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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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柳橋に管弦の懐かしき気配 ♪

[下町トム] 2011年5月19日 08:30

柳橋のたもとで.JPG


かつて東京の管弦華やかな花街として知られた〔柳橋〕は、現在では台東区の地名の一つになっていますが、中央区との間に架かる端の名前に由来します。ちょうど神田川が隅田川に注ぎ出るところにあります。


小さいながらも優雅なフォルムを下町の風情の中に残してくれています。


花街のスターといえば、〝芸妓〟。〝柳橋芸妓〟といえば全国に知られた存在です。この橋を渡る艶やかな姿が思い浮かびます。


柳橋の記念碑.JPG


橋のたもとに〔柳橋〕の由来を示す記念碑が建っています。江戸時代には〔浅草御蔵〕と呼ばれる米蔵が立ち並び、川舟が頻繁に行き交う場所だったということです。



柳橋から.JPG


橋の向こうに目をやってみると、どことなくかつての舟が行き交う光景が彷彿としてきます。

ここからの散策としては、馬喰町あたりから浜町や人形町へ抜けるのがおすすめです。いくつもの見どころがある楽しいウォーキングエリアです。


 

 

兜町の証券街に今に残る昭和の建築ロマン

[ダンディ松] 2011年5月18日 08:30

土曜日の兜町は人通りも絶え、静かな雰囲気を漂わせています。江戸橋から兜町へと向う道すがら、日本橋川を臨む橋の袂には昭和5年に竣工した三菱倉庫がまるで河岸に係留されている大きな船のような姿を現します。


DSC02594.JPG三菱倉庫を廻りこむように東証アローズへと歩を進めると、すぐ左手に現れる小さな社が「兜神社」です。首都高速の柱と橋げたに覆われるように佇むこの社こそ、この地が「兜町」と呼ばれる由来となった伝承が残されているのです。

そもそもの縁起が平将門の兜と言われているのですが、今からおよそ1070年ほど遡る頃の承平の乱で、藤原秀郷が将門の首を京へ運ぶ途中にこの地で将門の首に兜を添えたのですが、その際に兜だけを土中に埋め、そこに塚を造り供養したと伝えられています。そしてこの塚を兜山と呼び、この場所に神社が建ちいつしか岩だけが残ったのが一番古い伝承の話のようです。

DSC02595.JPGその他、1050年代に起こった前九年の役で源義家が奥州征伐へ向かう途中にこの地の岩に兜をかけて戦勝を祈願を祈願したとか、1080年代の後三年の役で奥州から凱旋した源義家が東夷鎮定の祈願のため兜を楓川の辺に埋めてそこに塚を作ったとか、さまざま伝承が残っているのが「兜神社」です。

※楓川はかつて存在した川です。日本橋川の兜町付近で南へ分流し、これもかつての京橋川と桜川の合流地点に至る約1.2キロの運河だったのですが、昭和35年に始まった埋め立てでその姿は消滅してしまいました。


兜神社を後に、証券取引所(東証アローズ)の西側にある見学者受付の前を過ぎると、その角にいかにも昭和初期のレトロ感漂わせる建物が目に入ってきます。兜町のド真ん中、周囲の高層のビルの谷間に人知れず佇んでいるといった表現がぴったりの古き時代を思い起こさせるような建物なのです。

DSC02598.JPG実はこの建物は現在もきちんと営業をしている「山二証券」で、見る方向によって3階建て、又は2階建てに見える趣ある建造物です。竣工時期は昭和11年ということですから75年前の歴史的建造物なのです。1階部分はおそらく御影石を積み重ね、2階、3階部分の外壁は煉瓦造りという凝った意匠。3階部分の丸窓はまるでバラ窓のようで教会のステンドグラスを思わせ、建物全体を覆う屋根瓦は適度な傾斜をもち見事なバランスを描きだしています。一瞬、ヨーロッパの旧市街の一角に迷い込んだような空間を愉しめます。


