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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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江戸桜ルネッサンス <日本橋三井ホール>

[サム] 2014年3月11日 14:00

          <江戸桜ふぶき>              <江戸切子シャンデリア>

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 3月7日、コレド室町5Fの日本橋三井ホールで、「江戸桜ルネッサンス~夜桜うたげ~」が始まった。

演出を手掛けたのは、日本橋の夏の涼を彩るイベントとして2011年からスタートした水中アート展「アートアクアリウム」のプロデューサー、木村英智氏。

「江戸で "かぶき者" と名を馳せた男の屋敷で繰り広げられる『江戸で最も早く美しいアートな花見』」という設定らしい。

希少価値の高い江戸時代の作品3点を含む桜柄の着物を集めてライトアップした「和桜並木道」。

「江戸切子」の技を使った硝子の桜の花びら1,000枚を制作し、プロジェクションマッピングなどの最新の演出技術を駆使し、満開の桜の木が風に吹かれ花びらが吹雪のように舞い散る様を表現した「江戸桜ふぶき」。

江戸切子のグラス約1,000個からなる高さ約2.5m、直径約4mの「江戸切子シャンデリア」と、水面に舞い散った桜の花びらをデザインし、桜錦・桜琉金・桜和金といった桜に因んだ品種の金魚が泳ぐ作品「サクラリウム」を組み合わせた最新作のアートアクアリウム「江戸桜リウム」。

桜柄の手漉き和紙の回廊「桜和紙の門」。

三重県鈴鹿市指定の伝統産業「伊勢型紙」を使った桜模様の影絵アートの「伊勢型桜の間」。

伝統文化に現代アートを融合させ、桜を一輪も使わず、様々な新たな意匠で桜の美しさが表現され "花見" が演出されている。

このほかに「夜桜の間」「夜桜バー」「五日桜の間」なども設営されている。

開催時間は11:00~23:00.

会期は3月7日~30日。

尚会場近くの「あじさい通り」では早咲きの「オカメザクラ」が開花中。

 

      <サクラリウム①>        <サクラリウム②>       <サクラリウム③>

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      <和桜並木道①>         <和桜並木道②>         <桜和紙の門> 

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日本橋から中山道へ 忘れない3.11

[銀造] 2014年3月11日 09:00

 

 今日は、日本橋から中山道をご案内します。

まずは、日本橋三越の地下通路にて、熈代照覧を見て、江戸時代の町並みを勉強しましょう。

P1000508.JPG(三越前駅「熈代照覧」より)

千疋屋総本店、海老屋美術店、十軒店跡を見ながら、室町三丁目の交差点を渡ります。

おっと、右側のJR新日本橋駅入り口前の長崎屋跡の説明も見ていきましょう。

P1000509.JPG

そして石町時の鐘 鐘楼堂跡などの案内板を見て、次の信号で左側の元の道を神田方面に進みます。

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左側の道路脇(現、ホンマゴルフ前)には、今川橋跡の案内の石碑があります。 

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当時は、こういう街並みだったのだなと思いながら進みます。しばらく行くと、JR神田駅前に出ます。

このあたりが、筋違御門があったのだとか、昌平橋は嘉永年間にもあったのだとかを名所江戸百景の説明の古地図で確認しましょう。

 ここから先は、現代版の地図で簡単に板橋宿まで到達できます。

板橋宿跡では、いたばし観光ボランティアの方々が温かく出迎えてくれます。

住所:板橋区板橋三丁目14番15号、電話03-3963-5078

 

 2011年3月11日、暗い夜道を日本橋からこの板橋宿を目指して歩いたことを思い出します。

皆さんも勤務先からご自宅までは徒歩で帰れる様、道順は覚えておきませんか?

 改めて、被災地の一日も早い復興と被災された方々のご健康をお祈りします。

加筆して、私の福島県の友人、妻の高校の同級生とご家族が、東北魂でゆったりと前進されることを願っています。疲れた時は、東京さ、お出で。

 

 

◆江戸狩野派の基礎を築いた 「探幽3兄弟展~狩野探幽・尚信・安信~」

[巻渕彰/写楽さい] 2014年3月 8日 09:00

奥絵師・江戸狩野四家の屋敷はすべて、今日の中央区内に置かれていた。狩野永徳の孫・探幽(たんゆう)は江戸開府とともに江戸に移り、鍛冶橋に屋敷を拝領する。5歳下の弟、尚信(なおのぶ)は竹川町(銀座、のち木挽町移転)に、11歳下の弟、安信(やすのぶ)は京橋中橋にそれぞれ拝領屋敷を得て、江戸狩野派の基礎を築いた。その3兄弟の展覧会「探幽3兄弟展~狩野探幽・尚信・安信~」(3月30日まで)が、板橋区立美術館で開かれている(写真上)

