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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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第11回 諸国往来市 各県の美味しい物が大集合!

[銀造] 2016年10月26日 14:00

「諸国往来市」は、10月23日(日)、国分と黒江屋、榮太樓さんの間の道路、「日本橋一丁目西河岸地蔵尊通り」で開催されました。

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出店したのは、日本橋とやま館、日本橋長崎館、いわて銀河プラザ、日本橋ふくしま館、にほんばし島根館、奈良まほろば館など、中央区でアンテナショップを運営するお店や、

宮城ふるさとプラザ、時代劇専門チャンネルの「若」ブース、大凧で有名な浜松市からは、NHKの大河ドラマ「井伊直虎」とご当地の観光PRを兼ねて出店されていました。

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米沢牛コロッケが超人気で、長蛇の列をなしていました。 私と友は、隣の店の「猪肉の塩焼」を食べてみました。 まあ、猪は豚の先祖だから、豚肉と同じような味でした。

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「宮城ふるさとプラザ」では、日本酒の「純米酒 雪の松島」が少し甘口でフルーティで、美味しかったです。 昼間に飲む日本酒で、少し足元がおぼつかなくなりました。

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榮太樓さんの店先が大変賑わっていました。「けんちん雑煮」と「おしるこ」が大変な人気でした。

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さてと、家路につこうとすると、日本橋長崎館の前に、沢山の人が集まっていました。何事かと駆けつけると、龍(じゃ)踊りが披露されていました。

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こんなに近くで見られて大感激です。 

後日、長崎出身の同僚に聞いたところでは、龍の前に歩いている「玉を持っている男性が、一番偉い」ので、2番目が龍の頭を持っている係の人とのことでした。

沢山のイベントで、大満足の「諸国往来市」でした。

 

 

日本橋と深川「水都復活まつり」 前夜祭「妖怪はわたし」

[TAKK...] 2016年10月26日 12:00

今回は、妖怪に仮装した人々が日本橋から船に乗って、まさに深川に出発する瞬間を、お届けします。

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翌日(10月23日)のイベントの宣伝も兼ねているのです。

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粋な感じです。

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乗船前の集合写真。

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深川に向けて出発!!

(深川は反対方向なので、このあと方向転換します。)

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翌日のイベント 福徳くじ会場の準備風景。

ユーモラスな妖怪たちの行進がとても楽しかったです。

 

秋のイベントは、まだまだ続きますよ。

・フラワーカーペット晴海2016 10/29㈯~11/3(木・祝)

・オータムギンザ2016 10/29㈯~11/3(木・祝)

・中央区まるごとミュージアム2016 10/30(日)

などなど

 

 

コモンカフェのミールプレート★銀座プレース

[まぴ★] 2016年10月26日 09:00

新しくオープンした銀座プレース。
3階にあるカフェスペース・コモン銀座に行って来ました。
3階にはラモ・フルータスカフェというのがあり
目にも鮮やかなフルーツを使用した食事やデザートを楽しむことができます。

 
ミールプレートはドリンク付き(1814円)で3種類くらいあり、
私は杏と南瓜とベーコンのグラタン仕立てのプレートにしました。
美味しいし、意外とボリュームもあり満足でした。

 

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雑穀とサラダのプレートや、パスタのプレートもありました。
多分私が選んだのが一番カロリー高そうです(笑)
友達が選んだパスタのプレートはこんな感じ

 

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店内は明るく開放感もありつつ、結構落ち着けます。
ただ、店を出る頃には行列が出来ていて、間一髪タイミングだったかも!
次回はフルーツやハーブの香りが楽しめるウォーターバーを
利用してみたいと思います。

 

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銀座プレースのホームページ

 

 

第44回 日本橋・京橋まつり「大江戸活粋(かっき)パレード」 活気あふれる楽しいイベントでした

[銀造] 2016年10月25日 18:00

 10月23日(日)、京橋の東京スクエアガーデン前から日本橋までを華やかで、威勢の良い「大江戸活粋パレード」が開催されました。

 

