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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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銀座で830円のハンバーグランチ★AOI

[まぴ★] 2014年3月 6日 09:00

こちらのお店もよく本に載っていて、前から気になっていたのですが初めてお邪魔しました。

銀座2丁目の昭和通り沿い(有楽町側)にあるお店です。

 

 

一番よく出るのは830円のハンバーグランチだそうです。

日替わりも830円で、この日は照りマヨハンバーグでした。

私はカロリーのことを考え、890円のおろしポン酢ハンバーグにしました(*^^*)

 

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すね肉を使っているそうなのですが、ふわふわっで美味しい~♪

そしてポン酢は瓶で出てきて「お好きなだけどうぞ!」というのも嬉しい★

さらにこのお店のいいところは、女性が1人で入りやすい。

この日も私を含め女性のお一人様がなんと6人!!

 

そしてみなさん何やらコーヒー券のようなものを持っていて

食後にコーヒーを注文しているので私も飲みたくなり注文しました。

コーヒー200円も嬉しいサービスで、帰りにはコーヒー券頂きました(*^^*)

 

ところでこのお店のAOIとは、

愛する人、おなか、いっぱいの頭文字だそう。

素敵な言葉ですね~(*^^*)

 

ぐるなびにもっとコージャスなセットがお安くなるクーポンも出てます!

銀座でこの値段でランチが食べれるなんて!
お持ち帰りのOLさんもいましたが、人気店になるのも当然ですね★

 

 

 

銀座にはなぜ超高層ビルがないのか

[みど] 2014年3月 5日 14:00

銀座は都内の他の地域に比べ、あまり高い建物がないこと
にお気づきでしょうか。銀座区域には「銀座デザインルール」
というものが存在し、建物は56メートルまでと決まって
いるため、超高層ビルが存在しないそうです。
このルールは建物や看板などが銀座のイメージをそこなわ
ないように定めているとのこと。
だから高層ビルが林立する汐留や丸の内とは街の顔つきが
大きく異なっているわけです。

 

実は2003年、松坂屋と森ビルによって200メートル近い
超高層ビル計画が銀座に提案されたそうです。
しかし「銀座らしい」まちのにぎわいを守るため商店街が
結束し、地域のルールを考え上記の「銀座デザインルール」
に至ったということです。

これらのことは竹沢 えり子さんの著書『銀座にはなぜ超高層
ビルがないのか~まちがつくった地域のルール』 (平凡社新書)
に紹介されています。
商店街はどのように結束し、企業や行政と街の未来について
何を話し合ったのか。全国商店街も参考にできる、街づくり
を紹介している本です。


以下、本の目次より-----

プロローグ 銀座に超高層ビルが計画された
第1章 銀座とはどんな街か
第2章 大規模開発前夜、90年代の銀座~
   第一次地区計画「銀座ルール」の策定
第3章 200メートルの超高層ビルが銀座に?
   2004年から「銀座街づくり会議」が始動
第4章 銀座の声を行政へ!
第5章 新建築は銀座との事前協議が必要に
   銀座デザイン協議会の船出
エピローグ ふたたび松坂屋の再開発について

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ひょうきんな"葉痕"達 <晴海トリトン>

[サム] 2014年3月 5日 09:00

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 この時期、すっかり葉が落ち、裸の姿を晒しているアジサイですが、褐色の枝のあちこちから濃い紫色の冬芽が出、茎の先には大きくてロウソクの炎のような筆先の形をした頂芽が見られます。

葉の柄が枝についていた箇所には、葉痕と呼ばれる独特の跡が残っています。

葉痕は根から吸収した水分の通路の木部と、養分の通路の師部からなる維管束の跡が斑点のように残ったもの。

アジサイの場合、維管束の跡は3つで、葉痕は倒松形~ハート形をしています。

人間の顔に見立てると、左は"爺顔" 、右は "孫(赤ん坊)顔" のよう。

維管束の数や配列は樹木により様々で、"可愛い顔" "笑い顔" "泣き顔" "奇怪な顔" "子ども顔" "年寄り顔" ・・・といった具合に人や動物の顔に譬えられることも多いようです。

晴海トリトンスクエア<花・緑のテラス>で見かけた、そんなユニークな葉痕の一例をいくつか取り上げてみました。

冬から春先の緑地・公園散策の楽しみのひとつです。

 

  <カシワバアジサイ>        <トチノキ>         <オオデマリ>         <ガマズミ>

R0027827RRS.JPG   マロニエ (3)RRS.JPG   オオデマリ (2)RRS.JPG   ガマズミ(2)RRS.JPG

 

 

週2回の独創的な味<榮太楼總本鋪 玉だれ>

[whatever] 2014年3月 4日 08:30

 昨年の秋に、引率のお手伝いで初めて参加した「まち歩きツアー 日本橋老舗コース①」。にんべん・榮太楼總本鋪・山本山の3老舗をご案内しました。その際、榮太楼總本鋪にてお話を聴いているときに、店長さんから「玉だれ」というわさび味の生菓子のご紹介があり、ずっと気になっていました。