 

0913_562_140226kanoutanyu.jpg室町時代から隆盛を極めた狩野派は、探幽のときに江戸に拠点を移し、幕府御用絵師として活躍した。慶長7年(1602)山城国(現京都府南部)に生まれる。家康に謁見し、京より召されて御用絵師となり、元和7年(1621)に鍛冶橋御門外に屋敷拝領する。延宝2年(1674)73歳で死去。

 

尚信は慶長12年(1607)山城国生まれ。寛永7年(1630)、江戸で徳川秀忠に謁見、御絵御用を申付けられ竹川町に屋敷拝領。慶安3年(1650)44歳で死去。安信は慶長18年(1613)山城国生まれ。元和9年(1623)狩野宗家を継ぐ。寛永年間に中橋に屋敷を拝領する。貞享2年(1685)73歳で死去。

 

中央区の江戸狩野屋敷跡を訪ねよう。「狩野画塾跡」は銀座五丁目、旧木挽町で昭和通りに面して説明板が設置されている(写真下)。ここは木挽町狩野屋敷跡で、銀座竹川町から移転してきたもの。江戸狩野派として幕末まで存続し、明治画壇に狩野芳崖や橋本雅邦などを輩出した。

 

中橋狩野屋敷跡は京橋一丁目、旧大鋸町で、歌川広重住居跡の説明板の中に、わずかに狩野屋敷があったことが触れられている。探幽の鍛冶橋屋敷跡は八重洲二丁目、鍛冶橋交差点付近であるが、坂本龍馬が通った千葉定吉道場が一時置かれたところが鍛冶橋狩野屋敷付近だった、とその説明板にある。江戸狩野四家として浜町狩野屋敷があったとされるが、詳細は不明である。@巻渕彰

 

 

劇場のお稲荷さん

[滅紫] 2014年3月 7日 14:00

旧暦2月の初午は今年は3月12日になりますが、今日ほとんどの2月初午祭や二の午祭は新暦で行われているので年中で一番寒い季節に当たっています。旧暦であれば、初午は少し春めいた頃に巡ってきたもののようです。

三大稲荷の一つ「笠間稲荷」では新暦と旧暦の両方で初午祭を行うとのこと。江戸時代には「事始め」の時期で寺子屋に入門するのもこの日が多かったとのこと。ベストセラーの「なぜ日本では八幡神社が一番多いのか」によれば、「稲荷社」を名乗る神社は2070とされているが摂社末社や街中の小祠を入れれば実際には稲荷が一番多いはず」と書いてある。「もともと五穀豊穣の神だった稲荷は次第に漁業の神、商売繁盛の神、そして関東では屋敷神として広く信仰を集めるようになり「火事、喧嘩、伊勢屋、稲荷に犬の糞」といわれるほど多くの稲荷が勧請されたと言われている。」(「日本の暦と年中行事」)。

江戸時代には芝居小屋には「大入りや安全祈願」を願って必ずお稲荷さんが祀られて、2月の初午には楽屋でも年中行事として稲荷祭が催されそのすべてを管理、主催していたのがそばに部屋のある大部屋役者たちで「稲荷町」と呼ばれていたのはご存知の方も多いことでしょう。(別な説もあります)。江戸三座もそれぞれ楽屋に稲荷大明神を祭祀していて、中村座は「銀杏稲荷大明神」!、市村座は「大津稲荷大明神」(何故か森田座がない)で「商売繁盛」や「安全祈願」に霊験あらたかな稲荷大明神はあらゆる意味で芝居興行の守護神にふさわしかったことでしょう。

現在でも歌舞伎の上演される劇場には稲荷が祭られています。以下の写真は歌舞伎座「歌舞伎稲荷大明神」と新橋演舞場「演舞場稲荷大明神」、明治座の稲荷です。歌舞伎座と新橋演舞場は鉄砲洲稲荷神社の氏子です。明治座の稲荷は笠間稲荷を勧請したものだそうです。国立劇場の稲荷は花園神社の稲荷を勧請したものと会員向けのバックヤードツアーで伺いました。楽屋入口の着到板のそばにあります。観劇の折に、劇場のお稲荷さんにもちょっとお参りしてみませんか?国立劇場をのぞけばいつでもお参り可能です。(演舞場稲荷はチケット売り場の裏にあります)。

 

