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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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永井荷風『日和下駄』(永代橋)

[CAM] 2015年9月27日 16:00

 荷風の『日和下駄』は、東京散策の古典と言われてきた書であり、「永代橋」については以下のように述べられている。

 

「かく品川の景色の見捨てられてしまったのに反して、荷船の帆柱と工場の煙筒の叢り立った大川口の光景は、折々西洋の漫画に見るような一種の趣味に照らして、此後とも案外長く或一派の詩人を悦ばす事が出来るかも知れぬ。木下杢太郎北原白秋諸家の或時期の詩篇には築地の旧居留地から月島永代橋あたりの生活及び其の風景によって感興を発したらしく思はれるものが尠くなかった。全く石川島の工場を後にして幾艘となく帆柱を連ねて碇泊するさまざまな日本風の荷船や西洋形の帆前船を見ればおのづと特種の詩情が催される。私は永代橋を渡る時活動する此の河口の光景に接するやドオデェがセエン河を往復する荷船の生活を描いた可憐なる彼の『ラ・ニベルネエズ』の一小篇を思出すのである。今日の永代橋は最早や辰巳の昔を回想せしむべき何者もない。さるが故に私は永代橋の鉄橋をば却てかの吾妻橋や両国橋の如くに醜くいとは思はない。新しい鉄の橋はよく河口の風景に一致してゐる。」(13-334

 

 永代橋は、最初の橋は元禄11年(1698)に架けられ、現在の架橋位置より150mほど上流にあった。当時としては規模の大きい木造橋で、とても見晴らしがよく、夏は納涼の名所として知られた。その後、事故などにより何度となく架け替えが行われ、明治30年(1897)には現在の場所に鉄橋が架けられた。しかし、この橋も関東大震災で被災したため、震災復興事業の一環として大正15年に架け替えが行われた。(「中央区ものしり百科」127頁)

 

 この荷風の「日和下駄」は、大正3年夏のはじめよりおよそ1年あまり雑誌「三田文学」に連載されたものだから、ここで描かれている永代橋は大震災で被災したもので、現在のものではない。

 

 現在の永代橋(2015年9月23日撮影)

 

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八重洲とヤン・ヨーステン

[ジミニー☆クリケット] 2015年9月26日 09:00

八重洲地下街の外堀地下1番通りに「ヤン・ヨーステン記念像」があります

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八重洲」が「ヤン・ヨーステン」に由来することはご存知の方も多いかと思います。

オランダ船リーフデ号に乗っていた航海士のヤン・ヨーステンが、日本に漂着したのが1600年(慶長5年)徳川家康の国際情勢顧問や通訳となり、与えられた屋敷の周辺が、彼の日本名「耶楊子(やようす)」から「八代洲(やよす)」と呼ばれ、やがて「八重洲」になりました

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ちなみに、「ヤン・ヨーステン」は名で、姓は「ファン・ローデンスタイン」だそうです。

また、リーフデ号の航海長がイングランド人ウィリアム・アダムス(三浦按針)です。

記念像の隣にはリーフデ号がたどった航路やオランダ船の絵、江戸時代の東京駅付近の地図がパネル展示されています

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また、地下街から地上に出て、日本橋三丁目交差点の中央分離帯には、「ヤン・ヨーステン記念碑」があります(下の写真の右下方)。

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二つの羅針盤の輪が天球儀の形に組み合わされた形

左がヤン・ヨーステン、右がリーフデ号です。

中央上部には当時のオランダの国策会社東インド会社のマークが描かれています。

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この記念碑は、1989年日蘭修好380周年記念として建てられました

 

 

 

浜町公園内のお寺〔清正公寺〕

[ジミニー☆クリケット] 2015年9月26日 09:00

浜町公園の一隅に小さなお寺があります。

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清正公寺といい、日蓮宗の寺院で、熊本本妙寺の別院になります。

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このお寺はその名の通り、豊臣秀吉の子飼いの家臣で、「賤ヶ岳の七本槍」や朝鮮出兵でも有名な加藤清正公を祀るお寺です。清正公は、肥後国を与えられ、熊本藩主となりました。

では、なぜ浜町公園清正公のお寺がということですが・・・

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この浜町公園の場所には、もともと加藤家の後を受けて肥後の国の領主となった細川家の下屋敷があったそうで、文久元年(1861年)に、藩主細川斎護が、熊本本妙寺に安置する加藤清正公の分霊を勧請したのだそうです。

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明治維新後には、一時加藤神社)と称したそうですが、明治18年に仏式に戻して、清正公堂と改称し、管理を熊本本妙寺に委託して、本妙寺別院として現在に至っているそうです。

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これからは、季節もよくなり、緑の多い浜町公園や公園裏手の隅田川沿いは、散歩にも最適かと思います

一度清正公寺も訪れてみてください

 

 

永井荷風「断腸亭日乗」

[CAM] 2015年9月25日 18:00

 荷風は築地など中央区内にも住居を借りていたこともあり、築地、明石町あたりがしばしば登場します。

 

 例えば、大正101921)年911日には

 

「秋の空薄く曇りて見るもの夢の如し。午後百合子訪ひ来りしかば、相携へて風月堂に往き晩餐をなし、掘割づたひに明石町の海岸を歩む。佃島の夜景銅版画の趣あり。石垣の上にハンカチを敷き手を把り肩を接して語る。冷露雨の如く忽にして衣襟の潤ふを知る。百合子の胸中問はざるもこれを察するに難からず。落花流水の趣あり。余は唯後難を慮りて悠々として迫らず。再び手を把つて水辺を歩み、烏森停車場に至りて別れたり。百合子は鶴見の旅亭崋山荘に寓する由なり。」とあります。

