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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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葦が生い茂る地 (家康が江戸を建てた頃)

[GPP] 2019年1月26日 12:00


<家康、江戸を建てる>


 2019年1月2日、NHK正月時代劇「家康、江戸を建てる(前編:水を制す)」が放送されました。(原作者:門井慶喜)

https://www.nhk.or.jp/jidaigeki/ieyasu/index.html

 この時代劇の主人公は、家康の命で上水(じょうすい)を整備した、大久保藤五郎(俳優:佐々木蔵之助)です。

 江戸に上水を整備する任に就いた藤五郎は、神田明神辺りの湧水を探し当て、 まずは小石川上水を整備します。そして、江戸の人口増加に伴い、井の頭池から江戸の町に神田川上水を通す大仕事に取り組むこととなります。その辺の苦労や人間模様が描かれています。

 首都東京も、ほんの400年程前は、過酷な自然に覆われた荒野でした。


 中央区関連では、遊郭が葭原と名づけられる、など、その一帯は葦が生い茂るエリアだったようです。

 では、見渡す限りの葦が生い茂る地は、どのような風景だったでしょうか。


<こんなイメージ> -見渡す限り、葦の原-


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 葦の原は、こんなイメージです。釧路湿原で撮影しました。

 1つめの写真は、葦が茂った一角。ネイチャーガイドさんが、この場所を教えてくださいました。

 2つめの写真は、足元を撮影したものです。この辺りが湿地であることを示しています。

 葦が生い茂っていた頃の江戸の地をイメージするため、以前釧路湿原で撮影した写真を、今回引っ張り出しました。


<シーン> -旦那様、ここが江戸でございます- 


 最後に、時代劇「家康、江戸を建てる」の中で、印象的なシーンがあったので、紹介します。※これより一部、『ネタバレ』でございます。ご留意ください。

 (家康が江戸に入府した1590年。家康の命で、江戸の上水工事の任に就いたのが、大久保藤五郎。上水に適した湧水を探すため、藤五郎は安兵衛を伴い、駿府から江戸に向かっていた。藤五郎にとっては初めての江戸。道なき道を、草をかき分けながら進んでいたが、見渡す限り広がるのは、葦の原。そこで藤五郎が問うた。)

 大久保藤五郎:『安兵衛、江戸まであとどれくらいだ?』

 安兵衛:『何を言っているんですか、旦那様。ここが江戸でございます。』

 

 

江戸太神楽、やげん堀納めの歳の市にて 後編  ~ 江戸太神楽 丸一仙翁社中 ~

[rosemary sea] 2019年1月26日 09:00

『ギフト、そして自分も楽しむ』をアンぺイドワークで取材します、rosemary sea です。

 

去る12月26日(水)から28日(金)の3日間、東日本橋の薬研堀不動院界隈で行われました毎年恒例の「やげん堀納めの歳の市・大出庫市」、ごく当たり前のように多くの人手で賑わいました。

江戸太神楽 丸一仙翁社中(えどだいかぐら まるいちせんおうしゃちゅう)、こちらで公演です。

今回は3部構成の、最終回です。

 

初日の26日は間に大護摩(おおごま)が焚かれるので、13時と17時の2回。

27日と28日は13時・15時・17時の3回公演、1回は45分ほど。

 

初日26日の初回の催しを取材させていただきました。

江戸太神楽 丸一仙翁社中、丸一仙翁・第13代家元にお世話になりました。

以下の『』は家元のお言葉です。

それでは当日の演目のご紹介、後編です。画像は全てクリック拡大できます。

 

『さ、今度はね、花仙(かせん)がちょっと変わったものに挑戦しようと。じゃ、湯呑茶椀、ね、ジャパニーズ ティーカップ、はい、瀬戸物です。落とすと割れます。今日は落として割るところからご覧に入れます。回します、綺麗な音がします。耳をすまして聞いてみてください、お茶椀、さ、行ってみよう、よいしょ!』

