[ミル]
2015年8月29日 14:00
銀座の街角でいつも見かける、ギンザタイムス。
様々な情報やコラムを、毎月楽しみにされていた方も多かったのではと思います。
わたしももちろんその一人です^^
なんとこのギンザタイムス、この 2015年8月1日号をもって終了となってしまうのだそう。
本当に寂しいです。。
1947年(昭和22年)創刊、第1462号の長きにわたって、銀座の楽しく役に立つ情報を届けてくれたギンザタイムス。
最終号の最後には、編集長の志村三郎さんが6月27日に79歳で永眠なさったことが掲載されています。
ギンザタイムスのどこか懐かしく、古き良き時代が感じられる紙面は、銀座を愛する人たちにとって、とても大きな存在だったのではと感じます。
連載の「銀座通りの今昔」や「煉瓦地」は、銀座の歴史が伺える記事で、いつも楽しみにしていました。
また、通りの名前や、街路樹の名前が書かれているわかりやすい銀座マップは、街歩きにもとても便利で、大好きでした。
ギンザタイムスの終了に伴い、銀座ファイブの2階の事業部も終了となってしまうのだそう。
大きなウィンドーに、いつもさまざまな展示をなさっていました。
ずっと楽しみにしていて、ずっとこれからも続いていくものだと当たり前のように思っていたギンザタイムス。
銀座の「顔」がまたひとつ姿を消してしまうのは本当に寂しいことです。
編集長の志村三郎様、スタッフの皆様、いつも素敵な紙面を届けていただいて、本当にありがとうございました!!
心よりの感謝をお伝えします。
[之乎者也]
2015年8月19日 14:00
週末の夕方、浜町での用事が終わった後、隅田川テラスをぶらぶら永代橋の方向へ歩いて行きます。すっかり日も暮れて、永代橋の水色のライトアップが水面に鮮やかです。昼間の暑さも幾分収まり、川面を渡る風とともに行き交う屋形船の照明も爽やかです。
永代橋の手前には日本橋川があるので、隅田川テラスも一旦途切れて階段を上に上がります。すると何やら豊海橋のあたりに人だかりが。。。
「お静かにお願いしま~す!」。橋の手前にはモニターテレビとそれを見つめるスタッフ。そして橋の上からは思いつめたような女性の語り口が聞こえてきます。
そうです、ドラマの撮影現場でした。今回に限らず中央区ではドラマのロケ現場に行き当たることがしばしばあります。もともと中央区が舞台のドラマ、例えば東野圭吾の推理小説を原作とする「新参者」(人形町)や以前ブログ記事でご紹介した「瞳」(月島・佃:
/archive/2014/12/wonhk.html)のように中央区が舞台のドラマのロケはもちろん中央区で行われますが、舞台が明示的に中央区で無いものも含め中央区でロケが行われるケースはかなりあるようです。ドラマはもともと東京が舞台のものも多いので、東京でドラマの撮影があるのは当たり前ではありますが、歴史と水辺に恵まれ、流石は絵になる風景が多い我が中央区、恋愛モノからシリアスな作品に至るまで多くのドラマのロケが区内で行われています。
2011年にフジテレビの「月9」枠で放送された「全開ガール」。当時、中央大槁で行われていたロケ(第9話:竹内力・新垣結衣の登場シーン)現場に偶然遭遇しました。新垣結衣演ずる国際弁護士を目指す鮎川若葉が、法律事務所でバリバリと新米弁護士の仕事をこなすとともに事務所所長の娘、日向(ひなた)の世話もすることになり、日向が通う三つ葉の森保育園を通じて、下町の人々と様々な関わりを持っていくというお話。このドラマは先ほどの分類では「舞台が明示的に中央区ではない」ドラマですが、汐留のビル群をバックにした浜離宮、中央大橋、豊海橋、永代橋、月島西仲通り、佃小橋、山形銀行東京支店(京橋)、TCAT(箱崎)、銀座。。。とドラマ通の友人によれば中央区での登場シーンは延べ44回(全11話)だそうで、ほぼ毎回中央区のどこかが登場します。【『全開ガール』DVD ポニーキャニオンから発売】
