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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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海水館跡と植栽

[ジミニー☆クリケット] 2017年1月14日 14:00

佃3丁目初見橋交差点から清澄通り相生橋に向かい、150mほど歩いたところで右に折れて少し歩くと堤防に突き当り、その堤防のすぐそばに、海水館跡石碑説明板があります

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海水館は、明治38年坪井半蔵によって建設された割烹旅館で、当時、月島東京湾を臨む風光明眉な地だったそうで、ここに宮城県仙台市の建物を移築して旅館兼下宿として開業しました

閑静な地であったため、明治末期から多くの文学者執筆場所として利用したそうです

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島崎藤村は、ここで「」を執筆し、小山内薫は「大川端」を執筆、詩人の吉井勇は、歌集「毒うつぎ」を創作し、三木露風は、詩集「白き手の猟人」をまとめたそうです

残念ながら、海水館は、大正12年関東大震災で全焼してしまいました

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この石碑が建っている場所の周辺は当時の面影もなく、明治から大正にかけて著名な文学者が、ここから房総の山々を眺めながら執筆した場所としてイメージするのはむずかしいのが現実です

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ただ、違った意味で趣きがあるなあと思ったのは、石碑の間近に迫る堤防補強壁によって区分されたスペースを利用して、さまざまな草花盆栽果樹等が植わっている(育てられている)風景が堤防沿いにずっと続いていたことでした

当時の面影は無くなっても、吉井勇のこの歌が、この季節周囲の風景にぴったりでした

冬の海 見ればかなしや 新佃 海水館は わび住みにして (吉井 勇)

 

 

厳寒のプランツウォーク

[サム] 2017年1月14日 12:00

DSC_0652LSR'.jpg 晴海トリトンプラザ2F「i green ポケットプラザ花・水・樹」の専属ガーデナーの案内で園内を散策する、毎月恒例のミニガーデンガイドツアー。

今月は1月12日に開催されました。

R0030771RS'G.jpgノーストリトンパークではジュウガツザクラが凛として咲き誇っています。

今回は冬枯れの時期ということもあって、香りをテーマに散策。

まず朝潮運河沿いのスロープガーデンのレモン、キンカン、ティーツリー。

葉を揉むと独特の香りが漂います。

特にレモンは果実同様の強い芳香が印象的です。

次いで、ブラシノキ、ギンバイカ。

何れも独特の微かな香り。

ユリノキ、コブシ、モクレン等も小枝を裂くと特有の香りがします。

因みにヒイラギナンテン、メギの茎の断面は黄色ということも新たな発見。

尚この時期花数は少ない乍ら、花のテラスを中心に、パンジー、ビオラ、キンギョソウ トゥイニー、エレモフィラ ニベア、アリッサム、ネメシアなどが楽しめます。

紅色に加えピンクのギョリュウバイも見られます。

今回も新たな気づきを得たプランツウォークでした。

 

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左から、ティーツリー、キンギョソウ、エレモフィラ、アリッサム、ネメシア

 

 

隅田川 月見て思う うさぎかな

[銀造] 2017年1月12日 18:00

 勝鬨橋近くの隅田川テラスにでました。 余りに素敵なイルミネーションなので、ご報告したいと思います。 向かいのビルの上にも三日月のオブジェが見えます。

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 次の写真は、聖路加タワー近くの隅田川テラスから撮影しました。

 

明石町の名前の由来は、『播磨国(現在の兵庫県)明石にある「明石の浦」の風景に似ていたことが地名の由来になったとも伝えられています』・・・(歩いてわかる中央区ものしり百科参照)

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 そこから見える大川端の月も超高層ビル群の上に、柔らかい月光を放ち、屋形船も行きかって、訪れる方にとっては大変風情が感じられると思います。

 

この記事が掲載される頃には、満月でしょうか? うさぎさんが、お餅をついている様子がはっきり見えるかと思います。  

 

 

