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佃・住吉神社の大祭が近づいてきました

[下町トム] 2015年7月30日 09:00

 夏真っ盛りですね。

中央区各地では、夏祭りや盆踊り大会が開催され、暑さの中にも季節感や風情があふれています。

H17住吉祭(晴海).jpg 今週末は、区内でも屈指の伝統行事である「住吉神社大祭」が催されます。3年に一度の大祭ということもあって、地元の皆さんは手ぐすねを引いて当日を待ち構えています。

 今回は特に「徳川家康公四百年祭記念(ご薨去四百年の節目を記念する顕彰事業)」と銘打って、江戸時代から続くこの地の平和を感謝し、また住吉神社を摂津の国・佃(現・大阪市)から招く礎となった家康公への敬意を表して、大々的に開催される予定です。

h27住吉神社ポスター_R.jpg 中でも注目されるのは、近年新製された宮神輿の巡行はもとより、保存状態である前の宮神輿(天保八角神輿)も町なかを回ることになりました。二基の大神輿が揃って巡行するのはもしかしたら今回が最初で最後かもしれません。是非お見逃しなく!

 日程は中央区観光協会のイベント情報(http://www.chuo-kanko.or.jp/event/monthly.php?year=2015&month=08#event1)にもあるように、7月31日(金)から始まります。この日に式典が催されたあと、夕刻からは月島地区の各町内の祭事関係者が揃いの浴衣に身を整えて神社に歩列を組み、おごそかに祭礼の無事を祈るという「参拝式」が執り行われます。

 8月1日(土)は、各町内の連合渡御です。何基もの神輿が各町内から繰り出し、神社前に勢ぞろいします。神輿を担ぐ男たちの威勢の良い声が佃島に充満します。

P1130090(2).jpg 2日(日)は朝のうちに海上祭、船渡御が催されます。かつては神輿を担いで隅田川に入ったということですが、現在は舟に神輿を載せて水上から地区の安寧を祈ります。そして日中は宮神輿の巡行です。住吉神社を出た宮神輿は各町内を回って勝どきにある「お旅所」に到着、一夜を過ごされます。

 3日(月)は宮神輿が今度は勝どきを出て各町内受け渡しの形で佃の本社へと戻っていきます。祭りのフィナーレを飾る「宮入り」まで、熱狂は続きます。

 これらの大筋のスケジュールのほかに、各町内で独自の神輿や山車の巡行、囃子や太鼓のお披露目もあって、4日間、一帯はお祭りモード一色になります。神輿の巡行がない時間帯は、各町内に仮設された「お仮屋」と呼ばれる安置所に神輿が飾られています。よく見ると一つひとつ特徴がありますので、順番に観て周られるのも興味深いと思われます。

 水かけ祭りともいわれ、真夏の路地に神輿のリズムと掛け声が響き、虹を帯びて水しぶきが舞いたち、人々の笑顔があふれるこのお祭りをどうぞ楽しみにして下さい。

 

 

◆ 佃島・住吉神社 の大幟柱掘り起こし

[隅田の花火] 2015年7月27日 09:00

今年、三年に一度の本祭が行われる住吉神社のある佃島。

 

佃小橋の上から佃掘を眺めると、下記注意書きが目に入ります。

『此の場所には、江戸時代後期寛政拾年(1798年)徳川幕府より建立を許された大幟の柱・抱が埋設されておりますので立ち入ったり掘り起こしたりしないでください。佃住吉講』

 

三年に一度の本祭で立てられる、広重が描いたような大幟の「柱」とそれを支える「抱木(だき)」が、水中にタイムカプセルのように埋められているという。

s_hanabi22-1.jpg 

ここ佃島に来てこの注意書きを見る度に

「水中に埋めてしまって木は腐らないのか?」

とか

「今までは大丈夫だったけど今年は腐ってしまって無くなっていた、ということはないのか?」

とか思ってしまいます。

 

