[佐平次]
2015年1月31日 09:00
かつて、日本橋人形町三丁目には江戸末期から昭和の時代まで『人形町末広(廣)』という寄席がありました。 客席がすべて畳敷きの落語定席として人気が高かったのです。
観客は入口に履物を預けて入場し座布団に座るのですが、夕方の前座の頃は入場者も少なく座布団を枕にして寝ころびながら高座を見ている観客や、出前の鮨を食べながら落語を聴いているような観客も居たように記憶している。
しかし、志ん生や文楽、圓生など真打の登場の時間ともなると場内は満席になりテレビカメラも入りすごい熱気が溢れていました。 ところが土地の高騰、テレビなどの娯楽の多様化や住民の減少などで1970年(昭和45年)1月もって閉場してしまったのです。
その後、中央区などの地価の高い場所では寄席の経営は困難で新たに出来ることもないだろうと思っていましたが、平成6年演芸・邦楽等、伝統芸能の公演、稽古を主眼とした初の本格的演芸場として「お江戸日本橋亭」がオープンしたのです。
経営は不動産の賃貸・仲介・管理などの業務の永谷商事で、日本の伝統芸能である、落語・講談・新内・義太夫などの公演の場である演芸場として永谷ホールを運営しています。
お江戸日本橋亭は東京メトロ「三越前駅」から数分、「日本橋駅」からでも6、7分という便利な場所にあります。
公益社団法人落語芸術協会の「定席」(毎月21日~27日までの平日夜開催)をはじめ、講談・浪曲、新内・小唄・長唄・義太夫などの伝統芸能を体感できます。
場内は舞台の前が畳敷きで後が椅子席で満席でも100人ほどの小さな小屋ですが、若手落語家の熱演で久しぶりのライブを楽しむことができました。
木戸銭は公演によりますが大体2000円くらい、でも年会費5000円を払って「お江戸演芸倶楽部」の会員になれば「お江戸日本橋亭」の他、お江戸上野広小路亭・新宿永谷ホール・お江戸両国亭等で開催される演芸会公演の招待が20回以上、他の公演もほとんど半額になる優待割引の特典が得られる利用券がもらえるので絶対お得です。
その他、講釈師の案内による街歩きと寄席鑑賞がセットになった「講釈師と歩く歴史と文化の散歩ラリー」や落語・講談・浪曲・マジックから義太夫・端唄・お座敷舞踊まで余興で披露したい方からプロを目指して本格的に学んでみたい方までの「お江戸演芸邦楽スクール」や大相撲ファンのための「お江戸相撲同好会」もあります。
入会の申込みは入口のすぐ左手の永谷商事のオフィスで受け付けています。 入会後、即利用権での入場も可能です。
お江戸日本橋亭 http://ntgp.co.jp/engei/nihonbasi/index.html
[巻渕彰/写楽さい]
2015年1月27日 14:00
中央区立郷土天文館(タイムドーム明石)で、企画展「江戸、芝居町発掘!~江戸歌舞伎と考古学~」が1月24日(土)からはじまった。中央区には江戸初期から江戸四座(のち三座)と呼ばれる芝居小屋が置かれていた。今回の展示では堺町・葺屋町(現・日本橋人形町三丁目)の芝居町遺跡の発掘出土資料から特徴のあるものを展示している。会期は3月8日(日)まで、入場無料。郷土天文館HP こちら>>
江戸期から堺町には中村座、葺屋町には市村座の2座が興行し、操り座などの人形芝居小屋があり、それを取り巻くように茶屋が集まる一帯は芝居町として形成していた。この情景は「江戸名所図会」に描かれている。遺跡はその一角で、市村座付近で発掘された。
出土資料から芝居関連の遺物として、木製品に墨書や焼印されたものや「市村」と書かれた板材がある。芝居小道具に使われた数点の模造刀も展示されている。あやつり人形の頭部と足首といった人形芝居の道具は操り座の痕跡のようだ。
茶屋跡と思われる場所からは、「茶店」と記された曲物容器の底板が出土し、屋号が書かれた陶器片も展示されている。茶屋が接客場所であったことで鍋島焼や色絵磁器などの高級品が大量に出土したのも特異という。
化粧道具の鉄漿坏(かねつき)、紅猪口(べにちょこ)や骨に細工された簪(かんざし)、笄(こうがい)も展示されている。遺跡からは石組みの下水や下水木樋、地下倉庫といえる穴蔵、役者の風呂桶なのか埋枡(うめます)などの遺構が見つかったそうだ。@巻渕彰
[橘]
