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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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「茂ち月」(日本橋浜町)

[五月雨ジョージ] 2018年9月15日 18:00

【残したい名店シリーズ①】

今回は、和菓子の「茂ち月」さんを取材しました。

 
大きなどら焼きで有名な「茂ち月」さん。多くの人はこのお店を見過ごしてしまうかもしれません。ガラガラと開けるガラス戸の玄関に瓦屋根‥‥戦後間もなく建てられた日本の民家は皆こんな感じでした。

和菓子屋をイメージさせる暖簾や幟はなく、ガラス戸に「どら焼き」と書かれた紙が1枚、内側から貼ってあるだけ。季節になると、ここに「水ようかん」や「柏もち」の紙が加わるだけです。初めて訪れる人は入りづらいのでは? と心配になります。

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和菓子作りから販売まで、おひとりでやっているご主人・望月孝泰さん(75歳)にお話を伺いました。

 

孝泰さんの祖父は人形町で呉服関係の仕事をやっていました。しかし、お客さんの支払いが滞ることもあり、経営が苦しくなってやむなく廃業。終戦後、孝泰さんの父上は、上野の名店「岡埜栄泉」の主人と同郷だったこともあり、和菓子作りを学んだということです。そして昭和22年、ご自宅で和菓子店を開業。孝泰さんは2代目のご主人ということになります。

 
玄関を入ると正面にショーケースがあります。定番の商品は、超大判の「どら焼き」(160円)、小ぶりながら硬めに焼いてあって食べごたえのある「栗饅頭」(140円)、その場で餡を挟んでくれる「最中」(140円)の3種類、そして季節商品として、春の「桜もち」端午の節句時の「柏もち」、夏場の「水ようかん」の3種類が加わります。どれも北海道産大納言小豆にはこだわりを持って作られる逸品です。

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ショーケースの中には、小さなウサギの置物も入っています。そういえば、茂ち月さんの包装紙、ウサギをモチーフにしたとてもかわいいデザインです。なるほど、月で餅をついているウサギかぁ。実はこれ、孝泰さんの祖父がデザインしたものだそうです。呉服関連の商売をやられていただけに、和風のデザインセンスは抜群ですね。

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包装紙.jpg


さて、茂ち月さんの一押しと言ったら、何といっても「どら焼き」でしょう。
袋いっぱいに入った大きなどら焼き。その大きさは直径約10.5センチ重さ150グラム強、袋が閉じられないほどで、留めているテープがどら焼き本体にくっ付きそうです。

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今回は、私がずっと疑問に思っていたことを思い切って聞いてみました。「このどら焼き、どうやって袋に入れるのか......」ということ。袋を破らないと中身を出して食べられないほどパンパンです。

実は、出来立てのどら焼きに風を当てて表面が渇いた瞬間を見逃さずに袋に入れ、軽くトントンと叩きつけて重みで入れるのだそうです。タイミングを外すともう入らないそうです。

茂ち月さんは、宣伝などは全くしていないそうですが、それでもうわさを聞きつけて、たまにテレビ取材等が来るようです。店内には何枚も芸能人のサインが貼られています。

ご近所に生家があった江戸家猫八さん、その猫八さんとの関係で緒形拳さんのサインもあります。他に車だん吉さん森公美子さんなど。そしてひと際新しいのが、今年の5月、やはりテレビ取材で来店したという藤吉久美子さんのサイン。やはりテレビの取材を受けた後はお客さんは増えるようです。

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浜町公園の南側にひっそりと佇む和菓子の「茂ち月」さん。孝泰さんにはいつまでもお元気で名物のどら焼きを作り続けてほしいものです。

 
最後に、このお店の跡継ぎについて伺いましたが、現在跡継ぎの方はいらっしゃらないとのことでした。実は孝泰さんには息子さんがいらっしゃいましたが、残念なことに難病を患い、数年前にお亡くなりになられたとのことです。改めましてご冥福をお祈りいたします。

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茂ち月(和菓子)

住所:東京都中央区日本橋浜町2-52-5
お問い合わせ:03-3666-59
営業時間:(月~金)9:30~18:00
定休日 :(土曜・日曜・祝日)

 

 

「インフラ見学ツアー」をやってみては?