ということで三年に一回しかないこの柱と抱木の掘出しの作業。ちょっと興味があったので見てきました(7月5日(日))。

 s_hanabi22-2.JPG

当日はあいにくの雨模様となりました。

この掘り起こし、まずは埋められている木が見えてくるまで泥を掘る作業からとなりますが、泥に足を取られたりと見ているだけでもかなりハードな作業とわかります。

 
すると次第に埋められた木が現れ始め、それを取り出す作業に移っていきます。

木の取り出しはクレーンを使います。いったん堀の水で泥を落としたあと、橋上に吊り上げます。

それが何度も繰り返されます。

s_hanabi22-3.jpg 

一方、柱を立てる穴堀の作業が別で行われます。大幟は六本あり、六ヶ所で立てられますが、一か所につき三つの穴があけられる場所があらかじめ用意されています。

その穴をひたすら掘り進めます。

s_hanabi22-4.jpg 

抱木のパーツとなる木が取り出された後、6本の柱の取り出し作業となりました。長さは20m近くあるといいます。

s_hanabi22-5.jpg 

若い衆がその柱を運んでいきます。

この伝統的作業、引き継いでいくためには三年に一回という間隔はちょうどよいのかもしれません。

s_hanabi22-6.jpg 

そして最後に、大幟を立てるための抱木が組み立てられました。

s_hanabi22-7.jpgとうことで今回も無事、埋められた木が掘出され、大幟を立てる準備が整いました。

 

 

いろいろ調べてみると、木が腐るためには酸素が必要で、水の中に木を埋めるのは酸素に触れさせないという理屈らしい。

昔の人はこんな理屈は知らなかったと思いますが、経験からごく当たり前の知識だったのかもしれません。

s_hanabi22-8.jpg

 

月島の西仲通り(もんじゃ通り)を勝どきの方にずっと歩いていくと「西仲橋」という橋があるのですが、この橋は昨年架け替えられました。

先代の橋の下には何十本もの松杭が埋め込まれ、地盤を強固にし橋を支えていたそうです。

架け替えの際にその松杭が腐ることなく掘出され、今はこの橋の脇に展示されていたり、木のベンチとして再利用されています。

s_hanabi22-9.jpgおとなり千代田区丸の内の、先代の「丸ビル」の下には何千本、「東京駅」の駅舎の下にも1万本以上の松杭が基礎固めとして使用されていたという話はご存知の方もいらっしゃるかもしれません。あの厳島神社の鳥居の下にも木杭が打たれているのだとか。

 

この松杭の話といい、住吉神社の大幟の柱の話といい、「木の力」そして「先人の知恵」には頭が下がります。

 

最近、東日本大震災で液状化が問題になりましたが、「木の力」を見直し、使用使途の無い「間伐材」を使用して杭として地中に埋め込み、液状化対策として使われはじめているのだそうです。

 

 

さて、住吉神社の本祭ですが、このあと26日にいよいよ大幟が立てられお祭りムードが高まってくると思います。

私自身、まだ大幟を見たことがないので非常に楽しみにしてます。

s_hanabi22-10.jpg 

 

 

江戸っ子の二重構造

[CAM] 2015年7月25日 18:00

  

 西山松之助氏は、「江戸ッ子という人たちは、単純な階層による単純な構造をもつ特定の存在ではなく、二重構造をもっているということである」として、

 

「主として化政期以降に出現してきた『おらぁ江戸ッ子だ』と江戸っ子ぶる江戸っ子」(自称江戸っ子)と、そうではなくて「日本橋の魚河岸の大旦那たち、蔵前の札差、木場の材木商の旦那たち、霊岸島や新川界隈の酒問屋とか荷受商人というような、元禄以前ごろから江戸に住みついて、江戸で成長してきた大町人ならびに諸職人たち」(本格的江戸っ子)とに分けられる(西山松之助『江戸ッ子』吉川弘文館、1980年;9)という。

 

