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2017年1月11日 12:00
厳冬の浜離宮恩賜庭園。今は冬枯れの時期ですが、潮入の池の畔の一角に、凛として咲く「素心蠟梅(そしんろうばい)」の静謐で穏やかな芳香が漂っています。
ロウバイは中国原産の落葉低木。
名前に梅(バラ科サクラ属)がつきますが、ロウバイ科ロウバイ属で別科の木本。
1~2月、初春のまだ寒さ厳しき頃、他の花に先立って、葉が出る前に黄色の蜜蝋を連想させる光沢のある可憐な花を咲かせます。
ソシンロウバイの花には多数の花被片(花弁と萼が形状的に類似している場合の総称)があり、鮮やかな黄色。
リナロール、ボルネオール、シネオールなどの精油成分由来とされる、上品で清々しい香りで、ニホンスイセンの香りにも似ています。
同じく早春の花のウメよりその芳香は強くはっきりしています。
俯き加減に咲き、和の趣を有し、茶花としても使われています。
尚花木園では、「蠟梅」(外側の花被片は大形で黄色、内側の花被片は小形で暗紫色)が薄甘い芳香を放っています。
花の少ない時期に咲くので珍重されていますが、その馥郁とした香りにはやすらぎを覚えます。
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2017年1月10日 12:00
1月7日、築地波除稲荷神社では、新春恒例の「七草神事」の祭典が執り行なわれ、境内では「七草粥」が振る舞われました。
古来の、生命の再生を願い若菜を摘む「若菜摘み」、中国古俗の1月7日の「人日(じんじつ)の節句」に食された「七種菜羹」の風習が交わり、「七草粥」が食されるようになったと考えら
れており、江戸期に入り、五節句のひとつと数えられ、"1月7日に七草粥を食す" ことが民衆に広まり定着したとされます。
正月7日は正月行事の節目に当たり、この日の朝に、大地から芽生えた春の七草(せり、なずな、ごきょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ)を入れた七草粥を食し、無病息災を願う年中行事。
7日と云えば、松の内の最後の日に当たり、正月の馳走に疲れた胃腸を労り、青菜が不足しがちな冬場の栄養補給の一面も見逃せず、理に適った古人の知恵をも彷彿とさせる習わしと云えます。
七草の種類は、時代や土地により異なり、"七" 草の数にも多寡があったとされます。
七草粥は日常の食生活に戻るひとつの区切り。
よい気分の切り替えになります。
[ジミニー☆クリケット]
2017年1月 8日 18:00
東日本橋2丁目にある薬研堀不動院は、真言宗智山派大本山川崎大師平間寺の東京別院です
こちらは、年末の「納めの歳の市」が有名ですが、年が明けてのお正月も初詣客でにぎわいます
年末から年始にかけて、たくさんの提灯が掲げられていますが、他のお寺と違うのは、講談師(講釈師)の方々の、「一龍齋・・」「宝井・・」「神田・・」「田辺・・」とお馴染みの名前がずらりと並んでいること
境内には、「講談発祥記念之碑」があります
由来の説明文には、元禄の頃、赤松清左衛門が浅草見附辺の町辻で太平記を講じて、江戸講釈の発祥となったこと、これが後に「太平記講釈場」に発展して長く庶民に親しまれ、安政年間に、「太平記場起原之碑」が建てられたこと、この碑はその後, 当不動院境内に移されて大正12年の関東大震災まで名物となっていたことが記されています
また、当不動院と講談協会との因縁によって、真言宗宗祖弘法大師一千百五十年御遠忌を記念して、ここに新たに碑を建てたとのことです
当不動院では、毎月講談の会が開催されますし、「中央区まるごとミュージアム」などでも特別企画の講談会が開催されます
薬研堀不動院のHPはこちら ⇒
http://www.kawasakidaishi.com/about/yagenbori.html
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2017年1月 8日 16:00
1月6日、築地市場内の水神社遙拝所にて「正五九祭正月祭」が執り行なわれました。(11:00~)
昨年11月に予定されていた豊洲市場への移転が延期されたため、本年も引き続き当地での開催となりました。
毎月5日に月例祭が行なわれますが、正月と5月、9月には、本殿のある神田神社(神田明神)から神職を招いて神事が執り行なわれ、
正五九祭と称されています。
主催は魚河岸会で、揃いの半纏を着て祭事に臨席。大幟と高張り提灯が掲げられ、参拝者を迎えます。
築地市場で扱う生鮮品などを中心とした供物を前に、祓いの儀、祝詞奏上、参列者の玉串奉奠・・・。
水神社の加護に感謝すると共に、市場発展を祈願。
豊洲市場への移転問題を前に、見納めとなるかも知れぬ、江戸より受け継がれる歴史ある行事の一コマです。
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2017年1月 7日 16:00
1月4日、日本橋三越本店で新春恒例の「第32回日本橋七福神めぐり」「第5回食品フロア(こども)七福神さがし」が開催されました。
福禄寿、辨財天、布袋尊、大国神、毘沙門天、寿老神、恵比寿神の「七福神」は室町時代末期に始まった民間信仰とされます。
それぞれにご利益があるとされ、正月に「七福
神めぐり」をすると、「七難即滅・七福即生」(7つの災難が消え去り、7つの福徳を授かる)という信仰が広まり、一年の福運を祈るために七福神を祀った社寺を巡拝することが流行し、現在も新春の風物詩となっています。
日本橋七福神めぐりは神社のみで構成され、全長約4.5kmを徒歩1時間程度で巡拝。
地下食品フロアでは、七福神を探しながらスタンプラリーで廻る「(こども)七福神さがし」が催されており、イベント終了後、七福神に扮した同店社員が揃って店内を練り歩き、買い物客を楽しませてくれました。
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2017年1月 6日 18:00
1月4日、日本橋高島屋・日本橋三越本店にて、新春恒例の風物詩、東京都指定無形民俗文化財 江戸消防記念会第一区による「木遣り・纏振り・梯子乗り」の妙技が披露されました。
日本橋高島屋1階正面ホール・正面入口前(10:30 12:00)
日本橋三越本店1階中央ホール(11:20)
今から凡そ300年前の享保4年、徳川幕府8代将軍吉宗の時代、時の町奉行大岡越前守忠相の唱道で「いろは四十八組」の町火消が結成されたのが、消防組織の始まりとされています。
明治に入り、「消防組」として引き継がれ、その後、戦時下警護団に統合され、「消防組」は廃止。
江戸消防記念会は町火消・消防組の後裔として、江戸火消しの伝統と火消し文化の保存・継承を目的に、昭和14年に結成され、今日に至ると聞きます。
東京都23区を第一区から第十一区に地域割りし、第一区は中央区全体と千代田区の一部を担当。
尚二番組(い組)から十番組(千組)までが中央区に帰属。
「梯子乗り」は、梯子が火災現場確認の為の櫓の役目、人命救助の器材の役目も担うこともあり、町火消の中心となった鳶職が、高所での機敏さと勇敢さの鍛錬の為、取り入れたとされています。
不安定な梯子の上で、バランスを保ちつつ、地上3間半(約6.3m)の頭上で、新春の空に体を捻らせながら、次々と繰り出される妙技は圧巻です。
「粋」と「張り」を本領とする江戸っ子の心意気を彷彿とさせるシーンです。