[織衣舞]
2013年3月 8日 14:00
杉山寧氏の没後20年にあたる本年、それを機に久方ぶりの杉山寧芸術の粋を集めた回顧展です。
杉山氏は1909年(明治42年)、東京の浅草に生まれました。東京美術学校日本画科に在学中から、第13回帝展で特選を受賞するなど、早くから才能を開花しました。その後、ピラミッドなどをモチーフにした、旺盛な連作を発表し、人気を得ます。
対象をしっかり捉え すぐれた造形から生まれる作品は、どれも強い生命力をたたえています。
永遠なるもの、悠久なる美を求めました。そしてそれを奉持してきた杉山氏のひたむきな写生と考え抜かれた構図に 温かみのある色感と強靭な筆力が一つとなった画面は多くの人を魅了してきました。
今回は初期から晩年まで85点が出品されています。
お時間があれば日本画の力の再認識を味わってみられたらどうでしょうか。
2013/3/6~25 日本橋高島屋8Fホール 10:00~19:30 3/25は17:30まで
[織衣舞]
2013年2月14日 08:30
明治座140年記念公演 今月は"かたき同志" ( 2/3~2/28 ) 。 作・橋田壽賀子 演出・石井ふく子 藤山直美・三田佳子 待望の顔合わせです。笑いと涙の下町人情物語です。
川をはさんで両岸の町に暮らしていた、ひさご亭と越後屋。飲み屋、ひさご亭の女将・かめ(藤山直美)は、ひとり息子の清太郎が自慢だった。 蘭学塾に通い、いずれは医者になり母親を楽させてやろうと言っている清太郎に全てを賭けて、仕事に精を出す日々。ところがある日、清太郎は医者にはならず飲み屋を継ぐと言い出した。
一方 呉服問屋、越後屋のお鶴(三田佳子)は、ひとり娘のお袖に旗本三男坊の松下源之助を婿に迎えたいと願っていた。しかしお袖には全くその気がない事を知り問い詰めた結果、ひさご亭のひとり息子清太郎に思いを寄せていることを知る。
ひさご亭に乗り込むお鶴、息子の勝手さに頭に血が上っているかめ、元々生活の違いから反発しあう土地者同士の上、互いのかわいい息子と娘の問題があい重なり、真向からの喧嘩になってしまう・・・
子どもたちの将来・子どもが巣立った後の自分たちの幸せと生きがい・・・今に通じる悩みに藤山直美と三田佳子が演じる「かめ」と「つる」の掛け合い、明るく強く対峙していきます。
明治座140年展がロビーで展開されています 明治・大正・昭和・平成の流れとともに懐かしい写真もありました。
[織衣舞]
2013年2月 8日 09:00
今月の出し物は 名作喜劇三本です。
①お種と仙太郎
息子夫婦の仲の良さを羨む姑と、その姑にいびられても
ジッと耐える嫁、そして姑を懲らしめようと乗り出す家族。
笑いの中に様々な形の愛情が盛り込まれています。
②大当り高津の富くじ(江戸育ち亀屋伊之助)
上方落語の名作「高津の富」をヒントに舞台化された作
品。伊之助は上方和事の"つっころばし"で演じられてい
ましたが、今回は中村梅雀に当てて江戸育ちに設定を
変え、江戸前の気前のいい若旦那・伊之助をご覧いただきます。
③おやじの女
亡くなった兄の妻と愛人との悶着の間で、弟が右往左往する可笑しみを描いた新派の
味に近い新喜劇作品。 水谷八重子・波乃久里子・渋谷天外という劇団新派と松竹新
喜劇の本格的な共演作品にご期待下さい。
出演者は水谷八重子さんら江戸の新派、 渋谷天外さんら大阪の新喜劇、 中村梅雀さ
んら元前進座のみなさんです。 それぞれの劇団やお家カラーがあり それらが溶け込ん
でマーブルのような楽しさが生れていました。
②の中で八重子さんの落としたかんざしを 天外さんがさりげなく拾ってあげていたり、
