硯の卸問屋を浅草で営んでいたのがそのルーツ。

昭和21年(1946年)、日本橋小網町の現在地に移転して大日本文具株式会社設立。

昭和46年(1971年)、社名を「ぺんてる株式会社」としました。

 

ぺんてるという社名の由来は・・・

ペインティング(絵の具などで絵を描くこと)とパステル(固形描画材)を合わせた造語。

筆記具の総称のペン(pen)と、「伝える・表現」のテル(tell)の意味を含む、ともされています。

画材メーカーとしての創業が上手に表現されている上にまさに製品や事業内容を象徴している、そのようなネーミングです。

 

次にぺんてるさんの成長きっかけとなりましたサインペンについて。

※ ここからのお話は昨年11月に受講した「舟運ガイド研修」(船のガイドの研修)で講師より伺いました。

 

昭和38年(1963年)、ぺんてるサインペン発売。

皆さんご存知のとおり、今も根強い人気商品ですね。

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(ロズマリの勤務先でも赤と黒のサインペンはずっとぺんてるさんのものです。)

 

しかし8年もの歳月をかけた研究の末完成したこの携帯用水性サインペンは、当初日本では全く売れませんでした。

 

ところがその翌年、ここから想定外の、驚くべきエピソードに繋がります。

 

ニューズウィーク表紙.jpgアメリカでの見本市で配布したサインペンのうちの1本が当時のアメリカ大統領:リンドン・ジョンソンの手許に。

ジョンソン大統領、その書き味に感激、このサインペンを愛用することとなりました。

大統領、一度に24ダース(288本)を発注されたそうです。

このことが雑誌で伝えられると注文が殺到・・・。

ぺんてるサインペンはアメリカで人気に火が付きました。

日本での大人気はこの後となります。

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もうひとつ、これはサインペンとして、やはりアメリカでのお話。

 

ボールペンはインクが重力によってペン先に下りてきます。

よって宇宙ではボールペンは使用できません。

NASA(アメリカ航空宇宙局)は悩んでいました。

そこでサインペンに脚光が。

サインペンは重力に頼らずインクを吸い上げる構造。

ここに着目してNASAはサインペンを無重力空間でも使える公式スペースペンとして指定。サインペンは宇宙飛行士が使う筆記具として1965~66年の有人宇宙飛行「ジェミニ」に乗船を果たします。

 

現在サインペンは世界で認められ、世界中で販売されています。

ぺんてるサインペン発売から50余年、ロングセラーのヒット商品となっています。

 

ぺんてる株式会社

日本橋小網町7-2

ぺんてる株式会社さんのホームページはこちら ⇒ http://www.pentel.co.jp/

 

 

銀座の公園に保育所〔水谷橋公園〕

[ジミニー☆クリケット] 2017年2月17日 16:00

銀座1丁目、中央通り昭和通りの中間地点にある区立の公園水谷橋公園内に保育所が作られるとの発表がありました

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この保育所は、2019年10月の開設を予定しているそうです

銀座を訪れる買い物客観光客向けに、子供の一時預かり機能も備える予定とのこと

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中央区では、今回の保育所新設について、「銀座にふさわしい憩いと潤いのある質の高い空間高機能を拡充し、多様なニーズに対応するとともに、良好な立地上のアクセスを生かし、待機児童の解消に向けた取り組みとして保育所を整備し、子育て環境の充実に寄与することを目的とする」としています

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下は、保育所のイメージ画像です

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施設は、3階程度多層階で、屋上は公園として一般に開放される()そうです

区内のタワーマンション開発により、子育て世帯も増えているそうで、土地を有効活用して待機児童問題も解消できるすばらしいアイデアですね

 

 

黒江屋さん、その歴史  ~ 漆器 黒江屋 ~

[rosemary sea] 2017年2月17日 09:00

『ギフト、そして自分も楽しむ』をクローズアップして取材します、 rosemary sea です。

  

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漆器の老舗、黒江屋さん は前回ご説明させていただきましたとおり、元禄2年(1689年)の創業です。