第一部のオープニングパレードに備えて待機する第35代中央区観光大使・ミス中央の3人です。

テープカットの鋏を持って、介添えしました。

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 第一部のオープニングパレードは、11:20から開始され、警視庁の交通部交通総務課所属のクイーンスターズと高速道路交通警察隊の騎馬隊でした。 続いて、警視庁の音楽隊・カラーガード(MEC)、中央区長など来賓の方々を乗せた人力車、

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警視庁中央警察署生活安全課、中央パートナーシップ、中央区日本橋中学校吹奏楽部の皆さん、開智日本橋中学校、日本橋女学館高等学校吹奏楽部の皆さん、

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「社会を明るくする運動」の皆さん、東京消防庁カラーガーズ隊・音楽隊の皆さん、東京消防少年団は、日本橋消防少年団、臨港消防少年団、京橋消防少年団の皆さん、警視庁の中央警察署・中央交通少年団、久松警察署久松交通少年団、月島警察署月島交通少年団の皆さんによって、華々しく、賑やかに開幕しました。

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月島警察署月島交通少年団の皆さんによって、華々しく、賑やかに開幕しました。

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第二部の「諸国往来パレード」は、

江戸消防記念会の皆さんが木遣りを歌いながらの行進。 阿波踊り、NPO法人前橋だんべえ踊り協会、仙臺すずめ踊り連盟、中央区民踊連盟の皆さん、そして、「櫻川流江戸芸かっぽれ」の皆さんによる景気の良い踊りが披露されました。 "かっぽれ、かっぽれ、甘茶でかっぽれ!"

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琉球國祭り太鼓。街を練り歩くというより、大きな旗を持って、駆け巡りました。 琉球の風、沖縄の風を届けてくれました。

パレードは、まだまだ続きました。 大江戸さんさ、渋谷・鹿児島おはら祭実行委員会の皆さん、花笠まつりは、板橋区 山形県人会の皆さんでした。 そして、明るく元気の良い声と芸は「日本南京玉すだれ協会」の皆さんでした。

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「スーパーよさこい」は、TANASHIソーラン会と東京メトロ・シーブルーの皆さんでした。 発車の案内が、良かったです。いつも安全運行に努めてくれて、大感謝です。

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「郡上おどり」に続いて、、「浜松まつり」で、有名な大凧を少し小さくしたのを持参して来て頂き、次のNHK大河ドラマ「井伊直虎」の舞台をご案内して頂きました。

長崎の、勇壮な龍の踊りは、「龍(じゃ)踊り」と呼ぶのだそうです。

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この後、「諸国往来市」で、宮城のお酒などを楽しみました。 来年も楽しみです。 銀造

 

 

永井荷風 「井戸の水」

[CAM] 2016年10月25日 16:00

 「江戸っ子」の定義としては山東京伝(1761~1816)によるものが有名であり、『ものしり百科』(平成28年発行79頁)でも引用されている。この『通言総まがき』の原文は以下の通りである(『日本古典文学大系』第59巻「黄表紙洒落本集」岩波書店;昭和33年発行)。


>金の魚虎(しゃちほこ)をにらんで、水道の水を、産湯に浴(あび)て、御膝元に生れ出ては、おがみづきの米を喰(くらっ)て、乳母日傘(おんばひからかさ)にて長(ひととなり)、金銀のささごはじきに、陸奥山(みちのくやま)も卑(ひくき)とし、吉原本田のはけの間(あい)に、安房上総(あはかづさ)も近しとす。 隅水(すみだがは)の鮊(しらうを)も中落(なかおち)を喰ず、本町の角屋敷をなげて大門を打(うつ)は、人の心の花にぞありける。 江戸ッ子の根生骨(こんじやうぼね)、萬事に渡る日本ばしの真中(まんなか)から、ふりさけみれば神風や、伊勢町(いせてう)の新道に、奉公人口入所といふ簡板(かんばん)のすぢむこふ、いつでも黒格子に、らんのはち植(うへ)の出してあるは・・・・


