[織衣舞]
2012年6月21日 08:30
江戸時代このあたりは越前福井藩主松平越前守の屋敷があったところです。
屋敷は三方(北・西・南)が入堀に囲まれていました。これが「越前堀」と呼ばれて
いました。 越前堀の護岸は 石積みで、 今でも土中から石垣石が出土すること
があるそうです。 堀の幅は12~15間(20~30m程)あり、運河として用いられ 荷
を積んだ小舟が通っていたそうです。
明治に入り堀は次第に埋め立てられ 関東大震災後大部分が埋め立てられ、戦
後には完全に埋まってしまいました。 今では「越前堀」の名は「越前堀公園」に
見られるのみとなりました。
越前公園には遊具として ECHIZEN LINE という舟がつくられ その周りに象
・イルカ・ラッコがいます。 リアルなSLと自動車が配置されています。
霊巌島の由来
寛永元年(1624年)に雄誉霊巌上人が霊厳寺
を創建し、一面の沼地に土地開発の手が入った。
寛永11年には 寺地の南方に越前福井藩主松平
忠昌が27,000余坪の浜屋敷を拝領した。
(中央区新川1.2丁目)
[織衣舞]
2012年6月12日 08:30
平成24年6月8日(金)日枝神社神幸祭が行われました。今年は皇居坂下門でゆっくり見せ
ていただこうと待機、しかし、「ひげ殿下」三笠宮寬仁さま逝去のため坂下門は素通りし、見物
者は大慌て!お囃子・鳴り物類は一切なく行列は進みました。この日は夏の陽気で日差しも
強かったです。
続きを読む: 山王祭~日枝神社神幸祭
[織衣舞]
2012年5月29日 08:30
「ばち英」というお店が甘酒横丁にあります。 お三味線の専門店です。 流派は問いません。
今の社長さん(小林さん)のおじいさんが創設者です。 大正3年に浜町に店を構えられて、2年後の大正5年に現在の場所に移転されたそうです。 昭和58年に建て替えられて現在の店舗になっているそうです。 甘酒横丁のお店もずいぶん変わったそうです。 当時からのお店としては 岩井つづらやさん たいやきやさん お茶やの森乃園さん 焼き鳥やの久助さん 酒屋のしんかわさん 等々があるそうです。
ばち英さんは三味線に関することであれば、何でもOKです。 皮張りから譜面までなんでも取り扱っておられます。 長唄に関すること6割、清元1割、常磐津1割、あと 民謡で 義太夫は少ないということでした。
邦楽に携わる人が減少する中、 日本人としてのDNAをつなげていくためにも、 こういうお店>は皆でもりたてていかねばなりませんよね。
[織衣舞]
2012年5月11日 08:30
お花見シーズン 4/7 16時現在の桜です。 今日は少し寒いです。花見客のグループはあちこちに見られます。 ストーブ持ち込みのグループもあります。 これは暖用?熱燗用? お弁当やお酒を持ち込むグループも多かったです。 ダウンコートでちょうどよかったです。訪れた人は結構多かったです。散歩して通りすぎる人もいました。隅田川には水辺ラインの船も何種類もでています。すべて満員です。提灯をつけた屋形船も多くでていました。
暖かくなればいっきに満開となるでしょう!!
続きを読む: 新川公園 4/7 16時 桜四分咲
[織衣舞]
2012年5月 9日 08:30
H24.5.5 鐵砲洲稲荷神社神楽殿において「新富座こども歌舞伎」がおこなわれました。
プログラムは
口上
寿式三番叟
白波五人男 稲瀬川勢揃の場
幕間・・・富くじ大会
義経千本桜 吉野山
こども達は一生懸命の練習の成果を思いっきり披露しよく頑張りました。
スタッフの大人たちもできる限りの指導・裏方・企画・渉外・・・で応援し、
境内いっぱいの観客も精一杯の応援で、すごく盛り上がっていました。
スポンサーも富くじの商品や、こども歌舞伎が持続できるよう応援し、地域のまとまり・絆が一層強まるイベントになったことはいうまでもありません。
こういう企画はどんどん広がってほしと思います。
楽しい一日でした。
[織衣舞]
2012年4月30日 08:30
新橋演舞場では「四月花形歌舞伎」 『仮名手本忠臣蔵』 公演の 四月十七日を 四十七士の日と
して、一日限りの「忠臣蔵祭り」が開催されました。 「仮名手本忠臣蔵」にまつわる
①小道具と衣装の展示
②通し上演の開幕を飾る「口上人形」
③忠臣蔵のふるさと播州赤穂から
ゆるキャラ「陣たくん」来場
④赤穂観光協会のおねえさんの
パンフレットと塩のプレゼント
⑤食堂では「忠臣蔵御膳」や「討ち入りそば」を用意
⑥その他 プレゼント
などが準備されロビーでは人がごったがえしていました。