[朱房の十手]
2017年6月24日 18:00
江戸歌舞伎発祥の地、京橋大根河岸青物市場跡
ここは、中央区京橋3-4です。
二つの石碑は同じ場所にあります。
歌舞伎発祥の地として昭和32年に建立されました。
中村座が、中橋南地に太鼓櫓を許されたのは1624年です。以来、明治26年まで270年続きました。当時は人形操り座、浄瑠璃座などの小屋があり大変賑やかな場所でした。その後江戸城に近い理由で興業物は撤廃され、日本橋堀留町に移りました。
青物市場跡の石碑は、昭和34年に市場開設280年を回顧して建立されました。
市場は、水運の良い京橋川北詰にありました。大根の名称は大根の入荷が多かった為につけられましたく。「歌舞伎発祥の地」とは、全関係ありません。くれぐれもお間違いないように
その後、昭和10年に築地中央卸売市場と合併する事になり、に移転しました。
銀座でお買い物ついでに、ご覧ください。
[銀造]
2017年6月24日 14:00
松崎煎餅さんは、創業文化元年(西暦1804年)のお煎餅の老舗です。
東京のお土産や贈答品に、お煎餅に絵柄を描いた「三味洞」シリーズや通常の「大江戸煎餅」が人気ですね。
家庭で食べる時には小袋に入った草加せんべいを購入しています。
さて、銀座4丁目のお店がすずらん通りに引っ越しされたので、行ってきました。
地下がギャラリーのようになっていて、煎餅を作る行程などが映像で流れています。とても興味深いです。
お煎餅の型や店の歴史、「三味洞シリーズ」の商品も展示してあります。 私は、夏の風物詩を描いた、写真のお煎餅を購入しました。
左上から時計回りに、ひまわり、西瓜、花火、風鈴、朝顔、海辺でのビーチパラソルと蟹さん。孫たちとのお茶飲み話に花が咲くことでしょう。
新しいお店の住所は、東京都中央区銀座5-6-9です。銀座通りのEXIT MELSA の丁度裏手のすずらん通りです。同社のHPは、こちらです。http://matsuzaki-senbei.com/merchandise
[健さん]
2017年6月24日 09:00
人形町商店街協同組合、恒例の現金つかみどりが6月23日から始まりました。
年に2回中元と歳末の期間に開催されます。
人形町商店街に登録されているお店で、2000円お使いになるごとに一枚の福引券がもらえます。
最高10万円以上つかむ人も出ているそうです。
観光と買い物と食事と色々楽しめる人形町にぜひ来てください。
福引の場所は人形町駅の近くの大観音寺の前です。
7月7日七夕の日までです。
[kimitaku]
2017年6月23日 16:00
歌舞伎座から近いところに、お店があります。
通りの路地にあるので少しわかりにくいかもしれません。
木戸を開けると、女将の笑顔で迎えてくれました。
メニューには 「見た目は若いですが20年間本格的に・・・」
なんて書いてあります。
(←クリックすると大きくなります)
ネタは、すべて天然もの。
先日も「神津島の大きなコチが入りました。」なんて満面の笑顔で私に勧めます。
寿司を握る手さばきも、すごく繊細。
寿司の一貫一貫にネタの良さがすごく引き出されている感じです。
お酒も、自称「通」である私の知らない銘柄ばかり。
亭主がすべて自分で選びぬいたそうです。
見ず知らずの限定品で、それぞれ銘柄は季節により変わるそうです。
・・・これは、飲みすぎに注意・・・・。
亭主に伺いました。
天然ものの魚で、お酒とともにまったりと食事をしていただきたい。
とのこと。
満面の笑顔でお話しいただきました。
入り口に、「目指すは・・・・☆」なんて書いてあります。
私も、是非こんな店の常連になりたいです。
(昼のランチも満足感たっぷり。汁も魚からとった出汁が新鮮です。)
・・・・・「東銀座江戸銀」・・・・・
電話 03-3543-3336 住所 中央区東銀座3-14-7
歌舞伎座から歩いて5分ほど。目印は「十勝毎日新聞」の看板のすぐ近くです。
[朱房の十手]
2017年6月23日 09:00
間 新六供養塔
毎年暮れになると必ず放映される「忠臣蔵」
主君 浅野内匠頭の仇討ちに父、兄(吉良上野介に一番槍を付けたと云われています)と共に加わりました。
吉良邸討ち入りでは裏門隊に所属し、同士と共に毛利邸で切腹しました。
遺骸は姉婿 中堂又助の手によって、自分の菩提寺 築地本願寺に埋葬されました。
当然ながら「一人ぼっちの本願寺」と「同士とともに眠る泉岳寺」に異なる墓碑があります。
伝承ですが討ち入り後、引き揚げ時に自分の槍と供養料の金子を結び付け境内に投げ入れた話が伝わっています。
今も「新六の赤槍」が寺宝として残っているそうです。(見学不可)
築地市場のすぐそばです。買い物帰りにお立ち寄りください。
[O'age]
2017年6月23日 09:00
一石橋 (八重洲1丁目11番先)
現地の中央区教育委員会の説明板(中央区民文化財・下左写真)によると、橋名由来は橋の北の本両替町に幕府金座御用の後藤正三郎、橋の南の呉服町には、幕府御用呉服所の後藤縫殿助の屋敷があり、後藤をもじって五斗、五斗+五斗で一石と名付けたとしている。これには異説もあると、「中央区ものしり百科」にも次のように紹介されている。江戸初期、使用禁止となった永楽銭一貫文に付き、米一石と取りかえた場所がこの橋であったことに由来する。
また、南橋詰には「一石橋迷子しらせ石標(東京都指定文化財)」が有りこの付近は、江戸時代には大勢の人々で賑わう場所であったようだ。迷子になると親子が一生離れて暮らすこともあったとか。この石標は唯一江戸時代からのものと記載され貴重な歴史資料とされている。
また、この西側には2020年以降に日本一の超高層ビルが計画されていて、既存ビルの解体等が進められている。多くの人の注目を集める地域になっていくのではないか。
上部を高速道路が通り、一石橋の下部は水面からの高さが低い。
一石橋はまたの名を八見橋として、江戸名所図会などにも紹介されている。この橋上から自身を含めて八つの橋が見えたからだという。今は道三堀や外堀が埋められて、残っているのは常磐橋(解体改修工事中)、一石橋、江戸橋、日本橋の四つになっている。道三橋、銭瓶橋、鍛冶橋、呉服橋の四つは、現物の橋はないが、説明板が設置されているところもある。
下左の写真、北側常磐橋方向。改修工事中の旧い常磐橋は常盤橋に隠れて見えない。右の写真は日本橋方向、高速道路の橋げた等で、江戸橋は見えないが日本橋はほんの少しそれらしいものが見えた。
下左は、道三橋跡、下右写真は呉服橋跡説明板。
下写真は鍛冶橋跡説明板。