③では八重子さん久里子のかけあいはさすがで、 "憎しみと愛情は背中合わせ"のセリフ
がきいていました。
今年は喜劇発祥110年に当たります。曾我廼家五郎・十郎さんが歌舞伎でもなく にわか
でもない新しい笑える芝居を作ろうと一念発起し、「喜劇」を生み出します。時は明治37年
2月、 場所は道頓堀の浪花座でした。
[織衣舞]
2013年1月15日 14:00
平成25年1月13日11時より鉄砲洲稲荷神社境内で、中央区新年の風物詩といわれる「寒中水泳大会」が行われました。この行事は自分自身と家族が 健康に過ごせることを祈念し、氏神様の前で冷たい水に心身を沈めて、感謝の気持ちを表す行事だそうです。
参加者は約100名、20代から70代(最高齢者は77歳だとか)、うち女性は7名の方々が参加されました。中川宮司のご挨拶があり、篠直嗣氏の指導のもとに進められました。
順序として
①神社一周ランニング
②鳥船行事
鳥船とはニニギノミコトが乗られた船のことで、実際は櫓で船を漕ぐ動作を中心に、声を
出したりして、禊の本旨を表すと同時に準備体操・気持ちを高め、からだも冷却に耐えら
れるように慣らしていくようにしていく。
③振魂
心と霊魂を浄化統一する作法
④おたけび行事 ⑤おころび行事 ⑥息吹行事 を経て いよいよ
⑦寒禊
清水に身を投じます。 胸までつかって中腰です。 目は閉じずに前方を注視、精神統一
⑧鳥船 整理運動
⑨終了
たくさんの見物人・報道関係の方でにぎわいました。
何事にも心身を清め自分を見直すことは 人を鍛え・向上させることにつながります。
[織衣舞]
2012年12月26日 08:30
「からくり櫓」の下、人形町交差点からロイヤルパークホテルまでの並木に、提灯が灯り
ます。恒例の人形町のライトアップです。2012/12/17 ~ 2013/1/18 の期間です。
また、12/25 から人形町通りにしめ飾りなど お正月のお飾りを販売する店と、露店が並
びます。 人形町の年の瀬の風物誌である「歳の市」です。一年の締めくくりです。
[織衣舞]
2012年12月21日 08:30
中央区日本橋箱崎町10-7 に 高尾稲荷神社がある。
高尾稲荷神社は、江戸時代の遊女高尾太夫の遺体が引き揚げられた当地に、彼女の神霊
高尾大明神を祀ったのを起源とし、実態の神霊を祭神としているとされています。
「由来」板によると
万冶二年(1659)十二月江戸の花街新吉原京町一丁目、三浦屋四郎左衛門抱えの遊女で
二代目高尾太夫、傾城という娼妓の最高位にあり、容姿端麗にして艶名一世に鳴りひびき、
和歌俳諧に長じ、書は抜群、諸芸に通じ、比類のない全盛をほこったといわれる。
生国は野洲塩原塩釜村百姓長助の娘で当時十九歳であった。
その高尾が仙台藩主伊達綱宗侯に寵愛され大金をつんで身請けされたが、彼女にはすでに
意中の人があり、操をたてて侯に従わなかったため、ついに怒りを買って隅田川三又(現在の
中州)あたりの楼船上にて吊り斬りにされ、川中に捨てられた。
その遺体が数日後、当地大川端の北新堀河岸に漂着し、当所そこに庵を構え居合わせた
僧が引き揚げてそこに手厚く葬ったといわれる。
高尾の可憐な末路に広く人々の同情が集まり、そこに社を建て彼女の神霊高尾大明神を
祀り、高尾稲荷神社としたのが当社の起縁である。
現在この社には、稲荷社としては全国でも非常に珍しく、実体の神霊(実物の頭蓋骨)を祭神
として社の中に安置してあります。
江戸時代より引き続き昭和初期まで参拝のためおとずれる人多く、縁日には露店なども出て
栄えていた。(箱崎北新堀町々会)
当時の女性哀歌である。