[五月雨ジョージ] 2018年8月 2日 14:00

7月31日、(株)建設技術研究所 国土文化研究所主催、中央区後援のオープンセミナーに参加してきました。セミナーのタイトルは「インフラをとことん楽しむ方法」。会場は日本橋浜町Fタワープラザ3階ホールで、定員120人満席の盛況でした。

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1部は都市大学名誉教授 工学博士・吉川先生の「見せる土木の応用講座-日本の土木再発見」でした。吉川先生の第1部はスライドによる事例紹介画像をふんだんに使ったわかりやすい解説でとても楽しく、元々構造物を見ることが好きだった私にとっては興味深い内容でした。吉川先生の土木に対する愛情の深さがにじみ出ていました。

 

2部は国土文化研究所の宮研究員による「日本橋地域の事例紹介~ヴァーチャル東京クルージング~」でした。「お江戸日本橋の舟めぐり」と題して、日本橋船着場から日本橋川をさかのぼり、神田川に入って隅田川に出るまでの船旅を、解説を交えながらヴァーチャル映像で観るというもの。実際に映像内数カ所のインフラ計画に携わった担当者も加わって、なかなかリアリティのある解説でした。

 

お、このVR映像は公開されており、お手持ちのスマホなどでも診ることができます。スマホを向けた方向が360度見ることができます(youtubeアプリのインストールが必要です)。下のQRコードから入れます。

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た、9月以降に開催される「舟めぐり」には140名の無料ご招待があるそうです。興味と時間のある方は参加してみてはいかがでしょうか(下画像)。

 

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央区にも数多くの楽しいインフラ財産があります。例えば、「箱崎ジャンクション」の構造体を下から見上げることが外国人の人気スポットになっていたり、晴海トリトンスクエアにかかる屋根付き動く歩道橋「トリトンブリッジ」も人気です。インフラ構造体という視点から中央区をめぐるツアーを企画しても面白いかもしれません。

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箱崎ジャンクション


※CTI 国土文化研究所 ▶ http://www.ctie.co.jp/kokubunken/

※舟めぐりfacebook ▶ https://www.facebook.com/funameguri/

 

 

ディープな中央区『会館編2』

[五月雨ジョージ] 2018年7月 7日 09:00

 昨年11月に「ディープな中央区『会館編』」を記載し、「重量挙会館」や「マーガリン会館」「醤油会館」などを紹介しました。

 その後もいくつか面白そうな会館を見つけたので、今回はその中から4つの会館をご紹介します。

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日本ダンス会館(にほんだんすかいかん)

 東京都中央区日本橋浜町2丁目33-4

 ここには「日本ボールルームダンス連盟(JBDF)」が入っています。ボールルームダンスとは舞踏室(ball room)で踊るダンスで、二人組(カップル)で踊るダンスが特徴です。現在は社交ダンスと同義語として扱われているそうです。
 JBDFの会長は、海外タレント事務所の社長としても知られている稲川素子さんです。北海道を除く46都府県のボールルームダンス連盟のほか、多くの団体が加盟している、いわばボールルームダンスの"元締め"みたいなところですね。
 明治座裏手に位置する場所にある地味なビルですが、私の勤務先のすぐ近くにこんな会館があったとは驚きです。

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化粧品会館(けしょうひんかいかん)

 東京都中央区東日本橋2-10-5

 この会館には、全国化粧品小売協同組合連合会(CRC)の事務局と東京都化粧品装粧品小売協同組合(都粧協)が入っています。
 CRCは、化粧品の正しい知識と技術を持って、信頼ある化粧品販売を行うことを目的とした、全国の化粧品店約7,000店が集まった協同組合です。化粧品関連商品の販売や、宣伝広告、商品研究・開発、教育・情報提供、組合員の福利厚生などを共同で行っているそうです。

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食糧会館(しょくりょうかいかん)

 東京都中央区日本橋小伝馬町15-15

 食糧会館は、北海道から沖縄に至る日本全国を網羅する、米穀卸売業者が組織する全国団体「全国米穀販売事業共済協同組合(全米販)」の本部が入っているビルです。
 全米販の活動としては、お米に関する情報を消費者や組合員に伝えること、組合員の経営相談や福利厚生支援・ビジネスサポート、米飯中心の日本食拡大・定着のPR、そして「全国共通お米券」の発券などをしているそうです。
 私の父は生前、田舎の米穀企業組合で働いていましたので、前々から気になっていたビルの一つでした。

