[ジミニー☆クリケット]
2015年9月22日 09:00
浜離宮恩賜庭園では、現在、キバナコスモスがオレンジ色の花を咲かせています
秋に咲くコスモスに比べると草丈が低く、早めに開花します。キバナコスモスが終わるころ、花畑がコスモスのピンクで染まります
また、庭園のそこここに真っ赤なヒガンバナが咲いています
もともと中国南部原産で、古い時代に中国から渡来した史前帰化植物だそうです
ハギも開花中秋の七草の一つで、日本人には馴染み深い花です
こちらも同じく秋の七草、オミナエシ
シルバーウィークスタートで、庭園は、秋の草花を見に来た人たちでにぎわっていました
[遊山ものみ]
2015年9月22日 09:00
久しぶりの好天に恵まれ、日本橋船着き場から「中央区内舟運クルージングと日本橋老舗巡り」のツアーに参加です。
日本橋の獅子は首都東京の守護。南北4隅と柱には獅子頭が4×6と橋の2つのアーチの真ん中にそれぞれありますね。
では獅子はいくつでしょうか!? 獅子=16!?
正解は32です。 そして橋の欄干中央には翼と枝分かれした2本の角を持った麒麟。東京の大いなる飛躍を願っているとのこと。いつみても立派な姿ですね。
クルージングが始まりました。心地良い船の揺れに川風と潮の香り。
さて、目の錯覚か
月島の倉庫群の中に大きなキリン
倉庫活用のカフェだそうです。次回は電車でちびっこ連れで出かけてみましょうか。
動かないけれど、本物の様に大きいですねぇ。角は2本
動物園で実物のキリンをみると角が2本のや3本のがいたり、縞模様も1頭づつ異なっていたのを思い出しました。彼らの角は本当は5本あるとか
楽しいクルージングの跡は老舗を巡り、試食や買い物を済ませて、「今日は距離は長いが歩いていない 1日1万歩の励行。」ということで、銀座まで中央通りを。
さて八重洲通りの角にまたしてもキリン
こちらは皆さまご存知のとおり王冠キリン。こちらは夜になると王冠が輝きますね。
自宅について今日の歩数は10,506歩。
冷蔵庫には1本角の麒麟が待っていました。
楽しい1日でした。
[銀造]
2015年9月21日 14:00
銀座のお買い物の途中で、いろんなオブジェに出会うことがあります。
天賞堂さんの天使像は有名ですが、
最近では、銀座5丁目のワシントン靴店を覗き込む少女の絵が秀逸だと思います。
少女は何を思って、何を見ているのでしょう?
「素敵なハイヒール 。私も欲しいけど、ちょっと早すぎるかしら?」とでも思いながら、店内を覗き込んでいるのでしょうか?
そして、三愛ビルの両角にある、「銀座のコイコリン」
あなたに良縁が訪れますように! くれぐれも雌雄をお間違えのい無いように
夜も煌々と輝く uniqlo Bldg. のマネキン人形。
全て同じに回転するので、世界各地からの人たちにも人気の一つです。
銀座の街かどには、まだまだ沢山の彫刻や、和光、資生堂、Tiffany 壁面の小窓の展示も楽しいです。
お買い物、お食事の前後に、これらの展示もお楽しみ下さい。
[CAM]
2015年9月20日 18:00
本日(2015年9月20日)の日経新聞「リーダーの本棚」に、久元喜造氏が登場し、愛読書として永井荷風のいくつかの作品を挙げています。久元氏と言っても、東京の方には知名度もないでしょうが元自治官僚の神戸市長です。私は多少の縁があって、少し話したこともあり、興味深く読みました。久元氏が荷風の「断腸亭日乗」に接したのは、20年ほど前に大学の友人に勧められてのことだそうですが、私は今年に入ってからのことです。
大学入学して初めて東京に出てきてからもう半世紀にもなるのに、「東京」とか「江戸」というターム、関東弁に嫌悪感が消えなかった私が、急に江戸文化に興味を感じ始めたのは、今年に入ってからであり、中央区観光検定受験に至りました。実は、月島駅近辺に住んでもう十数年にもなるのに、「もんじゃ焼き」なるものを食したのは、先日の住吉神社本祭の際に、大学時代の友人を招いた際が初めてでした。