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『(チリーンチリーンという音)瀬戸物の回る音が聞こえてまいります。さ、このまま傘を速く回していきます。お茶椀の向きをよーく見ていてください。お茶椀がだんだん(だんだん、と演者の花仙さん)、だんだん(だんだん)、だんだん(よいしょ)起き上がって、いとぎりー。(はい)』

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『お茶椀が上向きに回っております。皆様の運勢も上向きー。はい、まだ回っています。お茶椀だけに、ちゃわんと回りました。』

 

IMG_20181226_133126 (2)a.jpg『さあ、最後は四角いものに挑戦です。今日はちっちゃい子いないから大丈夫だね。ちっちゃい子に「なあに?」って聞くとほとんどわかんないんです。わかる子で「まめまくときのはこー」って言うんです。』

『これ、升(ます)と言います。じゃ、大人のかた、わかりますよね、何合升でしょう?何合?そう、聞こえた、五合升(ごんごうます)。豆撒く時の升が一升升(いっしょうます)です。ね。それのちょうど半分です。2つ合わせると、一升になるんですね。・・・四角い升がまあるく回っているように見えますと、皆さんのご家庭が一生益々(いっしょうますます)ご繁昌、ね。(仙虎さんを示して)一番向こうは見ないでください。さ、行ってみよう。せーの、よいしょ!』

 

 

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左手前、仙馬(せんま)さん、右奥が先ほどの花仙さんです。

『さ、ご覧のとおり、四角い升がまあるく回っているように見えれば、正面を向いて半分を表に出しますと、淀の川瀬は水車(みずぐるま)-。まだまだ回っています。』

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『はい、ありがとうございます。・・・今度はバランスをとる曲芸で、水の曲芸、というのをもってきました。この曲芸はこういう場所でしかできないんです。舞台上に水を撒くなんて日本の舞台はどこもやらせてくれません。水で舞台が汚れるとか、掃除するのが大変とかでやらせてくれないんですが、我々しょっちゅう海外へ行ってますけど、海外の舞台はどこもやらせてくれます。この水の曲芸、バランス芸を観ていただきましょう。』

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『まずは、長い棒の先、まあるいのついたのを持ち出しまして、これ、我々、「撥(はつ)」って呼んでいます。この上に房のついた板が乗ります。そして板の上にお水の入ったカップが乗ります。うまくバランスをとって親指の上にも乗せます。ほっ、はい乗りました。』

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『このまま口元にもっていきます。手許から細ーい糸を持ち出します。この糸の上に建物全体がうまく乗ります。ほっ、はい乗りました。はい、少~し揺れます。沖の大船(たいせん)船(ふな)ゆすりー。』

『更に右と左に糸を引っ張りますと、こんな芸ができます。回りながら左手に、ぴんからキリは回し灯篭(まわしどうろう)。はい、終点、よいしょ、よかった。・・・』

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『今度はあの上にごはんを食べる時のお茶椀が乗ります。そしてお茶椀の中に、このコップの水が入ります。そうするとどんな芸ができるか観てあげてください。お茶椀が乗りました。コップの水を入れます。すごいね、全部入れたね。(おかわりー)おかわりですか。さ、手許から細い竹の楊枝(ようじ)を持ち出しました。これを口にくわえます。楊枝の突端に建物が乗ります。』

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『うまく乗りましたらお茶椀の方にご注目いただきましょう。小野小町はいろいろあれー。はい、ご覧のとおり、綺麗に水が散っております。まだまだ、まだまだ、はい、よいしょ。』

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『はい、これからお客様の厄を祓いに、獅子さんが頭回ります。噛みに回ります。左の方から。その場にいてください。厄落としです。来年も良い年になりますように、願いを込めて頭を下げていただきたいと思います。はい、ありがとうございます。』

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IMG_20181226_133818_1 (2)a.jpg『はい、ありがとうございました。太神楽、観ていただきました。それでは皆様の来年の運勢もいいようにですね、江戸前に三本締めでお別れしたいと思います。ご唱和ください、いきましょう、いよーお、ちょちょちょん、はい、ちょちょちょん、もひとつ、ちょちょちょん、ちょん。・・・はい、ありがとうございました。』