 そして、西山氏は、「劣等感の裏返しと考えられるような優越感に独りよがりを楽しんでいたような、"自称江戸ッ子"だけではなく、もっと高度な文化を持った豊かな人たちもいたという、二重構造をもった江戸ッ子の全体像を明確に論じたい」という。(10)

 

この西山氏の『江戸ッ子』という著書は、「長い間の通説を打破した画期的な成果」(竹内誠)とも評されている。

 

 西山氏の「江戸ッ子の二重構造」論は、池田弥三郎氏の以下の論と同旨のものと云ってよいだろう。

 

>江戸の「本町」の商家の旦那衆に加えて、職人階級に属する人々が増加し、江戸っ子を形成していったということになる。だから、金銭についての気質を説くにしても、江戸の本町を中心にした、商人の階級に属する人々を対象にした時には、宵越しの銭は使わないどころか、堂々と貯めた人々の気質をみつけなければならない。講釈や落語の世界に出没する概念の江戸っ子から気質をひき出すことは、危険が多いのである。(『日本橋私記』88)

 

 

江戸っ子(3)

[CAM] 2015年7月22日 18:00

  

1787年の洒落本《通言総籬(つうげんそうまがき)》(山東京伝作)には、〈金の魚虎(しやちほこ)をにらんで,水道の水を産湯に浴て,御膝元に生れ出ては,拝搗(おがみづき)の米を喰て,乳母日傘にて長(ひととなり)(中略),本町の角屋敷をなげて大門を打は,人の心の花にぞありける。江戸っ子の根生骨,万事に渡る日本ばしの真中から〉とある。

 

しかしながら、「金の魚虎をにらんで」と云うが、江戸城の天守閣は1657年に明暦の大火で消失して以降は再建されていないのではないか。

 

 また、江戸の都市計画、下町の大都市化が進むにつれ、飲料水対策上、大規模な土木工事によって水道が実用されていたので、水道の水を産湯に浴」びることは、たしかに江戸自慢の一つにはちがいなかったかもしれないが、水質は必ずしも良いものではなかったし、水量も豊かではなかったようである。

 

    享保元年(1716)、太田南畝(蜀山人)は、在阪中に出した手紙の中で、「江戸では水道(神田上水や玉川上水など)のドブのようなきたない水を飲んでいて、よくあたらないものだと大坂の人はいっていますが、実際、大坂の川の水はきわめて清冷で、お茶にも格別適しています」といっている。(岡本良一『大阪の歴史』71)

 

   上田秋成も、明和3年(1766)刊の『世間妾形気』で、大坂から江戸へ出ようとする者に、このころの江戸の状況を述べて、「水道の泥水さへ呑まれるゝ事にあらず・・・淀河の水の味おわすれなく、江戸の濁水の御しんばうは・・・・」と述べている。(西山松之助『江戸ツ子』168)

 

 以上は、つまりは江戸が飲料水に乏しかったということであろうが、当時の江戸では、水にかぎらず物資が不足しており、結局つまらぬものしか自慢できないのであった。江戸では、上方から下ったものが上等品で、地回りものは「下らぬもの」ということになる。これは「江戸はわきて人心不敵なる所、後日の分別せぬ所ぞかし」(西鶴)であり、さらに、「江戸のものは小児のやうなり、馬鹿者のやうなり、甚だ初心なり」(升小談)という見方に通じることになる。 (宮本又次『関西と関東』416)

 

    ただし、ここでいう「小児のやうな、馬鹿者のやうな、甚だ初心な江戸のもの」とは、主として後になって江戸っ子に含まれてきた人間たちであって、商家に働く旧日本橋区の人々(主として関西の出身者)ではない。そして、江戸の商業の実権はこうした商人が握っていたのであった。(宮本又次『関西と関東』416)

 

 

 

住吉神社と八角神輿

[みのり] 2015年7月21日 18:00

 

こんにちは、みのりです 

 