 1月に日本橋の病院で受けた、区の健康診断の結果を聞くために、とある火曜日に休みを取り、というか火曜日が水曜日のみしか都合がつかないため、敢えて火曜日にしたのですが、それには理由があります。この商品、火曜日と木曜日のみの販売なのです。電話をかけ、1本予約しました。

 で、こちらが玉だれです(切り分けた写真のみでスミマセン)。
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 全長16〜7cm、直径2〜2.5cmといったところでしょうか。白い求肥に包まれた薄い緑色の芯がとても綺麗です。わさびにすり下ろした大和芋、砂糖、焼味甚粉を混ぜてできているそうです。わさびの辛味と香りがしっかり感じられるのですが、ほんのり甘い求肥と合うんですね。とても不思議な味で、案外クセになります。抹茶と一緒にいただきました。
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 本わさび(天城産)を使用していますが、生産量が少ないため、あまり多く製造できないとのことで、日本橋本店で火曜日と木曜日のみの販売とおっしゃっていました。独創的で貴重な味をぜひ一度お試しください。

榮太楼總本鋪
 

 

がんこ おかげさまで50周年 手ごろな値段でランチ、ふぐちり

[銀造] 2014年3月 3日 09:00

 今日も銀座通りを歩いていて、「がんこ銀座一丁目店」にやってきました。

こちらは、忘年会で2、3回利用したことがあるのですが、最近はずっとご無沙汰してました。

 創業50周年です。 おめでとうございます。

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こちらのお店のランチはバラエティに富んでいて、美味しくて、安いという三拍子そろっています。

 

 メニューを紹介しますと、(2014年2月現在、消費税別。うどんORそば付きは別途200円加算)、チキン南蛮定食780円、寿司定食(花)980円、お造り定食980円、ステーキ定食880円など

 入り口の「鍋焼きうどん・ねぎとろ定食 980円」というのを見て、店内に。

そして、店内に入ったところで、気が変わり、「鰻セイロ天ぷら定食1,380円」

天ぷらは、海老天2本、蓮根、茄子、かぼちゃ、シシトウが、

鰻は4切れですが、食べ易く調理されており、大変美味でした。

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 次回の昼食は温かい「鍋焼きうどん」かな。夜には「ふぐちり:一人前2,680円」を食べに来ようっと。

 

 お店の場所は、中央区銀座1丁目7-10、みずほ銀行が入っているヒューリック銀座ビルのB1、B2(ポーラミュージアムの南隣です)

電話:03-3567-6789 銀造のお勧めです。

 いざ、靴を履いて出ようとしたところに、石柱がありました。お店の方によれば、京都の橋の石柱だとか。

珍しいものを発見しました。 ご由緒についても、次回確認しなくては。

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◆明治銀座、偉才の先覚者と親子三代 ~「岸田吟香・劉生・麗子」展~

[巻渕彰/写楽さい] 2014年3月 3日 08:14

近代明治の銀座煉瓦街に薬舗「楽善堂」を開き、目薬を製造販売する事業家として、また出版人、思想家、文筆家としても名をはせた岸田吟香(ぎんこう)、息子の画家・劉生(りゅうせい)、孫娘・麗子(れいこ)の親子三代にわたる展覧会「岸田吟香・劉生・麗子―知られざる精神の系譜」展(会期4月6日まで)が世田谷美術館で開かれている(写真上)


0913_561_140222kishida.jpg岸田吟香は天保4年(1833)、現在の岡山県に生まれた。医師ヘボンに出会い和英辞書を編纂し、維新後は明治6年(1873)、尾張町(現銀座五丁目)の日報社に入社、『東京日日新聞』主筆として活躍した。独特の語り口やユーモア、論客ぶりが評価されたという。

 

明治8年(1875)、銀座二丁目に薬舗「楽善堂」を開業し、これまで研究をしてきた目薬「精錡水(せいきすい)」の製造販売に乗り出す。ヘボンから処方された日本初の液体目薬で、ガラス瓶にコルク栓の画期的なものだった。明治38年(1905)、銀座楽善堂で死去、72歳。

 

劉生は明治24年(1891)吟香の四男として、銀座に生まれ、銀座で育った。14歳のとき父が他界。大正2年(1913)22歳で結婚し、代々木に転居する。画家として成熟していき、愛娘をモデルに「麗子像」を描き続けた。

 

昭和2年(1927)の随筆『新古細句銀座通(しんこざいくれんがのみちすじ)』に、思い出として「鉄道馬車の鈴の音を聞きながら青年時代までそこ(銀座二丁目)で育ってきた」と記している。昭和4年(1929)、38歳の若さで死去。

 

麗子は大正3年(1914)、劉生の長女として生まれた。4歳から父の「麗子像」モデルを務める。15歳のとき父が逝去。その後、絵画や演劇、小説などの表現者として生涯を送った。評伝『父 岸田劉生』の刊行を目前に昭和37年(1962)、48歳で急逝した。

 

中央区立郷土天文館(タイムドーム明石)常設展示室には、岸田目薬「精錡水」看板(写真下)、ガラス瓶、引札などの所蔵品が展示されている。@巻渕彰