[銀造]
2016年1月 8日 09:00
日本橋の名店の紹介の浮世絵が貼りだされています。
うぶけやさんのお隣のビル(寄席 人形町 末広跡のビル)に貼りだされた
毛抜きのうぶけや「歌舞伎十八番毛抜」、 源冶店 濱田家「きられ与三」など愉快な浮世絵で楽しませてくれます。
日本橋室町の乾物・鰹節のお店(八木長本店)では、
食品総合卸 国分 1712年創業、乾物・鰹節 八木長本店 1737創業、刃物 日本橋木屋 1792年創業
和紙 小津和紙 1653年創業、百貨店 三越 1673年創業、鰹節 にんべん 1699年創業
という日本橋の名店の歴史が、日本橋魚河岸の風景とともに紹介されています。
日本橋のお散歩が楽しくなりましたね。
その他のお店の紹介の浮世絵は、健康と美容の為、是非ご自分で発見して下さい。
[ジミニー☆クリケット]
2016年1月 7日 18:00
名古屋名物のみそかつを、中央区で食べられる「矢場とん東京銀座店」です
場所は、銀座2-11-2銀座大作ビル
下の地図の○印のところです
銀座柳通りに面して、昭和通りとの角にあり、矢場とんのマスコットキャラクター、横綱を締めた豚「横綱ぶた」で目立ってますから、わかりやすいです(下の写真の矢印)
いまや名古屋の食文化を象徴する食べ物のひとつとなった「みそかつ」
矢場とんは昭和二十二年創業、みそかつの元祖です
ランチメニューで注文した「みそひれかつ丼」と豚汁、どっさりの野菜サラダです
秘伝の「みそだれ」はくどくなく、さらりとしていて油で揚げた豚肉に合います
ひれかつは、ロースに比べて脂身が少なく軽めにみそかつを楽しみたい方におすすめで、ランチに最適
値段もリーズナブルです
「矢場とん東京銀座店」のHPはこちら ⇒
http://ginza.yabaton.com/
[TAKK...]
2016年1月 7日 16:00
東京都は、2020年の東京五輪までに、浜離宮恩賜庭園内に19世紀後半にあった迎賓施設「延遼館」を復元する方針であることを明らかにしました。
外国の賓客を迎えるための施設となるそうです。
延遼館は近代日本最初の迎賓施設で、当初、江戸時代末期に幕府の海軍所施設として着工されました。
明治2年に完成し、老朽化で明治23年に解体されました。
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【明治時代の延遼館】
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現在は、復元に向けた準備として、遺構調査等が行われています。
これに伴い、平成28年3月31日まで一部区域が鎖期されています。
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【遺構調査の様子】
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【遺構調査等に関するお知らせ】
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【延遼館があった当時の浜離宮恩賜庭園】
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【延遼館部分を拡大】
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[滅紫]
2016年1月 7日 14:00
皆様 明けましておめでとうございます。
銀座松屋さんの2016年のオープニング展は池田重子コレクションの中から選び抜かれた人気のコーディネート60点を中心に帯や帯留を合わせたものです。
池田重子さんは着物のコレクターとしてよく知られた方ですが、昨年10月にこの展覧会を楽しみにされながら亡くなられました。雑誌や書籍も多いのでおなじみの方も多いかと思いますが、実際に見るのはまた格別です。「コレクションのきっかけは一個の帯留だったそうで、帯留にあう着物や帯を探し、気が付けばその数は一万点を超え」(松屋さんのパンフから)ていたとか。
展示されている「帯留」が凄い。宝石を使ったものも勿論たくさんありますが、虫、蝙蝠やムカデ、野菜、ナスやそら豆など、帯留の題材になるのか?と思われそうなものが一杯。
一体この帯留にどんな帯や着物をコーディネートされたのでしょう。着物の世界の奥深さをかいま見せられたような気がします。新年ということもあり池田さんのファンや着物好きの方も多いのでしょう、会場はお洒落な着物姿の方が目につきます。最近は若い方の着物ファンが増えているとのこと、「日本文化の継承」などと肩ひじ張らず、池田さんの「着物は好きなようにお召しになればいい。おかしいと言われたらその時直せばいいの」の言葉の通り「楽しんで」着物をお召しになる方が増えることを願っている一人として是非お勧めしたい展覧会です。