そして、遅まきながら、永井荷風、谷崎潤一郎の作品を読み、ついには両者の個人全集まで入手しました。個人全集は、中古市場で現在驚くべき安値で取引されており、買うものにとってはありがたい限り。しかるに、中央区の日本橋図書館では、谷崎全集は貴重品扱いのようになっているのは滑稽と言うほかない。
永井荷風の「断腸亭日乗」も岩波文庫版は抄録であり、全文を読むためには全集が必要となります。
やっと暑さも去って、しばらくは散歩にも絶好のシーズンとなります。清貧老人としては、荷風の「断腸亭日乗」「日和下駄」、谷崎の「幼年時代」などを座右に置きながら、少し荷風の気分になってあらためて東京都中央区内を散策したいと思っているところです。
[皐月の鯉の吹き流し]
2015年9月20日 09:00
首都高速はご存知のとおり、日本橋付近に代表されるように川の上に建設されたり、
銀座付近のように埋立てられて建設された所が多くあります。
そのような背景でかつて、川が流れていた所を紹介します。
ここは聖路加病院が正面に見える所。築地市場脇の駐車場になっているここは、
かつて川が流れていました。
聖路加方面へ進み築地川公園となっている場所は以前首都高速ランプの予定だったのでしょう、
車道スロープになっていました。子供のとき大雪が東京に降り、大人用スキーを持ち出し短い距離ですが遊んだことがあります。
微かな記憶ですが新聞に写真付で大雪時のコラムに掲載されたように思います。(多分日刊スポーツ)
新富町方面へ進み新大橋通りと佃大橋通りの交差点、
入船橋脇、地下に位置する所に公園・運動場があります。
階段を下りて先に進むとここは、金網で閉ざされていますが先ほどの築地川公園と新富町首都高速ランプへ続くことが想像できます。
新富町から入船橋方面見た様子。左の道路が入船橋下に続いているはずです。
このように築地周辺には道路建設計画が頓挫したと思われる、チョット不思議な場所があります。
[みのり]
2015年9月19日 14:00
こんにちは、みのりです。
乙姫の像がある日本橋魚市場発祥の地に行ってみました。
対岸には、日本橋船着場「双十郎河岸」があります。日本橋川を航行する遊覧船が出ています。
とても天気がいい日で、とても暑い日でしたが、船着場はにぎわっていました。
場所は、中央区日本橋室町1-8で
乙姫の像の隣には日本橋魚市場発祥之地の石碑があります。
川には『日本橋』が架かっています。
現在の橋は石造2連のアーチ橋で、明治44年(1911)に完成しました。
装飾を担当したのは建築家の妻木頼黄(つまきよりなか)です。
魚河岸
天正18年(1590)、徳川家康が江戸に入府した後、摂津国西成郡佃村(現在の大阪市西淀川区)の漁師たち30数名が江戸に出て佃島を造成し、江戸近辺で漁業を営む許しを得て、徳川家に魚介類を献上した。当時の海では魚介類がおもしろいほどよくとれたために上納してもあまりが出る。そこで漁師たちは、幕府の許しを得たうえで、水運の便の良い日本橋の河岸で板船とも呼ばれる販売用の板の上に魚介類を並べて、一般に売り始めた。これが日本橋魚河岸の起源である。
魚河岸は、日本橋と江戸橋の間の北岸にあり、魚を積んだ船は日本橋川をさかのぼって川岸に陸揚げした。早朝から多くの買い物客で賑わい、朝の魚河岸は、昼の芝居小屋「堺町(人形町)の中村座・葺屋町(人形町)の市村座・木挽町(東銀座)の森田座」、夜の吉原と並んで、「一日で千両がおちるところ」とまでいわれるほど繁盛した。(江戸っ子たちの威勢のよい取り引きがとびかうところだった)
この魚河岸は、大正12年(1923)関東大震災(9月1日)後に現在の築地への移転が決定し、ついに日本橋魚河岸300年の歴史に幕がおろされた。
【出典】歩いてわかる中央区ものしり百科(監修 中央区観光検定委員会)
中央区観光検定過去問題集(監修 中央区観光検定委員会)
江戸文化歴史検定公式テキスト[初級編]大江戸見聞録(江戸文化歴史検定協会編集 発行所株式会社小学館)