2015年1月21日 09:00
昨年9月に「祈りの幕が下りる時」の橋を歩く第一弾として、小説中の1月のカレンダーにメモされていた"柳橋"付近について書きましたが、今回はカレンダーの2月にメモされていた"浅草橋"と3月の"左衛門橋"付近に付いて書きたいと思います。
浅草橋に接している中央区の町は現在の町名では"東日本橋2丁目"ですが、住居表示変更前は"日本橋両国"でした。JR.両国駅や両国国技館のイメージから両国という地名は墨田区と思われがちですが、本来の"両国"という地名は中央区にありました。今でも、郵便局の名前には"両国郵便局"として残っています。因みに嘗て墨田区側は"東両国"という地名でした。
又、浅草橋の台東区側の袂には、"浅草見附跡"の碑が建っています。江戸時代に浅草観音や奥州に向かう人々の取り締まりのために見附が置かれたものです。
この浅草見附付近で、江戸元禄時代に赤松清左衛門が太平記を講じ江戸講釈の発祥となりましたが、これを記念した碑が薬研掘りのお不動様に建てられています。
又、江戸時代浅草橋の中央区側には郡代屋敷があり交番横に説明版が建てられていますが、郡代屋敷の敷地だったところには現在日本橋女学館があります。女子中高一貫校ですが、2009年には新校舎が完成、今年の入試から共学となり校名も"開智日本橋学園"と変更されるそうです。
左衛門橋です。
浅草橋と左衛門橋の間にも船宿があり、屋形船が係留されています。
(浅草橋から、左衛門橋を見たところです。左のビルが日本橋女学館です)
左衛門橋は北側が台東区、南側の東側が中央区馬喰町、西側が千代田区と3つの区に接しています。
[之乎者也]
2015年1月20日 12:00
土曜日の午後、日本橋室町で開かれている「フェルメール光の王国展2015」に行ってきました。この展覧会では日本でも人気の高い17世紀のオランダの画家ヨハネス・フェルメール(J. Vermeer:1632~1675)の作品を鑑賞できますが、以前オランダ旅行の際にマウリッツハイス美術館(デン・ハーグ)やアムステルダム国立美術館で見たフェルメールの作品をもう一度じっくり見たいと思い、出かけて来ました。
【マウリッツハイス美術館】
この展覧会は青山学院大学教授(分子生物学)で自らも世界中のフェルメールのオリジナルを見てきた福岡伸一氏が2012年に企画し、2012年1月~7月に銀座6丁目の「フェルメール・センター銀座」で、その後全国(名古屋、松山、広島、長野ほか)を回っていた展覧会が3年ぶりに中央区に戻ってきたものです(/archive/2012/04/post-1177.html、/archive/2012/07/post-1307.html)。
【絵画芸術】
この展覧会はフェルメールのオリジナル絵画の来日引越展覧会ではなく「リ・クリエイト作品」を鑑賞するものです。展覧会の解説によれば「リ・クリエイト」とは、フェルメールの故郷であるオランダ・デルフト市の「フェルメール・センター」提供のオリジナルの画像データをデジタル的に解析して、デジタル印刷技術を使って再生したものです。写真による複製と異なり、特殊なキャンバスに最先端のデジタル印刷を施したものなので、ことによってはハーグやアムステルダムの美術館にあるオリジナルよりも、当時フェルメールが描いた当時の色彩や質感を忠実に再現できるとのことです。「リ・クリエイト」と馬鹿にするなかれ、日本橋室町の展覧会では、フェルメールの37の作品全てを一度に見ることができるのです。
【ヴァージナルの前に座る女】
フェルメールファンの私も、過去にデン・ハーグ、アムステルダム、ロンドン、ワシントン、ニューヨークの美術館にある一部の作品には直接対面したのですが、実際に福岡氏や『フェルメール全点踏破の旅(集英社新書)』の著者である朽木ゆり子氏のように全点を見ようと思っても、オランダ(デン・ハーグ、アムステルダム)、欧州(ロンドン、エジンバラ、ベルリン、ドレスデン、パリ、ウィーン等)、米国(ニューヨーク、ワシントン)と全世界に分散しており、よっぽど時間が無ければ見ることが出来ません。
【真珠の耳飾りの少女】
更にはフェルメールの作品には個人が所有しており一般公開されていないもの、そしてボストンの美術館から盗難されて未だ行方知らずの作品もあるのですがこの展覧会では全て見ることができます。
