[健さん]
2017年11月13日 09:00
古くから「三の酉がある年は、火事が多い」と言われていますが、明暦3年(1657年)の「明暦の大火」は現在の中央区の大半を焼けつくした歴史に残る事件でした。この年が三の酉まであったそうです。いわれはともかく「火の用心」ですね。写真は人形町通りにたなびいている「火の用心」のフラッグです。「秋の火災予防週間」です。
「火の用心」の隣は人形町通りに二つある「からくり櫓」の一つ「江戸火消しからくり櫓」です。このあたりは江戸火消し「いろは四十八組」の「は組」の受け持ち地区でした。人足が600人近くと江戸の町の中でも2番目に多い組でした。もう一つの「からくり櫓」は通りの向かい側に「江戸落語からくり櫓」があります。ともに11時~19時まで1時間ごとに2分間ほどの短いショーですが人形が音とともに現れ、江戸の風情を感じさせてくれます。
上の写真は「日本橋七福神」の一つ松島神社(大鳥神社)です。ご祭神は「大黒神」です。11月には日本橋で唯一の「酉の市」が行われます。今年は11月6、18、30日が開催日です。
※中央区日本橋人形町二丁目15番2号 東京メトロ半蔵門線水天宮前駅5番出口 人形町駅A1番出口
[えだまめ]
2017年11月11日 14:00
子連れ特派員のえだまめです
前々回 → /archive/2017/11/post-4725.html
前回 → /archive/2017/11/post-4730.html
さて、別の特派員さんがガイドする無料巡回バスに乗って一路日本橋へ。
他の方のご案内を聞くのも自分との違いを発見するので、勉強になりますね。
そして、私が乗っていた午前中の便よりも少しバスの乗客の方も増えていて
雨の中でもイベントを楽しむ方が多いのを実感しました。
そして日本橋に到着。
私のお目当ては・・・
こちら。
日本橋観光案内所です。
http://nihonbashi-info.tokyo/tourism/
以前先輩特派員さんが紹介されていた施設ですが
/archive/2017/10/post-4644.html
ここでやっていたイベントがこちら。
スマホ・タブレット端末を利用したイベント
「謎解き日本橋めぐり」です。
・・・なのですが。
本来は「当日中に謎解きをして答えを見つけた人には抽選でプレゼントが・・・」
だったのですが、悪天候のため、抽選会は中止。
そのかわり、ですが
謎解きそのものは11月末まで楽しんでいただけるように
謎解き用の「情報端末」を街中に残してくださるそうです。
というわけで、えだまめは謎解き用のパンフレットを持って帰って、
後日晴れた日に街歩きをしようと心に決めたのでした。
※パンフレットは現在も日本橋観光案内所にて配布中です。
そしてそして。
まるごとミュージアムの企画としては
「イベントスタンプラリー」がありました。
イベント会場の中にスタンプ設置場所がいくつかありまして
3つ以上集めると空くじなしの抽選会に参加できる、という仕組みです。
えだまめはここまでの間に
浜町防災船着場
朝潮運河船着場
日本橋観光案内所
の3か所でスタンプをゲットしていましたので
コレド日本橋1Fの抽選会場に向かいます。
・・・その結果・・・。
「C賞」でした。
はずれ無し、とはいえ一番下の賞。
何が貰えるのかしら・・・?と思っていたら
こんなものがありました。
フリクション色鉛筆!
こすると消える、フリクションのボールペンは知っていましたが
まさかそれが色鉛筆になっているとは!!
京橋に本社のあるPILOTの商品なのですね。
おうちでパパと一緒にずっとお留守番をしてくれている娘あずき(2歳)への
いいお土産になりそうです。
ちょっと雨がひどくなってきたのでこの辺りで帰宅。
また来年も楽しいイベントに関わり、そして楽しめるといいなと思った一日なのでした。
・・・来年はいいお天気になりますように!!!
★おしまい★
[銀造]
2017年11月10日 16:00
コレド室町2の地下1階には、~DELI FLOOR ~by Today~と言って、沢山の飲食店が営業しています。
今日は独りなので、気安く入れて、しかも美味しくて、それなりの値段のお店、「純鶏名古屋コーチン 鶏三和 コレド室町店」に決めました。
注文は、勿論、「名古屋コーチンの親子丼」、消費税込み¥1296 です。期待通り、コリコリした天然のかしわ、鶏の食感でした。大満足です。
2Fのレストラン街もお勧めですが、気安く一人で食事に入るのは、地下1階の「~DELI FLOOR ~by Today~」がよろしいかと思います。
[滅紫]
2017年11月10日 09:00
中央区内アンテナショップ27番目の店舗として滋賀県の情報発信基地「ここ滋賀」が10月29日日本橋交差点角にオープンしました。屋上テラスのある二階建てです。少し落ち着いてからと1週間目にやってきました。お目当ては2階にあるレストラン「滋之味」(じのみ)です。滋賀県と滋養の「滋」の意味を重ねたものだそうです。