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計測会館(けいそくかいかん)

 東京都中央区日本橋蛎殻町2-15-12

 旧計測会館は千代田区の虎ノ門にありましたが、虎ノ門の再開発に伴い、移転のため2007年、中央区日本橋蛎殻町に新ビル着工。2008年4月に完成しました。表通りから奥まった閑静なオフィス街にあります。
 この会館の主は、(社)日本電気計測器工業会(JEMIMA)という団体です。大手、中小のメーカーや団体100社以上が名を連ねており、様々な先端産業の担い手として技術革新に貢献しています。

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※過去の記事;ディープな中央区『会館編』はこちら

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「ときわ木」―オリジナルを主張する老舗和菓子店

[五月雨ジョージ] 2018年6月 5日 09:00

永代通りを日本橋交差点に向かって行くと昭和通りの手前に「千代田橋」があります。関東大震災後(大正12年)の大規模な復興計画で永代通りが作られたときに、当時ここを流れていた楓川を渡る橋としてかけられました。

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和菓子の「ときわ木」さんが楓川沿いに創業したのは明治43年(1910年)といいますから、千代田橋が架けられる10年以上も前ということになります。一旦、昭和通り沿いにお店を移したものの、その後再び現在の地に戻られたそうです。今の包み紙には「千代田はし ときわ木」と記され、刻み続けた歴史を感じます。

 現在は3代目、気さくなご夫婦がお店を継がれています。

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▲ときわ木さんの包み紙には「千代田はし」の文字が


 ときわ木さんにはショーケースに並んだお菓子はありません。重箱に入れられた数種類の和菓子を見せていただき、お客様はその中から選ぶのです。創業時から続けている販売方法だそうです。

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▲写真を撮りやすいようにと、下の台に広げていただきました


 5月までは「柏餅」、花は「ぼたん」の和菓子、6月に入ると「水ようかん」、花は「あやめ」のお菓子など、商品は季節ごとに変わりますので、重箱の中の新商品への期待に、お店を訪れる楽しみも増していきます。

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▲この日のラインナップ

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▲6月は水ようかんの季節!

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今回は、私が5月末に購入したオリジナル和菓子「若紫」をご紹介します。小豆、手亡豆、砂糖から作られた、まさに若紫色のお菓子です。

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▲版画家・福田久哉先生の描いた少女のイラストが素敵です!

 残念なのは着色料(赤色3号)を使っていることです。このタール色素、アメリカやヨーロッパの一部の国では食品への使用が禁止されているもの。これを使わないと「若紫」ののきれいな色は出ないのかなぁ‥‥。
 でも、口の中で儚くもサラッと溶けてなくなる舌触りと上品な甘みは、和菓子ファンならずとも、一度は味わっていただきたい商品です。
この「若紫」、購入には予約が必要です。予約した日の翌週の木・金曜日に受け取ることができます。

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箱を開けると、一面に敷き詰められた長方形の若紫の菓子。幾何学的な切られた15片が入っています。これは箱の懸け紙に描かれたイラストにあるような、昔の女性の着物の袖の形をイメージしているそうです。

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▲この形! どうやって切っているの?


 どうやって作っているのでしょう。箱の大きさの長方形に固めるところまではわかります。問題は切り方です。一つ一つの形は違っても体積は同じように見えます。切り口を見ると刃を入れた様子がわかります。長方形の板に刃を打ち込んで作った抜き型か、切る図形に合わせて張って固定したピアノ線で一気に押し切るのかもしれない‥‥。それにしては鋭角の部分までしっかり形が出ているし、う~む‥‥。

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▲「若紫」の一片


 予約していた「若紫」を受け取りに行ったとき、その方法を伺ってビックリ! さすが匠の技! あっ、これ以上は秘密にしておくことにします。

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皆さんも「若紫」を購入されたら、実際にカットを見て、その方法をあれこれ想像してみてください。そして、このお菓子の上品な甘み、舌触りを味わってください。少し濃い目に入れた煎茶がお薦めですが、ブラックコーヒーにもよく合います。また、大切な方への手土産としても最適だと思います。

