[夕陽の丘]
2011年11月 8日 08:30
千代田区の秋祭りに参加しました。
秋葉原の和泉橋防災船着場から、神田川の聖橋(アーチ形が美しい)をくぐり、九段下から日本橋川のクルーズです。
日本橋船着き場で秋葉原へ引き返します。
日本橋川も一時期水質が悪化しましたが、近年は川を浄化しようと、河川の汚れた物質を除去する働きのある EM 菌を川へ投下されているそうです。又、川の浄化に多くの企業も協力されています。
江戸時代の石垣跡を見たり、頭上すれすれの橋の下を(船頭さんは船の庇を下して、船を低くします)通り抜け、また美しいアーチ形の「常磐橋」などを通ります。
高速度道路の高架下、鉄道の陸橋の下など、船でしか見ることができない景色を楽しめました。
ガイドさんのアナウンスが、ときわ橋、トキワ橋、トキワ橋??? と聞こえます。
この3本のトキワ橋
・一番上流が新常磐橋 江戸通りにかかり、人も車も通ります。
・真中が常磐橋 (旧常盤橋) です。
日本橋(1603年創架)より早く創架されたと言われています。
歩行橋ですが 現在は危険な状態なのでとじられていて通れません。
都内に現存する最古の石造りアーチ橋。 明治10年竣工です。
常磐橋に 盤 でなくて、磐 という字が用いられているのは 「皿」 は壊れやすく、
橋には縁起が良くないので 「石」 を用いたという説があるそうです。
中央区出版冊子より
・多くの車輌も大勢の人も通っている常盤橋は1926年竣工です。
船は日本橋船着場でUターンします。
10月30日の"中央区まるごとミュージアム2011"の準備の人々でしょうか、多くの人達が手を振ってくださいました。
秋の日暮れはつるべ落としとか。
急に日が暮れてきたようで、日本橋にはオレンジの明かりが灯りました。
三越の新館は、地上で見るよりも船から見た姿のほうがより美しく映えると思いました。
左に日本銀行の新館、正面に日本銀行旧館、右手前に貨幣博物館を、遠くにマンダリンホテルを望みます。
[illy-ship燦壱朗]
2011年11月 8日 08:30
銀座3丁目と4丁目境を通る松屋通りにはなみずきが植えられています。
春はピンクの花で楽しませてくれますが、今はかわいい赤い実がなっています。
これからは葉が紅葉していきます。銀座の並木でも季節が感じられます。
[滅紫]
2011年11月 6日 08:30
11月の演舞場は「七世尾上梅幸十七回忌」「二世尾上松緑二十三回忌追善」の顔見世。
「顔見世」は江戸時代、劇場側と役者の契約は1年で、毎年十一月はいわば専属契約を結んだ役者を披露する興行が行われこれを「顔見世」といった。従って顔見世は芝居の世界に従事する人たちにとっては正月と同じ意味を持っていたという。江戸大坂の顔見世は江戸後期から次第に途絶え、東京では戦後になって復活した。唯一連綿と続いている京都の南座の顔見世は桟敷席に花街の舞妓さんや芸妓さんがずらりと並ぶのは年の瀬の京都の風物詩になっているのでご存知のかたも多いことでしょう。
というわけで顔見世2日目の夜、早速演舞場へ出かけました。「追善」とはいえお二人とも舞台姿がまだはっきり目に浮かぶのはこちらが年齢を取ったということですね。昼夜ともにお二方所縁の演目が勢ぞろい。それをそれぞれ息子、孫、一門の役者さんが演じるのは「追善興行」ならではです。
菊之助さんの「娘道成寺」は花道に現われた時から観客を魅了しました。「美しい!」「ほう」「ふう」というため息が聞こえます。鐘の上での幕切れまで1時間あまりも観客の視線をひきつけ続けさせるのは凄い!の一語です。
先月の国立に続き、田之助さんの元気なお顔が見られるのも嬉しい事です。
