[朱房の十手]
2018年3月15日 09:00
江戸秤座跡
秤座は江戸幕府により秤の基準を統一するために創った事業所です。
承応2年(1653)から明治8年(1875)まで続きました。江戸は守随家、京都は神家によって製造、頒布、修理が行われ、守随家は東国33ヵ国を受け持ちました。
東国では、守随秤座以外の秤を使用することも、製造することも、守随姓を名乗ることもできませんでした。それほど幕府に保護されていました。
明暦の大火(1657年)が起こり10万人もの方々が亡くなり、江戸城の天守閣も焼失する大惨事がありました。守随秤座工場も焼失しましたし、材料の木も焼失しました。その中で対応できない程の注文が殺到したことでしょう。守随家では、火災に備えて材料の木(十分に乾燥させて歪みや変形せぬ木)を江戸郊外に備蓄していたそうです。備えあれば患いなしですね。
日本橋高島屋のすぐそばです。お買いもついでにお立ちよりください。
[朱房の十手]
2018年3月13日 12:00
写真(桂川屋敷)は、区教育委員会設置 史跡案内板(築地7丁目十番地)
桂川家は享保年間(1716-1736)ごろから築地に居を構えていました。
和欄外科医の奥医者として名を馳せ、登城のさいは11名の供を従え、旗本も道を譲るほどでした。
明治維新の前(1863)に築地で大火があり桂川家の向いから出火、類焼は免れたものの火災の直後に「柳生対馬守」の屋敷を譲り受け転居しました。
面積は1200坪余りあり、広い庭がありました.。明石堀(あかつき公園)を挟んで、中津藩 奥平家の屋敷があり、福沢諭吉が蘭学を教えていました。
(「名残りのゆめ」 甫周 長女 みね追憶談 より)
[朱房の十手]
2018年3月 9日 12:00
明治天皇皇后両陛下は、
明治8年4月4日 水戸藩下屋敷(現在 向島 隅田公園)でのお花見の際に、お茶うけとしてアンパンを召し上がりました。
大変お気に召されたそうです。
段取りをつけたのが、
剣・書の達人 侍従の 山岡鉄舟です。
左の写真の書き文字 店名を書かれました。
残念ながらオリジナルは関東大震災の際 焼失したそうです。
銀ブラの際によくよくご覧になっては如何ですか。素晴らしく見事な文字です
[にゃんボク]
2018年2月25日 18:00
遠足で帰路に向かい、もうまもなく解散場所に到着するころに「家に帰るまでが遠足ですよ!」と先生に言われたのが印象に残っている方は少なくないと思います。
「家に帰るまでが遠足ですよ!みたいなことを言おう選手権」が開催されるとしたら、私にとって、「東京マラソンはエキスポからがスタートですよ!」と言わざるを得ません
フルマラソンは一般的に体重が1キロ減ると3分速くなると言われています。なかなか忙しい毎日の中で3分のタイムを縮める練習を積むのは簡単ではないのですが、何とわたくし、2月頭に胃腸炎になり、1日で回復したものの、その食事が口にできなかったわずか1日で2.5キロ体重が減りました。(1食にどんだけ食べているのかとの批判は甘んじて受けます)
「こ、これはベストタイムが出せるのではないか。これを維持できれば机上計算だとマラソンタイムを7分ぐらい短縮されるぞ・・・・。」
さて、23日(金)には受付のために東京マラソンのエキスポに行ってまいりました。この日の午前中には人間ドックにて一度おなかを空っぽにし体重をリセットするとともに、有休を使ってエキスポに向かい比較的すいている前々日に手続きを終わらせる。そうすると、体の中はクリーンな状態になり、かつ混んでいる前日(24日・土曜日)に受付をして半日歩き回る必要もないのです。
「我ながら完璧なプランニングじゃないか・・・」
その東京マラソンエキスポですが、全国各地の素晴らしいマラソン大会に参加してきた私としても、完全に別格の規模。東京オリンピックの予行演習としての位置づけも更にこのエキスポのレベル感を高めているように思います。
(緊急時連絡先登録、顔写真登録、大会終了までのセキュアベルトの装着などがきびきびと手続きされます)
(東京マラソンレベルになると、石原さとみさんからも応援されてしまう。金メダリスト高橋Qさんも登場。 ちなみに岡山マラソンの宣伝パンフレットは中央区の運動会にもご参加されるメダリスト有森裕子さんから直接手渡しされました。プレミアム~)
まさに色とりどり、百花繚乱とも譬えられるほどの展示において、もっとも重要なスポットは・・・言わずもがな中央区のブースですね!(中央区観光協会)
(ご親切に私の写真も撮っていただきましたが、小汚い恰好のため、自主規制がかかっております。
その代わりとなる素敵な笑顔)
足が速い韋駄天様もまつる大観音寺には、ランナーもたくさん訪れる訳ですが、その大観音寺ゆかりのランナー垂涎のグッズも並びます。
ここタオルはその韋駄天様が描かれたものにて、これが優れもの。私は現役で使用しています。
・首に巻いても長さに余裕があるため、冬場の寒さ対策にも利用可
・吸水性が高いため、汗かきにも対応可能(私のようにプロの汗っかきになると、普通の速乾タオルは絞りすぎてすぐにボロボロになりますがこのタオルは丈夫この上ない)
・タオルを頭に巻くと、おっさん感が増してしまうが、このCoolな柄なら見事に決まる 等・・・
そんなわけで、レースの一部とも位置付けられるエキスポでの事前準備は完璧。あとは当日しっかりと走るのみですね。(せっかく減った体重は1日でまた2キロほど増量しております。前日は食べないとね!)