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「船上ガイド育成研修会」に参加しました。

[小江戸板橋] 2014年3月 7日 09:00

「水彩都市」 これは、江東区の愛称です。

東京湾に面し、運河と橋が交差する、豊かな水辺の情景を持つエリアです。

中央区とは、隅田川をはさんで隣接しています。

その中央区と江東区が連携して行う「船上ガイド育成研修会」に、観光協会特派員として参加する機会を設けていただきました。

会社に年休を申請してでも、参加したい研修です。

座学を経て、3月6日は実際に乗船して、運河を巡りました。

船上で実物を見ながら、講師の方から周囲の景観や建造物などにまつわる説明を受けます。

次々に展開する都市の景観の多様さもさることながら、2020年の東京五輪開催時に、多くの競技が行われる、各種競技場や建設予定地の今を見ることも、この研修の魅力でした。

水上バス「カワセミ」に乗船。

コンパクトな船体ですから、小名木川や日本橋川も航行できるのです。

江東区高橋の小名木川に面した、高橋乗船場からスタートです。

隅田川から越中島を左手に見て晴海運河、豊洲運河、砂町運河、曙運河。両岸に夢の島や辰巳の森海浜公園を見て、新木場の貯木場越しにゲートブリッジを臨み、辰巳運河、東雲運河。東京湾でレインボーブリッジをながめながら、豊海水産埠頭を右手にし、隅田川へ戻ります。日本橋川の双十郎河岸・日本橋船着場で船を降りるコースです。

と書いてみましたが、日ごろ鉄道・道路での移動に慣れきっている私です。

手元の地図をくるくる回しながら、位置確認。

おっ、今ここを通っていたんだ。

船上から移動位置を確認するには、橋・橋梁が一番の味方です。

一般道、自動車専用道、鉄道橋。

橋の形状の種類の多さばかりでなく、複数重なりあった組み合わせの面白さ。使用している塗料の工夫にも感心させられます。

何と言っても、両腕を広げた橋が生み出す景観は、その背景とも合わせて、季節を切り取った一枚の絵になります。

それから、水門を真下から見上げることって、なかなかスリリングなものです。

東京湾の沖へ沖へと拡大してきた水辺の都市東京。臨海部にそそり立つタワーマンションや団地群。学校や病院の高層建築物。

こうした分厚い水門が、人々の生活と生命を守ってきたのですね。

タワーや煙突の高さも、重要な目印です。

スカイツリーや東京タワーが、視野の中にすっと映り込むと、やはりテンションは高まります。

二つのタワーが両方とも見える位置は、ゴールデンポイントです。

水上から見る隅田川テラスは、時折ジョギングしているところだけに、周囲の建物の区別がつき、このあたりならばガイドもできるかな。

いつも思うことなのですが、水辺に出ると、東京の空は広く感じます。

しかし、本日は、低気圧の急速な発達により、寒冷な空気が激しく流れ込む「弥生寒波」だとか。

水上での体感温度は、ことのほか厳しく、もっと厚着をしてくるのだったと思わせました。

それでも今日は「啓蟄」

春の足音も近くまで来ているはずです。

寒さが厳しい分だけ、数週間過ぎれば、運河の周囲も花で彩られるのでしょう。もうすぐです。

ゴールした日本橋界隈で、日本酒なんぞで内側から体を温めましょう。

講師の皆さん、運営の皆さん、お世話になりました。

 

 

大人気!「ぐりとぐら展」に行ってきましたー松屋銀座

[滅紫] 2014年3月 6日 14:00

話題の「ぐりとぐら展」に行ってきました。2月始めに「みど」さんが紹介されていたので詳細はご存じかと思いますが、会期末まであと1週間となった今日も会場入り口前は携帯やデジカメで記念撮影の人、人です。入り口の係の方に伺うと「土日はもっと凄い人出でした」とのこと。来場者で目立つのは20~30代の若い女性と幼児連れのママさんたち、かなりご年配の方がお孫さんと一緒という組み合わせもちらほら。「ぐりとぐら」の幅広いファン層が伺えます。7作品からの原画コーナーは仕切られていてそれぞれの作品世界に浸ることができます。宮崎駿さんと中川李枝子さんとの何とも楽しい対談映像、出口付近には広々したカウンターに読書コーナーが設けられていて自由に作品を読むことができ、カルタ遊びに興じているのは何と若い女性たちです。幼稚園や保育園のお遊びの時間といった雰囲気。カードやカルタ、ハンカチなどのグッズに絵本、出口の物販コーナーも楽しめます。キャッシャーブースが多く設けられていて来場者を待たせないというのもいいですね。「ぐりとぐら」は196刷り!になっていました。

入場チケットのデザインが変っていて、そうなのです。これぐりとぐらが見つける大きなたまごのかたちです。展覧会企画担当者の遊び心が伺えてこちらまで楽しくなってきました。ウイークデーの昼間が比較的空いているそうです。

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3月10日まで松屋銀座8階イベントスクエア10:00~20:00まで最終日は17時閉場