ロケの予定は公表されるものでは無いので、ロケ現場を見学することは難しいかもしれませんが、ドラマや映画に登場する中央区を楽しむことは気軽にできそうです。夏バテでちょっと外出を控えたい日には、DVDで中央区散歩を楽しむのも一案です。
[pont]
2015年8月18日 16:00
2015年8月16日、箱崎・新川
地区を、富岡八幡宮の
日ごろは八幡宮の神輿庫に
奉安・展示されている
二の宮神輿が
氏子に担がれて渡御しました。
写真は、箱崎を出発して湊橋
に向かう神輿です。
重さ2トンの二の宮神輿が、
実際に担がれて氏子町内を
巡るのは6年ぶりとのことです。
富岡八幡宮の祭りは水かけ
祭りであるため、3年ごとに
行われる氏子町神輿の連合
渡御(次回は2017年の予定)
と同じく、神輿と担ぎ手には
消防隊のホースや近隣の
店舗から容赦なく水が浴びせられ、祭りの雰囲気を盛り上げていました。
神輿は中央区の氏子町を通り、永代橋を渡って江東区側の氏子町に担ぎ手を引継ぎ、
深川の本宮に無事到着しました。
お盆休みの最後を彩る華やかなイベントでした。
[クラさん]
2015年8月 7日 18:00
8月3日(月)~5日(水)の3日間、「人形町せともの市」が毎日9時から20時まで開催されました。このイベントは、以前人形町近辺に多くの瀬戸物問屋があったことにちなみ、毎年8月に行われます。今年は、61回を迎えたそうです。水天宮から人形町交差点に至る人形町大通りの両歩道に陶磁器問屋等のテントがぎっしりと並び、陶磁器類や台所用品等が特価で販売されました。
陶磁器の半額セール等の他、ガラス製品等も市価の3~5割安の特価で販売されていました.。
初日には、せとものの割れたカケラを供養し、せとものへの感謝や将来の発展など祈願する「陶彦大神」の例祭も行われました。
せともの市の開催中、大観音寺前のテントでは電動ろくろを使った陶芸体験行われ、茶碗や鉢などを自らろくろを回して作ることができる陶芸体験教室が開かれていました。また、反対側のテントでは絵付け体験教室も開かれ、焼き物に絵付けを行うこともできました。この岐阜の陶芸家が毎年出店しているこれらの体験教室で作ったお皿や器は、1ヶ月後には自宅に届けてくれるそうです。
「人形町せともの市」は、毎年8月の第1月曜日から水曜日までの3日間、開催されます。
来年、下町の夏の風物詩を楽しむのは如何でしょうか。きっと自分好みの品物が見つかるでしょう。
[サム]
2015年8月 5日 14:00
住吉神社の例祭(本祭り)では、宮神輿が渡御する前日、宮神輿巡幸の道清めと悪魔払いの為行なわれると云う、獅子頭巡行の伝統が承継されています。
清祓いを受けた後、いよいよ年番から順に一部二部三部に分かれての獅子頭の宮出し。
合図と同時に若衆達は一斉に境内に駆け込み、獅子頭に飛びつきます。
獅子の鼻先を早く掴むと。縁起がいいと云われ、激しい争奪戦が繰り広げられます。
手を真っ直ぐ伸ばしたままの状態で獅子頭を担ぎ上げ、「おりゃ、おりゃ」の掛け声と共に、お囃子が流れる中、氏子区域に繰り出します。
各戸の家内安全を願いながら獅子舞のごとく練り歩き、お囃子の舞台の前で揉み合いが続くと、太鼓・笛の音も高鳴ります。