 次回、私は「黒饅頭」を買うつもりです。


「若紫」は夏の暑い時期はつくられていないようです。お求めの際はお店に確認してください。

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▲お店は、大通りから少し入ったところにひっそりと‥‥


店名:御菓子司 ときわ木
住所:東京都中央区日本橋1-15-4
TEL03-3271-9180
営業時間:9:30~17:30
定休日:土・日・祝日
「若紫」小2,750円(税込)、大3,300 円(税込)

 

 

人形町・富沢町の思い出 ~和菓子「三廼舎」その2~

[五月雨ジョージ] 2018年5月 2日 14:00

 前回に引き続き、和菓子の「三廼舎」さんの後編です。

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▲三廼舎さん 店内

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 今回は店主のお母さま(先代のご主人の奥様)に、人形町・富沢町界隈の歴史や思い出などについて伺いました。

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▲お店には明治神宮からの感謝状(1953年)が掛けられています。

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・三廼舎の創業は戦後復興もおぼつかない昭和22年、お母さまが7歳くらいの時だったそうです。当時はまだ浜町川が流れていたそうですが、三廼舎の横に架かっていた小川橋から北側は、昭和24年に戦災復興工事として埋め立てられました。

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▲小川橋より栄橋方面を望む(1949年)。左手手前が三廼舎さん。

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▲同上、埋め立て後(1949年)

※「区制施行70周年記念 中央区のあゆみ -戦後の発展とまちの変化-」(発行:中央区教育委員会)より


 南側は下に都営1号線(現・都営浅草線)が通ってからも(昭和38年)流れており、埋め立てられたのは昭和47年頃だということです(下の写真を見せてもらいました)。

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▲久松警察屋上より浜町川の南側(1956年)。手前から明治橋、蛎浜橋、中ノ橋、浜洲橋、川口橋。

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・私がずっと疑問に感じていた、浜町に残る「金座通り」という名前の由来もお聞きして納得しました。金座のあった場所(現日本銀行)までずっとつながっているので、両国橋の袂から浜町を通って金座までの道を金座通りと呼んだのだそうです。「金座通り」の愛称が、金座の場所からかなり離れた浜町に残っているというのも興味深いことです(現在の金座通りは、日本橋浜町1丁目12番~日本橋浜町2丁目11番)。

 また、狭い地域ですが「浜町二丁目金座町会」も残っています。(該当地区:日本橋浜町二丁目10から13番、32から41番、60から62番)

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・三廼舎の向かいに建つNTTビルは、かつて力道山の鉄筋5階建て「プロレスリング・センター」(昭和30年:当時、日本橋浪花町)があったところだそうです。ジャイアント馬場までは、ここに通っていたそうです。

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▲プロレスリング・センタービル(1955年)
※画像はhttp://wildman.seesaa.net/article/130989842.htmlより

(2018年05月02日 05:52 WILDMAN'S BLOG様より使用許諾済)


・その力道山が慕っていたのが日本プロレス協会設立に尽力した後援会長の新田新作氏(新田建設社長)。新田社長は終戦後明治座を復興させたメンバーの中心人物でもあります。現在、その娘さんが明治座のすぐ裏にあるカウンターバー「浜町 新田」をやっていらっしゃいます。

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・戦後、人形町通りは、深川の門前仲町通りと共に両側にアーケードが作られ、近代的な商店街として栄えていったそうです(アーケードは1985年に撤去)。

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・人形町に有った寄席「人形町末廣」も旦那さん(2代目ご主人)と良く観に行ったそうです。柳屋金五郎や5代目古今亭今助がお好きだったようです。人形町通り現読売新聞(「うぶけや」の隣)。昭和45年閉場。

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・隅田川の花火は昔は金座通りの正面から良く見えていたようです。現在のパンダスタジオ浜町(旧・浜町スタジオ)のあるところではお金を取って見せていたこともあったようです。また、久松警察署では、建物の屋上に上らせて見せてくれたそうです。

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・三廼舎があるのは日本橋富沢町ですが、富沢町の町名の由来まで聞かせていただきました。鳶沢町 ⇒ 富沢町:江戸時代にこの一帯に住んでいた古着屋の元締めである鳶沢甚内という人物がいたことから、「鳶沢町」と呼ばれるようになり、後に字を改めて「富沢町」と呼ばれるようになったということです。

