[TAKK...]
2016年12月26日 14:00
12月24日、日本橋三越本店に行くと、本館1階 中央ホール吹き抜けが非常に美しく飾り付けられていました。
そして、ちょうどパイプオルガン生演奏が行われていました。
美しい演奏です。
○パイプオルガン生演奏○
■開催中~12月31日(土)
■毎週水曜日・金曜日・土曜日・日曜日
■各日午前10時30分・正午・午後3時
約15分間
■本館1階 中央ホール
また、まごころ(天女)像プロジェクションマッピングも行われているようです。
■開催中~12月29(木)
■各日午後4時・5時・6時
約3分間
■本館1階 中央ホール
[サム]
2016年12月26日 12:00
亀島川右岸の湊1丁目から八丁堀4丁目にかけ、此の程整備された、バリアフリーで水辺まで近づける "亀島川緑道" 。
鉄砲洲通り脇から階段やスロープで水辺近くまで降りることができ、ベンチが設置され、草木も植栽されています。
特に草木は、江戸・明治期の亀島川の風景
をイメージして、在来種を多く取り入れ、一年を通じて季節を感じられるよう工夫されていると聞きます。
また、夜間は温かみのあるLED照明が採用され、デッキから、区民有形文化財および公益社団法人土木学会の「選奨土木遺産」に選出された「南高橋」のライトアップや、大川端リバーシティ21の高層マンション群の夜景を楽しむことができます。
植栽されたバラ科シモツケの残り紅葉。
夜間は明るく照らし出されます。
区内の貴重な水辺空間資源。
一足先に整備された対岸のボート係留場に次いで、此の度は新たな憩いの場としての護岸活用事例です。
[月島菜々子]
2016年12月26日 09:00
皆さんはどこに初詣に行きますか?
私は、銀座の初売りに行くとき立ち寄る波除神社の雰囲気も好きですが、やはり「氏神様」である住吉神社が大好きです。
今回は少し早いのですが、住吉神社の年明けのお薦めをご紹介します。
それは境内にある龍神社の「巳の守(みのまもり)」です。
一年間の徳・出世・開運を導くお守りなのですが、毎年初めの龍神社の縁日である「初巳の日」に1日しか配布されない貴重なお守りです。
2017年の初巳は、1月6日(金)となります。
龍神社は住吉神社本殿に向かって左の小さな御社ですので、ぜひ足を運んで貴重なお守りをゲットしてみてはいかがでしょうか。
さて、住吉神社でのもう一つのおすすめは「だるまみくじ」です。少し前に東京メトロの情報番組でも取り上げられていました。
願い事別に8色のキュートなミニだるまとおみくじのセットで、写真の緑色だるまは「諸病平癒・身体健全」です。
それでは、これからだるまさんの左眼を入れてお祀りしようと思います。
新しい年も月島菜々子の月一ブログを宜しくお願いいたします。
[あすなろ]
2016年12月23日 09:00
落語「御神酒徳利」「宿屋の富」の舞台になったのが馬喰町。
噺の中からも馬喰町が宿場町であった諸相を伝えてくれます。
より一層の賑わいは、いつしか、問屋街に様変わり、
JR馬喰町駅を中心に近代的なビルが立ち並ぶ
オフィス街としても発展しています。
そんな中、往時を偲ぶかのように、宿泊施設が誕生しました。
<トレインホステル北斗星>
惜しまれつつも引退した寝台列車「北斗星」の車内備品を
利用したホテルがJR馬喰町駅直結ビルにできました。
憧れの存在だったブルートレインを体感できる新感覚の
宿泊施設です。宿泊費も2500円からととてもリーズナブル。
寝台車の雰囲気に浸りたい方、ご利用されてみてはいかがですか。
◆Train Hostel 北斗星
所在地:東京都中央区日本橋馬喰町 1-10-12