手ぬぐいを久しぶりにGETしました。
特別にお見せします。
夜の部は他に「外郎売」と「髪結新三」昼の部は「傾城反魂香」「吉野山」「魚屋宗五郎」
復帰した勘三郎さんが話題の浅草平成中村座も今月から7ヶ月のロングラン興行です。京都の顔見世も月末から始まりますし、歌舞伎ファンには楽しみな、お財布にはイタイ、本格的な歌舞伎の季節の始まりです。
チケットホン松竹:0570-000-489(10:00~18:00)
[北遊人]
2011年11月 5日 08:30
東日本橋2丁目ちょうど薬研堀不動院の後ろに、矢ノ庫稲荷神社があります。
此の度の"薬研堀不動院開創420年"にあわせ、新社殿が奉納されました。
奉納碑がたてられています。
縁起は前のままです。
ご紹介します。
縁起
今の隣接する東日本橋1丁目あたりが谷野と呼ばれていた頃、正保2年(1645)幕府が米蔵を建て
谷野蔵、矢之倉と称されていました。その庭中に御蔵の鎮神として三社を合殿した三社稲荷神社を
まつりました。三社は中央に谷野蔵稲荷、左に福富稲荷、右には新左衛門稲荷からなりたっておりましたが、50年ほど経て元禄11年(1698)に御蔵を鉄砲洲に移転すると共に三社稲荷を一緒に移されました。御蔵の後地に居住する人達がその名を惜しんでそこに三社稲荷を残し今も尚東日本橋一丁目に「矢ノ庫三社稲荷」として祭られております。後年明治6年(1873)に「新左衛門稲荷」が、
昭和7年(1932)には「福富稲荷」が当町にある「初音森神社」に遷座合祀されたと伝えられ、残る
「谷野蔵稲荷」は、幾多の変遷、場所を変え現存地にその社を構えるに至りました。その名称に使われている文字もいつの頃から「矢ノ庫稲荷」と特に「庫」の字を強調した呼称に改められました。
祭神は三社稲荷神社と同様「宇賀魂命」と考えられ御神体は勿論現存しないわけですが「翁の形で
手に鎌と稲穂を持つ」と伝えられております。
昭和53年2月 矢ノ庫稲荷世話人
(現在地の地番は東日本橋2丁目です)
米蔵の件については、日本橋中学校舎の西南角に「矢ノ倉」の碑が建てられています。
右側には建てた趣旨が書かれています。
趣旨
由緒ある矢ノ倉の地名が時代の流れにより失われてゆくことを惜しむの余り旧跡として後の世の人々の語り草ともなればと、町内有志が相寄って町会記念事業として、この碑を建立したものである。
東日本橋1丁目矢ノ倉町会有志一同
左側には由来が書かれている。
由来
江戸初期の頃からこの辺りは谷野といわれ、正保2年(1645)徳川幕府が米倉を建て、これを谷之
御蔵と称した。元禄11年(1698)火災により焼失、米倉は築地に移された。米倉移転後幕末まで
この地域は、北東部が町家に、北西および南部は武家地となり、柳沢出羽守屋敷や幾つかの屋敷に分割され、その後松平壱岐守など諸氏の邸地となった。矢ノ倉町の地名には昔から谷野倉、谷蔵、矢野倉、矢之倉などの字が宛てられたが、明治5年町名設定によって俚俗の称をとり矢ノ倉町と定めた。昭和46年4月1日住居表示の実施に伴う町名変更により東日本橋1丁目となった。
江戸時代からの旧町名の保存を記念としてこの碑を建立する。
昭和50年11月3日
( この辺りは、町会はみな旧町名です。またお米屋さんも多く存在しています。)
[滅紫]
2011年11月 5日 08:30
「クラシックはどうも苦手」と敬遠気味の方は多いようだ。かくいう私もその1人だが、今日は友人に誘われて久々にコンサートに。会場の浜離宮朝日ホールは築地朝日新聞社新館にあり、音響効果の良いホールとして音楽ファンにはよく知られている。
でも「ランチタイムコンサート」って?