また、現在では別々の美術館に展示されているため、なかなか比較して見ることができない同時期や同テーマの絵画を比較して見ることで見えてくる絵画のモデルの共通性や、人物の脇役として用いられている世界地図や楽器などの小道具について新たな発見など贅沢な鑑賞の機会を楽しんできました。なお、展覧会の後には、近隣のCOREDO(室町1~3、日本橋)、日本橋三井タワーの飲食店で展覧会の入場券を提示することで割引などのサービスが受けられます。私も展覧会のあとお腹が空いたのでCOREDO室町2のお店で夕食を取りましたが、その話は別途皆さんにご報告できればと思います。
「フェルメール光の王国展2015」
場所:〒103-0022 中央区日本橋室町3-2-15 日本橋室町センタービル1F(地下鉄三越前駅A8出口)
会期:1/5~3/10(休館:月曜日)
開館時間;10:00-19:00
入館料:大人1,000円、小中学生500円。
音声ガイド500円。
[銀造]
2015年1月13日 09:00
お正月の松飾りについて、以前掲載しましたが、
お正月を迎える「松飾り」で、「竹の切り方」について、斜めに切っているのと、節の上で平たく切ってあるもの、そして竹笹を松と一緒に飾っていたり、それぞれのお店で異なっていたりしますね。
今年の「日本橋七福神めぐり」をご案内した時に何人かのお客様から質問が出たので、改めてご紹介しますと、
門松は地方によって違うそうです。
まず切り口ですが、古来は横に切ったそうですが、戦国時代以降、特に武家では斜めに切るようになりました。これを「そぎ」と呼ぶのだそうです。
京都の伝統を重んじる所では、未だに竹は斜めに切らないそうです。ということは、京都では、「寸胴」が多いのですね。
この基本的な二つの切り方の他に、最近では、竹の上部は危なくない様に、横に切って、竹の節を利用して口の形を残して微笑んだ感じの物もあります。
今回は、西洋旅館と言われるホテルの松飾りを写真に収めてきました。
京橋トラストタワーのMarriott Hotel 「そぎ」です。
銀座国際ホテルの松飾り。 「寸胴」です。
銀座グランドホテルの松飾りは、「そぎ」です。
2014年12月にオープンしたMillenium Mitsui Garden Hotelの松飾りは「そぎ」。
三井ガーデンホテル 銀座プルミエの松飾りは、「そぎ+口」
Courtyard Marriott 銀座東武ホテルの松飾りは、「寸胴」。
そして、内幸町まで足を伸ばして、今年125周年を迎えた、現在日本で一番由緒あるホテルの松飾りも見てきました。
こちらは、竹の上部を平たく切って、真ん中に節を残して、下部は控えめに口を開けた感じの、「そぎ+口」です。
各ホテルにも、こだわりがあるようで、なかなか面白い探索でした。
(過去の記事は、これです)
/archive/2010/01/post-237.html
/archive/2010/01/post-239.html
[サム]
2015年1月12日 15:00
1月11日は鏡開きの日。
日本橋榮太樓總本鋪では一足早く9日14:00より、先着約500名に恒例の「餅入り汁粉」のお振る舞い。
今年は11日が週末に当たることから平日金曜日に繰り上げ実施。
店頭では丸一仙翁社中による、東京都指定無形民族文化財「江戸太神楽(400年の歴史を持つと伝えられる、獅子舞と曲芸を中心とした大衆芸能)」の囃子の音が流れ、新春ムードを盛り上げています。
鏡開きとは、正月飾りとして神棚や床の間にお供えしていた鏡餅を下げて、神仏に感謝し、無病息災を祈念し、雑煮か汁粉にして食する年中行事。
店内には立派な「江戸 "お供餅"<具足飾り>」が飾られています。
『戦国時代以降、武家では正月、甲冑の前に供えた餅を「具足餅(鎧餅)」(飾り)といい、
江戸では町人がこれを真似、商家では甲冑がないことから、あれやこれや縁起物で具足に模して飾り付けた為、その名がある。弊舗では江戸の昔から、この形を今日まで踏襲しています。』
との内容の添え書きがあります。
改めて老舗の暖簾継承の重みを感じつつ、あつあつのお汁粉をいただきました。