獅子頭は雌雄一対で、宮出しの際は耳は立ててあり、安置される時は耳は下を向いています。
雄と雌の表情も微妙に違い、頭の上にある角が長いのが雄、丸いのが雌とされます。
巡行に用いられる三対の獅子頭の他にも "佃島" には七対の獅子頭が保存されています。
なかでも「黒駒の獅子」「龍虎の獅子」は区民有形民俗文化財に、また獅子頭宮出しは区民無形民俗文化財に登録されています。
現在は造園業者の手になる、本祭り期間中臨時に獅子頭を安置する葦簀張りの獅子小屋(獅子の庭)は、箱庭を大きくしたような造園物で、他では見られない風習のひとつに挙げられています。
例祭に欠かせないもののひとつに「揃衣(そろい)」(と呼ばれる "浴衣")の新調があります。
宮神輿は揃衣を着て、白足袋を履かないと "佃島" では担げないとされます。
佃島(佃一丁目)には、一部<上町>・二部<下町>・三部<東町>からなる男子のみで構成される佃住吉講という氏子組織があり、住吉神社の例祭は勿論、神社で行なわれる祭祀全般の仕切り役を担っているとの由。
講員は「世話人」「大若衆」「若衆」(入会1年目は新縁<しんべり>)の三つに序列され、身につける揃衣や役割が異なる厳然たるタテ社会と聞きます。
平成27年度の「揃衣」デザイン(左から世話人・大若衆・若衆) 右端は番外
[サム]
2015年8月 3日 18:00
住吉神社の例祭(本祭り)では、かつて神輿を担ぎながら隅田川に入水し、次いで伝馬船に安置し氏子区域を巡幸するという、海中渡御・船渡御が挙行されていたと記されています。
しかし、防潮堤の建設や河川の汚染等の理由から、昭和37年の例祭を最後に途絶。
その後、隅田川の河川敷が整備され、船の発着が可能となったこともあり、地元民の運動が功を奏し、平成2年、28年ぶりに船渡御が漸う復活。
現在は佃公園のテラスから宮神輿を御座船(浮き桟橋)に安置し、佃・月島・晴海の氏子地区を巡ります。
社名旗や五色の旗が翻り、供船(ともぶね)を従え、曳船に曳航された御座船が巡航する様子は、佃島の伝統を脈々と受け継ぐ歴史の重みが脳裏を過り、感慨一入(ひとしお)です。
東京湾晴海沖では「海上祭」が執り行なわれます。
海を司る神である住吉三神を主祭神に祀る住吉神社ならではの祭祀。
その際宮司が奏上する祝詞は、主に"海事関係者の安全・隆盛(豊漁)" を祈念する内容と聞きます。
5:30 出社祭
6:00 宮神輿宮出し
7:00 船渡御出船(海上祭)
8:00 船渡御着船
宮神輿は、天皇陛下の高御座を模して制作されたとも云われ、八角形の形状で「八角神輿」と呼ばれ親しまれています。
町内の道路が狭く渡御に支障をきたす為、担ぎ棒が短くされていること、海中渡御に備え内部まで黒漆塗りが施され気密性が高められていることも特徴のひとつとされます。
初代の天保八角神輿は170余年を経て痛みが激しい為平成23年に新調された平成八角神輿は、前回平成24年の例祭(本祭り)からデビュー。天保八角神輿は例祭期間中、舟入堀のテラスに安置されています。
"水かけ祭り" と称されるように、沿道からホースやバケツで豪快に水がかけられ、水しぶきが飛び交いますが、海中渡御が途絶えた今、神輿洗いの名残りとも云われています。
着船後は氏子町内巡幸を経て御旅所へ。
神輿が巡幸する経路にある家の軒先には遺影が並べられている光景をよく目にします。
長年産土神(氏神)として崇める心の拠り所であり、 "生活に根ざした祭り" に対する独特の思い、祭りを通じた地域共同体の強い絆をを改めて強烈に印象付けられるシーンです。