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『良いお年をお迎えください。そしてお店がたくさん出ております。買い物して帰っていただきます。今日から歳の市が始まりまして、あさって28日まで毎日このようにやっておりますので。福引もやっております。いいものが当たりますのでね、いっぱい買い物してってください。太神楽、これで終わります。このあとは5時からやります。ありがとうございます。』

 

・・・家元、そして丸一仙翁社中の皆さん、素晴らしい芸を観せていただきありがとうございました。

 

大本山川崎大師東京別院 薬研堀不動院

東日本橋2-6-8

都営浅草線 東日本橋駅 B3・B4出口 徒歩3分

 

江戸太神楽 丸一仙翁社中

ホームページはこちら

⇒ http://edo-daikagura.com/japanese/

 

 

身延別院耳寄り情報(2)家紋が語る意外な事実

[Hanes] 2019年1月22日 18:00


こんにちは。新人特派員のHanes(ハネス)です
突然ですが、NHK大河ドラマを見ているという方はいらっしゃいますか?
始まったばかりの「いだてん~東京オリムピック噺~」の初回では、
日本橋等、中央区に関する場所も登場しましたね

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(橋洗い時に撮影。)

私は世界史専攻ですが、過去に2度だけ全部通してみた大河ドラマがあります。
それが、「功名が辻」と「おんな城主 直虎」です。
特に後者には知らず知らずのうちにハマってしまい、
静岡県や群馬県まで、井伊家ゆかりの地を見に行ってしまいました

井伊家というと、やはりかの有名な『関ヶ原合戦屏風』にも描かれている
井戸の「井」を示す替紋の井桁ではないでしょうか。
また、定紋に見られるも有名ですよね。
そんな井桁と、似たような橘を組み合わせた紋章が、身延別院の随所に見られることに気づき、「井伊家とつながりがあるのだろうか?」と気になり、早速調べてみました。

まず分かったことは、井桁に橘の紋章は、日蓮宗の寺紋だということです

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訪問時の写真を見返してみても、お賽銭箱から瓦まで実に様々なところにその寺紋が配されていることが確認できます。

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そして気になる寺紋の由来ですが、これまた諸説あります。
比較的知られている説が、日蓮聖人の5代前の祖先が井伊家の出であるというもの。
もう一説が、日蓮聖人誕生時に湧き出た泉にちなんで井桁と、聖人の大好物であったといわれる橘を合わせたものだというものです。
ここではどちらの由来が正しいかを断言することはできませんが、思いがけないところに井伊家との意外なつながりを見つけ、
「やはり紋章は面白い」と再確認することとなりました。

さて、2回にわたり身延別院の油かけ大黒天と寺紋をご紹介しましたが、いかがでしたでしょうか?
七福神巡りをされている方や歴史がお好きな方に、「一度行ってみたい」と思っていただけたら幸いです。

【参考文献・ウェブサイト】
レファレンス協同データベース「日蓮宗の寺紋は井桁に橘のようだが、日蓮宗である中山法華経寺や、その末寺の清寿寺(市川市妙典3)は、桔梗の寺紋を使っている。理由を知りたい。」

 

 

中央区の本

[湊っ子ちゃん] 2019年1月22日 09:00

こんにちは、湊っ子ちゃんです。

今回は、中央区より刊行されている図書を、ご紹介したいと思います。 中央区立京橋図書館、日本橋図書館、月島図書館の、すべての図書館に所蔵されていますので、ご利用いただけます。

♪ 中央区の文化財

江戸開府以来、経済・文化の中心として発展してきた中央区に、数多く残る文化遺産を紹介しています。全7集。 (中央区教育委員会・たて21cm・80ページ前後)

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(一)改訂新版中央区の文化財 史跡・旧跡・記念碑 平成7年刊 