「日本のおしゃれ展」松屋銀座 8Fイベントスクエア
1月18日(月)まで10時から20時まで最終日は17時閉場
入場料一般1000円
[CAM]
2016年1月 6日 20:00
「ものしり百科」の第1章「中央区を歩く」のコースを踏破する計画を開始したものの、少し休止していました。新しい情報を追加できているわけでもないので、投稿はもう止めようかとも思ったのですが、「ものしり百科」も全てのシーンに写真を掲載しているわけでもないし、観光検定も近づいてきたようなので、受検者に少しは参考にもなるかと思い、今年も継続することにいたしました。
数寄屋橋公園は改修中です。銀座東急プラザが3月31日にオープンの予定。 写真撮影は1月4日16:00過ぎです。
数寄屋橋の碑
寛永六年(西暦一六二九年)江戸城外廊見附として数寄屋橋が初めて架けられた時は幅四間長三間の木橋であった 橋名は幕府の数寄屋役人の公宅が門外にあったのに依るという見附の城門枡形は維新の際に撤去され ついで大正大震災後の復興計画によって完成を見た近代的美観を誇る石橋が銀座の入口を扼することヽなった 爾来三十年首都交通の激増はこの界隈を更に変貌させた外壕上を高架車道が地下には地下鉄が走るようになって橋も姿を消し こヽは渾然たる大銀座の一劃となった 本会は茲に旧橋の遺材を以て碑を建て感慨深い東京文化の変遷を偲ぶよすがとした
一九五九年四月
数寄屋橋公園美化協力会
島崎藤村・北村透谷記念碑
所在地 中央区銀座五-一-十三
この泰明小学校は明治十一年六月に開校され、文芸家北村透谷や島崎藤村はその初期の卒業生であった。
透谷(一八六八~一八九四)は付近の実家から通学、明治十五年卒業し、同二十六年、藤村等と雑誌「文学界」を創刊し、近代浪漫主義の開拓者といわれた。
藤村(一八七二~一九四三)は明治十四年木曽馬籠より上京し、付近の姉の嫁先から通学し、しばらく帰郷ののち、別の縁家に移り、十七年卒業した。三十九年、日本自然主義文学の先駆的作品「破戒」によって作家の地位を確立し、さらに、「春」「夜明け前」などの大作を遺した。
昭和五十一年二月
中央区教育委員会
石川啄木歌碑
石川啄木が瀧山町の朝日新聞社に勤務したのは 明治四十二年三月から四十五年四月十三日二十七歳でこの世を去るまでの約三年間である この間彼は佐藤真一編集長を始めとする朝日の上司や同僚の厚意と恩情にまもられて 歌集「一握の砂」「悲しき玩具」 詩集「呼子と口笛」など多くの名作を残し庶民の生活の哀歓を歌うとともに時代閉塞の現状を批判した
銀座の人びとが啄木没後満六十年を記念して朝日新聞社跡に歌碑を建立したのはこの由緒によるものである
昭和四十八年四月一日
日本大学教授 文学博士
岩城之徳
(裏面)
京橋の瀧山町の由来
京橋の名は維新後の明治十一年に新たに制定された区名で昭和二十二年に現在の中央区に改められるまで七十年の間都民にしたしまれてきた区名です
瀧山町の名は江戸開府ののちこの地を開拓した名主瀧山藤吉の名を偲ぶもので昭和五年銀座六丁目に改称されるまで徳川時代から続いた由緒のある町名です 現在は中央区銀座六丁目と又新しく表示されております
昭和四十八年四月一日
歌の書体は歌集「一握の砂」初版本の活字を拡大して用いました
その前の工事中のビルの囲障壁面には、朝日新聞社跡と夏目漱石についての説明が記されています。
[まぴ★]
2016年1月 6日 18:00
またまたお得な銀座のイタリアンを見つけました。
西銀座通りに面する7丁目の銀座リービルの8階にあります。
1ドリンク&小皿前菜を含む9品のランチがなんとサ・税込みで2500円
はじめに ひよこ豆のスープ トリュフの泡
旬菜 大阪 喜六の有機野菜のサラダ バルサミコドレッシング
旬野菜 鰤と根セロリ
濃赤香 カシスと生ハムのクロスティーニ
出汁 穴子と温かなビシソワーズ
メインは白菜と何かのリゾットと、お魚料理にしたけど忘れました。
どちらもクリームソースだったのでメニューチョイスに失敗したけど、
美味しかったので、よしとしよう。
デザートはワゴンで運ばれてきて、どれも食べたい(笑)
すると少しずつ全部盛りが出来るということなのでそれに決定!
ちょっとずつ、色んなものが食べれて大満足でした。
お誕生日のお祝いで来ているグループがいましたが、
ハッピーバースデーのピアノの生演奏があり、かなり盛り上がっていました★
ライブなども開催されているようです。
リストランテ・ヴィーナスのホームページ