そしてこの山二証券の隣にもう一つ同じようにレトロ感を漂わす建物 DSC02600.JPGがあります。この建物も証券会社さんで、ちょっと前までは「成瀬証券」の看板が掲げられていました。建物全体は御影石を積み重ねた重厚感のあるどっしりとした造りが特徴です。竣工時期は昭和10年ですからこれも75年の歴史を刻んでいます。

現在はシンガポールの財閥系証券会社「フィリップ証券」と商号を変えています。正面ファサードは左右対称を基調にしたもので、いたってシンプルなデザインの中に直線の美しさと力強さを感じます。正面入口にはこれまたレトロ感を漂わす外灯が備わって、ファサードにアクセントを付けています。たまたま社員の方がいたのでお話を伺った DSC02601.JPGのですが、床は大理石ですかと聞いたところ、以前は木製の床だったのですが、コンピューターの普及によりランケーブルの配線を隠すため床を上げ、現代風の絨毯張りに変わったとのことです。それでも裏手の入口から中を覗くと、床は細かいタイルが敷き詰められ、木製の柱や上階へとつづく階段には70年以上の歴史を刻み込んだ「いぶし銀」の輝きを感じることができました。


古い建物が取り壊されモダンな姿に変わる大都会の中で、昭和初期の建造物がいまだ健在であることに感動を覚えると同時に、古いアルバムを見ているような懐かしさを感じた瞬間でした。

 

 

 

石川島資料館-人足寄場からリバーシティへ

[滅紫] 2011年5月17日 09:30

雨の午後リバーシティの一角にある当資料館を訪れた。


ここは石川島播磨重工業(IHI)が創業の地であるリバーシティ21内に「造船所の創業から現在までとそれと深い関りを持つ石川島・佃島の歴史や文化を紹介した」資料館である。


展示資料の中に「寄場起立」(神宮文庫所蔵のコピー)があった。ご存知の通り長谷川平蔵が作成した「人足寄場設立の建議書」である。長谷川平蔵は池波正太郎の「鬼平犯科帳」で実在の江戸期の人物としては現代の日本人に最もよく知られている人気キャラクターであるが、彼は資料によれば御先手弓頭として1500石の家督を相続していた天明7年(1787)に火付盗賊改長官を加役される。「鬼平」誕生である。その職務の遂行の過程で軽犯罪人の更生の場の必要性を認識し寛政2年(1790)に上記建議書を提出し、寛政の改革に着手していた老中松平定信が採り上げ改革の目玉となった。建議書採用ー即実行!! で石川島と佃島の間の浅瀬を埋め立て人足寄場を建設。1792年には「人足寄場奉行」まで加役されている。寄場は16,030坪あり、ここに炭団製造場、紙漉き小屋、鍛冶屋小屋などがあり収容者は手に技術をつけて社会復帰した。他の資料によると「犯罪者の更生」という考え方自体が当時としては国際的に見てもとても新しいものであったらしい。平蔵は50歳で病没する(過労死?)直前の1795年まで長官を務めた。死後借金ばかりが残り、売りに出した屋敷は後に町奉行の遠山の金さんが住んだ!! とか。因みに1238坪あった平蔵の屋敷跡は都営新宿線の菊川駅の傍に碑があるそうです。


石川島の歴史は寛永3年(1626)に幕府船手頭石川八左衛門が隅田川河口の無人島を拝領して造成し屋敷地としたことに由来する。古くは鎧島、森島などと呼ばれていたが以後石川島と呼ばれるようになったとのこと。1792年には移転したので石川島全体が人足寄場の敷地となった。(IHI資料)


今、1866年に寄場奉行の清水純畸がつくった石川島灯台を模したモニュメントが跡に立っており、そばに人足寄場跡と記した説明板が立っている。


石川島資料館:中央区佃1-11-8ピアウェストスクエア1F

   開館日:水曜・土曜10:00-12:00、13:00^17:00

   TEL:5548-2571

 

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浜離宮庭園の英語案内~外国客人への半日観光おもてなし検討(2)

[あうん(阿吽)] 2011年5月17日 09:30

hamarikyuucontrast20110514.jpg海外からのビジネス客を想定対象として,充分な観光日程を確保しづらい彼らに『限られた短時間で「日本らしさ」を楽しんで貰える中央区』を追求したいと思います。

