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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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ご来場10万人記念セレモニー  ~ 日本橋観光案内所 ~

[rosemary sea] 2018年11月23日 14:00

『ギフト、そして自分も楽しむ』をキーストーンとして取材します、rosemary seaです。

IMG_20180806_121509a.jpg日本橋観光案内所さんの「ご来場10万人記念セレモニー」にお伺いしました。

日本橋観光案内所さん、日本橋の中心から、船のインフォメーション、老舗や名店、観光スポットのご案内、イベントやお祭りの情報など、ここ日本橋のまちの楽しみ方についてのホットな情報をお届けしています。

昨年7月23日のオープンよりおよそ1年4か月。早くも本日11月19日にご来場者10万人到達となりました。

今回も日本橋観光案内所 運営責任者の山本史朗(やまもと しろう)さんにお世話になりました。

・・・それではセレモニーの様子をご紹介させていただきます。

日本橋のたもとの日本橋観光案内所さん前では、運営主管でございます日本橋地域ルネッサンス100年計画委員会の橋本敬(はしもと けい)会長、名橋「日本橋」保存会の中村胤夫(なかむら たねお)会長をはじめ、日本橋の街の関係者の方々がご列席されました。

時刻は午後2時過ぎ、外国人女性がお二人ご来場となりました。

右のお若い女性がちょうど10万人目の方と告げられました。とても感激されていました。

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IMG_20181119_140147 (2).jpgロシア人の母娘、オクサーナ・マモシキーナさん(右)とお母様のスベトラーナ・マモシキーナさん(左)。

オクサーナさんは日本は2回目、去年の桜シーズンにいらっしゃって以来だそうです。

普段は香港でお仕事をされています。英語がとても堪能な方でした。

お母様は日本は初めて。オクサーナさんが日本2回目ですから、お二人で今回の旅行で大阪・広島など各地を回っていて2週間目。

あと3日間の東京滞在で、その後お二人でロシアに戻り、あとはオクサーナさんお一人でシンガポール経由で香港に戻られる、とのこと。

2か月後の冬にもまた日本を訪れる予定だそうです。

 

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10万人目のセレモニーでは、名橋「日本橋」保存会の中村会長(左の男性)と日本橋地域ルネッサンス100年計画委員会の橋本会長(右の男性)より記念のお品を渡されました。

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記念のお品は日本橋手拭いと日本橋かるたでした。

オクサーナさん、「アリガトウゴザイマース」「サンキュー」「スパシーバ(ロシア語で"ありがとう")」と3つの言語のお礼の言葉を述べていました。

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セレモニーの後、もう一度案内所内へ。

運営責任者の山本さんに英語で「また日本橋のいらっしゃってください。」と言われると、「シュアー(もちろん)」と答えていました。

とても明るいフレンドリーなお二人でした。

 

IMG_20180806_121644a.jpg日本橋観光案内所

日本橋1-1-1地先

東京メトロ銀座線・半蔵門線 三越前駅、東京メトロ東西線・都営浅草線 日本橋駅が至近です。

「日本橋」のたもと、三越日本橋本店さんとは対岸になります。

営業時間  10:00~17:00

無休(元日を除く)

日本橋観光案内所さんのホームページはこちら

⇒ http://www.nihonbashi-info.tokyo/tourism/

 

 

 

新川大神宮 清酒菰樽 新酒番船江戸新川入津図

[銀造] 2018年11月23日 12:00

新川大神宮に参拝に行ってきました。

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境内に入ると左手に酒樽が沢山奉納されていました。 初めて見る光景です。新川一番船 というお酒の樽も奉納されていました。

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菰樽についての説明がありました。

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ご説明は次の通りです。

『奉献 清酒菰樽

 江戸時代、新川は日本酒(清酒)の銘醸地である上方から江戸に移入される「下り酒」の問屋筋として栄えました。寛永2(1625)年にこの地に創建された新川大神宮は、酒問屋・酒造家の守護神として崇敬を集めています。 当時、江戸へは酒を木樽に詰め、専用の樽廻船で輸送していましたが、その際、樽の破損を防ぐ目的で菰を巻き付けたのが菰冠(菰樽)の始まりといわれています。 そして、菰には他の銘柄と区別するために、各銘柄の特徴を表わすデザインが施されました。 ここに積まれている菰樽(二斗樽=36L)は、永年に亘り新川大神宮とご縁を結ばれている敬神会会員はじめ、全国各地の敬神の念篤き酒造家より献納されたものです。ご奉献頂いた方々に感謝申し上げますと共に、酒類業界を始めとした我が国の伝統的食文化を担う諸産業が益々栄ますことをご祈念申し上げます。』

新川大神宮のHPで、「新酒番船江戸新川入津図」の絵がご覧になれます。http://shinkawadaijingu.or.jp/gallery/gallery1/shinshubanwsen/

 次回は、奉納されている日本酒を探しに行きます

茅場町、越前堀、霊岸島散策の詳細は、2017年9月1日のブログもご覧ください。

/archive/2017/09/post-4541.html

 

 

 

バラ、まだまだ咲いてます〔築地川祝橋公園〕

[ジミニー☆クリケット] 2018年11月23日 12:00

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11月も下旬というのに、築地川祝橋公園バラが、まだまだ元気です

