[ゆりかもめ]
2011年1月 5日 14:00
浜離宮一帯は御鷹場として昔から利用されており八代将軍吉宗の頃には日本橋より五里四方は御拳場(おこぶしば)としました。天皇・将軍・公家・大名・鷹狩訓練の従事者が使用していました。
御拳場(将軍の拳より鷹を放つのでこの名がつきました)
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浜離宮は将軍家の御鷹場(1624~1644)頃
甲府殿下屋敷(甲府殿浜屋敷・甲府海手屋敷)1654~1704)・・・・元禄年間を含む
浜御殿(1704~明治維新)五代将軍綱吉と綱重の子綱豊が養子縁組をして将軍家の別邸となる
浜離宮(明治~戦前)・・・・皇室の所有となる
都立浜離宮恩賜庭園(戦後~現在)
上記の理由により所有が変わり名称が変わりました。
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昨年は放鷹術をブログに掲載させて頂きましたので今年はオオタカとハリスフーク、放鷹術終了の写真を掲載させて頂きます。
今年は昨年以上にお客様が多く大変な賑わいでした。
2日はハヤブサが見事に会場にて鳩を捕まえましたが3日はハプニングがあり空中にて別の鳩を捕まえ会場の外側に着地しました。
会場の中がよく見えないので諦めていらした御客様の前にハヤブサがおりたので吃驚と大喜びなさっていました。
オオタカ
生後1年未満の鷹の胸毛は写真のように縞模様が縦になっていますが1年を過ぎると横縞になります。
毎年毛は生え変わります。
ハリスフホーク
羽の色が濃く茶色かかっています
電通ビルからおりて来て鳩を捉えるのはハヤブサです。
視力が良く急降下が上手だそうです。
一番大きいのはオオタカですがオオタカとハリスホークはいろいろな演技を披露します。
渡り 振替 振鳩 飛び流し・・・・・etc.
すべて終了のご挨拶です。
初夢 ①富士(無事っである事) ②鷹(高く) ③茄子(事を成す)
今年も無事に過ごせるよう、高く希望を持って事を成すよう・・・・・
良い事が沢山ありますように願っています。
続きを読む: 新春の放鷹術と江戸時代を受け継ぐ浜離宮
[ゆりかもめ]
2011年1月 5日 12:00
1月2日3日、浜離宮において放鷹術の実演の合間に合気道演武が行われました。
合気道とは・・・・
相手と戦う事でなく勝ち負けを目的とせず護身術です。
健康法といわれ日本独特の心身鍛錬の道であり「和気あいあい」と楽しく取り組むのだそうです。
できて70年くらいの新しい武道だそうですが人と人との出会い、ふれあい、巡りあいと云う人間関係を大切にしています。
順序が分らないまま3枚をカメラに収めました。
[ゆりかもめ]
2011年1月 4日 11:28
松の茶屋
釘隠し
欄間の透かし
天候に恵まれた新春の浜離宮庭園は2日、3日共に放鷹術実演の為、大変に賑わっていました。
2日朝は放鷹術の披露で賑わっている広場を通り過ぎると静かな広い庭が広がっていました。
「潮入りの池」や「松の茶屋」辺りは人影もほとんどなく新春の庭を一人占めの気分で清々しく眺めました。
「松の茶屋」はビルの間に沈む日が「潮入の池」の水面に映りその反射が「松の茶屋」欄間の透かし彫りを通って廊下の長押の上に映るように考えられています。
昔そのような設計であった事を忠実に実現しています。
「御茶と御菓子」を頂きながら池の中に座っているような雰囲気を味わいました。
10人分の座布団がありましたが私と友人の2人だけで「松の茶屋」の御客様となりました。
ラッキー!!!