今年は住吉神社の本祭りです。 

そこで、今回は住吉神社の八角神輿と、近く佃一丁目にある森稲荷神社をご紹介します。

 

 住吉神社の八角神輿 

<天保八角神輿>

東照御親命(あずまてるみおやのみこと=徳川家康)

天保9年(1838)制作 中央区有形民俗文化財指定

 

芝大門四方屋杉兵衛により制作されました。

天皇陛下の御座、高御座を模したものといわれています。

古くは海中渡御が行われていた為、内部にも漆が塗られ耐水性を高めています。 

同じ時期に起こった事

佐藤泰然が薬研堀で蘭方医学塾和田塾を創設(順天堂大学の発祥)

 

<宮神輿「八角神輿」>

底筒男之命・中筒男之命・上筒男之命(住吉三神)

平成23年(2011)制作 

同じ時期に起こった事

日本橋架橋100周年をむかえる

15陸揚げした八角神輿.JPG

(提供:中央区観光協会 写真コンクール入賞作品より)

  

出典:住吉神社の掲示板

    「歩いてわかる中央区ものしり百科(監修・中央区観光検定委員会)」

 

  

 森稲荷神社(佃一丁目) 

森孫右衛門は、徳川家康の江戸入府に伴って摂津国西成郡佃村(現在の大阪市西淀川区)から

江戸に出て、将軍の白魚献上の御用を務めたといいます。

また、隅田川の河口に佃島を築き、日本橋魚河岸のもととなる店を開いたともいわれています。

 

正保元年(1644)摂津国西成郡佃村の漁民が佃島を築造。

現在に至っても住民の信仰が厚く、毎年二月初午祭りを執り行っている。

 

出典:森稲荷神社の由来

    「歩いてわかる中央区ものしり百科(監修・中央区観光検定委員会)」

 

 

 

歌舞伎の楽しみ方

[遊山ものみ] 2015年7月21日 14:00

お暑い毎日ですね。

梅雨明けも近いでしょうか。猛暑の日中は涼しいところで、時間をつぶしましょう。

近隣図書館でも良いけれど、今月は歌舞伎に触れてみました。

シネマ歌舞伎.jpg 

 先月はいろいろ個人的に忙しく、チケットを取るのをすっかり忘れていました!

 時間が出来たので、昼公演の『源氏店(玄冶店)』と『蜘蛛の糸』を歌舞伎座チケットをHPで見ると、 キャー! 空席なし! 

 それなら『シネマ歌舞伎』。

 二子玉に『109シネマズ』が出来、とても近いので、出かけてみました。メトロポリタン・ライブビューイングの映画でオペラは毎シーズン見ているけれど、シネマ歌舞伎は『お初』でした。映画での良し悪しは、オペラもそうですが、声音が全部聞き取れること。本舞台なら、声量が違うのがわかるけど・・・!? 演目は『三人吉三』。涼しくってきれいな館内で楽しめました。

 

 でも~!! そうだ!立ち見なら本舞台が見られるじゃない。

 立ち見券売り出しの1時間前なら、大丈夫かな? 数日後出かけ、並びました。昼の部通しで見ました。

歌舞伎座4階席.jpg 歌舞伎七月立見券.jpg

 1幕目は『南総里見八犬伝』ですが、時間は長くないので、立ち見で我慢。ほとんどのお客様は1幕見たら帰ります。金髪の外国の方々は、単に歌舞伎体験でいらしていますね。2・3幕目は中央部に座れました。

  見たい演目が見られて、公演もなかなか良かったですよ。満足満足の半日でした。

 でも立ち見席なんて久しぶり。学生時代に1回。あとは~、ミラノスカラ座でムーティーが指揮していたころ、イタリア人のダフ屋から値切って買った1回かしら。席に座れたから良いけれど、歌舞伎の3幕を、立ったまま通しで見るほど若くはないかぁ。9月の『先代萩』は、忘れずに前売りを買いましょう!