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秋バラの時季よりも、さらに花数が増したように見えます

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特に、サーモンピンクの、中輪というより大輪に近いバラ元気だなあと思っていたら、昨年は、12月27日)に同公園で咲いていたこのバラを、私自身が紹介していました

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まさに、その時の表題の通り、「冬薔薇ふゆそうび)」

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また、濃い赤に近い)中輪バラも、これから咲こうとしていました

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一方で、つるバラ系は、ローズヒップがたくさんできていました

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昨年12月27日に、同公園で咲いていたバラを紹介した記事はこちら ⇒

/archive/2017/12/post-4853.html

 

 

環状二号線から朝潮運河を眺めました。

[kimitaku] 2018年11月23日 09:00

今月部分開通した環状二号線、朝から多くの市場関係者が通行します。

豊洲市場に向かう途中朝潮運河を眺めると大きな空き地がありました。

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最近まで倉庫群でしたが、それもすっかり取り壊され平地になりました。

この空き地 東京都が進める勝どき東地区再開発の現場です。

東京オリンピックが2020年に行われますが、

それから数年後に超高層マンションが立ち並び、船舶発着所

及びバスターミナル等もできる予定です。

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これから勝どき地区は、日に日に様変わりしてゆくことでしょう。20181120_kimitaku3.jpg

 

環状二号線、昔はマッカーサー道路とも呼ばれていました。

工事地区は勝どきにあります。

フェンスに囲まれて通りからはなかなか見えにくいですが、

都営大江戸線「勝どき駅」から徒歩7分くらいで現地に着きます。

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【遠足シリーズ第8弾】渋沢栄一の足跡をたどって...

[Hanes] 2018年11月22日 18:00


こんにちは。新人特派員のHanes(ハネス)です
前回の遠足シリーズでは、深谷市の煉瓦に焦点を当てて中央区との関係性について取り上げましたが、
その際のキーパーソンとなったのが、近代日本経済の父と称される渋沢栄一でした。
今回は彼の生涯の一部をピックアップしながら、中央区との関係性をご紹介したいと思います。
 
■渋沢栄一の生涯:豪農の子から子爵へ
渋沢栄一は、1840年に現在の深谷市血洗島(ちあらいじま)に生まれました。
彼の生地に建つ「中の家(なかんち)」は、1895年に栄一の妹夫妻によって建てられたものですが、
一般開放されており、見学することができるようになっています。

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7歳からは、いとこの尾高惇忠から論語をはじめとする学問を学び、尊王攘夷思想の影響を受けました。
17歳では、いとこらとともに高崎城乗っ取りおよび横浜異人館焼き討ちを企てましたが、中止。

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(こちらの写真に写っている、尾高惇忠生家の2階でその計画を練ったと言われています。)

24歳では、徳川幕藩体制に疑問を抱き尊王攘夷運動に参加するも、
御三卿(将軍家、御三家に次ぐ高い位の家柄)のひとつであった一橋家および幕府に仕えるようになり、
1867年には15代将軍徳川慶喜の名代徳川昭武に随行してパリ万博へ。
尊王攘夷思想を覆すようなヨーロッパの進んだ思想・文化・社会を目の当たりにし、
帰国後は大隈重信の説得により明治新政府の大蔵省に仕えました。

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(渋沢栄一記念館にて撮影した記念館および渋沢栄一の像)

大久保利通らと財政運営で意見が合わず辞職した後、実業界の最高指導者に君臨
それ以降亡くなるまでに600以上の福祉事業にかかわり、国際親善にも貢献しました。

■中央区との関わり
彼は数々の企業や大学等の設立にも尽力しており、区内での代表的な貢献として、
第一国立銀行の総監役や聖路加国際病院の初代理事を務めたことが挙げられます。

そして、都内にいくつかあった彼の邸宅ですが、なんと日本橋兜町にもあり、

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跡地は現在、日証館(東京証券取引所の隣、日本橋川に面している)となっています。
古典様式風の三層構造やアーチ窓が美しいこちらの建物は、
日本政策銀行の不動産評価でゴールド評価を得ており、
重厚な外観の証券会社がたち並んだ当時の面影を今に伝えている建物の一つです

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こうしてみると、中央区内にも意外と渋沢栄一ゆかりの地がありますね
必ずしも目に見えるものばかりではありませんが、
こうして歴史に名を残した人物をテーマにまち歩きをするのも面白いかもしれません

※本記事に含まれる深谷市の文化財のお写真につきましては、深谷市文化振興課のご担当者様より掲載許可をいただいております。

 

 

2018 イチョウ黄葉

[サム] 2018年11月22日 14:00

DSC07755ELS'.jpgDSC07777RS'G.jpg 11月19日、東京管区気象台より気象庁生物季節観測情報のひとつ「イチョウ黄葉」が報じられました。

平年より1日早く、昨年より2日遅い由。

イチョウの黄葉日とは、標準木全体を眺めたとき、大部分の葉が黄色になった最初の日とされますが、浜町公園のイチョウも、穏やかな陽射しを浴び黄金色に染まり、見頃を迎えています。

殊に公園入口緑道のイチョウ並木の黄葉のトンネルは見事です。

新緑の頃の若葉のみずみずしい黄緑色の季節も素晴らしいですが、やはり秋の風情は格別。

順光に輝く絢爛たる黄葉は然ることながら、逆光に透ける繊細な姿も趣があります。

街なかで自然の風物に心引かれるワンシーン。清々しい気持ちにさせてくれます。