今回はその黒江屋さんの歴史について述べてみたいと思います。

株式会社 黒江屋 取締役 支配人 田中さんに掲載のお許しをいただきました。

 

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上の写真は関東大震災以前の黒江屋さんのお店です。

 

黒江屋さんの「黒江」は紀伊国名草郡黒江村(現在の和歌山県海南市)に由来します。海南市は和歌山市、、有田市、紀の川市などと隣接する瀬戸内気候に属する温暖な丘陵地。

鎌倉時代の正応(しょうおう)元年(1288年)、高野山を追われた僧侶たちが紀の川上流、紀伊国那賀郡に移り根来寺を建てます。

そして時は流れ戦国時代、根来寺は織田信長に反逆。信長は怒り、秀吉に命じて根来寺に焼き討ちをかけました。

漆器の産地として有名であった根来、そこで根来塗を作っていた僧侶たちは各地に流れ散りまして、その一派が下流の黒江村へ。これがきっかけとなり黒江村に漆器作りが広まったと云われています。

 

この黒江村からまず大坂へ、そこから江戸へ出てきた人物がおります。

姓名不詳ですが、日本橋本町に漆器店を開きました。

これが黒江屋さんのルーツです。

 

この黒江屋さん、安永3年(1774年)に経営権が移ります。

今で云うM&A。新しい経営者は柏屋さん、現在まで続く柏原家です。

呉服小間物問屋などを中心に、手広く商いをしておりました。

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安政3年(1856年)、店を本町から現在地に移し、現在に至ります。

黒江屋さんの商標に「柏」がついているのも柏原家に由来します。

 

当時は諸大名、大奥などのご用をつとめ、明治以降は宮内省のご用もつとめています。明治23年版の商人名家集「東京買物独案内」にも載っています。

以前は1階に全国からの高級漆器、2・3階は婚礼調度品、家具などの売場となっていました。

 

柏原家の祖先は加藤清正公の家臣で、寛永年間(1624年~1643年)京都に呉服・小間物問屋のお店を開きました。

さらに江戸店として本町に江戸十組問屋仲間に属する小間物・木綿等の問屋を持つことに。

江戸店を持つ京商人として現在発祥の京都五条に約300年前のお屋敷があります。また、蔵の内容物を年2回、洛東遺芳館の名で展示しています。京都三条高倉の京都文化博物館には江戸時代の町屋としての20分の1の模型が展示されています。

 

ここで日本橋の「通り三軒」について。

江戸元禄の頃から明治・大正・昭和と、日本橋の通り筋にお店を並べていた漆器店が3軒ありました。

いずれも大店(おおだな)で、「木屋」、「きん藤(とう)」、「黒江屋」。業者仲間では通称「通り三軒」と呼ばれ、戦前まで親しまれていました。

「木屋」はあの「刃物の木屋」さんと同じく木屋の分店の漆器店です。

残念ながら戦後廃業されました。

「きん藤」は反物の近江屋と藤右衛門の名の合体で「近藤」と名乗りましたが、「コンドウ」と間違われることからのちに「きん藤」と改めました。

こちらの漆器店も戦後すぐに譲渡・廃業しています。

黒江屋さんは日本橋のたもとで現在も漆工芸の精緻を、伝統を、しっかりと守り続けています。

現在の株式会社黒江屋 柏原和弘社長は12代目です。

漆器販売業、板紙(いたがみ)を扱う紙販売業、不動産賃貸業が現在の柏原家の家業の三本柱となっているそうです。

 

日本橋1-2-6 黒江屋国分ビル2階

03-3272-0948

営業時間  9:00~18:00

定休日   土・日・祝祭日

東京メトロ  日本橋駅 B9出口より徒歩1分

        三越前駅 B5出口より徒歩3分

日本橋の橋からみて榮太樓總本鋪さんの手前隣り、2階です。

黒江屋さんのホームページはこちら ⇒ http://www.kuroeya.com/

 

 
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