今回,浜離宮庭園を紹介するホームページに『外国の方を対象に、英語による庭園ガイド(無料)を行っております。土曜日/日曜日:午前11時』とあるのを見つけ,快晴5月14日(土)に事前許可を得ずに押しかけ同行をお願いしました。ボランティアガイドが客を案内散策する現場に私がお邪魔するという訳です。この日の当番ボランティアガイドはT氏。綺麗な発音の英語を流暢に話すT氏は,物流関係の会社で監査役を務められる,海外在住経験のある現役のビジネスパーソンの由です。50歳代とお見受けしましたが,その英会話力だけでなく,紳士然とした格好良い見目姿にも私は嫉妬させられました。

さて本番,私がT氏に同行許可を貰い終えた直後に来場した外国人男性4人組にT氏が"Good morning."と声をかけるや,先頭の相手が"No!"と言い捨てて通り過ぎました。T氏が私に解説するに『あれは私のことを礼金目当てと誤解しているのだ。発展途上国で特にありがちだけど,観光地には親切を装ってガイドをしたあげく,後からチップを要求する輩も居る。その類だと自分が間違われても,カッとしてはいけない。』   私は相づちを打ちながらも「T氏は"GUIDE FREE"と大書したプラカードを胸に下げるべきだ」と一旦は思い,「でも,これ見よがしな無料訴求がかえって怪しまれるかも」と思い直しました。

T氏は,次に来場した30歳代前半と覚しき男性にマンツーマンガイドを開始。彼は11時45分発の浅草行き水上バスに乗りたい由なので,「三百年の松」から「延遼館跡」,さらに「潮入の池」方向へとテンポ良く説明付き散策を進めますが,行程説明は割愛します。客人が語るに,2度目の来日で初回の昨秋は奥様と二人連れだった由,今回はビジネス目的で,水曜日に東京へ着き,明日の月曜日には香港へ飛び立つ由。外資系金融会社所属の由で,出張旅行中の息抜き観光という趣です。
庭園内の東屋にてT氏が指さす枡形城郭の復元模型の説明に聞き入る客人を見ながら,この復元模型のように過去の情景を視覚化して,今ここにある風景と対比しやすくする便宜・配慮は効果的だなと思いました。江戸時代の鷹狩りや明治時代の鴨猟などのCG動画を無線LANで飛ばして,客人は持ち歩くスマートホンやスマートパッドの画面の動画を見ながら鴨場にたたずむ,という時代が何年後かに来そうです。客人は庭園越しの高層建築に感じ入った風で,写真を撮っていました。伝統的な和風景と現代の対比が面白い様でした。金沢・兼六園,岡山・後楽園や島根県の足立美術館の庭園でも見られない,浜離宮庭園の売りなのかも知れません。
hamarikyuuvendingmachine20110514.jpg

水上バス乗り場の浅草方面行きの切符券売機,画面操作の最初に右上の"ENGLISH"ボタンを押すと,以後は英語表示に従って切符を買えます。既知の方にとっては当たり前でしょうが,私は感心しました。


 

 

築地立ち食いグルメ2景~一串玉子焼きと美味しい鮪焼き~

[ダンディ松] 2011年5月14日 17:47

DSC02608.JPGDSC02606.JPG築地の開市日には常に多くの人で賑わう「波除通り」に面して建つ休憩所の一角に小さな店を構える「山長さん」は串さしの玉子焼き(略して「串玉」)が人気。
築地場外市場の散策の途中に是非お勧めしたい立ち食いグルメです。歩きながら食べるにはちょうどいい大きさで、暖かいものと冷たいもの、そして甘いものと甘さ控えめのものとお好みでチョイスできるのがいい。

DSC02607.JPG
値段も一串100円といたって手ごろ。玉子焼き激戦区の築地場外にあって、手ごろな串さしで売る玉子焼きはここ「山長さん」だけ。是非、ご賞味あれ。


もう一つ、私好みの立ち食いグルメを紹介しましょう。
築地では鯛焼き屋さんとは言わず、鮪焼き屋さんと呼んでいるのをご存知でしょうか。
市場内では鮮魚の鯛も鮪も取引されているのですが、場外市場には鯛焼きならず、鮪焼き屋さんが1軒だけ店を構えています。