ホールの濱吉総支配人のお話によると、「ややもすれば敷居の高い感のあるクラシックをより気軽に、より身近に楽しんでいただけるよう8年前からお昼の時間帯に実施しています。通常のコンサートより時間も短く、抑えた料金で、また事前のお申し込みがあれば託児も可能にしています。」とのこと。
因みに、このホールは1992年に室内楽専用ホールとしてオープンし、1996年にはアメリカ音響学会により、我が国では初めて響きの良いホールとしてカーネギーホールと並んで「EXCELLENT]の評価を受けているそうです。
93回目を迎える今回はNYで活躍中の大島文子&直子姉妹のクラリネットとピアノのDUOリサイタル。ほぼ満席の盛況ぶりです。ショーソン、バーンスタインから山田耕筰の日本の歌まで、時々の語りとあわせぴったり息の合った演奏で飽きさせません。1時間30分はこの時間帯には程の良い長さで私たちもちょっと優雅にリラックスした時を過ごしました。それにしても演奏家って体力要りますねー。
「丁度お腹も空いてきたし・・・」と音楽より食欲の秋の友人とランチに。ホールのHPには「ランチタイムコンサートのあとの近場のお勧めレストラン」まで掲載されています。いたせりつくせりです。
そして今日はまた嬉しいサプライズ。ホール出口で亀田製菓の菓子詰め合わせがお土産に渡されました。この日限定の協賛ということですが、何だかとても得した感じの嬉しい一日となりました。お気に入りのプログラムを見つけて、ちょっと短い優雅なひとときは如何でしょう?
今後のランチタイムコンサート:何れも11:30開演、入場料:2,800円
2011年11月30日(水)三舩優子ピアノリサイタル
2011年12月21日(水)バス・ファイブ金管五重奏団
2012年1月26日(木)寺神戸 亮 ヴァイオリンリサイタル
2012年2月10日(金)木村俊光と巡るオペラの旅
2012年3月28日(水)仲道郁代ピアノリサイタル
チケットの申し込みは朝日ホールチケットセンター TEL 03-3267-9990(日祝を除く10:00~18:00)
[下町トム]
2011年11月 4日 17:00
隅田川と友好河川であるパリのセーヌ川との比較を通じて、中央区の魅力を再発見するシリーズの<その6>です。
今回は〝夜景〟と〝歌〟に親しみましょう。
パリといえば〝シャンソン〟・・・おしゃれでありところどころ哀愁を帯びた町景色にはよく似合います。もともとは、一般庶民の気持ちを吟遊詩人が歌に乗せて伝え歩いたというものだそうです。言ってみれば、日本の〝演歌〟や〝説教節〟〝新内流し〟などにも似た発展を示しているわけです。日本人がどこか懐かしい気持ちで心を惹かれるのもそんな背景があるからでしょうか。
1951年の映画『巴里の空の下セーヌ川は流れる』の中で歌われたシャンソンは、その後スタンダード化しました。ピアフやイヴ・モンタンも歌いましたし、越路吹雪さんも歌いました。
「♪ パリの空の下 歌は流れる ラララ 若者の心に芽生えた歌・・・・」切々と連なる歌詞にはサン・ルイ島やノートルダムなどの風景が織り込まれ、聴いているだけで旅情を掻き立てられます。
きっと今夜もパリのあちらこちらでシャンソンが流れていることでしょうか。秋の夜景には一層似あうように思えます。
一方、隅田川も夕暮れから夜にかけての風景の変化は味わい深い姿を見せてくれます。橋の上にたたずんで、夕波を眺めるのも心豊かなひとときです。 <写真上:佃大橋から佃公園を望む>
そしてまた歌が似合います。滝廉太郎の『花』に出てくる「春のうららの隅田川・・・」という明るい景色も素晴らしいですが、日が落ちて町の灯がともる頃の小粋な世界もまた捨てがたいものがあります。
有名な『明治一代女』では「♪ 浮いた浮いたと浜町河岸に 浮かれ柳の恥ずかしさ・・・・」と当時の大胆な恋愛物語をつづっています。芳町が花街として賑わった頃、様々なドラマもあったことでしょう。
また、小唄『河水』の歌詞には「♪ 短夜のいつか白みてほのぼのと咲く朝顔も水浅黄 ・・・・」と夏の夜が明けてゆく隅田川の流れを読み込んだくだりがあります。
永代橋、清洲橋、新大橋と橋の名も次々に現れて、まるで川を行く船の揺られているように心情が深まります。
これから秋が深まり、しんみりと様々なことに思いを馳せるのにもいい季節です。隅田川の夜景に触れて、好きな歌を口ずさみながら橋を渡れば、忘れかけていたことを思い出すかもしれません。 <写真下:勝鬨橋から築地市場を望む>
どうぞこの季節を皆さんご堪能下さい。
続きを読む: 中央区の魅力 ~ 『隅田川とセーヌ川』 ・・・・・ その6 ≪夜景と歌≫