席数は34、日本橋交差点を真下に見る眺めの良さ。ランチメニューは4種類、「鶏のじゅんじゅん玉子とじ丼」千円「旨酸っぱいスープ麺」千円、「近江一汁三菜定食」1200円、「近江牛定食」2800円です。「じゅんじゅん」というのは「すき焼風に味付けした鍋物を滋賀県ではじゅんじゅん」と呼ぶのだそうです。これにも魅かれたのですがやはり「近江」といえば「近江牛」でしょう!というわけで奮発して豪華ランチですが、同じことを考える人が多いらしく「近江牛終わりです」という声が聞こえました。江戸時代、肉は表向き禁食でしたが唯一牛肉生産が許されていたのが彦根藩、味噌漬けにした牛肉を将軍に献上、大石内蔵助が討ち入り時の最長老76歳の堀部弥兵衛に「御老体の滋養に」と味噌漬けを贈っていたのも有名ですね。「反本丸」(へんぽんがん)の名前で養生薬として大々的?に売り出していたそうです。「水戸藩がうちにも送ってほしい」と願ったのを井伊直弼が拒否したのが「桜田門外の変」の遠因だという珍説を読んだこともあります。「20分かかります」と云われて漸く登場しました。スライスした牛肉の周りはグリルした近江野菜が色鮮やかに並んでいます。赤カブと大根のグリルは初めてでしたが、今度試してみようと思うくらい美味です。お肉にはホースラディッシュとお塩、グレービーソースがついています。
席数が多いので土日を避ければあまり待たないで入れそうです。1階の物産販売スペースでは「鮒ずし」「近江野菜」など特産品約1000種、入り口傍には地酒バーもあり簡単なおつまみと一緒に各種の銘柄33種が楽しめます。また「近江米おむすびコンテスト」(11月12日―25日まで開催)などオープン記念のイベントもいろいろありますので日本橋にお出かけの際は是非のぞいてみてください。
OPEN 1Fマーケット 10:00-20:00 TEL6281-9871
1F BAR 10:00-23:00
2F日本橋滋之味 11:20-14:00 18:00-23:00 6281-9872
[CAM]
2017年11月 9日 18:00
京橋2丁目にできた「中央区観光情報センター」は、英語による案内資料も豊富に備えられていますね。ただし、私が訪れた時には、外人(アジア系も含む)の姿はまったく見えないように思いました。日本橋のたもと、花の広場におかれた「日本橋観光案内所」とは違い、通りすがりに見つけるというには少し無理な立地であることが残念ですね。
京橋の近くを少し歩いてみましたが、「京橋の親柱」に置かれた説明版は、英文併記のものだったし、「江戸歌舞伎発祥の地」の記念碑には英文説明も刻み込まれていますね。
地図にも、要所には英語が併記されていますね。
ところが、帰途、都バスに乗って、行き先表示の英文表記を見ると、「Sumitomo
Twin Biru」「River City Nijyuichi」など、英語と日本語ローマ字とが混在しているのを見て、少し驚きました。「Biru」だの「Nijyuichi」というのは、やはり英語にあらためるべきではないでしょうかね。 外国人が日本語で発音できるため、という深慮があるのなら別ですが。
[銀造]
2017年11月 9日 12:00
東京駅八重洲口から散歩。 八重津通りを300㍍も東進すると、おなじみのキリンさんの銅像、
横断歩道を南に渡って、よく目立つ "平和都市宣言一周年を記念して設置された「平和の鐘」、ヤン・ヨーステンの記念碑を見て、工事中のブリヂストン美術館前を進むと、ほどなく久安橋に至ります。
久安橋は、江戸時代に松平越中守の屋敷前に架けられ「越中橋」と呼ばれていましたが、明治元年(1868)に江戸幕府の名残りである「越中」の名が取られ「久安橋」と改称されました。「久安橋」の名は、昔この付近に御坊主久安の拝領地があったことに因むといいます。 現在の橋は関東大震災の復興事業で建設は昭和5年3月に八重洲通りの造成とともに、架け替えられました。
「越中橋」の名前の基になった「松平越中守上屋敷」について説明します。
松平越中守というのは、幕末の桑名藩松平家のことです。 桑名藩の最後の藩主は、松平定敬(さだあき)で、京都守護職会津藩主松平容保(かたもり)の実弟です。(高須四兄弟の一人)
さて、その久安橋の袂のビルが工事中ですが、その周囲を覆うパネルが中々秀逸だと感じ入りました。パネルは全部で12枚ほどありますが、江戸時代に日本橋、京橋地区は匠の生きる町でした。
江戸時代、この地域には職人が多く住んでおり、職人の仕事から町名が付けられたとあります。現在の八重洲・京橋付近は建設資材を扱う大鋸町・本材木町・南大工町などの職人町から、武士や庶民の生活品を扱う桶町、畳町、具足町などまで多様なモノ造り職人が集う「匠の生きる町」であった。」との説明です。 ちなみに、現在の京橋エドグランのあるところは、江戸時代には、畳町だと、中央区観光情報センターの方に確認して頂きました。
ここから、八丁堀方面にお散歩する方には、八丁堀同心に関する説明のパネルが面白いでしょう。
与力は「旦那様」、妻は「奥様」と称されていたとか。
旦那様、奥様とご一緒にお散歩は如何ですか? すずらん通りには、和菓子のお店が二軒あり、美味しいお土産もご購入できます。
京華スクエアの前では、八丁堀の与力・同心組屋敷に関する説明碑がご覧になれます。
さて、亀島橋まで行くと、芭蕉の句碑、伊能忠敬さん、東洲斎写楽さんに関する説明碑があります。 橋の向かい側には、堀部安兵衛が住んでいたという説明碑があります。
実物は、
これらの説明碑や石碑は是非、亀島橋でご覧下さい。
また、おもてなしの作法についての説明が面白かったです。
精進料理のタクアンは、一切れ(人切れ)しか出さず、三切れ(身切れ)、四切れ(世切れ)は出さず、おもてなしの心は、二切れが作法との説明がありました。 験を担ぐことと併せて、面白いですね。
どうぞ、秋晴れの清々しい気候ですので、楽しくお散歩なさって下さい。