私は現在72歳。父も母も卒業した中央区立阪本小学校を60年前に卒業しました。中学校は紅葉川中学校、生徒数の減少で廃校となり、日本橋中学校と有馬中学校と合併し私にとっては「なし」の状態です。さみしい。同様に子供の減少があるにも拘わらず、現存している阪本小学校は末永く残ってほしいものです。関東大震災後の復興小学校の校舎(鉄筋コンクリート)を壊して、平成31年初頭(2019年)に新しい校舎に移るという話なので、現校舎を見せてもらいました。私の会社のオフィス(生まれて育ったところ)から徒歩3分程度の所にあるにも拘わらず、卒業後は訪問したことがないので、許可を取って内部を見てきました。
(最近は物騒なので、勝手に入るわけにはいきません)
「併設幼稚園がなくなった・用務員室の場所が変わった」以外、基本レイアウトは変っていないので60年前を思い出しながら"一人で"歩き回りました。(良く許可してくれたと、思います)
阪本小学校歴訪の機会を与えて頂いた校長先生はじめ関係者の皆様に感謝いたします。
【阪本小学校の歴史】
この学校は明治6年5月(1873年)元熊本藩主細川家の下屋敷であった場所に、『第一大学区第一中学区第一番小学 阪本学校』と称して開校した。一部九鬼式部邸にもかかっているかもしれません。この辺りは坂本町という名の町が傍にあるので、坂本小学校と名付けたようですが、現在坂本町は存在せず兜町となっています。(いつから"阪"になったのかの理由は不明です)
開校時の生徒数は36名であったが、木造校舎を新築した明治7年4月には267名に増えています。明治13年には校名を 公立阪本小学校、同女子小学校と称しました。明治22年には男校舎を取り除き女校舎に合併し、男女授業を隔日としたとのこと。(学校でも、男女"6"歳にして席を同じゅうせずですね)この時木造総二階の新校舎が落成しました。
大正12年9月1日 関東大震災に羅災。校舎は全焼。東京市は罹災後の救助、救援活動などで学校建築の重要性を認識し、東京市臨時建設局学校建設課の共同設計による「復興小学校」の建設を急ぎました。中央区には、阪本小学校の他、明石小学校・城東小学校・泰明小学校・中央小学校・常盤小学校・京華小学校・十思小学校などが当時の建築様式を現在も残しています。復興小学校の建築方法が見直され、保存運動が持ち上がっているようです。
昭和3年 3階建て鉄筋コンクリート校舎落成
築89年、現在も当時の校舎が使われています。なくなってしまうのは残念です。(新校舎の設計図は未だ出来ていないようなので、現校舎の一部が保存されるかどうかは不明です)
平成11年2月 125周年記念式典(講堂で開催されたようです)
【阪本小学校の現状】
入り口の像は「少女」というタイトルで、山本正道氏作品です。
文部博士中村孝也 作詞 東京音楽学校 作曲 |
一 富士の高嶺の白雪も 登らばついに掬ぶべし 学びの山も麓より 撓まず倦まず踏み分けむ(ん) 名も阪本の我等の学び舎 仰げば遠し 空のあなた |
二 赤き心のもみじ川 月を浮かべて流れゆく 教えの海に漕ぎ入りて 底の真珠を探りなむ(ん) 名も阪本の我等の学び舎 行手は広し 浪のあなた |
現在は富士山も見えないし、紅葉川(もみじ川)も埋め立てられて高速道路、寂しい限りです。校歌だけは60年前と変わらずうたわれています。
現在の全校生徒数は、男子86名・女子71名 計157名。学区は兜町・茅場町ですが、学区外からの生徒が半数程度いると考えられます。60年前は学区内の生徒だけで、6年時生徒数は55名、1クラスでした。学区外の生徒受け入れて、廃校にならず頑張っています。
【校舎改築】
2016年2月15日発行の建通新聞によると、
「地下2階地上6階建て延床面積約1万4000平方㍍の新校舎を建設し、別地の再開発で一体的に建て替える城東小学校を一定期間併置する計画だ。建築設計の競争参加有資格者を対象に2月25日~3月2日で参加表明書、3月22日~4月1日で技術提案書を受け付け、4月中旬をめどに委託先を決めて契約を結ぶ。2017年第2回区議会定例会付議案件として本体工事を発注し、19年2月に完成させて同年4月の開校を目指す。 阪本小(日本橋兜町15ノ18、敷地面積3370平方㍍)の現校舎は鉄筋コンクリート造地下1階地上3階建て延べ3667平方㍍。1928年の完成で、隣接の坂本町公園(日本橋兜町15ノ3、面積5009平方㍍)とともに関東大震災の復興事業で整備した。老朽化が進み、毎年のように改修を実施していることから、良好な教育環境を確保するため改築する。「八重洲二丁目1地区」の再開発で一体改築する城東小(八重洲2ノ2ノ2)を21年度まで併置するため、新校舎は完成時に2校分の普通教室として18室を用意する。また、阪本認定こども園(仮称)の保育室6室も設ける。 16年度は新校舎の基本・実施設計と並行して、坂本町公園内に阪本小と城東小の仮校舎を設置。17~18年度で現阪本小の校舎の解体と新校舎の建設を実施して、仮校舎の撤去後の19年度に坂本町公園を復旧する。 基本・実施設計業務の契約上限金額は1億7610万円(税込み)。16年度予算に計上し、4月中旬~17年3月15日の履行期間で成果を納めてもらう予定だ。プロポ手続きを通じて「阪本小学校及び阪本認定こども園(仮称)の施設像」に関する技術提案を求めることにしている。」
現時点のスケジュールは以下のようになっています。平成29年6月30日に阪本小学校を訪問しましたが、現校舎は存在し授業も行われていますので相当の遅れが出ているようです。
平成28年度末: 仮校舎完成の予定
平成29年度初頭: 仮校舎へ引っ越し
平成29年度: 現校舎解体開始
平成30年度末(2019年3月): 仮校舎での授業
平成31年度初頭: 新校舎へ引っ越し
【校内レイアウト】
主事室(昔の用務員室ですかね?)の位置・幼稚園の有無・給食室の位置変更を除けばレイアウトは60年前と変わっていませんでした。信じられない!
現存するオールドファッションな校舎内を幾つか紹介しましょう:
入り口に入って左折した突き当りにある木製の階段と、2Fの廊下です。
2Fから運動場をのぞいてみました。60年前もそうでしたが、「狭い」という印象は同じです。見ても判るように、徒競走する時も直線コースが取れません。グラウンドはコンクリートですから、転んだら間違いなく怪我をします。徒競走するとコーナーが必ず2つ設定されるので、非常に危なかったという感じが60年前もしましたが今も全く変わっていません。右側の写真は運動会を開催した時のものです。狭くてもどうにかなるものです。
私にとって、阪本小学校で最も印象的なものは"古~~~~~い"巨木の銀杏の木と、講堂です。銀杏の木は校舎よりも高いかもしれません。60年前でも直径が50~60cmはあったように思いますので、細川邸時代にあったのかもしれません。樹齢200年以上?
講堂は面影を残しながら体育館になってしまいました。集会として利用する舞台は60年前のものと同じ感じ。写真の右端に写っています。