鏡開き・餅入り汁粉振る舞い

[サム] 2017年1月12日 12:00

DSC_0640LS'.jpg 1月11日は鏡開き。

日本橋榮太樓總本鋪に於いて、14:00より、新春恒例、先着500名に「餅入り汁粉」が振る舞われました。

店頭では、東京都指定無形民俗文化財「江戸太神楽」(400年の歴史を持つと伝えられる、獅子舞と曲芸を中心とした大衆芸能)の囃子の音が流れ、新春ムードを盛り上げています。

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鏡開きとは、正月飾りとして神棚や床の間にお供えしていた鏡餅を下げて、神仏に感謝し、無病息災を祈念し、雑煮か汁粉にして食する年中行事。

戦国時代以降、武家では正月、甲冑の前に供えた餅を「具足餅(鎧餅)」(飾り)といい、江戸では町人がこれを真似、商家では甲冑がない為、あれこれ縁起物を具足に模して飾り付けたとされます。

店内正面奥には、昨日まで、この形を踏襲した、立派な「江戸お供え餅<具足飾り>」が飾られていました。

脈々と受け継がれる老舗の歴史の重みを感じる一コマです。

 

 

晴海と月島の小さな公園

[ジミニー☆クリケット] 2017年1月11日 16:00

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晴海にある「ほっとプラザはるみ」の隣に中央清掃工場があり、その清掃工場晴海通り沿いの角のスペース小さな公園散策路)があります

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その公園内には、クライミング遊具やいくつかの遊具が設置されています

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ここに、「晴海見本市会場」記念碑があります

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ここは、平成8(1996)年東京ビッグサイト有明)がオープンするまで、東京モーターショーなどが開催されていた東京国際見本市会場でした

 

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月島3丁目、「西河岸通り」に面して, 「わたし児童遊園」があります

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こちらも小さな公園で、すべり台、ブランコ、シーソーなど、いくつかの遊具があります

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この公園中に月島の渡し跡という説明板が設置されています

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月島の渡しは、月島一号地の埋立が完成して間もない明治25(1892)年手漕ぎの有料渡船に始まりました。その後、昭和15年ごろまで, およそ50年間運航されたそうです(勝鬨橋の完成により廃止)

その間、月島は東京の臨海工業地帯として発展し、明治44年には,乗客の増加に対応するために、徹夜渡船も行われたそうです

どちらの公園も、晴海月島歴史を確認させてくれるスペースです

 

 

第62回寒中水浴大会(寒中禊)

[サム] 2017年1月11日 14:00

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DSC_0561RS' (2)G.jpg 1月8日、鐵砲洲稲荷神社にて、新年恒例「第62回寒中水浴大会」が開催されました。(11:00~)

尚、平成29年は神社改修中の為、禊会場は鉄砲洲公園。

毎年、正月第2日曜日に行なわれる寒中水浴は、新春に神前で冷水を浴びて心身を清める禊を行なって無病息災を祈願する神事で、かつては寒垢離(かんごり)や寒禊と呼ばれ、江戸時代から行なわれてきたとされる年初めの行事です。

昭和30年、先代宮司により「寒中水浴大会」として復活した、今年で62回を迎える伝統の祭礼。

中川宮司の挨拶と参拝、篠道彦(みちひこ=導師)の注意指導、公道に出て神社一周ランニングの後、奉奏される鐵砲洲囃子が流れる中、準備運動の、櫓で舟を漕ぐ動作、鳥船(舟)などを行ない、大きな氷柱を入れて冷却した水槽に入り、胸まで冷水に浸かって「祓戸大神(はらえどのおおかみ)、祓戸大神・・・」と唱えつつ、腹の前で玉子を抱くように両手を上下に重ね胸から腹にかけて上下にゆっくりと振る、振魂(ふりたま)の動作を行ないながら、心身を祓い清めます。

終了後、再び鳥船などによる整理運動を行なって、寒禊を終えます。

鐵砲洲ならではの新春の風物詩です。