アクセス:JR総武線快速「馬喰町駅」4番出入口直結
[ジミニー☆クリケット]
2016年12月22日 18:00
[CAM]
2016年12月22日 16:00
三島由紀夫の小説『鏡子の家』の冒頭に、勝鬨橋とその近辺の描写があることは知られているが、勝鬨橋とその近辺の取材について、『裸體と衣装』の昭和33年3月10日(月)の部分で述べられている。
>毎日、書下ろし長篇「鏡子の家」を書き出さうと思ひながら、なかなか怖くて書き出せない。千枚となると脳裡の模索は何にもならぬ。月島の先の晴海町あたりの景色をプロローグに使ひたいので、タクシーに乗つて行つてみる。丁度午後三時、勝鬨橋の上る時刻である。これは使へる、といふ直感があつて、車を下りて、橋の上るさまをメモをとる。いよいよ晴海町へ行くと、數年前「幸福號出帆」(完全に失敗した新聞小説であるが、自分ではどうしても悪い作品と思へない)を書くためにここへメモをとりに来た時と比べて、完全に一變した景色に一驚を喫する。あんまりメモをとる感興が起らない。さらに晴海埠頭の對岸の東雲の突端まで行く。海に向つて數人の男が相談してゐる。密輸の相談にしては、声は高く、海はうららかで、それらしくない。(28-28)
三島由紀夫の小説『鏡子の家』は、昭和33年(1958)、雑誌『声』創刊号に1章と2章途中まで掲載された後、翌年昭和34年(1959)に新潮社から、「第一部」「第二部」の2冊が同時に、単行本刊行された。その書き出しは下記のようである。
>勝鬨橋のあたりは車が混雑してゐるのが遠くからわかる。どうしたんだらう、事故でもあったのかな、と収が言った。が、様子で、開閉橋があがる時刻だとわかつた。峻吉は舌打ちした。ちえつ、埋立地はあきらめようや、じれったい、と言ふ。しかし夏雄と鏡子が、まだ一度も見たことのない、その橋のあがるところを見たがったので、可成手前に車をとめて、みんなでぞろぞろ鐵橋の部分を渡って見に行った。峻吉と収はいささかも興味のない顔をしている。
中央部が鐵板になつてゐる。その部分だけが開閉するのである。その前後に係員が赤旗を持って立つてゐて、停められた車がひしめいてゐる。歩道のゆくても一條の鎖で阻まれてゐる。かなりの数の見物人もゐるが、通行を阻まれたのをさいはひ油を賣つている御用聞きや出前持などもゐる。
電車の線路のとほつてゐる鐵板が、その上に何ものも載せないで、黒く、しんとしてゐた。それを両側から車と人が見戌つてゐる。
そのうちに鐵板の中央部がむくむくとうごき出した。その部分が徐々に頭をもたげ、割れ目をひらいた。鐵板はせり上って来、両側の鐵の欄干も、これにまたがつてゐた鐵のアーチも、鈍く灯った電燈を柱につけたまま、大まかにせり上がつた。夏雄はこの動きを美しいと思つた。
鐵板がいよいよ垂直にならうとするとき、その両脇の無数の鐵鋲の凹みから、おびただしい土埃が、薄い煙を立てて走り落ちる。両脇の無数の鐵鋲の、ひとつひとつ帯びた小さな影が、だんだんにつづまつて鐵鋲に接し、両側の欄干の影も、次第に角度をゆがめて動いて来る。さうして鐵板が全く垂直になつたとき、影も亦静まつた。夏雄は目をあげて、横倒しになつた鐵のアーチの柱を、かすめてすぎる一羽の鷗を見た。
・・・・・・・・・・
ずいぶん永く待つたやうな氣がした。・・・・・
車は勝鬨橋を渡り、月島の町のあひだをすぎて、さらに黎明橋を渡つた。見渡すかぎり平坦な荒野が青く、ひろい碁盤の目の舗装道路がこれを劃してゐた。海風は頬を搏つた。峻吉は、米軍施設のはづれにある滑走路の、立入禁止の札を目じるしに車をとめた。かなた米軍の宿舎のかたはらには、數本のポプラが日にかがやいてゐた。(11-10)