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・三廼舎さんは明治座が近いということもあり、舞台があるたびに和菓子を買いに来る芸能人も多いようです、淡島千景さん大沢逸美さんなどのお名前をお聞きしました。また、近くにある和菓子屋「銀座あけぼの」の社長さんもよく来店するとのことでした。

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 そのほか、大川橋蔵(二代目)さんの出生の秘密など、いろいろびっくりするようなことをお聞かせいただきました。また、近々楽しいお話を聞かせていただきたいと思っています。

 さて、今日は柏餅を買って帰るとしますか‥‥。

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御菓子司 三廼舎(さんのや) :東京都中央区日本橋富沢町16-3

 

 

練切の木型 ~和菓子「三廼舎」その1~

[五月雨ジョージ] 2018年4月11日 16:00

 久松警察署のすぐ近くにある和菓子屋「三廼舎」(さんのや)さんを取材しましたので、2回に分けてお届けします。今回はお店の紹介とご主人に伺った和菓子の話を、そして次回はご主人のお母様にお聞きした、富沢町や人形町、浜町界隈の昔のお話をまとめてみます。

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▲右手奥が喫茶スペース

  

 三廼舎は、明治座の近く、久松警察署のすぐそばにある和菓子屋さんです。こじんまりとしたお店ですが、中に入ると4卓12席の喫茶スペースもあって、ご近所の方が抹茶セットやコーヒーなどを気軽に楽しんでいるようです。

 抹茶セット(500円)をいただきながらご主人に和菓子のお話を伺いました。

 

 三廼舎の創業は昭和22年。創業者は現在のご主人の祖父・石川三之助氏で、三廼舎という名前の由来ももちろん三之助氏のお名前から。三之助氏は銀座資生堂の近くにあった「つくし」という和菓子屋で修業されたと言います。水墨画も描く、とても手先が器用で芸術的センスのある方だったそうです。現在のご主人は三代目。お母様と共にお店を守っていらっしゃいます。

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▲波型模様の練切

  

 抹茶セットは、抹茶に練り切りの和菓子と桜湯が付きます。練切は手作りの創作商品は関西が中心で、関東では木型商品が多いそうです。やはり、和菓子は茶道文化とともに歩んできたものなので、練切も京都を中心に名店が多く、芸術性も高いのだそうです。
 今回いただいたような水模様(波型)の和菓子は、なぜかお茶の世界では敬遠されるようです。

 

 そして、現在使われている貴重な三廼舎さんの宝物、練切用の木型をいくつか見せていただきました。何百とある木型のすべてが、三之助氏がデザインして木型屋に発注したものだそうです。桜の木で作られています。

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▲練切の木型各種。

 

 人形町近辺に和菓子屋が多いのは? 富沢町界隈に多く見られる和服の古着屋や呉服屋が、京都や近江などから江戸に入ってきました。その時期に和菓子屋さんも一緒に付いてきたようですが、茶道の一般化や芝居見物、遊郭通いの客でにぎわう人形町近辺だったということもあり、和菓子屋さんも根付いていったようです。江戸時代はそれまで団子や汁粉、餅などが中心だった江戸和菓子に、色・形・香り・味・風流で季節を味わう京和菓子の要素が加わっていったのですね。

三廼舎さんでは、4月上旬で桜餅も終わり、現在の柏餅(こしあん、味噌あん)は5月10日まで、その後、水ようかんと水まんじゅう‥‥季節に合わせて定番の和菓子が続きます。三廼舎さんでは餅や赤飯の米は炊飯器を使わず、羽の付いた昔からの釜で炊いています。桜餅(道明寺)も、他店にはない一粒一粒のしっかりした食感が、独特の美味しさを伝えています。

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▲優しい焼き色が独特などら焼き。

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▲お米が美味しい桜餅。

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▲こしあん(左)と味噌あんの柏餅。やさしい甘さと美味しいお餅!

 

 ご主人は「和菓子屋は仕事も大変、需要も安定していないので経営も大変。昔のように和菓子職人になりたいという人も少なくなった」と嘆きます。

 でも、高校生の娘さんが、跡を継ぎたいと言っているようです。少しだけご主人の顔が輝いたような気がしました。