(二)中央区の文化財 美術・工芸・古文書 昭和51年刊

(三)中央区の文化財 橋梁 昭和52年刊

(四)中央区の文化財 有形民俗文化財-信仰- 昭和56年刊

(五)中央区の文化財 有形民俗文化財-道具類- 昭和59年刊

(六)中央区の文化財 有形民俗文化財-道具類二- 昭和62年刊

(七)中央区の文化財 建造物 昭和63年刊


♪ 中央区の昔を語る

昭和59年から、毎年区内各地にて行ってきた文化財懇談会「昔を語る会」の収録内容をとりまとめたものです。おもに、大正初期からの町の様子、関東大震災、戦争の記憶、小学校での生活を中心に、中央区で生まれ育った方たちが、昔の暮らしや町の移り変わりなどを、今に語り継ぎます。全17集。 (中央区教育委員会・たて21cm・80ページ前後)

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(一)中央区の昔を語る 八丁堀・佃島 平成元年刊

(二)中央区の昔を語る 東日本橋・馬喰町・横山町 平成元年刊

(三)中央区の昔を語る 入船・湊・月島 平成2年刊

(四)中央区の昔を語る 京橋八重洲(二)・京橋大根河岸 平成3年刊

(五)中央区の昔を語る 浜町・小網町 平成3年刊

(六)中央区の昔を語る 室町・本町・新川 平成4年刊

(七)中央区の昔を語る 明石町・富沢町 平成5年刊

(八)中央区の昔を語る 小舟町・新富 平成6年刊

(九)中央区の昔を語る 箱崎町・築地 平成7年刊

(十)中央区の昔を語る 本石町・久松町 平成8年刊

(十一)中央区の昔を語る 人形町・堀留町 平成9年刊

(十二)中央区の昔を語る 大伝馬町・蛎殻町 平成10年刊

(十三)中央区の昔を語る 茅場町・小伝馬町 平成11年刊

(十四)中央区の昔を語る 兜町・日本橋 平成12年刊

(十五)中央区の昔を語る 八重洲一丁目・中州 平成13年刊

(十六)中央区の昔を語る 勝どき・豊海町・晴海 平成14年刊

(十七)中央区の昔を語る 銀座 平成16年刊


♪ 中央区文化財調査報告書

中央区の文化遺産において、それぞれのテーマごとに、深く掘り下げて行われた調査による、記録と報告書です。全5集。(中央区教育委員会)

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(写真は上段・下段とも左から順に)

中央区文化財調査報告書第1集

築地の外国人住宅 -聖路加国際病院の付属外国人住宅 「ポラバ・バンガロー」に関する調査報告- 平成4年刊(たて26cm・118ページ)

中央区文化財調査報告書第2集

中央区の木造建造物 平成5年刊(たて30cm・154ページ)

中央区文化財調査報告書第3集

中央区旧家所蔵文書-小津商店・佐々木印店・中村家文書- 平成7年刊(たて26cm・195ページ)

中央区文化財調査報告書第4集

椙森神社所蔵文書 平成8年刊(たて30cm・208ページ)

中央区文化財調査報告書第5集

中央区の橋・橋詰広場-中央区近代橋梁調査- 平成10年刊(たて30cm・354ページ)


♪ 中央区区内散歩 -史跡と歴史を訪ねて-

一年の暮らし、街並、文明開化、文学、などの視点から中央区をみつめ、区内の文化遺産と中央区の足跡を紹介した本です。全9集。 (中央区企画部広報課・たて18cm・200ページ前後)

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第1集 中央区区内散歩 -史跡と歴史を訪ねて- 昭和63年刊

第2集 中央区区内散歩 -史跡と歴史を訪ねて- 平成4年刊

第3集 中央区区内散歩 -史跡と歴史を訪ねて- 平成7年刊

第4集 中央区区内散歩 -史跡と歴史を訪ねて- 平成10年刊

第5集 中央区区内散歩 -史跡と歴史を訪ねて- 平成13年刊

第6集 中央区区内散歩 -史跡と歴史を訪ねて- 平成16年刊

第7集 中央区区内散歩 -史跡と歴史を訪ねて- 平成19年刊

第8集 中央区区内散歩 -史跡と歴史を訪ねて- 平成22年刊

第9集 中央区区内散歩 -史跡と歴史を訪ねて- 平成25年刊

※ 中央区立京橋図書館 地域資料室に申請のうえ、本の撮影を行いました。

今、私たちの知っている中央区が、時代の移り変わりとともにどう変化し、そして中央区だからこそ変わらないものがあることを、実感できる本たちです。 街歩きや地域研究に、ぜひ活用したいですね。