 これを最初に読んだときは、「水道の水を、産湯に浴て」という部分に目がとまり、なぜ「水道」が「江戸っ子」の要件となるのか、少し不思議な思いがした。このあたりの事情については、永井荷風が「井戸の水」(明治9年10月)という随筆を書いており、これを読むとその背景をよく理解できる。


>水道は江戸時代には上水と稱へられて、遠く明暦のむかしに開通したことは人の知る所である。上水には玉川の他に神田及び千川の二流があつたことも亦説くに及ばない。子供の時分、音羽や小日向あたりの人家では、江戸時代の神田上水をそのまま使つてゐたやうに覚えてゐる。併し今日とはちがつて、其頃の水道を使用するには、上水の流れてゐる樋のところへ井戸を掘り、竹竿の先につけた釣鐘桶で水を汲んだのである。

江戸のむかし、上水は京橋、両国、神田あたりの繁華な町中を流れてゐたばかりで、辺鄙な山の手では、たとへば四谷また関口あたり、上水の通路になつてゐた処でも、濫にこれを使ふことはできなかつた。それ故おのれは水道の水で産湯をつかつた男だと言へば江戸でも最繁華な下町に生れ、神田明神でなければ山王様の氏子になるわけなので、山の手の者に対して生粋な江戸ツ児の誇りとなした所である。(むかし江戸といへば水道の通じた下町をさして言ったもので、小石川、牛込、また赤坂麻布あたりに住んでゐるものが、下町へ用たしに行く時には江戸へ行ってくると言ったさうである。)(17-32)


 これを読むと、明治の初め頃では、「小石川、牛込、また赤坂麻布あたりに住んでゐるものが、下町へ用たしに行く時には江戸へ行ってくると言った」ということも分かる。

 

 

◆郷土天文館 特別展「災害史からみる中央区~復興のあゆみ~」 開催中!

[巻渕彰/写楽さい] 2016年10月25日 09:00

中央区立郷土天文館(タイムドーム明石)で、特別展「災害史からみる中央区~復興のあゆみ~」が10月22日(土)からはじまった。江戸前期から関東大震災までの火災と地震に焦点をあて、中央区内の被災状況をとりまとめて、歴史資料展示や写真、パネルで紹介し、未来へつなぐ、復興へのあゆみを振り返っている。会期は12月11日(日)まで、月曜休館、入場無料。同館HP こちら>>

 

0913_671_161022 saigaisi_tirasi.jpg明暦3年(1657)の明暦の大火は江戸市中を焼き尽くし、甚大な被害を出した。大火後は大規模な都市改造がなされ、両国橋架橋や四日市広小路などの火除地設置、寺社地の移転など、さまざまな施策が講じられた。築地の埋め立てもこれが契機となった。、

 

展示の中で「芝居町と火災」のコーナーも興味深い。堺町・葺屋町(現人形町)には中村座・市村座があり、周辺には茶屋が軒を並べていた。被災年表によると1、2年ごとの火災も珍しくない。猿若町移転までの約200年間に50回近くも類焼したそうだ。

 

近年、その跡地を発掘した際に出土した壁材の焼け焦げた遺物や割れた皿類、人形遣いが使用した顔・手などの遺品の展示からは、火災の恐ろしさや当時の暮らしぶりが伝わってくる。

 

明治5年(1872)の銀座大火と銀座煉瓦街誕生の展示も見逃せない。明治14年(1881)には当時、東京最大といわれる火災があり、土蔵造などを講じるよう防火令が出されたという。

 

江戸を襲った巨大地震には元禄地震と安政江戸地震があげられる。安政江戸地震(安政2年=1855)の展示では、瓦版や鯰絵などの出版物を通して、被害の状況や地震に対する人々の行動に関する情報が数多く発せられたのには驚きだ。

 

大正12年(1923)の関東大震災は何といっても、今日の東京の都市形成の原点といえる。震災復興計画でつくられた道路、橋梁などの都市改造は今につながっている。地震などの災害の宿命と、そこからの復興をどう進めるかを考えさせられる特別展である。@巻渕彰

 

 

 
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