DSC02609.JPG DSC02610.JPG晴海通り側から最初の路地を入ったすぐ左手に小さな店を構えているのが、鮪焼きの「さのきや」さんです。間口一間ほどの店先に可愛らしい置き看板があるのですぐに見つかります。
「さのきや」さんの鮪焼きは鮪の特徴である胴体の膨らみを正確に表現したもので、その膨らんだお腹の中にはたっぷりの具である「あんこ」が詰まっているんです。その「あんこ」の原材料は十勝産小豆で、さらにその小豆は「豊祝」という最高級品種を使用しているとのこと。

DSC02611.JPG DSC02612.JPG鮪焼きは「本マグロ」と「中トロ」の2種類。本マグロのお腹には小倉あん、中トロには小倉あんになんと「あんず」が入っているという。出来上がった鮪焼きは餃子についているような羽つきで、表面パリッと中がフワッの食感を愉しめる優れもの。ちなみに「本マグロ」は150円。「中トロ」はすこし高めの180円。

築地場外ではさまざまなお店で試食が可能なのですが、試食のお口直しに「一串玉子焼き」と「鮪焼き」をお勧めいたします。

山長(串玉)
東京都中央区築地4-16-2
営業時間:06:00~15:30
定休日:日曜・祝日・市場休市日

さのきや(鮪焼き)
中央区築地4-11-9
電話:03-3543-3331
営業時間:07:00~15:00
定休日:日曜・市場休市日

 

 

中央通り「はな街道」

[O傘] 2011年5月14日 16:17

季節の花々で彩る中央通りの「はな街道」。ご存じの方も多いと思います。

はな街道マップ.jpg京橋から日本橋そして室町まで、歩道の車道寄りに何気なく花壇が続いています。

IMG_9883compcol.JPGのサムネール画像この春は色とりどりのパンジーが行き交う人の目を楽しませ、心を和ませてくれています。

 


「はな街道」は、平成14年(2002年)12月に江戸開府400年を記念し1年間の社会実験としてスタートし、

その後「名橋「日本橋」保存会」・「日本橋地域ルネッサンス100年計画委員会」の後援により、

国土交通省東京国道事務所との共催でNPO法人「はな街道」が、水奉行(地元沿道の町会員のボランティアによる花壇の水撒きや歩道の清掃活動)・花奉行(年4回、季節の花々を咲かせる費用を提供する人や企業・団体)、そして町会・商店会・地域活性化団体などの協力を得て実行しています。

IMG_9343tcolcomp.JPGのサムネール画像 160_2.jpgのサムネール画像 IMG_9332tcolcomp.JPGのサムネール画像


常盤小学校の児童も地域ボランティアとして花壇の花植え体験を通して中央通りの美化に一役買いました。 昨年まで、夏には真っ赤なサルビア、秋にはフレンチゴールドの花で中央通りが彩られました。 

IMG_9338compcol.JPG 花壇を良く見ると、花奉行水奉行になった企業・団体や、花壇が所属する町会の名前が記された小さなパネルが花壇ごとに立てられています。


IMG_9352tcolcomp.JPGのサムネール画像のサムネール画像  IMG_9902tcolcomp.JPGのサムネール画像のサムネール画像のサムネール画像   IMG_9931tcolcomp.JPGのサムネール画像   

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そして、パネルにはもう一つ、立春・春分・秋分・夏至・冬至などの「二十四節気」(にじゅうしせっき)や、季節の気象の動きや動植物の変化を知らせる「七十二候」(しちじゅうにこう)の漢字熟語が書いてあり、その読みと意味が記されていて季節を表す熟語として大変参考になります。

江戸時代の人が季節を感じながら自然を受け入れながら生活を営む様子が察せられ、思わず立ち止まって読んでしまいました。これを知っていると博学だと思われるかも・・・。

 中央通りの「はな街道」、花を楽しみながら時々はよく見てみましょう。新発見があるかもしれません。


 

 

 
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