中央区観光協会特派員 湊っ子ちゃん

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第33号 平成31年1月18日

 

 

隅田川テラス_隅田川大橋

[皐月の鯉の吹き流し] 2019年1月21日 17:00

隅田川大橋は隅田川に架かる橋では唯一の二段構造です。 上は首都高速、下は一般道・歩道の機能的な橋で、中央区観光検定に出題されたことがあります。

  

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私的な感想を言うと橋の全景はあまり特徴的ではありませんがこの橋から永代橋・清洲橋両方の対照的な橋を見ることが出来ます。

  

01_永代橋_02.JPG <<<< 永代橋 これは以前の写真で今は工事をしています。 >>>>

 

 

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<<<< 清洲橋 ここもで今は工事をしています。 >>>>

 

構造的な所に目を向けると下段の橋桁を支えている部分と上段のそれとは別のところで 支えています。

 

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<<<< 橋桁を支えている橋脚 >>>>

 

04_橋脚1上.JPG

<<<<< 上の首都高速を支えています >>>>>

 

05_橋脚2下.JPG

<<<<< この部分では 下の一般道路支えていません >>>>>

 

 

 

上段の首都高速箱崎方向を見ると2段のみならずさらに上にもう一段分岐して、 箱崎ジャンクションは迷路のようです。

 

06_三層.JPG<<<< ここの部分ではさらにもう一層上にあります >>>>

 

07_箱崎方面.JPG<<< 箱崎ジャンクション方面を見ると首都高速が迷路のようで正に要です。>>>

 

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<<<< この耐震補強は以前はありませんでした >>>>

 

11_橋の下.JPG

 

橋の上のみならず下も見てのとおり社会基盤を支えている設備が通っています

 

 

 

 

身延別院耳寄り情報(1)油をかけて福をいただこう!

[Hanes] 2019年1月20日 18:00


こんにちは。新人特派員のHanes(ハネス)です
先日、小伝馬町を散歩した際に、身延別院に立ち寄りました。
こちらでは、瞳が水晶製の木造日蓮聖人坐像(都指定有形文化財)が有名ですが、
実はそれ以外にも興味深いものがたくさんあるのです。
ということで、2回に分けて立ち寄りたくなる身延別院の魅力をご紹介します。

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今回取り上げるのは、「油かけ大黒天」です。
花まつりでは、お釈迦様に甘茶を注ぎますが、こちらにいらっしゃるのは一年通していつでも油をかけられる大黒天...
そのいわれが気になり、調べてみました

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【いわれ】※諸説あります。
京都伏見には「油かけ町」という町があり、昔、油売り商人が道端の石像に間違って油をかけてしまったものの、
それ以来商売が大繁昌したという伝説がありました。
伏見出身で昭和の名優長谷川一夫氏のしげ夫人は神仏に厚く帰依しており、
戦後間もなく、偶然この油かけ天神を夢に見て、
天神様から東京に祀って大勢の人と結縁せしめよとのお告げを得ました。
そこで、当時の身延別院の住職藤井日静上人に相談した結果、
身延別院にお祀りすることになりました。

【ご利益】
商売繁盛、開運、安産

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全国的に見ても油かけ大黒天をお祀りしている神社仏閣はあまり多くありません。
お近くにお越しの際には、大黒天に油をかけて祈願してみてはいかがでしょうか

■身延別院
住所:東京都中央区日本橋小伝馬町3-2
アクセス:東京メトロ日比谷線「小伝馬町駅」4番出口から徒歩1分
     JR山手線・京浜東北線・中央線「神田駅」南口改札口から徒歩12分

【参考文献・ウェブサイト】
一般社団法人植物油協会「植物油こぼれ話 油をかけて福をいただく油掛大黒天」http://www.oil.or.jp/trivia/daikokuten.html
小伝馬町 身延別院 http://minobu-betsuin.jp/index.html

【関連記事】
illy-ship燦壱朗さん「油掛け大黒天(身延別院)」

 

 
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