 

 文語文の簡潔な表現が素晴らしいのですが、特に、「落花流水の趣あり」とか、「悠々として迫らず」とかエエなぁ・・・。

 

 そして、この百合子という女性、「百合子本名は智子と云ふ」(1018日)とありますが、この時の本名は「本間智子」、敗戦後いわゆるバターン死の行進事件の責任を問われて処刑された本間雅晴陸軍中将(最終階級)の妻でした。

 

 なお、荷風と智子は、9月から10月にかけて関係が深まり、109日、「・・・花月に往く。・・・雨いよいよ甚しく遂に帰ること能はず。余と百合子と各室を異にして一宿することゝなる。・・・・・この後の事はこゝに記しがたし」、1018日、「百合子草花一鉢を携えて来る。・・・・・・・」、1019日、「百合子正午の頃去る。」1020日には「・・・・百合子余が家に来りて宿す」、1021日、「百合子と白木屋に赴き、陳列の洋画を見る。帰途また雨。百合子又余の家に宿す」、1024日、「風雨、百合子終日吾家に在り」、115日、「百合子来る。風月堂にて晩餐をなし、有楽座に立寄り相携えて家に帰らむとする時、・・・・」と続いています。

 

 こうしたその後の"展開"、そして智子が、大正101216日に本間と離婚したことを知って、上記の911日の叙述を読むと、その興趣がさらに深まりますね。

 

 そして、智子が本間と離婚した後も、1218日、「・・・百合子と風月堂にて晩餐をなし、・・・・」、1231日、「・・・夜百合子と相携えて銀座通歳晩の夜肆を見、・・・」、大正111922)年正月9日、「午後百合子来る」、正月17日、「夜百合子を平川町の家に訪ふ」等と続いています。

 

 

移住・交流情報ガーデン(移住支援窓口)

[ジミニー☆クリケット] 2015年9月25日 14:00

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八重洲を散策中、八重洲通りと中央通りの交差点の一角のビルに、「移住・交流情報ガーデン」なる看板を発見

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入ってみると、道府県別の説明資料がずらりと並んでいますが、観光情報ではなさそう

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係の方にお聞きすると、地方への移住・交流について支援をしている場所で、今年の3月にできたそうです

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フロアーには、地方への移住・交流についての相談、問い合わせに対応してくれる「相談コーナー」や、各自治体が作成した移住・交流に関するパンフレットを見ることができる「地域資料閲覧コーナー、イベント・セミナースペース」、情報サイト「全国移住ナビ」を利用して、パソコンで地方への移住・交流に関する情報を検索できる「情報検索コーナー」があります

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イベント・セミナースペース」では、各自治体による移住相談会セミナーが開催されており、私が伺った日も、愛媛県内子町による相談会が行われていました

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移住・交流情報ガーデンの所在地は、中央区京橋1丁目1-6越前屋ビル1階です。

開館時間は、平日が11:00~19:00、土日祝日が10:00~18:00。

休館日は月曜日です。

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移住・交流情報ガーデンのHPはこちら ⇒

https://www.iju-navi.soumu.go.jp/ijunavi/garden/

 

 

 

銀座・文新堂のインターナショナルなハンコ GinPanko

[ミル] 2015年9月25日 09:00

銀座一丁目の文具店、文新堂


DSC_3110.JPG表の英語の看板が気になったので、拝見してみると・・・


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なんと漢字を使った自分のハンコが30分でつくれるとのこと

これは外国の方に喜ばれそうです


歌舞伎の隈取のデザインも素敵なハンコの名前は、GinPanco(ギンパンコ)

こちらは「自栄鼓舞(ジェイコブ)」の文字が彫られたものです。

どんな漢字を使用するかは、お客様のご希望を聞きながら決めていくのだそう。


DSC_2995.JPG文字数も、6文字程度までなら彫ることが可能だそうです。

透明なケースとセットのお値段は、3,500円(税込)

外国の方へのプレゼントにも素敵ですね


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隈取のデザインは数種類から選ぶことができ、上の方には英字のお名前(Jacob)も入っています。

ラベルも、色が落ちにくいものを使用されているそうです。


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文新堂には、10年ほど前から、ハンコを作りたいという外国の方が来店されるようになったのだそうです。

外国の方にハンコはとても人気がありますが、普通は作るとなると何日もかかってしまうもの。

それがわずか30分でできるのは、観光客には特に嬉しいサービスですね


銀座一丁目にお店を構える文新堂は、昭和20年代から続く歴史ある文具店。

当時のお写真を見せていただきました。

まだ舗装されていない道路と。木造のお店の写真からは、懐かしい銀座の姿が伝わってくるようです


DSC_3003.JPG現在お店をなさっているのは、3代目のご兄弟。

スポーツマンのお二人は、御神輿を担いだりと地域の活動にも積極的に参加なさっています

お店の扉に貼られている手書きのポスターは、弟さんのお嬢さんが描かれているものだそう

とても可愛いです


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こうした地域に根付いたお店があるからこそ、街がいきいきと呼吸していけるのだと思います。

移り変わりの激しい銀座にあって、長く続いているお店には、必ず「そこにしかない魅力」があって、それが街を華やかにしているのだと感じます。


GinPanco、新しい銀座みやげとして、たくさんの方に知っていただきたいですね


文新堂

東京都中央区銀座1-15-2  TEL03(3563)4651

http://www.bunshindo.net/