(頑張って~! by 駅乃みちかさん@東京マラソンエキスポ)
[にゃんボク]
2018年1月29日 09:00
今は「手のひらに世界を乗せて」などのコピーの通り、スマートフォンで何でもできる時代。
手のひらを思いきり畳に打ち付けて札をとるカルタが冬や正月の風物詩と言われる日も過去のものになりつつあるのかもしれません。
そのカルタは、ご案内の通り、いろは47文字に対応した「いろはかるた」が最も古典的と言われています。内容は江戸、京都、大坂、上方、尾張などで各々異なっており、地方の特色が表れて、「郷土かるた」も各地に存在するようですね。
なんとなく諳んじていた諺のようなものも、実はカルタ由来だったりして、新たな発見があったりします。
ちなみに、いろはの「い」に関して言うと、江戸は「犬も歩けば棒に当たる」、上方は「一寸先は闇」、尾張は「一を聞いて十を知る」だそうで、それぞれ全ての札を読むと馴染み深いものから、読み方の分からないようなものまであって面白いです。
郷土カルタで一番メジャーなのは個人的に「上毛カルタ」だと思っています。「つ」なら「鶴舞う形の群馬県」と謡われるアレです。郷土の特色を紹介するテレビ番組において、「群馬出身者はこのカルタを暗唱している」、「反射的に下の句が出る」などと聞くとまさに郷土カルタの鑑だと思う次第です。
さて、郷土カルタとして中央区民が押さえなければならないのは、
勿論!!「日本橋かるた」ですね。
い:いつの世も 道の起点は 日本橋
ろ:櫓がきしむ 浜町河岸から 花見船
は:初鰹 初物好きで 見栄っ張り
いやぁ、いいですね、マニアックですね。このかるたにはいつくも素晴らしいところがあるのですが、まずなんと作画は六代目 歌川国政さん。
ん?この国政さんはどなたですかって?五代目ではなく六代目。作画にかの有名なメトロリンクの無料バスがあることを考えると、これはごく最近の状況も踏まえられているわけで、現存している方、なんですかね・・・。
そしてこの日本橋かるた、ちゃんと英訳版があるのです。グローバリゼーションを先取りしてます。子供たちもこれで英語の勉強もできちゃいます。
い:いつの世も 道の起点は 日本橋
Hey you!
From centuries past,the place where all roads meet Nihonbashi.
ってなところです。
この日本橋かるた、勿論販売もしているのですが、建設中のビルの囲いに描かれたりしている(私はこれで知りました)ので、街歩きをしながら発見してみるのも良いですね。
[朱房の十手]
2018年1月26日 12:00
泰明小学校の卒業生です
近代ロマン主義文学の北村 透谷は明治15年に卒業しました。写真の石碑は校門の前に置かれています。(公道から見えます)
透谷のペンネームは、
数寄屋橋の数を「透」に変えてを音読みで「とう」と読み、屋を「谷」に変えて
音よみにで「こく」としたとの話がありますが
どうおもわれますか ?
本当の様な話ですが
泰明小学校のすぐそばに数寄屋橋があります。が・・
銀座でお買い物ついでにご覧になっては...