今後の「松の茶屋」公開をどのようにするかは検討中だそうです。
下記写真は「浜離宮ガイド出発場所」の「新春の寄植え」の中に見つけた「百両」です。
千両と万両は良く知られているので省きます。
百両・・・・唐橘(カラタチバナ) ヤブコウジ科の常緑低木です。
日陰下に生え7月頃、白か微紅色の花が下向きに咲きます。
新春なのに冬紅葉が美しい場所が2・3ケ所ありました。
「ロウバイ」の気品のある香りが新春の庭を引き立てていました。
「サザンカ」はありふれていますが元気良く咲いていて心に留めました。
「スイセン」よりも梅の堅い蕾が気になりました。
花木園の「 十月桜」が満開です。
新春早々の「梅の花」は縁起が良いですね。1月末から2月にかけて浜離宮は梅園になります。
12種類以上で約140本の梅の木が園内にあり11代将軍家斉が好んだ「見驚」ケンギョウ等が見られます。
[ゆりかもめ]
2010年12月26日 14:49
お正月の浜離宮の行事のお知らせ:
諏訪流放鷹術の実演が 例年通り 1月2日、3日 11時からと 14時から行われます。
庭園ボランティアガイドの案内は10時と1時の2回です。
八代将軍 徳川吉宗の時から 江戸日本橋より およそ五里四方の鷹場を御拳場(おこぶしば)と
いい、鳥見によって支配されていました。将軍の拳から鷹を放つ場であるのでこの名がついた。
下記、2枚の写真は 2010年1月2日の実演開始の様子です。
お客様は毎年楽しみにして下さっています。
広い庭園で青空を見上げるのも気持ちの良いものです。
新築された「松の茶屋」
昭和の大戦で焼失後、この度 再建された「松の茶屋」が 2日、3日は特別に初公開されます。
復元にあたっては、形状、寸法、材料,構造を出きるだけ忠実に復元しています。
工事費:1億4,400万円
建物の規模 : 63.62平方メートル(19.3坪) 高さ 5.02m
屋根・・・・・入母屋造り
柿葺き(こけらぶき): 木材(さわら材)を薄く割った板を重ねて葺く工法
30cmの板を3cmづつずらせて葺いていくので 厚さ3mmの薄板が10枚重なる事になる。
板は竹釘で留めています。(鉄やステンレスの釘を使う部分もある)
[ゆりかもめ]
2010年12月26日 11:52
水上バス・竜馬(浜離宮)
年末の浜離宮は いつもより御客様も少なく 静かで落ち着いています。
「将軍お上がり場」付近を歩いていたら 水上バス「竜馬」を見つけました。
今年の大河ドラマを思い出しつつ 水上バス(竜馬)を 見送りました。
将軍お上がり場・・・・11代将軍 家斉や 12代将軍 家慶の頃までは 賓客を招待したり、お出掛けの際は必ず使われた華やかな場でしたが 幕末には悲劇の場となりました。
14代将軍 家茂の御遺体が船で大阪より運ばれたり 15代将軍 慶喜が鳥羽伏見の戦で破れ 船で逃げ帰り ここから馬で江戸城に向かった場所です。
パシフィック ヴィーナスと歓迎の噴水(晴海埠頭)
パシフィック ヴィーナスが晴海埠頭に近づいています。
噴水を上げて歓迎しています。
[ゆりかもめ]
2010年12月14日 08:45
10日程前に「すずらん通り」で地図を広げていたら「何処かお探しですか」と尋ねて下さる方に出会いました。
私は路地を探していましたので「何処でも良いので銀座の路地を教えて下さい」と御願いしたら快く案内して下さいました。銀座町内会のサポートをなさっている方でした。ラッキー~~
豊岩稲荷神社の入口に立つと普段なら見落としてしまう狭い路地でした。
豊岩稲荷神社は路地を入ってすぐ左側にあります。 中央区銀座7-8
縁結び・火防の神様ですが昔から芸能関係の方々の参拝も多いそうです。
豊岩稲荷神社で参拝をしてそのまま突き当たりを左に進みます。
頭をぶっつけないように気をつけて下さい。
気をつけて真っ直ぐ進むと突き当たりは素敵な明るいドアの前に出ます。
この扉は触ると開く自動ドアになっています。
ドアが開くと、中はコーヒー店になっています。
そのまま直進して正面の同じような次のドアを開けて出ると又暗い路地が続き交詢社通りに出ます。
直進せずに御客様が寛いでいらっしゃる店の中を右に進むと中央通りに出ます。
ゆっくり寛げる素敵な御店ですのでここで一服なさっては如何ですか?
中央通りに出てドトールコーヒー店の看板がありました。
この御店の正面入口です。
銀座町内会の方々はとても親切に観光客を迎えて下さるのだなあ・・・・
と感心致しました。
路地と云う歴史のある江戸時代からの生活道路を残しながら建物の増改築を進めて来た、この地区の方々の歴史を大切になさる気持ちは素晴らしい事と思いました。
そして銀座のそれぞれの御店や会社の方々が毎日、早朝にそれぞれの店や会社の前をお掃除なさっているそうです。
チューインガムの痕等も丁寧に取り除いていらっしゃいます。
銀座を歩く時はいつも感謝して汚さずに歩きたいと思いました。
有難うございました・・・・・・